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プロフィール
コメント数 3885
性別 男性
年齢 53歳

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【製作年 : 1970年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  ザ・ドライバー 《ネタバレ》 
とにかく不愛想な映画でして。登場人物には誰も名前が与えられておらず、タイトルの「ザ・ドライバー」ってのも、これすなわち主人公の役名。登場人物は皆、単なる“駒”扱い。 で、ライアン・オニール演じる「ザ・ドライバー」が、夜の街を走りまくる。他の車が避けるのはまだしも、何だか柱までもが彼の車を避けるみたいに、魔法のごとくスイスイと飛ばしまくる。車さえあれば、もはや不可能なし。 まあ、あまりカーチェイス映画という期待を持ちすぎると、さほどクラッシュシーンがある訳でもないので、肩透かし、という事になりかねませんが、そういう派手さよりも、本作の魅力は、シブさ。夜の雰囲気。 正直、久しぶりに観てみて、アレ、昼間のシーンも結構あったんだなあ、と、意外にも感じたんですけどね。そのくらい、夜のイメージが強い映画、なんです。もっとも、主人公をつけ狙う刑事の役がブルース・ダーンで、これがまあ、頼りないというか、何というか。一見、主人公のクールさに対して、不釣り合い、なんですけどね。でもこれが、ラストシーンではピタリとハマる、まさにハマり役中のハマリ役。 そしてもちろん、イザベル・アジャーニの妖しい魅力も、忘れられません。帽子が似合いすぎ。 終盤のカーチェイス、運転するライアン・オニールの横で、助手席に黙って座っている彼女に、ついつい視線が釘付けになってしまい、スミマセン、このシーンでライアン・オニールがどんな表情で運転しているのか、私はまだ確認できたタメシがありません。何にせよ、二人並んで、言葉も交わさず感情もあらわにせず、激しさと静けさが同居したような不思議なカーチェイスシーンになっていて、妙に印象的。その彼女も最後には悲鳴を上げて、チェイスは終わりを告げるのですが。 で、ラストシーン。ここに至るまでの、主人公とは対極のような下世話な印象のブルース・ダーンが、ここでは何だかやたらカッコいい。登場人物たち全員が、物語における“駒”に徹していて、徹したが故のカッコよさ、とも言えるでしょうか。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2020-08-10 17:41:07)
2.  砂漠の流れ者
愛すべきポンコツ親父の周りには、やはりポンコツな面々が集う。どうにも困った生臭坊主に、三流っぽいけど愛嬌あふれる娼婦。 砂漠を彷徨った挙句に水を掘り当てた薄汚い主人公が、駅馬車相手の薄汚い休憩所を作って商売を始める、っていう、一見何とも素朴なオハナシですが、味わい深くって観始めたらやめられない。それに、これだけ立派に薄汚いと、もはやこれは一種の「哲学」でありましょう。 たかが水だけど、それなくして砂漠に置き去りにされれば死を意味するし、またそれを砂漠の真ん中で見つければ、そこにはひとつの社会が生まれ、ひとつの小宇宙が生まれる。となれば、ラストでは水が枯れてしまって物語が終わるんじゃないか、なんて心配もしてしまうのですが、さにあらず。決してそんな短期的な視点の物語ではなく、もっとゆったりと、大きな流れを感じさせるラストで、いや、さすが。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-04-22 16:25:54)
3.  叫びとささやき
劇中に挿入されるバッハの無伴奏チェロ組曲第5番のサラバンド。一切の装飾抜きで、最小限の音によって表現される苦悩、それはまさに人間の原罪そのものを音楽によって表わしたもの、とも言えそう。そしてこの映画からも、これに近い印象を受ける。最小限の人間関係により表わされる、現実という名の悪夢。そこから浮かび上がる、人間が生きることそのものの辛さ、そして皮肉。その辺のホラーより、余程コワい映画。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-05-06 18:24:25)
