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1.  白昼の通り魔 《ネタバレ》 
コミューンが崩壊し、インテリは自殺し男は死刑になり、女シノだけが生き残り続ける構図。「見殺しにすること」というモチーフが次の『日本春歌考』につながっていったか。理想が空回りする小山明子、ニヒリズムに落ち、村会議員になって自殺する戸浦六宏。本作から『儀式』まで、60年代後半から70年代頭への大島が一番元気がいい時代の始まりであり、常連たちが大島ワールドとしか呼べないものの構成単位となって自在に演じだす。村と東京の対比があり、それは「村から東京」というベクトルかもしれない。60年代後半は学生運動の沸騰した時代だが、『日本の夜と霧』で熱くなった気負いはこれらの作品からは感じられない。そのひとつ冷めた自省が黄金期たらしめたのだろう。コミューンが崩壊した60年代と来たる70年安保闘争を、新幹線が繋ごうとしたようでいて、その繋げない距離の存在を予告したようでもある(いまだからそう思うのかもしれないが)。
[映画館(邦画)] 7点(2013-12-03 09:44:03)
2.  バルタザールどこへ行く
ラスト、羊の群れがやってきてバルタザールを囲んだあたりで泣けてしまった。今まで荷や水を汲み上げる装置やらに常に囚われ囲われ包み込まれていたロバが、ここで初めて柔らかな羊の毛に包まれる。囚われでなく保護されるように。そして本当の最後、バルタザールの死骸がごろっと転がっているカットになる。キリスト教的には、天上の祝福に対する地上のむくろ、ってことなんだろうが、自由と孤独が壮絶に一体になったようにも見える。ずっと自由を希求していたロバが、孤独によってそれを得た、って。全編を貫いていた「生きることの苛酷さ」がここで救われた、というのとも違う、ある種の納得というか、心構えというか、一つ高い認識に至った気がする。監督のスタイルが一番素直に感銘に至った作品でした。
[映画館(字幕)] 9点(2013-01-06 10:11:56)
3.  遥か群衆を離れて(1967)
ポランスキーの『テス』に心ふるわせた人間なんで、同じトマス・ハーディ原作、同じ堂々とした上映時間ってのに期待して見たら、ただ長いだけだった。原作知らないんで、罪がハーディにあるのか脚本にあるのか分からないけど、登場する人物がキチンと像を結んでくれない。とりわけヒロイン、パキパキしたはりきり娘かと思うと、アレーッと淑女のように気絶したり、隣人にバレンタインカード送るいたずらしといて、でも言い寄られると「困るわ」って言う無責任ぶり、そのことを映画は非難しているようにも見えない。してたのかな。偶然の皮肉がこの世を動かしていくってのが「テス」の根本思想だったが、出世作らしい本作でも、このいたずらや結婚式場間違えたりが、ドラマを動かしていた。そこらへんハーディのドラマとして筋は通っている。女中ファニーの物語は「テス」の原形のようでもある。T・スタンプが「テス」のアレックだ。ちゃらんぽらん男とクソ真面目男に挟まれたヒロインの物語として、本作は『テス』と同じ構造になっている。ただテスでは男によって女が不幸にされたが、こっちは女が周囲の男に不幸を撒き散らしていた。これが映画化された60年代ってのは女性の地位向上が叫ばれており、原作読まずに勝手に想像するのだが、ストーリーの「小娘が農場主をやる」って部分を拡大して脚色しイビツになったのではないか。浜辺の祭の場なんかは面白かった。それにしてもこの題名は何を言ってるんだ?
