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1.  帝銀事件 死刑囚
事件や裁判を再現した部分はおおむね面白いんだけど、おまけの部分がつまらない。イライラした新聞記者同士が殴り合ったあとで、笑ったり。731から占領軍にという部分で告発があるんだけど、弱いんだな。漠とさせたまま、「俺は怒ってるんだ」という姿勢を見せただけで満足してしまっている。本気で詰めようとしてない。ま、警察の捜査方針が変えられていったとこなどを具体的に見せただけ、社会派映画ではいいほうかもしれない。元731の手紙を途中で中断し、これは書けない、と額にしわを寄せるような思わせぶりの新聞記者の正義感はヤだった。もちろんドキュメンタリー映画ではなく、原作があるものをドラマ化してるだけなんだから、そういうことに文句を言うのは筋違いかもしれないが、映画人としてそういう広報係に自分を固定しきってしまっているのが、なんかもどかしい。
[映画館(邦画)] 6点(2012-09-06 10:30:18)
2.  ティファニーで朝食を 《ネタバレ》 
不幸の影のある過去、離れた家族(弟)への愛情、囚人の連絡係に知らずになってしまうお人よしというか少々オツムの弱い「可愛い女」、といったもろもろは、どちらかというとモンローの世界だった。モンローが亡くなるのはこの翌年。なんか時代が決定的に移ろったことを思わせる作品だ。一番それを感じたのはファーストシーン。早朝のニューヨーク、ひとけのない街角に車から降り立つオードリー、開店前のティファニーを覗きながらパンをかじる。まだ名前のつけられていない野良猫のようなヒロインを画面に収めながら、ムーンリバーが流れていくあのシーンで、アメリカ映画は60年代に入っている。このトーンは70年代にもつながっていく。しかしモンローの50年代とははっきり質が変わったように思う。都会生活者のコメディってのはずっとあったが、人間主体でどこの都市でもかまわないようなものだった気がする。しかし60年代になって都市そのものにも重心が掛かってきたんじゃないか。これはニューヨークの安アパートが舞台でなければならない映画だ(『アパートの鍵貸します』も60年)。相手役のG・ペパードってのがつまらないとか、M・ルーニーの“ゆによし”さんが一人で40年代やってる、とか不満はいくらもあるが、時代が変わったことを告げる冒頭シーンの抒情は捨て難い。それと猫で収めていくラストの情感、きっとあの猫にも名前がつけられることだろう。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-07-31 09:44:38)
3.  電送人間
東宝の変身人間もの三作のなかでは、SF性よりも犯罪に重点が置かれていて異色(脚本が、常に社会とのつながりを意識していた木村武ではなく、これだけ関沢新一)。いちおう 平田昭彦は出てるし、白川由美は襲われて悲鳴をあげたり下着姿になったりしてるし、キャバレーシーンはあるし、ちゃんとミニチュア貨物列車も爆発するんだけど、怪人の標的は定まっていて市民がパニックになって避難したりすることはない。なにしろ場違いの鶴田浩二が出づっぱりなんで調子が狂う(なんでも福田監督の助監督時代に恩があったとか)。でミステリーとしてもSFとしても腰の定まらない変なものになってしまった。ま、その「ヘン」さが東宝特撮ものの味わいなんだけど。ためになったのは、当時軍国キャバレーってのがあったのを知ったこと。ホステスが海軍のセーラー服を着て、ボーイが陸軍。酒の名称も「ミサイル」とかやってる。キャバレーの名前は「大本営」。事件は戦中の軍の機密から始まっていて、もし脚本が木村武だったら「戦争を忘れているもの」と「引きずっているもの」との落差をもっと出そうとしたんじゃないか。お化け屋敷の客で青年児玉清が一瞬登場。
[DVD(邦画)] 5点(2011-10-04 10:13:22)
4.  テキサスの五人の仲間 《ネタバレ》 
これは一つのアイデアだけを核にした物語だけど、ネタが分かればそれで終わりというものと違って、たぶん二度目の鑑賞にも耐えられると思う。かえって二度目の楽しみってのもあるんじゃないかな。H・フォンダの表情やまわりの連中の表情に、一回目に観たときとは違う味わいが出てくるはず。優位に立ったものの表情と、ヤバい立場に置かれたものの表情とがハッキリしている分、その皮肉がおかしい。それにしてもフォンダの崖っぷちに立ちながら浮かべる強ばった口元だけの笑い、うまいなあ。どうしたってカモそのもの。心配するけなげな子どももいれば、ついつい「お父さん危ない」って思っちゃうもん。また途中で鍛冶屋での妻のカットを挿入して観客の心配を煽るんだ。きたねえよなあ。映画のリズムは冒頭のポーカー仲間が集合してくるところから快調で、ただちょっと終わりがもたつく。ジェイソン・ロバーズが婿に説教垂れて、その直後バカにするようにきれいに落とし、そこでパッと切り上げればいいのに、ややだらけた。あと、銀行家がすぐ乗らず、一度追い返してから乗ってくるつながりがギクシャク感じたが、すぐに応じると不自然で、一度冗談ではないかと疑う時間を入れたほうがリアリティありってことか(引っ掛けられた悔しさで、なにか悪口を言っておきたい)。これそのまま江戸の時代劇に移せそう。「おまいさんバクチはこんりんざい駄目だよ」なんて落語に出てくるような夫婦ものが旅籠にやってきて…と思ったが、やはりポーカーフェイスという言葉があるポーカーでないとぴったりこないな。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-09-27 09:27:20)(良:1票)
5.  天国と地獄
この143分てのは『生きる』と同じ長さなんだ。どちらも同じ二段構えで。何かを描くのにちょうどいい長さというものが、作家には固有にあるらしい。でもこれは私には『赤ひげ』とセットになっていて、ヒューマニズムの人としての総まとめが『赤ひげ』なら、サスペンス作家としての総まとめが本作だと思っている。そしてあちらに善の医者、こちらに悪の医者、と対になっている。黒澤は多くの作品で医者を描いていて、生命に密着した職業ということを越え、魂の治癒者といった役割りを持たされている。その医者がこの映画では、魂を沈下させていく。高台の権藤邸に憎しみの目を向けつつ、黄金町の魔窟にまで沈んでいく。こういう世の裏側の感じは、『野良犬』の楽屋裏なんかにも通じて黒澤が好んだ形而上学的な世界構造だ。この世界には一つ奥の暗い場所が隠されている、って。医者はそこを往還する職業なんだ。善い医者は下から上へ、悪い医者は上から下へと、魂を運んでいく。そういった世界観が黒澤にはあるのだと思う。この映画のサスペンスのうまさを今さらいちいち挙げてもしょうがない。好きな女優さんをひとりだけ挙げさせて。これを見るたびに印象に残るのは、山崎努と踊りながらヤクを受け渡しする女のそれらしさ。今村昌平作品なら主人公になれるような顔で、生き物の臭いはプンプンさせていながら生活臭のない女。ストイックな黒澤さんはきっとこういうタイプが嫌いなんだろうけど、それだけに見事に存在感を示していて、私はあのシーンになると異様にドキドキしてしまうのだ。
[映画館(邦画)] 10点(2008-12-24 12:23:52)
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