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1.  新・座頭市物語
一作目は平手造酒がいて天保水滸伝の時代。これでは天狗党が絡んできてずっと幕末も押し詰まったころの印象があって、時代的に見てどうなんだろう、そう不自然でもないのかな。よくわかんない。市が周囲にロウソクを立てて居合いをし、順番に斬れ落ちていき、居合いのわざよりもそれで暗くなるのがいい。師の娘坪内ミキ子は18歳ということになっている。カタギになります、地道な暮らしを立てます。とカタギに戻ろうとするアウトローが、でも戻れないというお話の設定。いいのは仇と狙う須賀不二男。やられる覚悟で市に向かう男気、カタギになろうとしている市を見てサイコロ勝負、半だった目をそっと四六の長に変えて「運のいい野郎だ」とか言って去っていくの。それだけじゃないんだけどね。
[DVD(邦画)] 7点(2013-12-16 09:55:53)
2.  シェナンドー河 《ネタバレ》 
「国(州)が勝手に戦争やってようと俺の家は関係ない、国が子どもを育ててくれたか」と独立独歩でやってきたJ・スチュアート、馬を買いに来たバイヤーと殴り合いの喧嘩になり家族揃っての乱闘、向こうがピストルを出したところで、こちらも娘が一発放ち、決着となる。なるほど、アメリカで銃規制が進まないのは、こういう原風景があるからなんだな、と納得した。国の方針に納得できないとき、自分のとこは独自にやっていく、という担保として銃があるんだ。ライフルはその象徴でもあるから固執する。国家に最終暴力の権利を与えると、とめどなく強大になって最後は北朝鮮のような軍事国家になってしまうだろう、それなら「銃の野放し」のほうがまだいい、という判断。南北戦争のころと今とでは比べられないはずだけど、根本思想として「銃による独立」という考えがあり、それはそれで一応筋が通ってるんだ。日本では銃の野放し状態になる危険性より、軍事国家になる危険性のほうが高いんじゃないか。国家に何でもゆだねたがる性癖。たとえば死刑制度がなくならず、反対運動が高まらないことも…なんて、余分なところで感想を抱いた。映画そのものの感想。ボーイが助かるあたりは「うまく出来すぎ」だし、そもそもJ・Sの頑固親父はニンでない(息子が撃たれたあとの怒りのことばは彼ならではの説得力があった)が、内戦のやりきれなさは静かに底に流れていた。南北両軍が対峙しているところに放れ牛がやってくる場なんかがいい。留守宅での不意の惨劇も、銃の使い手が出払っている家の不安の結晶なんだな。二階に上がっていく悪人どものサーベルが階段一段一段でたてる音。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-04-28 10:30:58)
3.  昭和残侠伝 唐獅子牡丹
シリーズ2作目の、まだ様式が固まっていない試行錯誤がうかがえるのが面白い。1作目は終戦直後だったので、本シリーズで戦前が舞台になるのは本作からとなる。任侠ものの味わいには戦前の風俗が大事だと思っているので、そこに感謝(『残侠伝』というタイトルを見ると最初はずっと戦後を舞台にした『日本侠客伝』みたいなものを考えていたのではないか。だから池部の起用も前年の篠田正浩『乾いた花』の好演もあっただろうが、なによりも“戦後”という時代を代表する俳優だったからなのではないか)。本作は宇都宮の採掘場、次作は銚子近くの漁師町と、地方のいかにもやくざが強そうなあたりを舞台にするが、以後の東京の戦前風俗になってやはり一番しっくりする。路線が定まってなかったので池部の扱いが中途半端で、前半健さんに沓掛時次郎的な役を振ったので、屈折する池部とタイプがダブってしまい困っただろう。池部は満州帰りと変な洋装で登場しズッコケるが、道行きシーンではちゃんと決める。本作でいいのは、悪役の水島道太郎にも「石工あがり」という過去を振ってることで、石を平気で傷つける子分を怒鳴ったりする。仁侠映画ではこの手の丁寧さがしばしば見られる。道行きから一家への殴りこみはうっとり見られるが、石切り場での争いは安手のアクション映画になってしまってた。こういう失敗を重ねて様式が固まっていったと思えば、それさえ嬉しく見てしまうのがファン心理。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-01-19 09:38:45)(良:1票)
4.  シャレード(1963) 《ネタバレ》 
