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1.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 
◆単純な怪獣映画ではなく、反核、反戦をテーマとした映画。特撮の傑作というより、時代を越えた奇跡の職人芸、手作りの傑作。それを可能にしたのは、製作者全員に反戦・反核の想いがあったからだろう。企画の少し前に、第五福竜丸事件が発生している。日本人なら誰しも心を痛めた事件。愚かな水爆実験を繰り返す人類への反省が込められている。◆対策本部に殺到する沈没船の乗務員の遺族たち、巨大な足跡に検出される放射能、猛火の中を逃げまどう人々、ビルの下で父親の元へ行くのよと子供を抱きしめる母親、長崎で生き延びた命なのにという女、また疎開かとうんざりする男、病院で母を求めて泣く子供、被爆した子供になすすべなくうなだれる医者、、平和の祈りを歌う少女たち。あらゆる場面に戦争、空襲、原爆被害へのオマージュが満ち満ちている。だからこそゴジラは反戦を誓う日本人のDNAに訴えるものがある。◆芹沢博士はオキシジュン・デストロイヤを「絶対に兵器として使用してはならない。使うのは今回の一度きり」と決意し、その秘密を守るために自ら死へと赴いた。芹沢博士だけが特別正義感が強いのではない。戦争を経験した者なら、誰でも戦争など二度とあってはならないと願うのだ。博士にも幸福を夢みていた頃があった。好きな研究をし、山根博士の娘と結婚し、壻養子となることが約束されていた。だが戦争で片目を失い、婚約も破棄同然。研究成果も兵器として利用されかねないもので、平和利用できるまで発表もできなかった。そしてゴジラを倒すためには自らを犠牲にしなければならなくなる。これは戦争末期の神風攻撃隊を想起させる。博士の場合は命のみならず、研究成果も葬らなければならなかったのだ。この悲劇性がドラマを盛り上げている。◆ゴジラとは何か?単に町を破壊するだけの怪獣ではない。水爆の洗礼を受けても尚生きている古代生物。その巨大さ、生命の逞しさを想う時、畏怖というものを感じる。ゴジラは人間に被害を及ぼすが、ゴジラを憎みきることはできない。ゴジラは水爆実験の被害者でもある。平穏な住処を破壊されて、仕方無く上陸するようになったのだ。ゴジラは生命の尊厳の象徴であり、同時に恐怖の象徴である。恐怖とは戦争であり、核兵器のこと。つまり人間の心の闇だろう。山根博士は第二、第三のゴジラの出現を予言して映画は終る。ゴジラの再来=次の戦争への恐怖となり、強い余韻が残る。
[ビデオ(邦画)] 10点(2010-10-14 03:30:37)
2.  古都(1963) 《ネタバレ》 
近代化によって変化する京の伝統や町屋の風景など、「失われゆく美」に対する愛惜の情を数奇な運命を辿る双子に託して表現している。 美を象徴するのは双子姉妹。別々に育った二人だが、共に実の両親を知らない。これは切れた凧のように運命に抗うことができないことを意味している。 千重子は呉服問屋の一人娘として両親の寵愛を受け、何不自由なく育った。自分が捨て子だったのを知り、両親の云う事には何でも従う覚悟がある。父親から幼馴染の真一の兄・竜介を婿養子にする話を持ちかけられると結婚をすんなり承諾する。自立していないのではなく、受容的な性質なのだ。意志が弱いのではなく、番頭に帳簿を質すなど、芯の強さは持っている。相手が自分のことを愛しており、両親も勧める結婚ならば、反対する理由などない。その胸底には、昔ながらの商売の伝統を守ろうとする決意がある。 苗子は両親の元で育てられたが、物心がつく前に両親を亡くして孤児同然の身だ。北山杉の製材所で働き、自活している。彼女は、双子の姉妹・千重子を知って喜ぶが、育ちの違い、身分の違いを自認しており、千重子を「お嬢さん」と呼び、自分の存在が少しでも彼女の幸せに支障をもたらしてはいけないと考えている。だから西陣織職人の秀男から求婚されても断わろうと考えている。何故なら、、秀男は自分に八重子の幻を見ているのであり、万一結婚した場合、自分の存在が八重子の周囲に知られてしまうのを恐れているからだ。その背景には、双子を不吉とする迷信がある。 苗子が八重子を思い遣る気持ち、自分を勘定に入れずに献身的に相手に尽くす気持ちこそが「失われゆく美」だ。苗子が望んだのは、八重子の呉服屋で共に一夜を過ごすというだけのもの。それも周囲の目を慮って、夜に来て、早朝に帰るという慎重さ。雪の残る町屋を早足で去っていく苗子の姿こそ原作者の理想の姿で、「謙譲の美」とでも呼ぶべきか。幻想的ですらある。 音楽も映像も端麗で、四季を通じての古都の美を堪能できる秀作である。 ただし、スッポン料理は若い男女が食べるものではなく、不似合いだ。老年だった原作者の趣味を持ち込んだだけである。
[DVD(邦画)] 9点(2014-12-13 15:34:38)
3.  荒野の決闘 《ネタバレ》 
西部開拓時代の保安官の恋愛と決闘を詩情豊かに描いた名作であるが、物足らない面もある。 末弟を殺され牛一万頭を略取された兄弟の復讐譚。長男ワイアットは町の保安官に収まり事件を調査…しないという不思議さ。牛一万頭が盗まれたのである。たとえ豪雨が降っても一万頭の蹄跡は消えない。馬に較べて牛の移動は遅く、追跡は容易だ。その上、牛には焼印があるので飼うのも売り捌くのも難しい。最後まで牛は発見されず、牛略取事件に関しては未解決で終る。牛に執着がなかったにせよ、弟殺しの犯人に近づくには牛を追うしかないのだが。 医者でならず者という変わり種ドクを登場させ、観客に犯人だと誤誘導させる。酒に溺れ、すぐに拳銃を抜く無法者の一面もあるが、シェイクスピアを暗唱し、駅馬車の用心棒をし、情婦チワワから慕われ、元恋人クレメンタインが追いかけて来る。