4.  殺人ブルドーザー
ボ、ボクは今からこの映画に9点をつけるゾ。いいんだ誰も止めないでくれ。10点じゃないところが良心との最後の妥協点だ。第一、子供の頃は臆面も無く「好きな映画ベスト3」に挙げてたんだから、大した進歩じゃあないか。登場人物はたったの6人。彼らに無人のブルドーザーが襲いかかる。圧倒的パワーで襲いかかってくる代わり、動きは極めて緩慢なので、一見、恐怖感としてはかなり微妙に思えるかもしれない。大体、作業員に襲いかかって何がしたいのか?何ゆえ最初の方は攻撃が小出しなのか(8時だョ全員集合のコントみたい)。中盤だって島内を意味無くウロウロするだけだったりするし。いやいや!この無意味な感じ、ブルドーザーが何考えてるのか皆目判らないところこそが、この映画のメチャ怖いところだったんだ。音楽や編集のデタラメさも、子供心になんだか不気味だった。ドラム缶こと人間が踏みつぶされるシーン、映像的にはブルドーザーがドラム缶潰してるだけ、それでも怖くて目を被ってしまった。さらにこの映画の魅力は、ブルドーザーが無人で動く理由には深入りせず、「いかにこれを倒すか」が徹底的に描かれるところ。工事現場なので、(映画的には)武器に事欠かないハズ、しかし敵もさるもの、狡猾に先回りし、彼らを恐怖のドン底に突き落とす。ブルドーザー対ショベルカーの死闘!だがしかし! うぉ~やっぱしイイ映画ってのは思い返すだけでも燃えてくるよね。昔はモノ凄い再放送回数を誇り、その度欠かさず観てたけど、最近はご無沙汰。そろそろ放送してチョーダイな。では最後に一つ、捨て台詞を。「別にクダラない映画が好きなんじゃあない。好きになった映画がたまたまクダラなかった、それだけのことさ。」
9点(2003-11-09 13:34:24)(笑:4票) (良:4票)
5.  ザ・ブルード/怒りのメタファー
「何のこっちゃ」な邦題ですが、映画を見ればこれが意外に「どストライク」な邦題であったことに気づきます。 映画の内容の方も、あくまでホラーでありファンタジーなので、こういう事が実際に起こり得るかどうかは問わないことにし、細かい部分まで納得のいく説明がなされているかも問わないことにすると―――そういう事を問うのは元々、野暮というものだけど―――「何のこっちゃ」な展開かと思いきや、最後まで見ると、邦題のコンセプトに沿ってそれなりにまとまった内容であり設定であったことがわかります。 にも拘らずこの作品には、気持ち悪さ、落ち着かさなさ、といったものが横溢しています。何とも言えぬ、割り切れなさ。 前触れなく、突然、映画に登場する襲撃者。映画の中でその正体は明かされるものの、この最初に登場した時の「いる訳のないものがいた」「見てはいけないものを見てしまった」という感覚、これがずっと尾を引いて、最後まで何とも言えぬヤな感じが続きます。確かに、「怒り」の象徴としてこの異形のものたちは存在するのだけど、そういう可視化された「怒り」の裏には、可視化しきれない人間関係のドロドロしたものが渦巻いている。もっとも近接した人間関係である家族、その家族の中にすらドロドロが渦巻いている、という落ち着かなさ。わかっちゃあいるんだけど、それをこうやって映画で突きつけられると・・・。 音楽はハワード・ショア。まだキャリア初期の仕事だと思いますが、これまたなかなかに落ち着かない音楽を響かせて、ヤな感じをしっかり増幅してくれます。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-09-02 13:17:54)
6.  さすらいのカウボーイ 《ネタバレ》 
