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やましんの巻さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 731
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自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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1.  ヒア アフター 《ネタバレ》 
思えば、イーストウッドが監督した西部劇は、常に「地獄」を描出するものだった。『荒野のストレンジャー』で、主人公の幽霊ガンマンが街を真っ赤に塗り“HELL(地獄)”と名づけて以来、彼自身が演じるガンマンは“一度死んだ者”として復讐すべき相手の前に現れ、この世界は地獄に他ならないことを体現してきたのだった。・・・そして1990年代半ば以降のイーストウッド作品は、そんな「地獄」を、現代劇のなかにも描き出す試みだったのではあるまいか。そこでは、そういった「地獄」を主人公たちが受け入れることでしか“救済”などありえない(でもそれは、もっと深い“絶望”を意味するのだ)。そんな苛酷な、あまりにも苛酷な〈叙事詩〉的作品こそが「イーストウッド映画」なのだった。  だが、この本作において、たぶんはじめてイーストウッドは「天国」について語ろうとした。それは、実際に“天国の光景[ヴィジョン]”が描かれたから、というだけじゃない。確かにマット・デイモン演じる霊媒の才能をもった男も、フランス人の女性ジャーナリストも「来世」を“見た”し、それをぼくたち観客も“目撃”した。しかしイーストウッドは、ここでそれを決して「天国」だと言ってはいない(あのモノクローム風に描かれた「来世」は、むしろ「冥府」のようではないか)。  ・・・この映画に登場する、3人の一度“死んだ”者たち。その体験ゆえに彼らは、それぞれ「死の意味」を求める苛酷な日々を送ることになってしまう。この世にありながら「来世[ヒアアフター]」を追い求め、あるいは逃れようとする彼らにとって、もはやこの世界こそが「地獄」に他ならない。  だが、それぞれ長い“「地獄」巡り”を経て、3人は運命的(まさに「ディケンズ」の小説のように!)に巡り会う。その後で、映画は“2つの抱擁”を描くだろう。ひとつはとある施設の殺風景な1室で、もうひとつは何でもない雑踏のなかでの抱擁。しかも雑踏でのそれは、男がはじめて「来世」とは別に“見た”「この世」のヴィジョンなのである。  ・・・彼とフランス人のヒロインが(もうひとりの主人公である少年の、天使[キューピッド]的な計らいによって)出会い交わす、抱擁とキス。その“幻視”の後、ふたりは雑踏のカフェに席をとり、親しげに語らう。このラストシーンこそ、イーストウッドがはじめて描いた「天国」だ。その何という穏やかさと、美しさ。
[映画館(字幕)] 10点(2011-02-22 17:57:45)(良:4票)
2.  ビフォア・サンセット 《ネタバレ》 
映画の初めの方で、ほんの少しだけ前作『恋人までの距離《ディスタンス》』の映像が登場するところがある。そこには9年前のイーサン・ホークとジュリー・デルピーがいて、やはり若いというか、初々しい。その後、あらためて画面に現在のふたりが映し出される時、ぼくたち観客もまたある深い感慨にとらわれるだろう。「ああ、あれから本当に9年たったんだ…」と。  9年前に出会ったアメリカ人青年とフランス娘の、パリでの再会を描く本作。映画の中のふたりも、演じるイーサンとジュリーも、それぞれ9年という歳月を経てきたことを、この10秒にも満たない前作のインサートによって実感させる。それだけで、いとも鮮やかに虚構と現実それぞれに流れる“ふたつの時間”を重ねるのだ。あわせてこの作品は、85分という上映時間と物語の進行をシンクロさせるという“離れ業”を実現してみせる。今は作家となったイーサン・ホークがパリを発つまでの85分間を、映画はきっちり85分で描いてみせるんである!  …この「演じる役者/演じられる登場人物」、「映画の上映時間/映画の中の時間」という“現実と虚構”の境界線を曖昧化することで、そこには、「真実味(リアリティ)」という以上の「リアル」が実現されているだろう。イーサンとジュリーはただこの役を演じていうのじゃなく、この役を「生きている」という…。その上で、映画の中のふたりが「9年間」という《ディスタンス(距離)》を「85分間」で埋めることが出来るかどうか、観客もまた固唾を飲んで見守り続けることになる。それはどんなサスペンス・ドラマよりもハラハラさせられ、またどんな人間ドラマよりも人生の“真実(リアル)”に満ち、さらにどんなラブストーリーよりも“恋愛(あるいは、男と女)”そのものの核心を、ぼくたちに見せて(=教えて)くれるに違いない。  そして見終わった後に、ぼくたちはきっと確信する。イーサン・ホークとジュリー・デルピーのふたりは、間違いなく「映画史上最高のカップル」である、と。何故ならこのふたりは、この現実においても間違いなく「最高のカップル」に違いないのだから。…少なくともこの映画を見たアナタなら、その一点においてきっと誰もがそう思ったことでありましょう。  …でも、ジュリー・デルピーLOVEな小生にはツライ映画だったよぉ~。何でユマ・サーマンと別れたんだよぉ、イーサン・ホーク!(笑)