このクレメンタインが主人公が横恋慕し、ドクが撃たれたチワワを手術をするという見せ場もあるのだから存在感は主人公以上である。ドクはクレメンタインを愛しているが、結核にかかり、彼女の為に離れたというのが真相だ。  犯人はチワワが末弟の首飾りを持っていたことから発覚する。ドクから貰ったと証言するが、クラントン一家のビリーから貰ったと証言し直す。そのチワワをクライトン一家のビリーが撃って馬脚を現す。この時チワワはビリーを部屋に引き入れており、このことでドクに対する愛情が一途ではないことになってしまっているのは残念である。OK牧場での対決はあっけない。 敵役のクライトンの親父が年を取り過ぎている上に、息子達は親父の言う事に従うだけの能無でしかない。しかもたった四人。怖さが無いのだ。息子達が倒れると、親父は手もなく銃を捨てて降伏。ワイアットが逮捕せずに逃がすのには驚いた。「お前は殺さない。百年も生きろ。地を這いずり廻れ」文化の違いを感じた。 全体として中間が弛緩している。事件が突発してワイアットが保安官になるまでの緊張感がその後持続しないのだ。シェイクスピア役者の挿話など不要。ドクに焦点を当てすぎているのだ。その分、アープ兄弟とクライトン一家の人物像を描くのに時間を割けば、より引き締まった作品になっただろう。それにしても、馬の疾走場面の美しさときたらまさに芸術だ。空も美しい、クレメンタインも美しい。古き良き西部劇である。
[DVD(字幕)] 8点(2015-01-30 21:38:02)
4.  告発のとき 《ネタバレ》 
イラク帰還兵士が四人の同僚に殺された実話に基づいている。 途中まで、元軍警察所属の退役軍人ハンクが、婦警エミリーの助けを借りつつ、息子の死の真相を突き止める推理物と思っていたが、死の真相が判明してからは、明確に戦争告発に変わった。推理物としては上出来だが、戦争告発としては弱い。思えば、推理物として違和感があった。名推理を発揮するハンクとその相棒たるエミリーの友誼を描いていくはずが、途中で喧嘩のようになってしまうのである。ハンクの「戦友が殺すはずがない」という推理も覆される。ハンクの息子のマイクは、戦場で子供を轢いてしまった衝撃から立ち直れずに精神を病み、負傷者を面白半分に痛みつけるような人間になる。同僚も同様に病み、帰還してから些細な諍いからマイクを刺し、遺体を分解して燃やし、空腹を覚えてチキンを食べるような人間になる。息子も同罪と感じたハンクは彼等を責めない。そこが泣かせどころだ。星条旗を救難信号を意味する逆向きに揚げるだけだ。 ハンクは軍に対する忠誠心を持ち、愛国者ぶっているが、ベトナム戦争の経験もあり、軍警察にいたのだから、軍の良い面も悪い面も熟知しているはずである。「戦友が殺すはずがない」ではなく、戦友が殺すこともあるのが戦争の実態だ。マイクが帰還するのを両親に知らせなかったのは不審だ。犯人達も、マイクのクレジットカードで支払いするなんて、馬鹿じゃないかと思う。サインが必要ならアリバイ工作として成立しないのだから。 トップレスの中年女が後に重要な証言をするところなどは芸が細かい。無残な死体に対して悲嘆する姿が強調される。土葬文化圏では遺体の状態を気にするようだ。 原題は、羊飼いのダビデ少年が投石器で巨人戦士ゴリアテを倒す聖書の神話だ。小さい者が大きい者を倒す、勇気ある者が強者を倒す、神の名において戦う者が武器を頼りにする者を倒す、という三つの意味がある。しかし、ダビデ少年はひどく怯えていただろうと、エミリーは息子に話して聞かせる。殺すか殺されるか、怖くて当たり前なのだ。そして、殺すか殺されるかを強いるのが戦争である。英雄物語の影に隠された真実がある。それが分かる人間に成長して欲しいと願う母心だ。切れ味鋭い脚本だが、マイクの心の闇にはメスが届いていない。 
[DVD(字幕)] 8点(2014-12-02 22:32:15)(良:1票)
5.  GODZILLA ゴジラ(2014) 《ネタバレ》 
ハリウッドが本気で作った「ゴジラ(G)」に拍手。真実に迫る巨大怪獣の姿に恐怖を覚え、怪獣対決の醍醐味も十分に堪能できた。但し顔の造形は“大熊”似で、敵怪獣ムートー(M)も昆虫系生物で「怪獣美」に欠ける。暗い場面の連続には辟易し、「エイリアン2」そっくりの場面には驚いた。フィリピンの地底、化石ゴジラの胎内で孵化したMは海に入り、日本の原発に地中から侵入して、施設を崩壊させ、卵を産み付けた。15年後、孵化したオスMは飛翔、ハワイに着陸。米軍が攻撃するも、オスMが電磁パルスを発生させ、電子機器を無力化させてしまう。Mの宿敵のGもハワイに到来。両者は激突するもオスMは米国西海岸へ飛翔。ネバダ州の核廃棄物処分場にはフィリピンで発見された繭が保管されていたが、それが羽化し、メスMが誕生。二匹のMはサンフランシスコで合流、追ってきたGもそこに上陸。両者対決し、当然Gが勝つ。人間は仕掛けた水爆を解除するのに大童。水爆は海上で爆発。人間劇は家族愛が主題。妻が死んだ原発事故の原因を突き止めるジョーの執念は、本人死亡であっけなく終幕、後に続かない。ジョーの息子フォードは他人の子供を保護したりするものの、自分の子供とは疎遠で、妻とも疎遠。家族の気持ちが空回り状態だ。ジョーの執念の調査が怪獣退治に結びつき、フォードも父の執念に動かされて軍隊に復帰するという展開なら物語に繋がりができた。又、フォードの息子は母親と行動を共にし、Mに襲われたところをジョーかGに助けられる、あるいはジョーの犠牲で助かる、というようにすれば物語が深まった。ゴジラ第一作のような自己犠牲が見られないところが残念である。 GもMも放射能物質をエネルギーにしているが、Gは核施設を襲わない。核施設を襲い繁殖力の高いMは人類の敵で、各施設を襲わず繁殖しないGは人類の味方という構図だ。ところで最初に羽化したMは行方不明のままだ。日本も米国もMの繭を15年間も研究して、成果はほどんど無し。モナーク研究所は60年もGを追及して、成果はゼロ。このあたりも脚本の反省点だ。オスMが電磁パルスで電子機器を無力化する設定は面白いが、それが後半無くなるのは不自然だ。機能すれば核ミサイルの時限装置も無力する筈だ。フォードの日本の家にあった「○ニラ対ハブラ 火炎ビーム」という怪獣映画ポスターが気になった。教室に貼ってあった「蛾の一生」の絵といい、遊び心がある。