ロードムービー風ですが、むしろ、ロードムービーの終盤の「旅の終わり」の部分にスポットを当てたような映画。 旅する3人組、その一人が射殺され、命を落とす。何でも、他人の妻に襲い掛かろうとして、成敗されたらしい。残された二人にしてみれば、おそらくは納得いかない話なのだけれど、反論する術もない。それが放浪者の、運命なのか。 ってな訳で、残された二人のうちの一人、ピーター・フォンダが、ついに妻子の元へ帰ってくる。というオハナシ。 しかし、娘は母より、父親はすでに死んだと聞かされており、彼が父だとは思っていない。妻も、夫の不在中には使用人と寝床を共にしていたらしい。もはや父親失格、使用人と何ら変わらない立場。 だけど、そういう人間関係がドロドロしたものとしては描かれておらず、むしろ、大自然の営みの一環であるかのように大らかに描かれていて。 予想に違わず、主人公は、ウォーレン・オーツとのさすらいの生活と完全に縁を切ることはできず、またそこには、ニューシネマらしい「悲劇への誘惑」みたいなものがあって。 悲劇と言えば勿論悲劇なんだけど、それらすべてを抱擁するような、大らかさ。それが魅力ですね。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-09-06 20:05:18)
7.  サンダーボルト(1974)
若いジェフ・ブリッジスが義足を装うのはベトナム戦争「終結」(あくまでアメリカにとっての、だけど)直後という時期を反映しているのだろうし、さらには年長者たちが朝鮮戦争について言及しているところなんかからしても、この映画はその背景に、戦争という「日常からの逸脱」を抱えているんでしょう。でも別に、製作時の背景を気にせずとも、この映画自体に、退屈な日常への郷愁と、一攫千金の夢という非日常への憧れとが、満ちています。ボヤボヤっとした日常があり、そこに唐突に非日常が顔を出す面白さ。教会で説教を垂れるイーストウッドが、突然ジョージ・ケネディに襲撃され、さらにはたまたま通りかかったジェフ・ブリッジスのクルマにしがみついて逃亡する、というハチャメチャさ。労働に励むジェフ・ブリッジスが目を上げると、窓の向こうにはハダカのオネーチャン、ってのも、ちょっとした「非日常」の楽しさ。一方の黒ずくめの2人組、ジョージ・ケネディとジェフリー・ルイスは、日常においては明らかに異分子だけど、大金を手に入れるためなら、日常へも無理やり溶け込んでいく。そして彼ら4人が挑む、大金の強奪。4人の演技はどこか気ままで日常を感じさせるもの(ジョージ・ケネディが後ろに倒れこみ地面に座る場面、演技なのか本当につまずいたのか)で、そこで繰り広げられる日常と、ジェフ・ブリッジスの女装姿だとか金庫破りのための巨大な銃だとかいう荒唐無稽さとのギャップもまた楽しくって。しかし、彼らが目指した夢は簡単には手に入らず、意外なところからタナボタ式に手に入ってきた夢もまた、大きな喪失を伴うものだったりする。もはや本当の日常にも戻れないし、夢にも簡単にはたどり着けない、仮にたどり着いたとしても、そこには虚しさが漂う。という、コミカルなんだけどほろ苦い作品でした。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-08-02 09:11:47)
8.  ザ・ヤクザ(1974)
“ギリ(義理)”とは何ぞや。外国人にわかるように外国語に置き換えた時点で、ウソ臭くなっちゃう。言葉にできない感覚的な部分、それを無理に他の言葉に置き換える「説明」を行うと、どうしても違和感が生じるもの。それは映画でも同じで、米映画で“日本”を描こうとすれば、どうしても日本人には違和感が生じる。そこには必ず、過度の「説明」なり「強調」なりが発生するから。日本人が見たらややオーバーに感じるくらいの描写があってこそ、伝えることが可能な「日本」ってのもあるわけで、まあ、やむを得ないところもあるのでしょう。この映画にもそういう部分はありますが(風呂に鯉の巨大水槽が!水族館じゃあるまいし)、比較的うまく処理されていて好感がもてます。銃で武装したロバート・ミッチャムと日本刀を携えた健さんが敵地に乗り込むクライマックス、敵に背中を切りつけられつつもチャンチャンバラバラ死闘をくりひろげる健さんが、服を脱ぎ捨てるる。するとその背中には、紅蓮の炎に包まれた不動明王の刺青。その上に縦にバッサリ刀傷が走り、鮮血に濡れている。