10点(2005-03-22 16:44:50)(良:1票)
3.  ピストルオペラ
鈴木清順カントクって、かつて映画会社の社長サンから「わけの分からん映画ばかり作られては困る」と言われ、クビになったツワモノです。その「わけの分からん」と言われた作品が、『殺しの烙印』。 で、この映画、その34年ぶりの“続編”というか、新バージョンなんだけど、これが前作に輪をかけて「わけの分からん」シロモノなんすよねぇ…。  お話しは、いたってシンプル。「組織(ギルド)」に所属するプロの殺し屋たちが、ナンバーワンの座を競って殺しあう…という、ただそれだけのもの。だのに、あれよあれよと、奇怪な映像とデタラメ極まりない展開によって、見る者はトロンプ・ルイユ(騙し絵)的な迷宮世界へと迷い込んでしまう。特に後半の、「世界恐怖博覧会」なる見世物小屋(?)で繰り広げられる、江角マキコ演じるナンバースリーの主人公とナンバーワンの対決なんざ、あまりのシュールさに相当の清順ファンですら頭を抱えるんじゃあるまいか…  正直ぼくも途方に暮れつつ、けれど、ここまで徹底しているといっそ“痛快”な気分にさせたれたものです。う~ん、これって、結局のところ、したり顔で自作の〈大正浪漫三部作〉を持ち上げた批評家や(ぼくのような)観客に対して、清順師がアッカンベ~をしてみせたものじゃないか。“ワシの境地にどこまでついてこれるかい?”というイヂワルだけど愛嬌たっぷりな師の、赤々とぬめった「舌」だけをぼくたちは見せられたんじゃあるまいか…  だから、「バカにするな!」と怒る向きも、ただ絶句する向きも、どちらも「正しい」見方でしょう。ともかく、ひとつ言えるのは、この映画の前にゴダールもデヴィッド・リンチも、「まだまだ“修業”が足りん」ということでしょう。まったく、その独創(=独走)ぶりには、0点か満点かで応えるしかありませぬ…  あ、そこのあなた、爺ィの「アッカンベ~」を見続ける覚悟と“寛容さ”がおありですかぃ?
10点(2004-07-16 16:13:30)(良:3票)
4.  ピーター・パン(2003)
この手の映画にあれこれ理屈をコネるなど、野暮って言われそうなんで、代わりに「10点」満点を献上して、ぼくがこの映画から受けた感銘に応えたいと思います。何なら、「今年のベスト作品(のひとつ)」と言い切ってもいい。ビジュアル面では明らかにディズニーのアニメ作品に追従しているかもしれないけれど、この映画には、いかにもディズニー的な「アメリカン・」ヒーロー然としたピーターはいない。永遠に「子どものまま」でいるとは、「時のとまった者」のことであり、それは「死んだ者」のことだ。そして、ネバーランドとはまさしく「黄泉の国」にほかならない…という、深い、深い、深い悲哀の感情と感傷こそを、ぼくは本作から受けとめる。そう、12歳で死んだ子どもは、永遠に12歳のまま彼を知る者の心の中で“生き”続ける。それが、ピーター・パンだ。その透明な孤独を、純粋な哀しみを、それゆえの愛しさを、ぼくはこの映画とともに共有し、慈しみたいと思う。…ピーター・パンが「死んだ子ども」だって? そんなこと原作にだってどこにも書いていないじゃないか! とおっしゃるだろうか。あまりにも強引なこじつけだと。…ならば、こう言い直させていただこう。この、一見するとただ可愛らしいファンタジーには、少なくともそういった、見る者の感情を揺さぶり、内省へと導き、切ないまでの感動で打ちのめすエモーションが満ち満ちていると。美しい、本当に、心から美しい映画だ。(…理屈はコネないと言いながら、長々とスミマセン。) 
10点(2004-05-06 17:38:55)(良:1票)
5.  光る女
別に、「オレはこの映画を分かってるんだ」みたいな、鼻持ちならないスノッブを気取るつもりはない。けれど、冒頭のゴミ捨て場での秋吉満ちる登場シーンから始まるこの壮大な”映像オペラ”に、ぼくはわけも分からないまま全身全霊で魅了され、すっかり恋してしまったのは本当だ。この映画の世界では、誰もが力の限り喜び、泣き、叫び、怒り、愛し、憎みあっている。そんな、すべてに過剰で非現実的な世界(というより、「舞台」そのもの)を、異様なまでの長回しで執拗に捉え続ける映像は、まさにエモーション(心の振幅、揺さぶられ)そのものとなって、見る者にガツンガツンとぶつかってくるかのようだ。…そう、この映画は、ぼくたち観客に文字通り”格闘(!)”を迫っている。力まかせにぶつかってくるストロングスタイルの本作を、真正面から受け止めようとする者だけが、あのラスト、ユートピア的田園風景の中で清々しく歌う満ちると武藤を祝福してやれるんだろう。…逃げちゃいけない!