[映画館(字幕)] 8点(2014-08-28 05:29:58)
6.  河内山宗俊 《ネタバレ》 
「思いやり、やさしさ」が主題だと思う。 お浪は、やくざ社会に足を踏み入れかけている弟、広太郎のことを案じてやまない。 将棋詐欺の場面で、広太郎が宗俊に思いやりの言葉をかけたことで、二人は親密になる。 お浪が怪我をしたとき、宗俊と浪人金子は、共にお浪を思いやっていることに気づき、急速に昵懇となる。 宗俊も金子も聖人、君主の類ではなく、好きなように生きてきて、時には悪事も働き、清濁あわせ持つ人物で、可哀相な小娘、お浪のために命を張ることも厭わないやさしさを持っている。よき死に場所を得たことで、却って本望だろう。 宗俊の女房は悋気を起こし、我知らずお浪を窮地に追いやってしまうが、宗俊の危機には身を挺しても守ろうとする。 宗俊もそれに応える。夫婦愛の完成である。 監督は美的感覚が優れている。お浪が身売りを決心する場面の構図は見事に決まっており、雪の中を出ていく場面は美しい。 監督の特徴である無駄のないショットの繋ぎは、そのような美的感覚があればこそだろう。圧巻は、掘割での対決場面だ。奥行きを見せる縦の構図から疾走感を見せる横の構図へと繋ぎ、最後は地平線へ駈ける縦の構図で終る。水の使い方もうまい。乱闘の水飛沫、迸る落ち水、躍動感を盛り上げている。入水場面での月影を映す水、月影の砕ける波紋も印象的だ。 難点は、弟広太郎の人物像が描かれていないことだ。優しい姉がいるのに、どうしてグレたのか。幼馴染の遊女と心中を決心する場面で、「どうせ生きてたってしょうのねえおれだ」と吐き捨てるが、その心情が伝わってこない。同年代の少年は丁稚奉公などで働いている筈である。普通は、遊女に売られることが不幸なのであって、身請けされるのは喜ばしいことだが、この遊女はどうして死を賭して、脱走までしたのか。そこに至る過程が描かれていないので唐突感が残る。省略の美はよしとしても、省略し過ぎでは、余韻に浸ることはできない。よしや、広太郎が無事お浪を助け出したとして、広太郎は親分殺しの御尋ね者である。二人でまともに暮らすことはできないだろう。蛇足だが、遊女の身売り金は多くて五十両くらいであり、三百両はべらぼうに高い。身売り金と身請け金が引き合うわけはないのである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-04 23:28:47)
7.  荒野の七人 《ネタバレ》 
「オールスター・キャストによる痛快西部劇」「西部劇の代表作」と言われているが、厳しい眼でみれば、随所に甘さが目につく。 ガンマン7人の人物像は個性があり、描きわけができていて合格点。特に若者チコは秀でている。彼は農民出身だが、銃に運命を変えられガンマンとなり、クリスに憧れて「7人」に加わったが、最後は村に留まる決意をする。未熟と大胆の共存する若武者ぶり、警戒する村人と7人とをつなぐ役割、村娘との恋など、おいしいところ取りで、この人がいないと面白みは半減するだろう。ベルナルドと子供達の挿話は文句ない出来。ナイフ投げの名人が、敵に対してナイフを使わないのは理解不能。あれだけの伏線をしておいて。山師ハリーは一旦袂を分かつが舞い戻ってくる。その心の機微を描いていない。戻ったものの瞬く間に射殺されてしまう。もっと活躍させてやるべき。賞金稼ぎのリーは最も影が薄い。腕に自信を無くしており、悪夢に悩まさせるのはよいが、どうやって立ち直ったかが判りづらい。山賊のボスはいかにもバカそうだが、もっと悪賢く、残虐な人物にしないと肝心の”正義””英雄行為”が際立たない。一網打尽にした7人を開放してやるなんて、甘い甘い。手下を何人も殺されており、手下に示しがつかないではないか。復讐が怖い?そんならボスなんてやめちまいな。銃の腕が立つわけでもなく、悪玉として魅力に欠ける。チコがメキシコ人に扮して山賊の元に潜入する場面があるが、安易すぎる。お互いの顔を知らないわけがない。脚本の工夫が足りない。死人が出るのを嫌った農民が7人を裏切って山賊を手引きするが、その直前の場面では皆で戦うと意思確認している。このあたりの物語の流れがスムーズでない。それに山賊が7人に気づかれずに戻れたのも不自然だ。ガン・ファイトはさすがに絵になっている。しかし注意深く見ると、7人に隙があるのに、敵方が撃っていない場面が散見される。村人が敵に農器具などを持って躍りかかるが、敵は何故か撃たないで、一方的にやられる。これは見逃せない瑕疵だ。折角の良い映画が絵空事に思えてしまう。村人にもそれなりの死傷者が出てこそ、現実味が増し、勝利の重さも違ってくる。犠牲があってこそ、最後にクリスが言う「勝ったのは村人たちだ」の台詞が活きてくるというもの。
[DVD(字幕)] 7点(2012-12-15 19:37:15)(良:1票)
8.  古都(1980) 《ネタバレ》 
