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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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41.  十三人の刺客(2010)
往年の日本の娯楽映画が好きなので、オリジナルの「十三人の刺客(1963)」も随分前に観ていた。 娯楽映画に限ったことではないが、昔の日本映画には昨今のものにはない圧倒的なエネルギーが満ちあふれていて、作品の善し悪し以前にしっかりとした“見応え”があるものが多い。 往年の日本映画のリメイクは多々あるが、どの作品も映画作りにおけるそもそもの力強さに欠け、オリジナル作品に匹敵する映画は殆どない。  そういうことを踏まえて言いたいことは、今現在において往年の日本の娯楽映画にひけをとらないエネルギーを映画に込められる作り手は、結局、三池崇史をおいて他にいないだろうということだ。  リメイク作品としては珍しく、オリジナルを超える“強さ”を持った娯楽映画だったと思う。 バイオレンス映画を数多く撮ってきた三池崇史監督と「時代劇」の相性は非常に良いとも思った。特に今作の残酷さと泥臭さが存分に溢れた"侍映画”としてのストーリー性に、この監督ならではの暴力性と娯楽性はとても良い塩梅で合致していた。  太平の世が続く時代の中で、徐々に取り残され始めてきた"侍”たちの生き様は悲哀に溢れ、単純ではない格好良さがあった。 そして、刺客たちの標的とされる残虐な暴君には、極悪非道な言動の中に主君ならではの哲学性も持ち合わせており、一筋縄ではない悪役としてのキャラクター性があった。 主役級から脇役に至るまで、一人一人のキャラクターに味があり、群像のドラマ性が高かったことが、クライマックスの大殺陣を盛り上げた最たる要因だったと思う。  「面白かった」と一言言い放ち満足感に浸れる素晴らしい娯楽映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2011-10-10 03:03:04)
42.  しあわせの雨傘
異国の映画を観ていると、作品自体の善し悪しの以前に登場人物たちの思想や言動に違和感を感じてしまうことが多々ある。 それは、世界各国の映画を観る上で必然的に生じる事象であり、仕方が無いことだけれど、最終的にドラマ自体に共感出来ないとなると、その映画を好きになることはやはり出来ない。  フランス映画は見慣れている方だし、フランソワ・オゾンは「8人の女たち」大好きな監督だけれど、そういう理由で残念ながら好きにはなれない映画だった。  大女優の風格と絶対的なバイタリティーを存分に見せてくれるカトリーヌ・ドヌーヴは、もはや存在感そのものが魅力的だった。 彼女が赤ジャージを着て、朝のジョギングをするファーストシーンから映画としての面白味は備わっていたと思う。  専業主婦の主人公がふとしたきっかけで傘工場の社長である夫の仕事を引き継ぎ、対外的な生活に転じ、自らを抑圧から解放させていく様は、ユニークで気持ちが良かった。 しかし、その「解放」が予想外に別方向へ突き進んでいってしまう。  夫との確執が家族全体の確執に発展し、主人公のあまりに奔放な過去までもつまびらかにされていき、突如として人間関係が泥沼化する。 次第に主人公の、女と男、結婚と離婚、セックスと妊娠、諸々に対する価値観についていけなくなり、映画世界そのものに違和感を感じたままエンドロールを迎えてしまった。  映画を観て、それを面白いと思うことは、自分が他者の価値観を受け入れられるかどうかということに他ならないと思う。 そのことを改めて確認した作品だったと思う。
[DVD(字幕)] 5点(2011-09-19 09:37:33)
43.  シーサイドモーテル
やりたいことは分かる。狙っている世界観もファーストシーンからラストシーンまでビンビンと伝わってくる。  だが、ウマくいっていない。そして、面白くはない。  山間の小汚いモーテル、海なんて何処からも見えないのに、その名も「シーサイドモーテル」。そこに集まった4組の訳あり男女。それぞれのシチュエーションの中で巻き起こる”騙し合い”。 キャストは生田斗真、麻生久美子、山田孝之、玉山鉄二、成海璃子、古田新太……と華やかさを併せ持つ曲者揃い。  「ああ、面白そうだ……」と、予告を見た段階で止めておくことが、最も幸福なのかもしれないが、もちろんそういうわけにはいかないわけで……。  何と言うか、面白く無さ過ぎて腹立たしいなんてことは全然ないのだけれど、きっぱりと面白くないと断言は出来て、その失敗の様を何故だか微笑ましく眺めてしまう。そんな映画。  それは、この映画に携わったスタッフも演者もみな決して手は抜いていないということが、ひしひしと伝わってくるからかもしれない。 「タランティーノばりに面白い映画を作ろう!」とそれぞれが頑張っているのだけれど、噛み合っていないというか、そもそも話が面白くないというか。  無意味にハイテンションな演出なので、舞台で各部屋のセットを立体的に組んで演れば、結構面白い舞台になるかもしれない。と、可哀想なのでフォローしてみる……。  まあ、いいよ。こういう映画もあって良いよ。   P.S.「手紙」の後にこの映画を観た。山田孝之&玉山鉄二の役柄のギャップは、楽しみがいがあった。そういう要素も、映画の醍醐味だと思う。
