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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  ハンガリアン狂詩曲
アンゲロプロスの最近の映画はセレモニー中継みたいになってるな、という不満を持ったことがある。そのときちょっと思い出したのがこのヤンチョーで、セレモニーのような世界でもとても魅力的に撮る監督はいたぞ、と。ヤンチョーで見られたのは二本だけで、それもそれぞれ一回きりの観賞なので、とにかくもう一度確認したい作家の最右翼だ。広い野で、ハンガリー民族史が展開する(いちおう第一次世界大戦の時代の物語があるらしいが理解不能)。展開してるのはあくまでセレモニーの「ような」世界であって、オリンピックの開会式の退屈な出し物とは根本的に違っていたと思う。だからもう一度見てみたい。歴史を、因果を通した山あり谷ありのドラマにはせず、ギリギリの瞬間の連続として、過去の結果でも未来へ向けての伏線でもない、その時その時の連続として構成させてたのではないか(抽象的な言い方になってしまうけど)。やたら広い野に整列した人々、馬、なぜか裸の女性たち(『密告の砦』でも出てきた)、それらの中をカメラが長回しで漂っていく。アンゲロプロスだと、カメラは何を見るか確固とした意志を持っているのに対し、こちらはうろうろ眺め回してる感じ。そのかわり、すべてが「この見える範囲内で起こっている」。“悪い奴は見えないところにいて、その一握りの悪のためにこの民族は不幸になったんだ”という、よく邦画で見られるような逃げを封じてしまっている。野にいるすべての人物が平等に歴史に加担し責任を負っている、そんな印象を持った。だいたい自国の民族史を描くとなると可憐な被害者の視点になるものだ。まして常に強大国に翻弄されてきたあの民族なら、その資格は十分あるのに、逃げない厳しい視線が感じられた。もう一度確認したい。
[映画館(字幕)] 8点(2013-04-29 10:03:18)
22.  ハドソン・ホーク
とりわけ前半がいい。「快盗」もの、っていうか。ニンテンドー? それは何? と塀の外とズレた男。最初の盗みがいいの。歌に合わせて時間を計るというアイデアが抜群で、ブルース・ウィリスとダニー・アイエロがほとんどミュージカルのノリで画面とシンクロさせてやってくれちゃう。監視ビデオの絡め方もよく、飛び降りたところで次のシーンに繋げちゃう荒業。高速道路を思わぬ車で疾走したりいろいろ楽しいが、イタリアに移ってからちょっと落ちるか。それとアンディ・マクダウェルってのがもひとつ面白味に欠ける女優さんで。なかなかいいコンビだったが、シリーズものにはならず、そのかわりラジー賞を獲得した。主人公がカプチーノにありつけるまでの話なわけ。
[映画館(字幕)] 7点(2013-04-16 09:29:03)
23.  パッション・ベアトリス 《ネタバレ》 
まだ食事でフォークを使わない、バリバリと肉を手づかみで食べる。そういう時代の、家を巡る悲劇。娘ベアトリスは、父が帰ってくるので初めて頬紅をつける。家長の役を降りて、ただの娘に戻れるという安堵感。しかし父は昔の父ならず、すさんじゃってるの。「わしより後まで食べるな!」 この食事のシーンは、カメラがあっちこっちと回って、父の変貌を観察してるよう。そして、この父は家長の器ではない、となる。高い理想に輝く完全無欠の「家長」のイメージが、この家を圧迫していく。ベアトリスの頬紅は落ちていく。一つの家に複数の家長。悲劇の設定が整った。そして物語の果てに家長はベアトリス一人になれるのだが、その家は何と荒涼とした場所になってしまったことか。マリア像に頬紅をつけるように、父の血をなすりつける。前作がジャズ映画『ラウンド・ミッドナイト』(デクスター・ゴードンのたたずまいが絶品)だった監督、本作では音楽がロン・カーターだが、印象に残っていない。ごめん。
[映画館(字幕)] 7点(2013-04-12 10:09:09)
24.  ハムレット(1990)