戦後一貫して日本の美を追い求めた川端康成が、京都を描くために京都に住みついて原作を執筆した。違う環境で育ち、偶然出会った双子美人姉妹の物語。姉の千重子は捨て子にされたが、育て親に恵まれ、呉服問屋の令嬢として乳母日傘で育てられた。捨てられた理由は、貧困と「双子は育ちにくい」という迷信のため。苗子は実の両親の元で育ったが、幼い頃に二親とも逝去。苦労して育ち、今は北山杉の土地持ちの住み込み奉公と山仕事を兼業して暮らす。特筆すべきは苗子の驚嘆するほどの奥ゆかしさ、慎み深さだろう。自我を前に出さず、相手を思いやる心、謙遜の情にすぐれている。原作者の説く日本の美の体現者だ。両親が亡くなったのは、姉を捨てた神罰と信じ、両親が亡くなった後は、その罪はいつか自分に降りかかるものと覚悟している。姉に対して何も望まない。北山杉で会う場合も、村人の目を憚って山中で会うという気の使いよう。姉の家も訪ねる折も、わざわざ夜にする遠慮深さ。それを迎える姉の両親の気配りも良かった。呉服問屋で一緒に暮らさないかという申し出は断わる。贈られた帯も付けない。姉と同泊したのを今生最上の喜びと表現。優しさも兼ね備える。山で雨に降られた時は姉にかぶさり、寝る前には姉の布団を温めたる。別れるとき、姉の差し出した傘を受け取ったのは、形見替わりとしてだろう。姉を慮ってもう積極的に会う気はないのだ。典型的な相手に尽くす型の女だが、自分の生き方を貫く強い女でもある。一方千重子は素直に育ち、良妻賢母型で、両親のいう事に逆らわない生き方で満足している。両親の持ってきた結婚話も受諾する。運命を受け入れているだけのように見えるが、実は運命を切り拓いている。未来の夫の忠告に従って、家の商売の勉強を始めるのもその証左。捨子ながら幸福な家庭環境の下で育ったのも偶然ではないだろう。”紅殻格子の前に捨てられる”という運命を引き当てたのだ。巫女的な力を宿しているように思う。これは双子を演じた山口百恵が、恵まれない家庭環境に育ちながらも国民的スターになれたことと重なる。苗子は、彼女が「赤いシリーズ」で演じた”薄幸ながら力強く生きる少女”の分身だ。彼女の二面性を合わせ鏡のように見せてくれる映画のように思える。偶然の産物だろうが、彼女の引退作品としてはこの上ないものだったと思う。アイドルを越えた女神、山口百恵が”日本の美”として記録された。
[DVD(邦画)] 7点(2012-08-16 23:52:54)
9.  御用金 《ネタバレ》 
武士の世界の不条理を描いた作品。藩の財政難を救うために、佐渡の金を運ぶ幕府の船を沈め、その金を横領するという策謀。そのために目撃者である集落の漁民を全員抹殺し、「神隠し」と呼ばれる。孫兵衛はそんな侍暮らしに嫌気がさして脱藩したが、三年後江戸で藩の刺客に狙われる。問いただせば再び「神隠し」を行うという。孫兵衛はこれを阻止するために帰郷する。途上で神隠しに遭った漁民の娘おりはに遇う。きな臭さを嗅ぎつけた隠密もついてくる。奇縁で結ばれた孫兵衛、おりは、隠密の三人で船の遭難を回避。巨悪の根源である老中も倒す。◆随所で監督の映像美が堪能できる。構図、背景、殺陣が美しい上に、俳優陣に個性があり、重厚感ある時代劇に仕上がっている。また人間が能く描けている。特に村娘から転落して、鉄火肌の賭博師となり、孫兵衛を助け、助けられ、密かに孫兵衛を慕うおりはという役どころは秀逸。特に神隠しに遭った漁村に帰って、それを発見して絶望する場面は実に丁寧で好感が持てる。孫兵衛にしても決して正義感が強く無垢な男ではなく、意図しなかったとはいえ、自分に立ち向かってきた漁民を殺している。この挿話により彼の人間としての苦悩が描けている。そしていつまでも自分を慕ってくれている愛妻との再会。これならクールな彼にも感情移入できようというものだ。◆一方で脚本構成は荒っぽい。財政難を救うためというが、その実態が描けていない。どれほど困っているのか不明なので、「神隠し」は短絡的な強奪・殺戮にしか思えない。又船を遭難させる方策だが、そう簡単にいかないと思う。そもそも都合よく夜に岬を通過するとは限らない。満月だったらどうする?沖で沈没したら金の回収はどうするのか?などと疑問点が湧く。老中の手下に囲まれた孫兵衛をおりはが救う場面もしかり。町のやくざを敵対するやくざがそこにいるとけしかけて、侍とヤクザを闘争させるが、やくざと侍の区別は容易につく筈だ。そして隠密の扱い。最後にあっさり、もう隠密はやめるというオチはしっくりこない。この人の苦悩が伝わってこない。もうひと波乱あってしかるべだ。この人物だけ妙に明るくて、浮いている。。三船敏郎と仲代達也がケンカして三船が降板、急きょ代役として三日間だけ出演という背景がそうさせたのだろう。残念である。ちなみに御用金は出雲崎で荷揚げされ、北国街道で江戸に運ばれた。
[インターネット(字幕)] 7点(2011-10-25 15:19:58)(良:1票)
10.  コレクター(1965) 《ネタバレ》 
男は社会的不適格者でも病的変質者でもない。元銀行員であり、通常の社会生活は営める。両親がおらず、貧乏で育ち、孤独な青年。人見知りが強く、対人関係が苦手で、人から嘲笑される人生をおくってきた。美人画学生Mに片思いしているが、声をかけることもできず、遠くから眺めて、崇拝しているだけだ。趣味は蝶の採集。そんな男にクジが当り、金持ちになる。地下室のある家を購入。蝶の採集をまねてMを捕獲し、自分への愛が育つのを待つことにする。◆男が欲しかったのは性的関係ではなく、愛だ。あるいは性的不能者なのかも知れないが。いずれにせよ、人間を虫のように扱って監禁し、人間らしく愛してくれというのは無茶な要求だ。愛されずに育ったせいで、愛というものを理解できず、人を真に愛することが出来ない。「ライ麦畑でつかまえて」を読んでも人の心の痛みが分らない。ピカソの画集を見ても、その創造性を理解できない。人に愛されたかったら、愛される人間にならなければならない。男はMを愛しているといってもそれは上辺のことだけに過ぎない。◆好きな女を監禁して、自分の思うようにしたいと妄想するのは珍しくない。この作品では、性的関係は強制せず、「自然に愛が芽生えてくるまで待つ」というところが新しい。愛欲よりも愛情に飢えている。妄想の視点が違うのだ。どのような成育歴により、このような歪んだ精神になったのか、また男が昔からどんなにMを崇拝していたかなどが十分に描かれていないので、単なる変質者に観られてしまう恐れがある。