10点(2003-11-14 18:32:38)(良:1票)
6.  ヒート
マイケル・マン監督の、というより、この種のジャンル映画中でもおそらく最高傑作のひとつ。矜持、友情、裏切り、仁義、哀愁、葛藤、悲劇的な愛、…そんな、「ギャング・暗黒街もの」のすべてがこの1本に最上のかたちで詰まっている。ここまでスタイリッシュで、男も、女も、ここまでカッコ良い映画もない。とにかく必見! と小生は確信しているんだけどなあ…。デ・ニーロがとにかく儲け役で、ヴァル・キルマーなんて、助演ながら本作こそが代表作だよなあ。3時間以上あるものの、全編に不思議な静けさとエモーションがみなぎっているので、アッと言う間。間違いなく「大人の映画」です。あえて差別的・セクハラ的言辞を弄するなら、「女・コドモ」にゃ見せてあげたくない!(あ、なんか削除されそうなアブナイ発言か…)
10点(2003-08-04 14:21:43)
7.  ピンク・フラミンゴ
この映画くらい好き・嫌いがハッキリするのも珍しいと思っていたんだけど、意外と高評価なのでビックリするやらうれしいやら。確かにパンクな”変態チック”作品ではあるものの、世の良識とやらに唾して、マイナーな「世間からつまはじきにされるような種類の人々」をこそ肯定するその姿勢は、ジョン・ウォーターズならではの「心意気」を感じさせてくれる。何か見終わってハッピーな気分になれる…なんて言うと、やっぱりマズイかな?
10点(2003-08-04 11:12:51)(良:1票)
8.  ヒア・マイ・ソング
まるで期待せずに何となく見て、それが大当たりだったときの喜び。映画ファンの至福とは、こういう時をいうんじゃないかな。そして、この映画こそそういった至福の作品ではないでしょうか。クライマックスのスラプスティックな大騒ぎも大好きだけど、伝説の歌手を探してアイルランドの田舎を主人公が右往左往するあたりの、不思議な詩情ときたらもう絶品! ピ-タ-・チェルソム監督、これ一発で生涯付いていこうと心にきめました。本当は10点満点でもいいんだけど、他のレビューでも連発してるんで、ここはグッとこらえて… 《追記》相当昔に書いたコメントだけど、我ながらなんで点数出し惜しみしているのかワカラン(笑)。もう随分と再見していないけれど、あまりの多幸感にナミダが出てきたほどだったあの時の心もちは、今も鮮明に憶えている。ネッド・ビーティ生涯のハマリ役と、デイヴィッド・マッカラムの晩年の雄姿と、タラ・フィッツジェラルド嬢のキュートさ(と、惜しげもなく披露してくれたオッパイの記憶)ともども、あらためて満点献上です!