シェイクスピアものってのは、いわば落語を聞くときの心構えになるわけで、ストーリーは知ってるから、その語り口で芸を見してもらおうじゃねえか、ってとこ。でもこの監督は真面目にストーリーを語っちゃうんだな。でまた、メル・ギブソンが真面目。あの人はイギリス連邦のオーストラリア出身だからか、なんか女王陛下の臣として真面目方向で、英国の国民戯曲に対処しちゃう。移民の国の人たちは、どうも故郷ヨーロッパにコンプレックスが強いらしくて、マックィーンは最後にイプセンやってたし…、国の問題ってよりも、アクション映画出身スターのコンプレックスなのかな。マッドマックスやってた男がハムレットやる面白さを狙えばいいのに、「シェイクスピア役者」の堅苦しい型に入っちゃって演じている。でもやや明るいフーテン的な線を狙ってたか。ラストの決闘でもちょいとオドケを折り込んで軽みを出そうとしてたり。
[映画館(字幕)] 6点(2013-04-09 09:43:40)
25.  ハッカリの季節
ギュネイの『路』がカンヌでグランプリ獲ったり、本作がベルリンで銀熊賞獲ったり、トルコ映画に注目が集まっていた80年代初め、しかし私は、トルコってあんな雪山がある国なのか、と驚くぐらい認識不足だった。今から思うとどうもクルド人問題が絡んでいたようで、舞台は南東のイラクと近いあたり。イラク戦争前は注目もされない地域だった。そこへ赴任してきた先生の話。歩いてくる主人公から映画は始まる。細かなスケッチを描きつつ、笑いながらタバコをふかす子どもを中心にした村人たちの、ヨソモノへの悪意とまでは至らない距離感がじんわり滲んでくる優れた導入。先生は、流刑と言うほどではないが、何かの処罰か、何かの注意人物のような扱いがほの見える。イスタンブールの放送が聞けるか、とラジオをめぐる会話があるのも、単に文化的生活への憧れなのか、あちらの人にとってはピンと来る政治的な何かがあるのか(地理的にはイスタンブールと正反対の地域だ)。映画が優れているのは、とにかくまず村人の生き方を記録しよう、という姿勢が見られること。なにしろここは「山が、自分を見てくれるものがいないと神に孤独を訴えた」という土地なのだ。自然と協調した生活、などというノンキなものではない。遊牧民が冬だけ過ごす定住地なのらしい。そこで孤独な山と孤独な村が、ひっそりと見詰め合っている図が、ひどく神々しい。こういう映画だと、教師が文明の伝道者となってやがて開けていくだろう、という方向へ持っていくか、共同体側に立って、どうだ厳しい環境での我々の生きざまを見よ、と自慢するか、そのどっちかだったが、「こういう土地がある」という厳とした現実を突きつけることに映画は集中する。おそらくそれが正しい。問題意識とは、その後に生まれてくるのを待つべきなんだろう。主人公がランプを弱めるとそれに見合って室内が暗くなる。その当たり前の記録性が、臨場感を高める。ランプが弱まったことをよく見せるために室内を明るくしといてはいけないんだ。エルデン・キラル監督。
[映画館(字幕)] 7点(2013-04-08 09:44:26)
26.  ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌 《ネタバレ》 
アンソニー・ウォンの若いときって関根勤に似てる。現在はまったく類似点が認められなく、おそらく男の型としては対極的な存在だと思うんだけど、なんか似てるんだ。つぶらな瞳で。ってことは関根勤も歳を重ねると、ああ渋くなっていくのか、いや関根のほうが年上かも、などとあらぬことに気をひかれていたが、それはさておき。前半のドンパチはお祭りみたいに楽しく眺めていたが、後半の病院に移ってからは、いささか食傷気味。そりゃそういう映画と承知して見てるんだから、「命を粗末にしてけしからん」と感想抱くのはお門違いだろうが、なんか死体が「一山いくら」で処理されてるようで、あんまりウルワシクない。あなたたち観客の要望で死体の山を築いてるんです、って向こうに言い分あるのがこっちの弱みだが、そうでもないんだな。そりゃ緊迫した闘争目当てでアクション映画を見てるんだけど、最初っから殺されるために用意されてるような人たちが殺されていくのは、殺伐としてて気持ちいいもんじゃない。