そのカッチョよさ。こういう部分って、まさに言葉にできない感覚的なもの、この瞬間、日本人とアメリカ人がどこかで感覚を共有したような。ヨタヨタと戦うミッチャムもいい味出してて、何だか、ジョン・ウェインの魂が乗り移ったかのような(当時まだ生きてたけど)。映画はこの後、一見付け足しのようなエピソードが続くのだけど、この部分こそ、「ニッポンの事って、うまく説明できないけど、要するにきっとこういうコトなんでしょ」、みたいな、言葉を超越した部分があって、頭を下げるミッチャムの姿に、ホロリときてしまうのでした。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-03-01 09:49:30)
9.  サブウェイ・パニック
閉鎖空間である地下鉄なんかジャックして、どうやって犯人は逃走しようってのか、それを考えると夜も寝られなくなっちゃう、というわけで春日三球を不眠に追い込みそうなテーマの作品。ジョン・ゴーディの原作に骨子は沿っているものの、映画化によって「大化け」したように思います。いや勿論、原作も結構楽しめる作品ではありますが、もしかしたら「ちょっと奇抜な発想の小説」というレベルで埋もれてしまっていたかもしれない。カットバック的構成の多用で「映画的」描写のこの小説を、むしろ派手さを抑えてドキュメンタリ風味の映画に仕上げたのが実にうまく、小説的ウンチクなども削ぎ落として、着々とすすめられる犯罪の緊迫感をよく表しています(実際の時間と劇中の時間がほぼ同時に進む)。暗く静かな地下鉄と地上の騒動。タイムリミットからくる緊張感と、犯人やW・マッソーの何やら暢気な表情。それらの対比のうちに、やがて迎えるクライマックス。イキな映画、ですな。
[DVD(字幕)] 8点(2007-01-08 12:55:43)(良:1票)
10.  殺人遊戯
サイレント映画に対してトーキー映画が有利な点ってなんだろう、なんぞと、浅はかながら考えまするに、ここはひとつ逆説的に、「トーキーの方が、‘静寂’や‘沈黙’をより効果的に表現できる」のではなかろうかと。サイレントは音が無いがゆえに、映像から‘音’を感じさせようとするわけですが、トーキーは音や声を直接出せるがゆえに、その対比として、音や声の無い‘静寂’‘沈黙’をサイレントよりも強いインパクトで表現できるのではないか・・・。で、ナゼか、本作について、です。なんでやねん、ははは。まあ要するにですね、普段のフニャフニャした饒舌な鳴海サンの姿があってこそ、あるいは周囲の登場人物のセリフの数々があってこそ、その対比として、鳴海さん戦闘モードの‘沈黙’が実に効果的なのであります。セガールよりよっぽど‘沈黙’だぜ。そしてその寡黙さあってこそ、クライマックスの超長回し銃撃戦の緊迫感も数層倍になるのでありますなあ。それにしても、戦闘モードの鳴海サンの姿、どー考えてもキャメロンはこれを見て『ターミネーター』の造形を考えたとしか思えないのであります(←妄想)。でもシュワにはこんな機敏な動きは出来まい、うふふふ。
[地上波(邦画)] 8点(2006-07-18 21:47:03)
11.  さらば愛しき女よ
先日のBS2の放送でようやく観る事ができました。フィリップ・マーロウって、原作では「一人称」なもんで、マーロウ自身の風貌のイメージが掴みにくいんですよね。いやあ、まさかこんなタレ目のオヤジだったとは。いやでもロバート・ミッチャム、これはこれでよいかもしれない。観ててちょっと気になったのが、マーロウの心の声を、独白としてナレーション風に入れちゃってる事。このせいで、なんだかマーロウがやたら饒舌なオジサンに感じられちゃう。でも酔いどれのごとき表情のR・ミッチャムなら、むしろ違和感がナイ! と言う訳で、本作が原作の雰囲気に忠実かというと、ちょっと疑問にも思えるのですが、決してそれば悪いものではなく、逆に言えば、原作と映画がそれぞれに楽しめる、とも申せましょう。原作との違いと言えば、そうそう、アムサーって女性だったのか~! いや、そんな事はどうでもよくて。映画化にあたっては、単純化するところは単純化し、盛り上げるところは原作以上に盛り上げ(特に後半、思い切ったアレンジですな)、それでいて、原作のセリフをしっかり映画の中にちりばめてみたりするサービスもあってニヤリ。「アン・リアードン」という重要キャラをばっさり切って、「トミー・レイ」なる人物のエピソードを軸のひとつに設定することで、よりハードボイルド色が強められています。上手いです。長い映画ではありませんが見ごたえありますね。あと、脇役出演のスタローン若き日の姿も要チェック。
