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onomichiさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 407
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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1.  幸せへのキセキ 《ネタバレ》 
テーマを超えて、全編に溢れるロックテイストが心地よい映画だった。 音楽も60年代後半から80年代の名曲たち。ボブ・ディラン、トム・ペティ、ランディ・ニューマンにニール・ヤング。"Cinnamon Girl"が流れた時はなんかすごく嬉しくなった。  キャメロン・クロウと言えば、僕の中ではやっぱり『初体験/リッジモント・ハイ』(” Fast Times at Ridgemont High”:キャメロン原作・脚本作)である。言わずと知れた80年代ロック全開のハチャメチャ青春映画。(決してエロ映画ではない。ポロリはあるけど) ジャクソン・ブラウン、ドン・ヘンリー、Go-Go’sなど、80年代のロック&ポップに彩られた楽曲たち。そして、初監督作『セイ・エニシング』。カセットデッキから流れるのは、ナンシー・ウィルソンの”All For Love”。  ナンシー・ウィルソンは80年代に流行ったロックバンド、ハートの中心人物、ウィルソン姉妹の妹の方。綺麗でスタイルがよくて、ムチムチした衣装でギターを掻き鳴らす姿がすごくセクシーだった。彼女がキャメロン・クロウと結婚したのが86年頃だから、ちょうどハートの絶頂期。ナンシーが82年のリッジモン卜・ハイに「車を運転する美女」で出演したのはどういう経緯だったのだろう? 当時、新進気鋭の若手ライターだったキャメロンとロック界のミューズ、ナンシー。  キャメロンとナンシーは2010年に離婚しているんだけど、僕にはどうしても、この映画の最後のシーン、カフェでの「20秒の勇気」のところは、キャメロンとナンシーの現実の出会いを思い起こさせる。年上の美女に勇気の告白。”Why not?” ナンシーならきっとそう言っただろうな。あんなに仲の良い二人だったのに。別れがあって出会いがある。スカーレットみたいな女の子との出会いだったら、それもまた良しか。人生万歳!
[映画館(字幕)] 9点(2012-06-17 22:55:49)
2.  ジュリエットからの手紙 《ネタバレ》 
恋愛映画というよりも、人生讃歌。  そもそも、「ヴァネッサ・レッドグレーヴおばあちゃんの昔の恋人を探せ」的な展開は、その描き方からして彼女の若き日の熱烈な恋愛エピソードから50年後の後日談であり、それだけとってみれば、これは恋愛映画というよりも恋愛ドキュメンタリーのようなものである。彼女の実らなかった恋の話は詳しく語られないが、敢えてイメージすれば、『ローマの休日』や『カサブランカ』の後日談と言ってもいいものだろう。  若き日の恋心。そして挫折。恋愛の時期を過ぎれば、家庭や仕事、生活という些事に忙殺され、僕らの生活はそれらに没頭する毎日となる。(もちろん生活も生き甲斐である) 年を経て、そういった全ての些事から開放される年代となり、ようやく若き日の恋愛に思い至る。恋愛とは何だろう?黙って見つめ合うだけで気持ちを共有できる(と幻想する)関係だろうか。人が人を求め、人に求められる。幻想が確信となれば、それは人生において生きる心の支えになるだろう。  クレアが昔の恋人と再会するシーン。彼女が見つめると彼はだまって見つめ返す。50年の時を経て気持ちが通じ合う2人。ありえないと思いつつ、とても感動的なシーンでもある。クレアが昔の恋人と再会した後、今度はソフィーとチャーリーの恋愛がクローズアップされ、クレアがそれを見守る立場となる。 実はソフィーとチャーリーの存在は、観客たる僕ら自身とも重ねられる。クレアの恋愛ドキュメンタリーを見守る立場として、ソフィーとチャーリーと僕らは同じ視線を共有していたのである。ソフィーとチャーリーはクレアの影響を受けて、お互いを見つめ合い、そのことを確信することで、恋愛に踏み出す決意をする。僕らは知らず知らずのうちに彼らと気持ちを共有しつつ、自らの生活を思い返す。(映画としてそういう構造になっている)その時、僕らは映画を他人の恋愛を非日常的に傍観するのとは違う、より日常に引き寄せた心持ちとして体験し、見つめるべき人の姿を想い、そこに人生に対する新しい希望を見出すのである。(見い出せない人もいるだろうけど。。) だから僕は、この映画を通常の恋愛映画とは違う、寧ろ人生讃歌と言いたいのである。
[DVD(吹替)] 8点(2011-08-23 01:03:40)(良:2票)
3.  11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち 《ネタバレ》 
三島の人物造型について、楯の会と11.25の自決事件に関する史実を中心に描くと、本作のように一面的な描写に終始してしまうのだろう。小説、例えば、『金閣寺』や『春の雪』で描かれる彼の文学性と自決事件での行動が現実の中でうまく整合しない。故に三島の文学性が如何に彼の行動にリンクしていたのかがいつも切り捨てられてしまう。三島自身が楯の会や自衛隊の体験入隊等の行動の中で、彼自身の文学性を自ら否定してみせるので、それも致し方ないのかもしれないが。三島文学や三島事件について、これまで多くの言説が弄されてきたが、彼の文学と事件が融合して語られない、文学者は事件に触れず、事件記者は文学に触れない。それこそが三島の特異な二面性として、事件から40年以上経った今でも、三島由紀夫という人物の本質を未だに捉えきれない要因なのだと思う。  三島の作品の中で、『憂國』や『英霊の聲』にこそ、彼の美意識の極点として、美しき日本の文化を象徴する幻想としての天皇主義の萌芽があった。その思想は彼の遺作ともなる『豊饒の海』によって完成することになる。1965年から自決の前夜まで。楯の会の行動と並行して著された『豊饒の海』にこそ、彼の行動と思想の全てがあるのだと僕は思う。その分析を抜きにして、三島事件を語ることはできない。『春の雪』の究極の禁忌としての恋愛があり、『奔馬』におけるテロルと自死への強烈な憧憬がある。『暁の寺』で唯識と煩悩の狭間で迷界を通過し、そして、『天人五衰』のラストに至る。三島も小説の本多と同様に、最後に月修寺の寂漠を極めた庭に佇み、門跡と対話して、無の境地としての豊饒の寂漠に辿りついたのだ。  映画の三島はヤサオトコ過ぎて、また、彼の文学的な側面がストーリーからすっぽりと抜け落ちている為、実際の三島から発散される(覆い隠すことができない)自意識の匂いが全くしない。彼の実際の姿を今やyoutube等で簡単に観ることができる。彼の強さと弱さが同居したような肉体と言葉には、押し出しの強さと共に躊躇いと抗いが常に見え隠れしている。  本作は、若松孝二が60-70年代の若者達を捉えた学生運動や思想がどのように先鋭化し、追い詰められ、最終的に「事件」に行きついたのかを総括した作品だといえる。前作同様、実録として、心理劇としての見応えはあるけれど、その文学的/観念的な側面を含めた事件の本質を描き切るまでには至っていない。
[映画館(邦画)] 7点(2012-06-17 00:06:01)
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