釣り合いを取るためか、赤ん坊の救出を絡めているのも鬱陶しく、もっと粋に出来ないか。このコッテリ感が香港の味であるのは分かるんだけど。トニーが、悪役側である警備員の服装をして病院の中を走り回れば、乱戦状態の中でイイモンとワルモンの違いを争っている人々が瞬時に確認するのは大変だな、と思っているとやっぱり誤射が起こった(トニーが仲間を撃っちゃうんだけど)。ここらへん潜伏捜査官という存在の曖昧さを、アクションの中にも筋を通した姿勢はうかがえる。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2013-04-02 10:09:11)(良:1票)
27.  ハートブルー
悪役のキャラクターがちょっと不統一。人を殺さない銀行強盗とサーファーグループってのはいいんだけど、女を人質にしてFBI青年を強盗に誘い込むのは、ズレがある。一応弁解みたいなこと言ってたけど。大統領の面をかぶり蝶ネクタイを締めたスタイリッシュな銀行強盗団。車での追っかけよりも、走って人のうちを突き抜けていくほうが興奮した。追跡の基本は「人間の走り」。サーフィンシーンは爽快だが、スカイダイビングのほうが楽しそう。泳いだり、もたれかかるような感じになったりの浮遊感。圧倒的に重力に支配されながら、無重力状態の解放感があって。
[映画館(字幕)] 6点(2013-03-15 10:15:06)
28.  ハリーの災難
実に礼儀正しい死体なんだな。一番日常の対極にあると思われているものが、美しい田園風景の中にあることのおかしさ。しかも誰もびっくりしないの。絵描きがスケッチに描き込んでから気づくユーモア、船長のいろいろな独白も面白かった。とにかく語り口のうまさね。みながシャベル持ってぞろぞろ歩いている楽しさ。あるいはオールドミスが告白すると決意する中に含まれている“自分だって男に襲われるのよ”と公言したい気持ちの微妙さ。そして無駄のなさ。靴を盗んでいった浮浪者も、気づかぬ医者もちゃんと役立つ。開いてしまうドア、子どもの言い間違い、まで。ここまで丁寧だと窮屈に感じそうなのに、そこがイギリス生まれの人の根っからの体質なのか、品の良さなのか。
[映画館(字幕)] 8点(2013-03-04 09:47:29)(良:1票)
29.  番場の忠太郎 瞼の母
母と抱き合うので驚かされる。もともと長谷川伸も二通りの結末を考えてたらしいんだけど、いろいろ手を加えても本筋の“身内に対して構えてしまう世の中の酷薄さ”が残っていれば、「瞼の母」である。実際、大衆演劇で演じられやすいように著作権も自由にしていたらしく、そうやって大衆に揉まれて伝説のように変貌していくのを許していたんだろう。加藤版でもホロッとさせる、違う母の手に重ねて筆をとるところなんか、リアリズムじゃない。もう様式であって、わざとらしいなんて感じちゃいけない。様式ってのは、一つの感情を大袈裟に・意識的に誇張して高い次元に持っていくことだ。吹雪の中で刀を構える千恵蔵のかっこよさなど、様式が練り上げた姿。
[映画館(邦画)] 6点(2013-02-21 09:54:01)
30.  バカヤロー!4 YOU!お前のことだよ
二話の潔癖症ものはまあまあだが、どれも話が拡がらないのが辛い。別に社会問題を扱えってんじゃないよ。話が映画のなかだけで閉じて、「それだけ」になってしまってる。観てる客が、映画の世界をパンすると社会に拡がっていってんだろうな、という気分になることが必要だろう。一話の、田舎の罠に落ちる都会もん、って視点はいいんだけど、単にオーナーの性格だけにしちゃってるんで、拡がらない。でこの春風亭小朝が、悪いけど、駄目なんだ。落語家って一人で全体を構成する癖が付いてるから、映画の演技者には向かないんじゃないか。くどくなる。一人ですべての笑いを引き受けちゃおうとし、関係で笑わせることが出来ない。これ、オーナーがもっと善意を振りまかなくちゃ面白くない話だと思う。
[映画館(邦画)] 4点(2013-01-23 09:17:07)
31.  母と子(1938)