旦那の葬式の場、次々と見知らぬ男たちが現われて、本当に死んでいるのを確認していくとこがおかしい(最初は鼻に鏡を当て、次はあっさり刺してみる)。こういう「殺伐としたユーモア」でいくのかと思っていると、中盤からはロマンチック路線主体になり、サスペンスコメディの線はやや減退。ロマンスものの随所に襲撃やら殺人やらのスリラーを挟む、という姿勢。一応C・グラントに謎めいた役割を与えてはいるものの、まあ彼が悪役で終わるとは思えず、そこらへんは作る側も折り込みずみで、安定したロマンチック路線の上で二転三転を楽しんでください、ということなんだろう。女性観客のための「オードリーのオシャレ映画」としての枠も考えなければならない。セリフもシャレていて、たとえばガラーンとした葬式のとき、誰も来ないのね、というのに応じて「ベッドで死んでたら警部もいなかったわ」。電話で脅迫してくるJ・コバーンが、どこにいるんだ、というグラントに応じて「俺を見つけたいんなら、後ろを振り向け、いつもお前に張り付いてるからな」なんてのもいい。終盤でまたサスペンスの線をハッキリさせ、盛り上がった気分で終わらせている。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-08-06 10:05:58)
5.  シシリーの黒い霧
前半はほとんど顔のない映画で、後半に至ってやっとピショッタが「登場人物」らしく登場する。ピショッタのほうがジュリアーノより印象深い。C級戦犯的悲劇というか。といってもそう善と悪が明確なわけではなく、ジュリアーノにしたって、最初はレジスタンスのようなスタートだったわけでしょ。村人の支持もあったわけ。村に軍隊が入ってくるシーンの緊張がすごい。街に太鼓が轟いて、人が水汲みに出てきて、銃声が聞こえてくるまでのワンカット。人が引っ立てられていって、街角を曲がるとずらっと兵士が向こうの果てまで並んでいる。あきらかに最初は「人民」の支持があったのに、メーデー虐殺事件などから怪しくなってくる。あのシーンの終わりのパンがすごい。死体や馬の影が長く伸びて。とにかくこの映画、影と言うか、黒の印象が強い。細くあけた窓のほかを全部黒が埋めてる感じ。ドアの隙間とか。正義の背後にある黒。信頼の背後にある裏切り。銃のすぐ脇から遠くを走るジープを捉えるなど、ドキュメンタリータッチのカメラが生きてる。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-07 09:55:03)
6.  社長漫遊記 《ネタバレ》 
オリンピックの前年いうことで、社長のアメリカかぶれはもっと生々しい皮肉になってたのかも知れない。役者のちょっとした仕種なんかにくすぐられるところが多い。これ小林桂樹のトーク付きで観たんだけど(成瀬巳喜男の『女のなかの他人』と、筧正典の『新しい背広』ってほのぼの小品と、小林桂樹が出てるという以外共通点を見つけづらい風変わりな三本立てだった)、かなりアドリブ的に入れたところがあると言ってた。一番光ってたのはやはり三木のり平で、ときにすごく残忍な表情を浮かべながら、それを全体の喜劇トーンにうまく溶かし込んでいる。社長と刺々しくやりあったり、ちょっとした独のあるセリフを付け加えたりするのが、わさび的に絶妙。森繁も、無理にフォークでそばを食べるとこなんか、わざとらしさの極致なんだけど、笑ってしまう。尊大さと、ふっとした卑小さとをくるくる交換するおかしさ。フランキー堺の三世(?)言葉のおかしさ、こんな程度のことで笑ってはいけないと思いつつ、これも笑ってしまう。チームワークの良さで、場そのものが生き生きしてるってことなんだろう。池内淳子の消防芸者ってのは、火事があると野次馬で見に走り出してしまうっての。
[映画館(邦画)] 6点(2011-03-15 12:28:23)
7.  昭和残侠伝 血染の唐獅子 《ネタバレ》 
ドラマの型としては、もう「忠臣蔵」パターンで、いじめられて仇を討つって芯。それを脇筋として山城新伍が膨らませている。これも考えてみれば「仮名手本忠臣蔵」の勘平、ずいぶん三枚目な勘平だけど、恋のため一家に不義理をし、その負い目から死んでいく役割りなわけ。昔からあるドラマの型を応用していく日本文化の伝統に則っている。相手の染次(牧紀子)がまた話を膨らませてくれて、自分に惚れた男に対する女の義理を果たす役どころ。さらにここには自分になびいてくれない秀さんに対する微量のアテツケも感じられ、自分の操を男気のシンボルである纏と交換し、秀の心に残ろうとする哀切もにじみ、まったく女優冥利に尽きる役どころだろう。そしてこれは、ただただ秀さんのことしか考えない藤純子のまっすぐな役どころと一対になっていて、それは複雑な池部良とまっすぐな高倉健の一対と同じ。こういう構造は一朝一夕に生まれるものではなく、長く大衆文化の中で練り込まれてきたものだから、安定感がある。いつもちょっと疑問だったのは、知的善玉やくざである池部がモロ悪人の組に入っちゃってる、ってのに無理があるんじゃないか、ってことだったが、今回思った。きっと昔は、河津清三郎も、池部が心服するような立派な任侠の徒だったんだ、世の中の変化に乗って組をやっていく上で、金に執着しなければ勝ち残っていけなくなり、そして歪んでいったんだろう。だからシリーズのタイトルも、時流に乗れない「残」侠伝なんだ(シリーズ1作目は戦後が舞台でその「残」の感じはさらに強い)。ラスト、健さんを包み込むように木遣りが流れるが、まるで近代に置き去りにされ滅ぼされていったすべてのものを弔う御詠歌のようにも聞こえてくる。