[CS・衛星(字幕)] 5点(2012-12-19 10:23:31)
4.  拝啓天皇陛下様
日本の戦争映画では学徒兵などインテリを主人公にしているのが多く、いかに彼らが古参兵にいじめられたかを繰り返し描いてきた。そもそも兵隊の記録がインテリによって綴られてきたせいで、軍隊の大半を占めていた農民あがりの兵の視点が弱く、もっぱら悪役として扱われるパターンが出来てしまっていた。本作はその偏向を是正する作品。元学生にとってはキツかった軍隊生活も、食うや食わずの元農民にとっては極楽だったという視点、イデオロギーではなく極楽の采配者としての天皇への帰依。そういう視点の新鮮さはいいのだが、それが十分に生かされていたかどうか。エピソードに分解されたあれこれはあまり新鮮でなく、インテリの記録とさして違わなかった気もする。けっきょく記録を採ったのはインテリの作家の語り手によるわけで、そこらへん仕方なかったのか。こういう視点からもっと戦争を深くえぐれる映画が生まれた可能性もあっただろう(極楽の軍隊に馴染みすぎたせいで、戦後の日常に不適応になってしまうあたり、もっと突っ込めなかったかな)。渥美清と藤山寛美という東西の天才喜劇役者を揃えたのに、なんかもったいない使い方をしている(あの授業のエピソードはいいんだけど、この顔合わせで期待させるものとは違うんじゃないか、という気分)。嬉しいのは当時の映画を回顧するシークエンス、水中撮影でやっているのが『与太者と海水浴』。これは高峰秀子が男の子を演じたうち残っている数少ない一本。豚を追いかけているのが『子宝騒動』。斎藤寅次郎のサイレントコメディの水準の高さを現在に伝える貴重な作品。二本ともフィルムは揃って残っているので、機会があれば御覧になれます。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2012-09-10 09:52:28)
5.  パリで一緒に
オリジナルはデュヴィヴィエの映画だそうで、私は未見。デュヴィヴィエよりクレールって感じがしたが、ともかくいかにもフランス映画のエスプリは感じられ、それをうまくアメリカ映画のユーモアに変換すればいいわけだったんだろうが、なんかうまくいってない。この設定を本気で生かそうとしてない。想像の中の「エッフェル塔を盗んだ女」のタイトルのあたりなんかは、結構、いや相当ワクワクした。ちゃんとタイトルがそれらしく出ていき、シナトラ歌う主題歌が流れ、オスカー獲ったら「影の功労者」たちの名を挙げよう、と脚本家の妄想が広がっていくあたり、とても楽しい。しかしその映画の展開がギクシャクし、もちろん「なかなか書けない」という話なんだからその方向はいいんだけど、この『パリで一緒に』という映画そのものがギクシャクしていってしまった。大スターたちを使ってオワライ映画でいいんだろうか、ってな踏ん切り切れない姿勢が、いろんなジャンルを渡っていくだけの安易な展開にし、かえって笑いの水準を下げてしまったということはないか。T・カーチスの「チョイ役」役なんかはかなりおかしいんだけど。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-08-04 09:54:32)
6.  博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか 《ネタバレ》 
これはキューブリックの最後の白黒映画で、その後カラーの世界でも美しさを極めていくが、光と影の洗練は本作が頂点だろう。とりわけ将軍がらみのシーンで、狂っていく男をとりまく環境の冷ややかさが素晴らしい。暗がりよりも光(おもに蛍光灯)が冷ややかなのが特徴。カラーの世界でも狂っていく男や狂っていくコンピューターを光のもとに描いていくが、白黒の本作が一番ひんやり感じる。外では基地での攻防が、実際の戦闘のドキュメントのような迫真で展開していて、ならばこっちは熱いのかと言うと、車両が燃え上がっているにもかかわらず、トップの狂気が原因の同士撃ちという理由をこちらが知っているせいか、冷笑とまでは言わないがどこか冷めた気持ちで見てしまっている。