男は常に無表情で不気味、その内面でどれほど愛に飢えているのかを描いていないのが最大の欠点だろう。男の苦悩、心の叫びが見えてこない。不条理、理解不能を前提としながらも、いつしか男に同情してしまうほど人間が描けていれば成功しただろう。男を罰する終わり方にすれば少しは共感できた。◆虚弱な男なので、隙を見て鈍器のようなもので後頭部を殴って逃げ出せば良いと思う。お風呂に入ったとき熱湯をぶっかけるとか、暖炉の焚火を利用して放火するのも良い作戦。廊下を突き落すのもグッド。こういう男は懲らしめて矯正しないとタメ。もっと知的に攻略したいのなら、散歩したいとか、ドライブしたいとか、仮病を使うとかして外に出る機会をつくること。相手は気弱で、すでにかなり譲歩しているので強気に出れば可能。自殺未遂という手もある。
[DVD(字幕)] 7点(2011-01-18 19:46:40)
11.  ゴジラVSメカゴジラ 《ネタバレ》 
◆俯仰、俯角、ズームを駆使し、巨大なものを巨大に撮れている。カメラのタメやパン、随所に見せる効果的なオプチカル合成。光、煙、土煙、風、火薬、逃げる大衆など特撮は秀でている。◆ゴジラ、メカゴジラ、ガルーダ、ラドン、謎の卵、ベビーと五条の疑似母子、G-force、国連軍、超能力、恐竜オタク、青木と五条の恋愛など内容は多彩。ゴジラも建物を小気味よく破壊。戦闘シーンも長い。ファン心理を心得ており、飽きさせない展開になっている。◆それにも関わらず鑑賞後に爽快感が得られない。それを分析してみた。①敵役が不在。ゴジラもラドンもベビーを仲間と思い、守りに来ただけ。ゴジラもメカゴジラも悪相。どちらを応援すればいいのか。②テーマは「生命の偉大さ」。にも関わらず、死んだラドンが風化してそのエネルギーを得て、ゴジラが復活するなど、生命を無視した展開になっている。この矛盾が最大の失敗。生命賛歌で通すべきだった。せめて第二の脳が再生されるシーンはカットすべきだった。③ラドンもゴジラもベビーを仲間と思っているが、大きさが違いすぎる。とくにラドンは姿も全く違う。無理がある。④故に結末でベビーがゴジラについて行くが、それで良かったのか分らない。だからわだかまりが残るのだ。【ツッコミ】①青木は能力が劣っているのに何故G-forceに選ばれる。青木のダメぶりを強調する必要はない。②青木がプテロノドンを好きという設定は偶然がすぎる。③ラドンは先に孵化したわけだが、早く巨大になりすぎ。④「雑食恐竜が翼竜に托卵」はありえない。托卵は鳥が鳥にするもの。⑤ベビーが不安になると目が赤くなるのは解せるが、卵全体が赤くなるのは解せない。⑥卵に付着した植物が音楽を奏で、それがベビーの精神に影響を及ぼすメカニズムが不明。何の植物だったのか。⑦子供たちが植物の音楽を歌ったとき、どうしてベビーは興奮したのか。⑧ラドンの飛行速度が遅すぎる。マッハを超える筈だが。⑨卵を巡って、島でラドンとゴジラは対決した。何故ラドンは敵であるゴジラに自分の残っている生命エネルギーを与えたのか。⑩復活したラドンが熱線を吐けるようになってる。⑪第二の脳を破壊するより第一の脳を破壊せよ!⑫コンテナから救出するのに手間がかかり過ぎ。⑬復活したゴジラ強すぎ。⑭グルーダとメカゴジラが合体してもさほど意味がないなあ。
[DVD(邦画)] 7点(2010-05-20 07:27:42)
12.  恋人までの距離(ディスタンス) 《ネタバレ》 
変った観点からいうと、夫婦喧嘩も役に立つことがあるということ。一種のバタフライ・エフェクト。運命が動き出した瞬間が夫婦喧嘩とは面白い。これは内容にも関係します。二人の人生には苦しみや悩みがあり、その中で最大のものが愛情が続かないということ。ジェシーは恋人と別れたばかりで、親は離婚している。セリーヌも恋人と別れて殺意を抱くほど憎み、祖母は夫でない人をずっと愛していたという秘密があった。それが恋に対する恐れとなり、お互い惹かれながらも恋心に制限をかけていた。だが話をしてみると会話が弾む、弾む。恋の初期段階の男女のマシンガン・トークショー。共に知的で情より理性にまさるタイプ。内容は哲学的なものが多い。ここで重要なのは別れるまで14時間しかないということ。恋愛のタイムリミットもの。心に制限していても、夕暮れの観覧車の中でついキスを。女性のほうから誘いますね。「私とキスしたい?」男は断れませんよ。いい雰囲気になったところで電話ごっこ。女性の方から告白。つられて男も告白。お互い目を見ながらは、照れ屋の日本人には無理。セックスも女性から言い出す。恋愛がスムーズに運ぶには女性がさりげなくリードするのが一番。ここまでくればソウル・メイトと気づきます。行きずりの恋なんて論外。それでも理性にまさる二人は、もう会わないつもりで別れようとします。が、ここで「もう一度会いたい」と男が言い。「そう言って欲しかったの」と女がキラーワード。情が理性の壁を突き破った瞬間です。爽快でした。やっと気づいたんですね。二人は間違いなく再会しますよ。ところで「運命の出会い」のための演出過多なのが気になります。占い師が女の未来を語り、「人はみな星くずから生まれた」と言う。女と同い年だった13歳の少女の墓。ミルクセーキのような甘い詩をプレゼントする詩人。「ここに来て」という歌詞のレコード。結婚式をイメージさせる教会。赤ん坊をイメージする誕生の踊り。環境が人間より強いと感じさせる絵。虹の中で死んだ祖父を見た。別れた恋人を殺したい欲望。無心論者とホームレスの挿話。ちょっとやりすぎでは?と思いましたよ。それとも恋愛にはこれくらいのしつこさが必要でしょうか。とにかく、これほど知的な恋愛映画は他に知りません。限りある時間は貴重、人生でも恋愛でも、ということも学びました。ところで牛の芝居を観たかったのは私だけ?