[DVD(邦画)] 8点(2010-12-08 10:15:06)
8.  審判(1963) 《ネタバレ》 
やたら広い空間と狭い通路の対比。空間と言うより空虚ですか。会社のオフィスが圧巻。仕事が終わり、みなが帰っていくシーン。ここは天井が高く、Kの部屋は反対にやたら低い。それに法廷のシーンの人々、あれ上の方まで全部本物だったんだろうな。そしてそれらをつなぐ無数の迷路や階段。子どもたちのざわめきの中を追われるように逃げていく。ま具体的な映像世界ということで仕方ないんだけど、もっと「手応えのなさ」みたいなものが、カフカでは欲しい。「世間」はハッキリと逃走を誘うように迫害してくるのではなく、柔らかく微笑みながら次第に身動きできなくしてくるものなのではないか。ラストをダイナマイトにしたのは、現代では直接ナイフで刺してもくれない原爆の時代だということなのかな。煙がちょっとそんな感じだった。ロミー・シュナイダーが鏡とガラスが交互になっている向こう側を駆け抜ける。ここらへんの顔のアップでのセリフのやりとりは緊迫。全体にあおるカメラ、だから天井がいつも抑圧してくる。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-07 10:55:19)
9.  処女の泉 《ネタバレ》 
少年が加わっていることで陰影が濃くなる。娘と対になるイケニエ役か。事件のあと雪が降り始め、罪の意識にさいなまれておどおどし、その晩地獄の恐怖に包まれ、やがて娘の母にすがるも投げ殺されてしまう。娘の死も惨めだったが、彼の死もあまりにも惨め、このむごたらしい何ら肯定的な光のない事件を、神は沈黙して見過ごし、その後で泉を湧き上がらせるわけだ(全編を通して火と水が対置されている)。おそらくこのズレに話のポイントがあるのだろう。復讐に至る場の緊張はすさまじい。娘の服を犯人どもに見せられた母の反応、叫び出したいのをじっと抑えたハラの演技が凄く、歌舞伎を思わせた(「先代萩」の政岡に通じるような)。知らされた父も、清めの湯を沸かすための樺の樹を捻り倒すロングのシーンで心情を見せる。朝を告げる鳥のさえずりが凶々しく、さらに家畜の鳴き声も加わる時間経過の描写。おもえば『羅生門』と似たような森の中の事件を扱い、仏教国とキリスト教国の違いが話に出ていた。というか温帯の濃密な照葉樹林と、寒帯の針葉樹林の違いか。顔の上で枝の影と血の流れが重なったりする効果。この監督にしては珍しくストレートな作りで、最初にスクリーンで観たときはちょっと物足りなく思ったが、のちにテレビで観たときは復讐シーンでのめり込まされ、これはこれでやはりベルイマンの映画なのだった。
[地上波(字幕)] 8点(2010-05-11 12:04:15)
10.  昭和残侠伝 人斬り唐獅子
丁寧な風俗描写、あるいは薄暗い賭場のシーンの美しさ、障子に映る影。やはり一級の満足感を与えてくれる作品だ。義理と人情の葛藤はどちらかというと池部良のほうにあるわけで(もちろん健さんも「急所をはずしなすったね」はあるけど)、それだけこっちのほうが印象深い。仁侠映画内での任侠の道徳律は、すじを通す・カタギに迷惑をかけない・女を売るようなことはしない(→利益追求を第一にするのはみっともない)といったところで、現実のヤクザの対極としての「そうであるべきはずだったヤクザ像」なわけ。『仁義なき戦い』の暴力団より歌舞伎の白波ものに近い。唐獅子牡丹の1番と2番の間で合流するってのも、もう様式としての決まりになってるし。時代劇でチャンバラが始まるとけっこう退屈することも多いんだけど、仁侠映画ではまず引き込まれる。音楽が鳴らないストイシズムもいいんだろうな。
[映画館(邦画)] 8点(2009-10-03 11:50:26)
11.  縞の背広の親分衆