[映画館(字幕)] 10点(2003-05-30 17:15:40)
9.  ピンポン
意外にも賛否両論なんで、ビックリ! 全体的に、この映画は受け入れられ、評価されているんだろう…と、勝手に思い込んでいたので。映画見てから原作漫画を読んで、見事にハマリました。その後、映画のDVDを買って、やっぱり何度も見直してしまいました。つまり、どっちがというんじゃなく、どっちも好きなんです、ぼくは。何故? コミックも、映画も、「性」を介在させない、見事に少年期そのものの「清潔さ」を見事に、鮮やかに表出し得ていたから。高校生とはいっても、ペコもスマイルも、出会った頃の小学生時代からずっと彼らの”内なる時間”はとまったままだった。それがあらためて動き出すまでの「試練・葛藤」こそが、コミックの、そして映画のドラマの骨子だったのではないでしょうか。どちらも、そういった部分を、これ以上なくピュアに、古臭い”汗と泥と涙”の熱血スポーツもののパターンから程遠い「新しさ」で描いたものとして、ぼくは高く高く評価する者です。素ッ晴らしいじゃん、これ!
9点(2003-06-02 13:01:46)
10.  HERO(2002)
チャン・イーモウとしては、やはり先行するアン・リーへの対抗意識があったのか? それとも、チェン・カイコーに対して? …しかし、彼はウォン・カーウァイの『楽園の瑕』こそにもっと学ぶべきだったんじゃないか。あの、ほとんど失敗作すれすれのところで奇蹟のように「映画」を成立させた、カーウァイの最も野心的かつ真摯な凄みに比べ、イーモウの本作は(いつもの彼の作品同様)あまりにも破綻なく達者で、まとまりすぎている。もっとも、それこそがこの才人の魅力であり限界でもあるのだし、そういう意味では見事に観客の期待を裏切らない出来映えは、やはり評価しなくちゃなんないだろうなあ。とにかくマギー・チャンとトニー・レオンのふたりが、あまりにも素晴らしい! その分、ジェット・リーがワリを食っちゃったけど。
8点(2003-09-09 12:55:16)
11.  ピースメーカー
映画の後半、マンハッタンのど真ん中で爆破させるため核弾頭を持った男を、警察の狙撃手がビルの屋上から狙う。が、男の手前で、子どもを肩車した男がさえぎって発砲できない。その旨を無線で聞いたジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンは、同じように「早く撃て!」と叫ぶ。再び、ライフルの望遠スコープを覗く狙撃手。大写しになる子どもの笑顔…。本来が正義の側に入るはずのヒーローとヒロインが、一人の子どもの死を顧みることなく核弾頭の爆発を防ぐことのほうを選択する。つまり、彼らはここで「アメリカ」という”国家”の立場にあることを図らずもも暴露している。ここまで、シビアに「ヒーロー」の実態をさらけ出した(しかも「娯楽アクション大作」で!)アメリカ映画なんて、なかったのでは。結果、カタルシスのないほろ苦い後味が残ることとなったけれど、観客をバカにしている(というか、バカになるようしむけている?)映画ばかりが横行する昨今、こうした志の高い映画は、とても貴重だと思う。ぜひ見てください。
8点(2003-06-02 13:24:19)(良:1票)
12.  氷壁の女
おぼこ娘風のベッツィ・ブラントリーが、ハダカを見せる一瞬のシーンがあまりに強烈すぎて、作品全体の印象トンじゃってます。すみません。それでもあえてコメントさせていただいたのは、フレッド・ジンネマンへの敬意を込めて。この遺作は、結果的にこれまでの彼の重厚かつ野心がギラギラした鬱陶しい「名作」にはない、軽やかな叙情と、諦観、そして”若さ”へのアンビヴァレントな感情が、見る者の心に染み通っていくようでした。最後に美しい映画を残してくれて、巨匠ありがとう!