8点(2004-08-28 00:34:44)(良:2票)
12.  ザッツ・エンタテインメント
往年のMGMミュージカルの「さわり」ばかりを集めた超お楽しみ企画。そりゃ、楽しいワケです。でも何となく、こんな風に見どころばかり抜粋して楽しむ、ということに罪悪感みたいなものを感じる部分もあったりして。いわゆるファスト映画的な考え方のハシリのような。 殺人シーンばかりを集めてもホラー映画の面白さはわからないし、エロシーンばかり集めてもポルノ映画の何たるかはわからない。ミュージカルもしかり、と言いたいところだけど、このジャンルが一番、微妙かもしれない(笑)。ドラマとミュージカル部分との、一見、ちぐはぐな関係。それを、ホントに切り離してしまって、ミュージカルシーンだけを楽しんでしまう、ある種の「身も蓋も無さ」加減。それとも単純に、壮大な予告編を楽しんだと思えばいいんだろうか。 せめて、ミュージカル映画の引用以外の部分で見どころがあればいいのですが、そして実際、あのミュージカルスターの今、撮影所の今、が紹介される楽しみもあるっちゃあ、あるのですが、今ひとつ、演出に工夫が欲しい気も。スターが順番に互いを語りあう、という構成はそれなりに楽しめるのだけど。 今でこそ、レンタルビデオからさらに動画配信の時代となって、古い映画を見る機会にもだんだん恵まれるようになってきているけれど、こういう名シーン集を「新作映画」として出してくれることが旧作に触れる貴重な機会だった時代の作品、と思えば、これもまた映画史の中の一コマと呼ぶべき作品なのかも知れませぬ。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-06-17 04:05:07)(良:1票)
13.  ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!
「ドリフで育った世代」というのは、「ドリフを見て」ではなくまさに「ドリフで」育ったのであって、もう絶対に逆らえないというか、なんというか。ドリフというのはあくまで「テレビ番組のドリフ」であって、ドリフ映画が好きなわけではないんだけど、それでもドリフ映画にあの懐かしいメンバーの顔が登場し、そして何よりもあの懐かしい声を聞くと、何だか細胞の隅々までしみ通ってくるような。 こればかりはもう、どうしようもないのよ。 面白いか面白くないかはさておき、ドリフの姿を記録してくれたという点だけでも、やはりドリフ映画には感謝せねばなりません。 で、この作品ですが。通例であれば、いかりや長さんが他のメンバー、特にカトちゃんをイジメて、逆襲されたりされなかったりするところですが、この作品では、憎まれ役の面は後退しており、むしろ、長さんが周りから邪険にされてる状況。頑固オヤジの孤独と悲哀、といったものが、あのゴリラ面と相俟って、何とも言えない味わいを出してます。 出征体験を持つという役どころは、長さんの実年齢とちょっと合わないのですが、しかし合わないと言っても、あとホンの数年、早く生まれていたら、、、という、それが、あの戦争。 ドリフはメンバーの年齢差が大きかったからうまくいった、という話もありますが、年齢差がこの映画ではうまく活かされてます。 でもやっぱり、うまく活かされてるのは、やっぱり、このゴリラ顔、かな。 なかなかイイお話でした。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-02-24 23:09:45)(良:1票)
14.  ザ・クレイジーズ(1972)
