1. ファーゴ
《ネタバレ》 ファーゴを観るためには滑稽な残酷さに身を委ねるだけでは実は足りない。天才コーエン兄弟は驚くべき映画を作り出した。場当たり的な誘拐とそれをとりまく人々の滑稽な残酷さに満ちているのはご承知のとおりである。唯一実直で堅実な夫婦愛を湛えているのは保安官マクドーマンド(とその夫君)だが、一見もっともまともな存在と思われがちな彼女は妊婦刑事という一点において非存在=フェイクの象徴でもある。だいいちマクドーマンドのみごとな表情からは捜査官らしさのみじんも見られないではないか。取ってつけたような小市民的な夫婦愛に祝福されるラストは観客へのサービスで夫婦愛を見せたのではない。なぜミミズの大写しをことさら夫婦の昼食シーンに挿入しなければならなかったか。なぜ3セントの切手を(わざとらしくも)幸福のシンボルにしなければならなかったか。なぜ不味そうなブッフェランチをかくも大量に食べさせなければならなかったか。みなさんは、今、夫君の顔を思い出せるであろうか。少なくとも私は覚えていない。この映画で扱っている人物や出来事は濃淡の差こそあれおよそフェイクであり、彼女(とその夫君こそ)フェイクの横綱としての扱いを受けているわけだ。ちぐはぐな誘拐劇は観客にとっては一義的なレベルでのフェイクであり、ブシューミやメイシーは誘拐を通じて小心な小悪党のフェイクを演ずるのだし、話の展開もピンボケでつまりはこのお話全体がフェイク(ニセモノ)という入れ子構造になっている。ご丁寧にも「実話」なる違反すれすれの看板がもう一回りフェイクを補強してもいる。ハリウッドの伝統的な犯罪コメディの文法をフェイクにして、映画(産業)そのものまで嗤おうというこの作家たちの気概は恐ろしいほど崇高だ。蛇足を承知で言えば、当然のことながら実存としての「社会」などありえないというのはいいとして、ではフェイクでないものとはなにかという問いに、この映画は言葉やストーリーを介さず明確に回答していることに気がつけば、天才たちの恐るべき映画への愛が東洋的ともいえる深い人間肯定に根ざしていることを悟らされるのだ。 [DVD(字幕)] 10点(2006-06-22 10:30:48) |