[DVD(吹替)] 7点(2009-09-20 09:05:23)(良:1票)
13.  ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 《ネタバレ》 
◆ゴジラの大きさ、強さ、怖さが良く描けている。バトルの見せ方がうまい。飛ばされた怪獣に人間が吹き飛ばされるシーンや自衛隊が粉砕されるシーンなどは、などは最高級のできばえ。怪獣特撮にかけては申し分ない。ただし安直なCGはいただけない。 ◆使い古された中古怪獣に新キャラをつけても所詮は二番煎じ。モスラもギドラも何度登場させたら気が済むのやら。東宝の商売上の姑息さとアイデアの枯渇を感じる。 ◆「大和の国を守る聖獣」といいながら、無軌道な行動をする若者達がまず犠牲になる。ゴジラの犠牲になるのならともかくも、こんなことでいいのでしょうか。怪獣の吐いた糸で繭に包まれた状態で遺体で発見されるというニュースがあったが、それを見せてもらいたかった。 ◆ゴジラには、太平洋に眠る日本の英霊とアジア、米国で亡くなった人たちの霊魂が宿っている。だから白目で、通常兵器は効かない。原子力潜水艦を襲ってパワーアップ。日本を襲うのは、人々が戦争で死んでいった多くの人の叫びを忘れているから。理屈に合っているようで合っていない。ゴジラは一般に言われている核で巨大化した恐竜の生き残りで良いではないか。結局最後は通常兵器で自爆したし。怪獣映画に霊魂などを持ち出すからややこしくなるのだ。 ◆石には古代大和民族の霊魂が詰まっている。石に封じ込められた霊魂を解放し、大和怪獣たちに憑依させて復活させようとするのが「護国聖獣伝記」の著者の伊佐山老人。それで聖獣が復活するのだが、その伊佐山が亡霊だったとはどういうことか。 ◆キングギドラは成長途中ながら、モスラの鱗粉を吸収し、完全体に成長。でもたいして強くなっていない。あとは海中での戦闘でよく見えない。そこへ石が落ちてきて完全覚醒?とってつけたような展開。理屈はともかくかっこよく撮れてればいいのだが。ギドラに関しては不合格。 ◆バラゴンはゴジラの強さを際立たせるための「噛ませ犬」。でも存在感があった。 ◆ヒロインと自衛隊員の父との愛情などの人間ドラマ部分は良く描けているだけに残念。父親は生還するが、物語の流れからして彼の犠牲なくしてはゴジラを封じ込めることはできないと思う。多くの犠牲を描きながら、彼だけ何故生還できたのだろうか。 ◆由里が墜落するシーン。頭から落ちるのに手をつかまれる。
[ビデオ(邦画)] 7点(2008-04-20 05:28:40)
14.  殺しのドレス 《ネタバレ》 
エレベータの惨殺シーンや最後のバスルームでの殺害シーンなど演出は素晴らしい。動きながらの長回し、大袈裟な音楽を流しながらのスローモーション、分割画面、耽美的な映像に凝るのは結構なことだが、もう少し脚本に凝るべきではと思う。バランスが悪いのだ。実に残念な作品と思う。◆サイコ殺人なのに被害者が一人では物足らない。最初と最後の殺人は夢である。最初のシャワー殺人は主婦の性的欲求不満の表れを示している。最後のは観客を喜ばせるお遊びにすぎない。蛇足である。◆犯人は大柄で女装した男とすぐにわかるが、これは意図的だろうか?だとしたら、その狙いは何だろうか?サスペンスでは考えられない。やはり分らないと思ってやっているのだろう。観客との間にズレがある。◆登場人物だが、主婦の不倫相手は再び姿を現さない。見ず知らずの不倫相手をベットに寝かせたままどこへ行ったのか?娼婦と一緒にいた目撃者もしかり。刑事も頼りない。娼婦を脅して、医者を探らせるのはどうかと思う。殺されていたら責任問題に。主婦の夫は義理の息子にも警察にも無視されている。こういう不自然さが目立つ。伏線が収束されていない。主婦は不倫相手が性病と知り、絶望に突き落されるが、すぐ殺される。どうでも良い挿話に何の意味があるのか。観客を驚かせる遊びと考えているのだろうか。本筋で驚かせて欲しい。結局男らしい男、父性が存在しない。いつまでも少年である監督のやりたい放題になっている。志◆美術館でのしつこく粘着質のカメラの長回し+スローモーションの意味は何?本筋と無関係で、男女の出会いの場としての意味しかない。どれだけ時間と労力使っているの?「手袋落としましたよ」「ありがとう」で済む話。それにアメリカじゃタクシーの中でヤッテもいいのか?娼婦がクリニックに潜入して捜査するにしても、色気じかけ。エロが全開すぎる。犯人の二重人格やトラウマよりも、被害者の悩みの方を深く描いてどうするのだろう。力の入れ方が間違ってはいないだろうか。それにい精神科医が性同一障害と多重人格者で殺人鬼という設定は安直で、ひねりがなさすぎる。◆犯人は客のホテルから出る娼婦を待ち伏せして追跡するが、どうやって娼婦の居場所を知ったのか?自宅を知っているのなら、自宅で襲えば良いのに。◆少年の隠し撮りだが、最後の客が出たあと、先生が出て来なかった事に気づかなかったのか?