[DVD(邦画)] 5点(2010-12-25 02:10:49)
44.  シャッター アイランド
心労による偏頭痛がじっとりとまとわりつく土曜日のレイトショー。 仕事終わり、わざわざ隣街の遠い映画館まで車を走らせて、この映画を観に行った。 なぜそんな苦労をしなければならなかったか。理由は、近場の3つの映画館では揃って「超吹替版」という得体の知れないバージョンでしか上映をしていなかったからだ。  吹替版を一方的に非難するつもりはないのだが、個人的には、言語が分からないのであれば外国映画はやはり字幕で観るべきだと思う。 字幕として翻訳することで誤訳や微妙なニュアンスの相違が生じていることは知っている。スクリーン上に表現されている様々な要素を見逃さないためには、字幕を追うことはマイナス要因だとは思う。 ただし、だからと言って「吹替版を観た方が良い」ということにはならない。  俳優本人が発する台詞のトーンや息づかい、そういうものを無視することは、映画という表現に対する一種の冒涜だとさえ思ってしまう。  結論として感じたことは、吹替版しか上映していなかった3つの映画館に対する多大な嫌悪感だった。この映画を吹替なんかで観ていたらと思うと、ゾッとする。  非常にまわりくどくなってしまったが、マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオが四度タッグを組んだこの作品は、絶対的に凄い映画である。  この映画の絶対的な価値は、「謎」そのものに対する安直な衝撃ではなく、本当に優れた映画監督と映画俳優が緻密に創り上げた、ミステリアスに溢れた上質な映画世界そのものであると思う。  いかにもおどろおどろしい孤島の犯罪者専門の精神病院で、主人公がミステリーの渦に呑み込まれていく。それはむしろ予定調和とも言えるほど王道的な展開である。 その必然性に真っ向から臨み、単なる驚きを超えた緊迫感を生み出す。 それは、本当に「映画」を知り尽くした者たちのみが成せる業だと思う。  スコセッシが描き出す陽炎のような映画世界。そこに圧倒的な存在感で息づくディカプリオ。光の屈折、音の響き、漂ってくる匂い、その「空気」の動きこそ、この映画で感じるべきことだと思った。  それは、「吹替版」ではやはり味わえない。
[映画館(字幕)] 10点(2010-04-11 01:10:57)(良:2票)
45.  食堂かたつむり
今僕が日々の生活で生きていく中で、とても大切にしていることは、「食べる」ということだ。 それはもちろん、今に始まった感覚ではないが、歳を重ねていく中で、殊更にそれの重要さが身に染みてきている気がする。 分かり切ったことではあるけれど、人生は楽しいことばかりではなく、むしろ辛いことの方が多い。 ただその中で、日々の「食べる」という行為が充実していれば、ただそれだけで人生は幸福になり得る。と、思う。  「生きることは、食べること」と、この映画は謳う。 それはとてもシンプルなことだけれど、幸福感に溢れ、同時に、潔く、厳しい「真実」だと思う。そして、その「真実」をきちんと描いたこの映画は、同じようにシンプルで、ただただ素晴らしい。  “とある事情で”で声が出なくなってしまった主人公、倫子。彼女が出来ることは、ただ美味しい“ごはん”を作れることのみ。彼女が作った小さな「食堂かたつむり」に訪れ、食事をした人々は、次々に願いが叶っていく。  温もりに溢れたプロットに、温もりに溢れたおいしそうなごはんが次々に登場し、その美味しそうなごはんと、それを美味しそうに食べる人たちの姿を見るだけで、幸福になる作品だ。  ただ、この映画は、そういった幸福なグルメ映画の範疇だけでは留まらない。 「食べる」という行為の根本を、もっとひたすらに純粋に追求し、その根本をしっかりと描いている。 料理自体の”美味しさ”は二の次で、それよりも前に存在する、「食べる」そして「生きる」というすべての生命の営みにおける「幸福」と「残酷」を真正面からしっかりと描き切っている。  その“まっすぐさ”が、この映画の最大の素晴らしさだと思う。
[映画館(邦画)] 8点(2010-02-11 08:52:50)
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