はい、やっと観ることができました、この作品。 ロメロと言えばゾンビ映画、のイメージですが、この作品はまだキャリア初期の頃、『ナイト・オブ~』の数年後。 『ナイト・オブ~』ではゾンビ対人間、という対立関係・断絶関係に、明確な境界が引かれていて、しかにそこに、人間がゾンビ化したり、人間対人間の断絶が描かれて、境界が揺らぐ。 それが、作品を追うごとに次第に、境界自体が曖昧になっていった感があります。 で、この作品。ゾンビ映画ではないけれど、ネタ的にはかなり近いものがあって、細菌に感染した人々が凶暴化、いわばゾンビ化する、という趣向。防護服を着た兵士、なんてのは、感染者と非感染者の境界をイヤでも感じさせるけれど、一方、あくまで描かれているのは細菌感染なので、当然、感染者と非感染者の境界は揺らぐし、そもそも感染しているのかいないのかも時には区別がつかなかったりする。それどころか、一連のゾンビ映画よりもずっと、両者の関係が相対化されていて、かなり醒めた視線で事件の経緯を描いています。だもんで、特定の人物に肩入れして描かれることもなく、そこが本作の愛想の無いところ。しかしユニークなところ。実験的、と言ってもよいかも。 こうやって見ると、もしかすると、ロメロが本当に描きたかったのは本作のような世界観だったけど、残酷趣味を含めたエンタメ性の確保、という観点ではゾンビ映画しかなかった、ってなことなのかも。
[インターネット(字幕)] 7点(2021-03-20 06:45:08)
15.  さらばバルデス 《ネタバレ》 
イタリア製だからと言ってマカロニウェスタンではなく、ジョン・スタージェスだからと言って王道ウェスタンではなく、ディノ・デ・ラウレンティスだからと言って超大作ではなく、チャールズ・ブロンソンだからと言って・・・いや、ブロンソンらしいシブい映画でした。 普通なら(シェーンなら)「風来坊の主人公が少年のもとにやって来て、ラストで再び旅立っていく」というパターンになるところでしょうけれど、本作では逆に、少年の方がどこからともなくやってくる。ブロンソンは荒野の一軒家にひとり、生活しており、いかにも気難しそうだけど、言う事はなかなか親切(ちょっと少年を甘やかし過ぎかも?)。町の人とはあまり馴染めない一方で、先住民とは交流を持ったりしてて。 「誰のものでもない」と思っていた荒野は、気が付いたら「誰かのもの」になっていて、自由だと思っていた世界は、気が付いたら自由ではなくなっている。一匹狼のような主人公は、居場所を失わざるを得ない訳で。 中盤、主人公がリンチにあうのは、いわば復讐へのお膳立てであり、しかもクライマックスでは銃を持った男たちと一戦交えることになるのですが、本作は完全決着をつけさせることなく、主人公に復讐を果たさせることなく、ただ静かに彼を立ち去らせます。「どこからともなくやってきた主人公」ではなく、「もともとここに住んでいた主人公」が、立ち去らざるを得ない、という不条理。 さらば、西部劇。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-05-02 13:42:20)(良:1票)
16.  真田幸村の謀略
タイトルは「真田幸村の謀略」ですけど、特に謀略らしきものはこれといって無く、フツーにSF超大作です、ハイ。などと言われている時点で、フツーじゃないんですね。真田十勇士の活躍を、劇画チックに、荒唐無稽に、やりたい放題に描いていて、謀略なんぞというアタマを使う作業の入り込む余地など毛頭ございません。脇役もエキストラも火薬も特撮も大量に投入しまくり、もはや闇鍋状態。 主演は松方弘樹、このヒトはさすがに優等生顔で時代劇やってますが、あとは各々、楽しんでやっとりますな。いや、ホントに演じてて楽しいのかどうかはわかりませんが。 家康役に錦之介というのはちょっと意外ながら、なかなかハマってます。「特別出演」となっているんですけど、結構出番も多いし。 千恵蔵は出番多くないけど、自分の腕を切り落とさせる場面の演技などにおける、あの気合の入り方。熱い。暑苦しい。 その他、活躍しそうで活躍しないけどでも印象に残ってしまう加藤清正役の丹波哲郎とか、狂乱のオバチャン淀君・高峰三枝子とか、何かヘンなモノに憑依されたみたいな金子信雄とか、出るわ出るわ妖怪の数々。妖怪じゃないってか。 真田広之、ガッツ石松が肉体系の活躍を見せれば、火野正平も負けじといい動きを見せる。 リーダー格の霧隠才蔵を演じる寺田農はちょっと真面目過ぎたか、あまり目立ちませんでした。 それにしても、猿飛佐助役のあおい輝彦。ここに本作の謎のすべてがある。ああ、何とコメントしてよいものやら。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2016-07-17 22:36:52)