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-13 06:44:30)
15.  絞殺魔 《ネタバレ》 
【事実】1931年ボストンでデサルヴォ誕生。両親堕落、アル中、暴力、娼婦を連れてくるような悲惨な家庭環境。17歳で軍隊入り。5年間ドイツに赴任。結婚して娘(障害者)誕生。毎日5,6回性交する性欲過多。1956年9歳女子への性犯罪で軍隊除隊。1960年モデルのスカウトマンと偽り、部屋に侵入し、サイズ測量する犯罪300件。不法侵入罪で逮捕、強制猥褻としては裁かれず。11ケ月服役。妻から「あなたが真人間になるまで」と性交渉停止宣言。1962年6月から1964年1月までボストン絞殺魔事件発生。被害者11~13人、19歳~85歳。基本的に紐状のもので絞殺し蝶結び、強姦、性器露出。1964年11月別件の連続強姦事件で逮捕。被害者300人。1965年精神病院。その言動によりデサルヴォが犯人ではないかと怪しんだ同室の男が弁護士に通報。弁護士にあっさり自白。犯人しか知らない事実を知っていた。司法取引。1967年絞殺魔としては裁かれず、強姦罪で終身刑。1968年映画製作。1973年刑務所の独房で刺殺される。犯人不明。40年後最後の事件の精子DNA鑑定で無罪が確認。次の理由で犯人の可能性大。①性犯罪を繰り返す。②全事件でアリバイ無し。③犯人しか知らない事実の自白。④逮捕後事件が止む。【感想】不思議な事件だ。被害者の年齢の幅が極端に広く黒人も犠牲者。女性そのものへの憎悪があるようだ。警察のプロファイルも「母親を憎悪している若い白人男性」だった。最初の事件では部屋が物色されている。映画では二重人格説を採用。オランダの「超能力探偵」が事件に挑んだのも事実。◆物証が無いと言うが、いくつかある。先ず歯型を較べれば簡単に判定がつく。犯人の遺留品と思われる定規、箒、瓶、ドアノブなどの指紋、現場のススと靴のススの照合。◆次々起る殺人と性犯罪者を片っ端から逮捕する様子を描く前半部分。実験的なマルチ画面を多様しているが効果は薄い。画面に集中できないのだ。それでも次々起こる連続殺人には誰でも自ずと興味が湧く。犯人が判明してからは少々退屈。彼の過去に触れられていないのが不満。動機が提示されない。「人格が変わると殺人者」では誰も納得しない。その理由を示して欲しい。ジギル博士とハイド氏じゃないのだから。彼が裁かれた強姦にも触れていないのはどうしたことか。迫真の演技は良いが、密室でのカメラアングルが平凡で画面から緊迫感が伝わらない。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-12 00:37:41)
16.  ゴジラVSビオランテ 《ネタバレ》 
ビオランテは、バイオテクノロジーの暴走が生んだ禁断の生命体。砂漠に薔薇を咲かせるのが夢だった娘がテロで亡くなる。その亡くなった娘を薔薇の細胞と融合させた父親の気持ちはわからないでもない。だがその薔薇が枯れそうになり、永遠の命を持たせるためにゴジラ細胞を融合させてしまい、大変な化け物を産んでしまった。このあたり、ゴジラ誕生を想起させる。◆あの醜い姿の中に、死んだ美しい娘の細胞と魂が宿っていると思うと切なくなる。美女と野獣の一体型怪獣だ。もっと美しい造詣であればよかったのにと思う。それにしても製作した白神博士の苦悩をより前面に出すべきではなかったか。博士は淡々とし過ぎているのだ。ビオランテが殺人をしても何とも感じていないのはどういうわけか。◆何故ビオランテは人を襲ったのか?侵入者とわかっていたわけではあるまいに。又超能力少女が薔薇の声を聞こうとしたときに何も答えなかったのは何故だろう。◆もう一方の発明品の抗核エネルギーバクテリア。ゴジラのエネルギーを無力化するのが目的だが、核兵器を無用化にする兵器として転用できる。そうすれば核のパワーバランスが崩れてしまう。単に生物学の問題にとどまらず世界平和の問題にもなってくるのだ。このあたりの展開がうまい。◆ビオランテには薔薇形と進化した怪獣形が存在するが、光となって空に消えたり現れたりするのはどう説明するのか?このあたりが科学SF映画としては失格。超能力は最小限だったので許容範囲内。【感想】兵器に魅力なし。特撮やバトルシーンには見るべきものがなくチープな仕上がりが目立つ。悪者エージェントシーンの何もかもがしょぼい。最後主人公桐島が暗殺者を追うシーンなど取ってつけたようなもので不要。白神博士は死をもって罪を贖うべきだが、暗殺されるのはいかがなものかと思う。ビオランテと共に海に沈むような展開なら納得がいく。【ツッコミ】①「火口を爆発させてゴジラを復活させる」と脅すわりには小規模な爆発でした。②白神博士が湖畔の桟橋でインタビューを受けるシーンは、途中で別の桟橋になっている。③30分に一度細胞分裂して一日で4兆個になる、といっているが、実際には2の48乗で280兆個。
[ビデオ(邦画)] 6点(2010-10-15 20:05:46)(良:1票)
17.  ゴジラ対メカゴジラ 《ネタバレ》 
◆アンギラスが叫ぶ。岩の中の何かが光って爆発炎上。沖縄アズミ王族の子孫の女ナミが幻を見る。それは怪獣が町を破壊する幻影。洞窟から発見された奇妙な金属。それは宇宙金属と判明した。洞穴から発見された古代遺跡とシーサーの置物。それには古代アズミ王族の予言が描かれていた。アズミ族を滅ぼそうとヤマトンチューがやってきたとき、二匹の怪獣が現れて人々を救う。本土では地震が頻発。巨大生物が移動しているとの憶測あり。置物を狙う謎の人物が登場してアクションシーン。そしてそれらを遠くから見守る謎の新聞記者(岸田森)。考古学博士二人と宇宙工学の権威がからむ。ヒロインも三人、ナミと考古学博士と宇宙工学博士の娘だ。そしていよいよゴジラ(実はメカゴジラ)登場。ここまで開始から18分。謎をふんだんに含み、テンポのよい展開で、掴みはOK。 ◆だがその後の展開がグダグダ。聞かれもしないのに計画を何もかもしゃべり過ぎる宇宙人には辟易。死んで正体を現す姿がゴリラそっくり!仮にもブラックホール第3惑星人だよね。キンギシーサーを眠りから覚ますナミの歌が民謡風ではなく、もろ昭和ムード歌謡。これはギャグにしか見えない。最大のツッコミどころ。大して活躍しないヒロインに失望。メカゴジラのルックスが合格点で、兵器も多彩、戦闘シーンは迫力あるのに惜しい。全体として脚本の中味は濃く、リメイクして使えそうな出来映えである。 【疑問点】 ①ナミの見た幻の怪獣はキングギドラだったのは何故?②アンギラスとゴジラは何故メカゴジラに闘いを挑むのか?③ゴジラの顔が妙にカワイイ。④キングシーサーが目覚めたときは陽が沈んだ後なのに、その後真昼間になっている。⑤まだ眠っているキングシーサーを倒すためにメカゴジラが飛来するが、何故か遠くで降りて、ゆっくり歩いてゆく。⑤怪獣が大暴れてしているのにマスコミも自衛隊も政府首脳も一切登場しない。⑦博士のパイプ兵器は電極の+と-を破壊する電磁波を作るものだが、それだけで何故基地とメカゴジラが爆発する?⑧沖縄の老人は、最初ゴジラ(実はメカゴジラ)が東京で暴れているときにヤマトンチューをやっつけろと応援していたのに、舞台が沖縄になった途端に手の平返し。⑨予言の空に浮かぶ黒い山、赤い月に何の意味があるのか? 蜃気楼は鏡面でないので、沈む太陽は昇らない。