後半になって俄然イキイキしてきた。積極的な悪役がいるわけではないのに、男の振舞いのなかに悪が出てきてしまう世界。不人情を、男社会に原因を求めているようで、溝口を初め、こういう視点は当時ずいぶんモダンだったんじゃないか。そういうモダンな視点にさらされるのが、吉川満子のおっとり妾。この描かれ方がうまいんだ。そろそろ邪魔になってきたので追い出されるのを、わざわざ別荘買ってもらってと喜んでいる。それに苛つくのが娘の田中絹代なわけ。女二人が新旧二つのタイプを演じるのは、二年前に『祇園の姉妹』あり、翌年に『暖流』ありで、このころの流行りだったよう。とりわけ『暖流』とは役者がだいぶ重なっている。佐分利信、水戸光子、徳大寺伸。本作のほうが視線が冷たいと感じるのは、監督が渋谷実と思って見ているからか。佐分利はただ野心家というだけでなく、母的なものに憧れてるってしたので、厚みが出た。「オールドブラックジョー」のメロディは二年前の『一人息子』でも使われてたが、昭和初期には何か特殊な意味があったのかな。人物が外に出たのは田中絹代が海岸を散歩しただけという実に内に籠もった作品でした。
[映画館(邦画)] 7点(2013-01-14 10:36:19)
32.  話の話
ソ連末期の映画人って、映画史上一番デリケートな人たちって気がする。ハッキリ言えないからこうなるのか、ハッキリ言えないことがもう習性になり、こういう世界を作るの専門になってしまったのか。ノスタルジアの世界。牛が縄跳びをする、永遠に失われた世界。戦争があってタンゴの場から男たちが狩り出され、ある者は不具になって帰ってくる、ある者は帰らない。そしてもう一度あの懐かしい世界へ狐が忍んでいく。赤ん坊に時代を越える何かを託しているよう。それらがデリケートにデリケートに綴られていく。風に吹かれるテーブルクロスの美しいこと。雪の中に落ち続ける梨。
[映画館(字幕)] 8点(2013-01-10 10:00:36)
33.  バルタザールどこへ行く
ラスト、羊の群れがやってきてバルタザールを囲んだあたりで泣けてしまった。今まで荷や水を汲み上げる装置やらに常に囚われ囲われ包み込まれていたロバが、ここで初めて柔らかな羊の毛に包まれる。囚われでなく保護されるように。そして本当の最後、バルタザールの死骸がごろっと転がっているカットになる。キリスト教的には、天上の祝福に対する地上のむくろ、ってことなんだろうが、自由と孤独が壮絶に一体になったようにも見える。ずっと自由を希求していたロバが、孤独によってそれを得た、って。全編を貫いていた「生きることの苛酷さ」がここで救われた、というのとも違う、ある種の納得というか、心構えというか、一つ高い認識に至った気がする。監督のスタイルが一番素直に感銘に至った作品でした。
[映画館(字幕)] 9点(2013-01-06 10:11:56)
34.  遥か群衆を離れて(1967)
ポランスキーの『テス』に心ふるわせた人間なんで、同じトマス・ハーディ原作、同じ堂々とした上映時間ってのに期待して見たら、ただ長いだけだった。原作知らないんで、罪がハーディにあるのか脚本にあるのか分からないけど、登場する人物がキチンと像を結んでくれない。とりわけヒロイン、パキパキしたはりきり娘かと思うと、アレーッと淑女のように気絶したり、隣人にバレンタインカード送るいたずらしといて、でも言い寄られると「困るわ」って言う無責任ぶり、そのことを映画は非難しているようにも見えない。してたのかな。偶然の皮肉がこの世を動かしていくってのが「テス」の根本思想だったが、出世作らしい本作でも、このいたずらや結婚式場間違えたりが、ドラマを動かしていた。そこらへんハーディのドラマとして筋は通っている。女中ファニーの物語は「テス」の原形のようでもある。T・スタンプが「テス」のアレックだ。ちゃらんぽらん男とクソ真面目男に挟まれたヒロインの物語として、本作は『テス』と同じ構造になっている。ただテスでは男によって女が不幸にされたが、こっちは女が周囲の男に不幸を撒き散らしていた。これが映画化された60年代ってのは女性の地位向上が叫ばれており、原作読まずに勝手に想像するのだが、ストーリーの「小娘が農場主をやる」って部分を拡大して脚色しイビツになったのではないか。浜辺の祭の場なんかは面白かった。それにしてもこの題名は何を言ってるんだ?