17.  サスペリアPART2 《ネタバレ》 
多分、ずいぶん前に深夜放送で見ようとしたハズなんだけど、前半しか記憶が無い(あの空虚な雰囲気に満ちた夜の街!)ので、きっと途中で寝ちゃったんでしょう(カラクリ人形が迫ってくる場面を見てりゃ、ここも忘れるハズないよね)。ってなワケで、今回、完全版とやらを借りてきて観たんですけれども。まあ正直、かったるい部分はありますわな、完全版の長尺のせいなのかどうなのか。でも、不気味なイメージの数々と、殺人シーンのショック描写と、その一方で主人公と女性記者とのコミカルなやりとり、それらが雑多に配置されているようでありながら、ちゃんと最後には「犯人探し」のミステリとして収束していって、面白くなっていきます。と言ってももちろん、理詰めのミステリではなくて(むしろ内容的にはテキトー)、イメージの収束の面白さ、ですね。廃屋の壁の向こうの秘密、ミイラがあり、不気味な絵があり。不気味な絵は冒頭シーンを通じて、ミイラは『サイコ』を通じて、事件の真相のイメージに繋がっていきます。途中で登場する、消えてしまったダイイングメッセージなんていうのも、メッセージ自体は意味があるのやら無いのやら、ですが、結果的には「鏡」というモチーフがここで提示されていたことになります。その一方で、主人公のコミカルなやり取りなどは、どちらかというと息抜き的に挿入され、やや冗長な気もしますが、周りが騒がしく電話の声が聞き取りにくい、なんていう場面、不気味さとはまた別の「ヤな感じ」を醸し出したりもしています。 『サスペリア』とは無関係な作品で、魔女などの超自然が登場するようなオカルト作品ではありませんが、オカルト的な語法を散りばめたミステリ作品で、「納得感」と「納得いかない感」の微妙なブレンドが持ち味と言えましょう。
[DVD(字幕)] 7点(2015-09-26 09:44:10)
18.  サルタナがやって来る ~虐殺の一匹狼~ 《ネタバレ》 
←ネタバレ有、と言いましても、ストーリー上は大してバラすようなネタもないのですが(いや、一応は“意外な真相”なども色々とあるのですが、そう大したものではありません)、ラストに出てくる究極兵器(?)があまりに究極過ぎるので、これに言及する以上はネタバレ表示がエチケットかと。で作品はといいますと、ズームイン、ズームアウト、横振り縦振り、時には傾いたり、ひたすらカメラが躍動しまくって、さすがはマカロニ。物語はといいますと、行方知れずとなった金貨とニセ札の争奪戦。アヤシゲな連中がゴチャゴチャと出てきて何だかゴチャゴチャしており、さほど盛り上がる訳でもなく、ついに真相に辿り着いても、まあ、そんなもんかねえ、という感じ。本作の最大の魅力は、主人公サルタナの繰り出す謎の秘密道具の数々にあります。結構セコい秘密道具ですけど。007風、ということも言われますが、忍者風と言ってもよいでしょう。そして、さあここからがネタバレだ。最後に登場する、秘密道具の親玉とも言うべき究極兵器。一見、小型のパイプオルガンなのだけど、鍵盤の上に並んだ、ストップ(オルガンの音色を変えるレバーです)をいじくると、何とパイプが敵に向って倒れ、そこから銃弾が雨アラレと発射されて敵の大群を薙ぎ倒す!! 別に狙いをつけて発射している訳でもないのに斃されまくる敵、弾の来ない方に避けりゃいいやんか、というツッコミを入れる気も失せる、この世のものとも思えぬアホな光景なのですね。もはや喝采を送る以外に、どうすればよいのでしょうか。パイプを見たら武器と思え、これってかつての過激派左翼の発想ですな。そんでもって、あと、秘密道具としては、ライター人形も忘れちゃいけない。人形とサルタナの間に芽生えた友情(?)。ガジェット好みの人のための映画です。