おそらく同時代に見ていれば、3日たてば記憶からきれいに消える映画だろうが、今見ると東宝系コメディの懐かしさが匂いたって、へんに嬉しい。スリー・バブルズでしたか、ああいうのの存在とか、だいたい団令子が出るとそれだけで懐かしい。あそこまで丸々としたスターってのは、この時代以外にいただろうか(次点で京マチ子と薬師丸ひろ子)。フランキーと西村晃が小金治の店の入り口でにらみ合うとこ、若き愛川欽也(なぜか出ているのだ)以下チンピラ三名を鍛える東京タワー下・愛宕山の階段界隈の場とか、森繁が苦情係(象屋デパート)で各家庭を回るとことかに、はずみがある。ジェリー藤尾ら一党が出入りに出ていこうとして行進になるあたりも、実に東宝的。べサメムーチョから浪花節になるテーマ曲、森繁は当たり役森の石松の子孫という設定なのだ。
[映画館(邦画)] 6点(2009-02-25 12:17:10)
12.  不知火檢校 《ネタバレ》 
勝新のヌルヌルヌラヌラした感じが最高に発揮されている。子どものときから自分の盲目をネタに言いがかりをつける悪いヤツ。世間は征服する対象としてのみ存在している。障害者のピカレスクが凄味を持つのは、世間との対立感覚がより際立つからであろう。差別かもしれないが、でもここには世間の側が持つ疚しさも関わっているから、見ているこちらにもジャリジャリと引っかかってくるのだ。しかしけっきょく女の心は得られず、自分の罪を他に転嫁しようとした過去の仕掛けによってアシがついてしまうという設定が皮肉。冒頭が祭りの風景で、そこで少年の杉の市が小さな罪を犯すところから始まって、ラストも、祭りを蹴散らしてゆく検校の駕籠が捕縛されるという対比。世間からのつぶてが飛んでくる。まったくひどいヤツだが、ずっとこの映画を見ていた一観客としては、このつぶての一団に加わるほどの真っ白な正義感も湧いてこない。そこにこの映画の価値がある。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-23 12:11:24)(良:1票)
13.  地獄(1960)
そりゃ話はひどい。でもね、こういう荒唐無稽なストーリーで、でも軸にはなんかニヒリズムみたいなものが一本感じられて、ほとんどファルスに近い大量殺人ドラマが繰り広げられるって、鶴屋南北の歌舞伎と同じじゃないか。沼田曜一が神出鬼没するあたり、歌舞伎の演出を思わせるし、狂った教授夫人が室内でまわしている傘なども歌舞伎調だなあと思う。騒がしい宴会場から酔った女がふらふらと静まった外へ出ていくあたりの雰囲気も好きなの。新東宝の闇って、独特のくすんだ色調で、こういう闇に合う。みんながはしゃぎながら嬉々として滅んでいくような前半の展開に、私はけっこうゾクゾクするものを感じてしまう。すごく映画として満足してしまう。そういう意味で、これ『東海道四谷怪談』の、よりクレイジーな現代姉妹編と見たいんだ。
[映画館(邦画)] 8点(2008-08-21 10:38:03)
14.  忍びの者
山本薩夫って社会派にしてはウマイ人という印象があり(なにしろ座頭市も一本撮ってるくらいで)、本作も評判良かったんで期待して見たら、あるいは期待しすぎちゃったのか、スカッとはいかなかった。やっぱり社会派、下忍だって人間なんだ、という人間賛歌の話なので、雷蔵のクールな魅力があんまり生きない。いいのは二つの忍者集団の頭領を交互につとめる伊藤雄之助の怪優ぶりで、モッタリしてたのがひとたび変装すると、小道をササササと小走りに行くなんてあたり。あと役目をちゃんとやってるか見守る加藤嘉の気味悪さも印象に残る。日本映画黄金期にはこういった脇役が豊富にいたなあ、とあらためて思う。これを見る前に同じ62年の篠田正浩作品『涙を、獅子のたて髪に』を見てたんだけど、それで主人公を誘惑してた岸田今日子が、これでもまた主人公を誘惑していた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-08 10:19:49)
15.  新宿泥棒日記
いま大島作品で一番再見したい気分が高まっている映画。60年代後半の新宿の風俗をドキュメンタリー的に見なおしたいって気持ちも多分にある。時代を離れて批評するのではなく、時代とともに一度流されてみようとした映画だから、こう時がたってこそ、タイムカプセルを開けて見るような意義が生まれてくるフィルムかもしれない。一番記憶に残っているのは、夜の紀伊国屋のシーン、本を買えない女店員(?)の抑えられていた望みなのか、読みたい本の多数の「声」たちが、じわじわと滲み出し重なってきて、夜の書店のなかにこだましていくところ。この監督、ムッツリと俺は硬派だって顔していながら、けっこうリリシズムを不意に溢れさせるところがあって、そこが私は好きだ。唐十郎がかわいい。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-13 12:22:44)
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