[CS・衛星(字幕)] 5点(2012-12-19 10:23:31)
35.  廃市
蛍、昼の月、水藻などのアワアワした世界が広がっている。作中の言葉を使えば「道楽」の世界。「本来の仕事を忘れてそれ以外のことにふけり楽しむ」ときの心のゆとりというか、合いの手を入れるオルゴールの音や花火の音が、それこそ「道楽」の雰囲気でした。ハッと気を取り直すようで、またそこに没入していってしまう。自分は愛されていないと思いたがっている人たちの物語で、愛されるのが怖いというか、他人の心をおもんぱかることの傲慢さを自ら封じてしまってるというか、みんなの思いがそれぞれ孤立して、流れ出さず淀んでいる町。頽廃への傾倒、意志のなさ、行為に対する不信、というより面倒くささか。舟で見る歌舞伎の遠景のシーンの、古い記憶のような懐かしさ。全体のトーンからすると、ちょっとクサいところはあって、根岸季衣が顔をピクピクしたり、ラストの三郎君の叫びとかありますけど、それらが目立つほど全体のトーンはいいの。ラストの「列車の窓から」を除いて風景が広がらないのもいい。もう二度とこの夏を繰り返すことができない取り返しのつかなさが、大林監督のモチーフだな。
[映画館(邦画)] 9点(2012-12-17 09:58:16)(良:1票)
36.  パッション(1982年/ジャン=リュック・ゴダール監督)
輪郭の融解ということでまとめてみようか。半ばあたりの喫茶店のシーンで、父と娘とが「何にでも輪郭はあるの?」というような会話を交わしていた。なにせ冒頭が飛行機雲だ。まっすぐに明晰に直線を引いていたのが、飛行機が黒雲にはいってしまうと、やがて直線もぼやけていってしまう。このシーンを、よく小説の冒頭に置かれる箴言のような役割りと思えば、作品のテーマとなる。ものみな輪郭は融け出す、という真理。ときあたかもポーランドでの変革が進行していた。労働運動なり革命なり、輪郭のはっきりしていた言葉もやがて融け出し、不確かなものに変質していってしまう。ならば古典美術はどうか。額縁という輪郭のはっきりし安定していた絵画を、現代はそれを取り払ってしまう。そこに古典絵画を越えるものを生み出せるのだろうか。モーツァルトをバックにハンナ・シグラが逆光で道を歩いていくシーンなど美しいはずなのだが、私たちはいつクラクションが鳴るのかとビクビクしているので、一つの場面としての情感を共感できない。輪郭を固められない。音楽と映像とは手を取り合いたくてうずうずしているのに、騒音の緊張が画面を不安定に流していってしまう。そういう時代。名画のモデルたちの間をカメラが自在に流れていくシーンは実に美しいのだが、輪郭を持てない現代の我々がここで美を感じてしまっていいのだろうか。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-26 09:53:10)
37.  花咲ける騎士道(1952)
前半は、ヨーロッパの活劇はおっとりしてるなあ、ってな感想で、もっぱらG・フィリップの美男子ぶりを眺めていた。煙突をくぐっても汚れ一つつかない完璧なハンサムぶりで、こういう完璧さをめでるのも映画の重要な要素ではあったな、とは思うものの、ずっと美男を見続けてても何かむなしく、といってロロブリジーダ嬢にはもひとつ身を乗り出すほどの魅力が感じられず(その愛されずとも愛を貫く女伊達のキャラクターはいいのだが)、もっぱら屋根の上での活劇に昔テレビで見ていた「快傑ゾロ」などを思い出し懐かしんでいた。でも後半、絞首刑からの救出あたりからノラされて、やたら馬が疾走する終盤で満足。アドリーヌ救出という個人的な追跡が映画冒頭の戦争に絡んでいくあたりワクワクした。強引な地下通路の設定なんかも、全体の「おっとり」と通じ合って素直に笑え、王のメンツも守る大団円はヨーロッパ式だなあと思わせられ、アメリカの活劇とはまた違う味わいを楽しめた。それにしてもこの邦題はズレてないか。原題にある「チューリップ」って言葉は残してほしかったな。この映画のおっとりとぼけた明朗さをよく象徴している花である。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-10-14 10:04:28)