8点(2003-05-30 18:48:10)
13.  ピンクの豹
免許証なるものを1枚も持っていない(あ、教員免状は確か持ってます。…何の役にもたたんが)者を受け入れてくれた街の弱小レンタルビデオ店の片隅で、日に焼けて文字通りピンク色になったパッケージを発見。「うわぁ、昔テレビで見たよなぁ。懐かしい~」と早速借りて見ましたです。 で、あらためて知ったのは、この映画が決して「ピンク・パンサー」シリーズの第1作じゃないってことでした。だって、クル-ゾ-警部のキャラが、ここでは「自分じゃ有能で頭がいいと思っている単なる“オロカ者”」でしかない。あの、遂には上司を精神病院行きにさせた狂騒的かつ破壊的な“デタラメぶり”とは、まだ無縁なのだから。 代わりに、作品はかなりスマートで「オッシャレー」なソフィスティケイテッド・コメディをめざそうとしております。それは、キャストを見ても明らか。怪盗ファントム演じるデビッド・ニーブンとロバート・ワグナーの新旧二枚目コンビ、そこにクラウディア・カルデナーレの王女と怪盗一味のキャプシーヌという美女連が絡んで、クルーゾーは言わば時々物語を逸脱させ、活性化させる「トリックスター(道化)」的扱いなんですね。ほら、ブレイク・エドワ-ズ監督は『ティファニーで朝食を』でも、ミッキー・ルーニー扮する珍妙な「日本人」を登場させていたけど、あれと同じ手です。 そう思って見ると、お堅いカルデナーレの王女がシャンパンで酔っぱらった時の素晴らしくコケティッシュでチャーミングな姿といい、ニーブンとワグナーが金庫をはさんで堂々めぐりする、マルクス兄弟の『我が輩はカモである』を再現してみせたシーンといい、さすが才人エドワーズ! という感じで小生的には十分楽しめました。 さあ、ではクルーゾーがいよいよ「クルーゾーらしさ」を発揮した(らしい)次作『暗闇でドッキリ』を…と思ったら、ビデオがありませんでした。トホホ。
7点(2004-07-27 15:05:11)
14.  ビフォア・ザ・レイン
この題材でこんな描き方なら、国際映画祭で賞はいただき。…そんな思惑が画面から透けて見える。確かに力のある映画作家だとは思うけど、こういう「野心作」は好きになれない。こんな見方こそが偏見でしょうか…。
5点(2003-08-23 19:23:06)
15.  ヒマラヤ杉に降る雪
う~ん、失敗作だと思います。でも、ぼくはこの映画がたぶんとっても好きなんだと思います。あのめくるめく回想シーンの美しさと、その中で描かれる日系人少女と白人少年の初恋の瑞々しさだけで、十分。だのに、あの裁判をめぐるメインストーリーが、すべてを台無しにしている…。監督の資質に、ああいう散文的な部分が本質的に合っていなかった。たぶんそういうことなんでしょう。でも、くり返すけれど、ぼくはこの映画を否定しきれない。鈴木杏もカワユイかったですしね…
4点(2003-05-30 18:11:35)
16.  病院で死ぬということ
人間の死を、徹底的に引いた画面で淡々と見つめていくんだけど、その”引いた映像”にこそ逆に作為がプンプン臭う。時折挟み込まれる何気ない日常風景も、諦観というんじゃない、死に対してはこういった”何気ない生の風景”こそがふさわしかろうと、それが死にゆく者にとってどれだけ残酷なものであるかに無自覚な、生臭さが鼻につくばかりだ。市川準という監督は、本来極めて悪どく「野心的」な人なんだろう。わずかに取り柄(?)と言えば、どんなに良心的な医療現場であろうと、そこで「死ぬということ」とはどこまでも非人間的かつ非日常的であるということを、(映画の意図とは反対に)実感させてくれることだろうか。何だよ、この映画。
3点(2003-09-16 14:33:36)
17.  ヒューマンネイチュア
チャーリー・カウフマンの脚本が持っていたウィットが、たんなるイヤミなドタバタになっちまってる…。『マルコヴィッチの穴』との差は、所詮カントクの才能の違いってワケかあ。残念! それに、パトリシア・アークェットが、何故か乳首を出し惜しみ(?)していることが、もっともっと残念!! 猿オンナの役のくせに、だったら引き受けるなっつーの。
3点(2003-05-30 18:34:39)
18.  ピーター・グリーナウェイの枕草子
いやあ、日本を舞台にした外国映画って珍妙なシロモノがほとんどだけど、これまたあまりに珍味すぎて、お腹こわしそうになります。とにかく、日本と香港がほとんど同一視されているのには、無理解以前に監督の英国的な植民地主義が露骨ですなあ。超インテリなはずのグリーナウェイのこと、あえてこんな「頭の悪いこと」をやってのけたサタイアかとも思うけど、しかし映画は変にマジだし…。これでも欧米じゃあまともな「芸術作品」として扱われちまうんでしょうか? あ、でも今をときめくユアン・マクレガーのフリチン・ヌードがやたら登場しますよ…日本版じゃボカシ入ってますが。本当は「7、8点くらいかな」と、グリーナウェイ好きとしては思いたいんだけど、そうじゃない方々にはどうせ圧倒的不評だろうから、せめてあまりのモンドぶりに「大笑い」していただきたいのでこの点ということで…
1点(2003-09-16 14:46:17)
081.09%
140.55%
250.68%
3202.74%
4253.42%
5598.07%
67810.67%
79212.59%
817123.39%
98411.49%
1018525.31%

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