作戦会議室がひんやりする広さを持っているし、爆撃機の外にはロシアの寒冷地の光景が飛び過ぎていく。この冷たさが畳み込まれた結果、高熱の爆弾が炸裂し続けるのだが、このまぶしい光景すら蛍光灯の光のように冷えびえと迫ってくるのは、自分が地下シェルターに逃げ込める側の人間ではなく、間違いなく取り残される側の人間だからだ。ストレンジラヴ博士にナチの影を与えているのが、話を狭くしているようで昔は不満だったが、ナチの選民思想が当時の核保有国に受け継がれている、ということを言いたかったんだろう。それがこの長い題名の意味するところでもあった。この副題の構文は現在でも有効だな。ちょっと変えて「日本人は如何にして心配するのを止めて原子力を愛するようになったか」と綴れば、深く考えずただ流されていったこの国の戦後史になる。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-05-29 09:48:15)(良:1票)
7.  パリところどころ 《ネタバレ》 
1。サン=ドニ街。おどおどした青年と堂々とした娼婦との空間。見つめる先祖(父?)の肖像。ピーター・ローレの感じ。真正面から撮る食事(スパゲッティ)のシーンが特徴的。2。北駅。長回しの試み。途中エレベーターの闇でつないでたけど。朝の支度と並行する夫婦喧嘩。謎のなくなった夫に対して、行きずりの男は謎だらけ。3。サンジェルマン。アメリカ娘と、メキシコ大使の息子を名乗る男と、ホンモノとのうつろい。メキシコに去ったはずの男が…というお笑いつき。4。エトワール広場。これが一番面白かった。まず広場の解説から始まって、やたら車道を渡らなければならない仕組み。そして主人公の出勤が一通り描かれて、これが大事。そして運命の日。列車の中で靴を踏まれてからリズムが狂う。変人に絡まれて傘で倒してしまう。ずれると常に赤信号になっている歩道を渡っての出勤となり、そして…と、彼の小心ぶりをメデる話になっていく。弱点を肯定する精神と言うか、いかにもフランスなコント。切り口を楽しめる。最後、傘が女性と絡まって紳士的に挨拶するエンディングまで粋である。5。モンパルナス。二人の鉄板をばんばん叩く男に速達を間違えて出したと思った女の悲劇。これもコント。かえって彼女の正直さが浮かぶ趣向。中断される叙情的なメロディ。6。ラ=ミュエット。耳栓を詰めて家庭内の音が消える少年の世界。猫をかわいがっているような、いじめているような。母が階段落ちても気がつかないって話。どれも社会規模に拡大しない小さな世界をスケッチしてきれいにまとめている。フランス的ってそういうことなんだな。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-12 10:24:30)
8.  反逆児(1961) 《ネタバレ》 
ヤマトタケルや義経にも通じる「一族に使い捨てにされるりりしい若者」という日本古来の悲劇の伝統、と錦ちゃん側から見ると古典劇的な設定なんだが、ドラマの展開の軸はどちらかというと女たちの心理ドラマで、だから杉村春子・岩崎加根子ら新劇俳優のほうが生き生き演じている。だいたい「忠臣蔵」でも、大石は旧劇系、吉良は新劇系という配役になるもので、複雑な心理を演じるとなると新劇系に託される。だからこれは時代劇ではあるけれど新劇なので、するとラストの介錯の刀がためらうあたりの大時代な演出はシッカリ浮いてしまう。いっそ女のドラマと割り切った作りにしてしまえばスッキリしただろう(ま、ポスターのトップは錦之助でなければならなかったんだろうが)。杉村・岩崎に加えて桜町弘子も、あの時代の「コマとして使われる女の悲劇」を演じていた。グレートマザーに滅ぼされていく若者を「反逆児」とわざわざ持ち上げなくても良かろう。このタイトルは「反逆児になれなかった坊ちゃんの悲劇」の略なのか。錦ちゃんて、悲憤慷慨する場面で歯を剥くといつも笑ってるように見えるので昔は戸惑ったが、慣れてくるとその笑ったような怒ったような不思議な表情が「なるほど、屈折した悲憤慷慨なんだなあ」と味わえるようになったものだ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2011-05-18 12:14:35)(良:1票)