[ビデオ(邦画)] 6点(2010-09-25 20:17:02)
18.  この世の外へ クラブ進駐軍 《ネタバレ》 
「詰め込み過ぎ映画」の典型。腰が据わっていない。敗戦の衝撃、戦後の経済と思想の混乱、闇市、戦争孤児、ジャズバンドの物語、米兵との確執と友情の芽生え、売春婦、恋愛、戦争のトラウマ、戦争の虚しさ、朝鮮戦争での死等、戦争とジャズにまつわるものを整理せずに詰め込んでしまったために、何を伝えたいのかが分かりにくく、結果として感動は薄い仕上がり。「ジャズバンドの成長物語」を軸に展開すれば明快になっただろう。題材が良いだけに惜しい。「ジャズバンドの成長物語」に見せて、そうなってはいない。事情の異なる五人が出会ってバンドを結成、ライセンスの合格を目指すまでは良い。各人の個性もほどほどに描かれる。しかしその後瓦解してしまう。一人は高額のギャラにひかれて別バンドに引き抜かれる。一人はヒロポン中毒症状が悪化して死亡。バンドは空中分解してしまう。どうにか再結成して、ラストで友情の芽生えた米兵の遺作曲を演奏する。これがタイトル曲。しかしこの演奏がダメ。そもそも主人公はサックス奏者、米兵もサックス奏者でライバル心を燃やしていた。それなのにサックスではなく歌の曲なのだ。一貫性が無い。しかも歌唱がヘタ。これにはずっこけた。監督はジャズを好きではないのだろう。ジャズに思い込みのある人ならあの演奏はNG。反戦ものとして観てみよう。米兵は尊敬する兄を太平洋戦争で無くしたトラウマがいつまでも消えない。だから自暴自棄な行動をする。だがその描き方が記号的、おざなりでしかない。バンドメンバーと米兵との友情も通り一遍なものでしかないので、朝鮮戦争で米兵が戦死したと聞いても、さほど心が動かない。心が動く前に、ラストの演奏を盛り上げるために米兵を死なせたのだなという理屈が先にくる。そもそも米兵にまで話を広げたのが間違い。尺が足りないのだ。ジャズメンバーが戦争のトラウマを抱えている物語にすればすっきりしたものになった。ヒロポン中毒のメンバーはどうしてそうなったのかさえ描かれていない。不手際である。メンバーの一人が浮浪児になっている弟を発見し、一緒に暮らそうと説得するが弟は拒否する。拒否の理由はトラウマのせいだが、そこを端折っているので観客には伝わらない。このように一人一人に重い物語があるので、詰め込むと却って伝わらない。コミカルなパートは成功していたと思う。
[DVD(邦画)] 6点(2010-07-04 01:52:38)
19.  GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0 《ネタバレ》 
「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」の映像と音声を作り直したフルリニューアル版。 3DCGやデジタルエフェクトを取り入れて全カットリニューアルし、アフレコも全編新規に行うという気合の入れよう。 映像の立体感や動きのなめらかさはぐっとよくなっている。 まあ、それだけの作品。 人形使いの犯罪にさほど興味なしなので。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-02 01:32:18)
20.  コースト・ガード 《ネタバレ》 
監督が描きたかったのは狂気だろう。人類における最大の狂気は戦争だ。戦争という影におびえている韓国社会と軍隊に対する批判が見られる。「夜7時以降に警戒区域に侵入したものはスパイとみなして例外なく射殺する」という軍規は狂気そのものだ。識見が硬直しているのだ。 キム上等兵は軍務に忠実で、何の疑いも持たず軍規を固守する部類の人間。ある日、侵入者を発見して迷わず射殺するが、誤射と判明する。好奇心で侵入してきた民間の恋人同士の内の男性だった。一般社会では責任問題になるが、軍隊では表彰された上、休暇を貰う。キム上等兵は初めての殺人の衝撃と、誤射の悔恨で放心状態に陥る。そして、恋人に去られ、正気を失ってゆく。 一方で、恋人を目の前で殺された女ミアは衝撃のあまり、気がふれる。物語は軍隊がこの二人の狂人によって翻弄されてゆく様子を描くが、正に毒を持って毒を制するの観がある。 魚がしばしば登場するが、これは弱者たる人民を表わしているのだろう。狂女が軍隊である。狂女が水槽の魚を弄んで殺すのは、軍隊の暴発により人民が犠牲となることだ。狂女が水槽に入って水を血の色に染めるのは、軍隊が社会に悪影響を及ぼすことの比喩だ。軍隊という強大な権力に対して、人民は一方的な被害者でしかない。狂気は堕胎される必要がある。狂気は自らを滅ぼす。狂女は軍人を嘲笑いつつ、海中に姿を消す。キム上等兵は町中において、銃剣で通行人を刺す。軍隊という狂気の世界に投げ込まれた人間の成れの果だ。純粋であればある程狂気に染まりやすい。悲劇である。軍隊は狂気を孕んでいるぶん危険な存在なのだ。最終のキムの回顧場面で、ボール競技のコートに朝鮮半島の絵が浮かび、南北統一への祈願が示される。朝鮮戦争という狂気は、いまだに濃く朝鮮半島に影を落としている。 残念なのは、キム上等兵の狂気に現実味がさほど感じられないことだ。純真な人間として描かれるべきを、最初から激昂する軍人として描かれているので齟齬がある。誤射殺人と恋人に去られただけで、あのような狂気に陥るだろうか。彼の軍隊や殺人に対するこだわりやわだかまりが描かれてしかるべきだ。第二段、三段と、凄惨な出来事や体験を課す必要があるように思えた。暴力描写にも冴えが無い。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-04 04:31:48)
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