38.  ハーレーダビッドソン&マルボロマン 《ネタバレ》 
1996年という5年後の近未来が舞台というのが面白い。仲間たちで銀行襲撃へと話が動き始めるまでが、ややカッタルイ。話が適度に省略されてるんだけど、それが特別テンポをよくするのに役立ってない。ミッキー・ロークが射撃がヘタクソで人質になってる仲間を撃っちゃうなんてのがあった。ドン・ジョンソンのボロ靴がラストで生きてくるのがいい。いつも親父の教えを守るってのもありました。全体アメリカの娯楽映画は、底に西部劇の匂いを残している。というか西部劇はいろいろに変わって生き続けてるってことか、馬をバイクに乗り換えて。走って逃げてる主人公を、悪人たちは無表情に歩いて追いかけてくるんだ。
[映画館(字幕)] 6点(2012-10-01 09:38:35)
39.  バートン・フィンク 《ネタバレ》 
ハリウッドにも庶民にも受け入れられなかったよそ者の話。彼本人は庶民の理解者のつもりだった。でも彼のイメージする純粋な庶民ってのにはついに出会えない。あるいはレスリング映画の観客としてイメージするきっかけはあったものの、彼はラッシュ見ただけでウンザリしてしまう。そういった庶民の反対側に、酒びたりのハリウッドがあるんだろう。唯一の庶民と思っていた隣人は、最後に「俺の場所に踏み込んできてうるさいだと!」と怒る。庶民というより「他人」と広げてもいいかもしれない。でもこのホテルではチャーリー以外他人は姿を見せない。気配は靴音以外にもたくさんあるんだけど。このホテルの雰囲気を味わうのが本作の中心で、廊下にはブィーンという低音が響いているし、暑さで壁紙は剥がれていくし、唯一外界のイメージは海岸の女性の絵で、屋内に立ち込めていた暑さは、ラストで火に凝集していく。社長の部屋は『シャイニング』を思い出させ、そういえば廊下もそうだな。あちらが「恐怖の寒さ」だったのに対し、こちらは「不安の暑さ」か。そういう映画。
[映画館(字幕)] 7点(2012-09-11 10:37:37)
40.  拝啓天皇陛下様
日本の戦争映画では学徒兵などインテリを主人公にしているのが多く、いかに彼らが古参兵にいじめられたかを繰り返し描いてきた。そもそも兵隊の記録がインテリによって綴られてきたせいで、軍隊の大半を占めていた農民あがりの兵の視点が弱く、もっぱら悪役として扱われるパターンが出来てしまっていた。本作はその偏向を是正する作品。元学生にとってはキツかった軍隊生活も、食うや食わずの元農民にとっては極楽だったという視点、イデオロギーではなく極楽の采配者としての天皇への帰依。そういう視点の新鮮さはいいのだが、それが十分に生かされていたかどうか。エピソードに分解されたあれこれはあまり新鮮でなく、インテリの記録とさして違わなかった気もする。けっきょく記録を採ったのはインテリの作家の語り手によるわけで、そこらへん仕方なかったのか。こういう視点からもっと戦争を深くえぐれる映画が生まれた可能性もあっただろう(極楽の軍隊に馴染みすぎたせいで、戦後の日常に不適応になってしまうあたり、もっと突っ込めなかったかな)。渥美清と藤山寛美という東西の天才喜劇役者を揃えたのに、なんかもったいない使い方をしている(あの授業のエピソードはいいんだけど、この顔合わせで期待させるものとは違うんじゃないか、という気分)。嬉しいのは当時の映画を回顧するシークエンス、水中撮影でやっているのが『与太者と海水浴』。これは高峰秀子が男の子を演じたうち残っている数少ない一本。豚を追いかけているのが『子宝騒動』。斎藤寅次郎のサイレントコメディの水準の高さを現在に伝える貴重な作品。二本ともフィルムは揃って残っているので、機会があれば御覧になれます。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2012-09-10 09:52:28)
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