9.  パルチザン前史
これが公開されたときは、上映が終わった公会堂の出口で公安が観客の顔を一人一人写してた、って話を聞いてたので、私が観たのはもう全共闘運動などとっくに終わった時期だったにもかかわらず、いささか緊張した。場所も「不動産会館」という聞いたこともない建物の地下の狭い一室で、なにか非合法の集会に参加しているようなトキメキを覚えた(「ぴあ」の自主上映の欄に堂々と載ってたのを見て来たんだけど)。そういう環境で火炎瓶の作り方なんか見てると、ちょっと「それらしい」気分になってくる。ナレーションはなく、必要最小限の字幕ですます。質問しそれに答えるという形式のインタビューがなく、自由に仲間うちの会話と同じ調子でしゃべらせる。あらたまらせない。演説はよく聞き取れないし、仲間うちの会話も聞き取れないことが多く、言葉はこの映画ではいっさい無視していいだろう。言葉の内容よりも、その語り口を映画は記録していく。ヘリコプターの音や、夜に聞こえてくるパイプの中を流れる水の音、機動隊の楯のカチャカチャいう音などと同列の、声も音としての記録素材。言葉の勢いに逆に振り回されているようなその空回りぶり、あるいはしゃべっては中断しを繰り返すその逡巡ぶり。路上での解放区設営が一つのヤマ場で、野次馬的興奮に駆られるが、中立に撮ろうとしている報道陣をも撮ってしまう視線がいい。ドラム缶相手の武闘訓練のときの、照れ笑いしている顔も撮っている。当時は極左映画というレッテルで観られた作品だが、おそらく現在でも記録としての価値はかなり高いだろうし、映像の緊張は素晴らしい。描かれる対象である京大全共闘の滝田修は、やたら「明確な」という言葉を繰り返し、軽薄なものをこれ観たときも感じたものだが、小熊英二の「1968」によると、当時「ガスを爆発させたら普通の人も死にます、しゃーないやないかそんなもん」などと無責任に威勢のいい発言をしていたが、のちに出版した「滝田修解体」では「過激な言辞でエエカッコしたかった」と簡単に自己批判している情けない男なのであった。フィルムはその軽薄さまでキッチリ記録していたわけだ。(と、あの時代の主役の一人永田洋子死亡のニュースの直後に本レビューを記すのも感慨無量である。)
[映画館(邦画)] 8点(2011-02-08 09:21:10)
10.  春の夢(1960) 《ネタバレ》 
ちょっとまず物語の設定を聞いてください。「焼き芋屋の笠智衆が豪邸でイモ買ってもらったかわりに、女中の十朱幸代にソファを動かす手伝いをさせられ、そこで脳溢血で倒れる。応接間の真ん中で一週間絶対安静と医者の佐野周二は言う。おりしもこの宅の主、小沢栄太郎の毛はえ薬会社はストに突入し慌ただしく、禿げ頭の重役やガードマンのやくざが出入りし、外ではデモのシュプレヒコールが渦巻いている。一方、金を腹巻きに溜め込んでいるという噂の笠の看病をしようと彼の隣人の貧乏人たちが大挙押しかけ、家の娘岡田茉莉子は貧乏画家との駆け落ちの準備中、息子川津祐介は哲学青年でたえずブツブツ呟きながら半ズボンで家の中を徘徊している…」。どうです、面白そうでしょ。ほんと、この人のコメディはいいなあ。これだけ豪華なキャストで正月映画用の軽いコメディを製作できた黄金時代がうらやましい。久我美子にオールドミスの三枚目をやらせるなんて。舞台は豪邸内に限ってるけど、金持ちばかりを笑うのではなく、倒れたじいさんにたかる貧乏人も笑ってる。東山千栄子の部屋で笠智衆が倒れるなんて『東京物語』をひっくり返したパロディみたいだけど、たぶん話の骨格に「桜の園」を意識したので、東山の起用となったのでしょう。喜劇作家木下を代表できる一本だと思う。部屋の隅にポッとピンクや緑のライトが入るのは、次の『笛吹川』につながっていく試みか。
[映画館(邦画)] 8点(2008-09-06 12:20:09)
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