[DVD(字幕)] 7点(2014-02-08 15:11:03)
19.  さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
ひょんなことから1作目を観たもんで、コチラも観ようかと。いや~久しぶりに観ました、前回観たのはいつだったか、その際にテレビ版との違いをチェックしたつもりだったけど、マトモに覚えていたのは、映画版では誰が死ぬか(誰が生き残るか、の方が正しい表現?)くらいのもの。他はもう見事に記憶がゴチャゴチャになっておりました。そーか、土方はアンドロメダの艦長じゃなかったのか、等々(アンドロメダの存在感無さすぎですね)。しかしそんなことより驚いたのが、コレ、『インデペンデンス・デイ』にものすごーく影響与えてないですか? 白色彗星帝国が停止したところで帝国の側面へヤマトが攻撃するが全く効かない、というシーンの描写。母船への攻撃がバリアで阻止させるシーンにそっくりですな。下部に弱点がある点も(笑)。そういえば敵の戦闘機の形状まで。似てるんじゃないですか。ってのが今回の一番の印象です。ストーリーは、と言うと、前作を蒸し返してネタ切れを感じさせる部分があり、ちょっと苦しいですかね(デスラーとの戦いは、ドメル戦の二番煎じだし)。ただ、全体的に白兵戦が多いのが、悲壮感を感じさせるところ。あと、テレビ版との大きな違いでもありまた大差無い点でもある(笑)ラスト、この賛否両論のある(否はあっても賛は無い?)ラストですが。前作には「大和は帰ってこなかったが、ヤマトは帰ってこられるのか」というテーマがあり、地球に向うヤマトの姿が印象的でしたが、本作のラストには、地球を背にするヤマトの姿があり、そういう意味で、対照となる2作を持ってヤマトシリーズを終えても、これはこれで良かったんではないかな、と。
[DVD(邦画)] 7点(2012-01-03 13:31:37)
20.  サンゲリア
国破れてサンゲリア、ゾンビもミミズも呼んダリア、みんな仲良く飲んダリア。と私も一応、言っておこう。さて、グロ映画の代表みたいに言われている本作ですけれども、いやこれがどうして、むしろ、なかなかの映像美が目を引きますね。冒頭、秘境の世界から都会に漂着する謎の船(ちょっと“ドラキュラ”の設定を思い起こさせる)、そして船上での謎の警官殺害事件。これが、主人公たちと我々を、秘境の世界へとおびき寄せる。秘境で待ち受けるは、ゾンビと鮫の死闘、あるいは眼球突き刺しなどの、常人の理解を超えるヘンテコな演出の数々。これだけでもこの映画を珍品化させるのに十分だけど、あくまでゾンビ大量出現は後半のお楽しみ、と、ここでは抑えた演出で、南の島の素朴な感じもよく出ております。後半は、待ってましたとばかり、土中からキタナらしい腐敗ゾンビが続々登場。と言っても、これもあくまで明るい陽光のもと、ますます素朴な美しさもあったりします。しかし、ゾンビたちを包む乾いた風と砂埃には、マカロニのニオイが漂い始め、ついにクライマックスには、銃と火炎ビンで武装した主人公たちと、ゾンビたちとの全面対決へ。まさにマカロニ全開、結構、シビれます。火炎ビンで炎上する建物、と言ってもまだ全然燃えていないくせに、上からは屋根材がバラバラと落ちてきて、危機感を演出。その落ち方がこれまたコンスタントで、いかにもスタッフが上から落としてます、ってな感じなのが、素朴でイイですね。ラストはまた都会に戻り、「無許可撮影です」ってのを隠すどころかむしろ全面に押し出したような、あの有名なラストシーンへ。本作、子供の頃は「観てはイケナイ映画」のように思ってたもんですが、いやあ、ちゃんとした映画じゃないですか。ところで、ゾンビに襲われた鮫は、やっぱりゾンビ化するんですかね?この路線でもぜひ一本。
[DVD(字幕)] 7点(2009-12-31 11:21:04)(良:1票)
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