1. ヤング@ハート
《ネタバレ》 これはすごいです。 誰もが一度見ていただきたい、何かとてつもないすごいものがあるのです。 決してNHKのご長寿番組と似たようなものを想像してはいけません。 誤解を恐れずに言いますと、一見、「ドリフのコント」にぴったりの素材が満載なわけです。 シリアスな病気の話題が日常会話の間にフツーに語られ、メンバーは次々に倒れ入院、相次ぐ病死、しかもポスターのド真ん中に写っているジョーがコンサートの前に亡くなるというついつい笑ってしまう状況。「ショーの間に私が倒れたら、幕袖に引っ張って隠してそのまま続けて。1人減っただけよ。」という女性、酸素ボンベ持参で登場するフレッド。 もうもう、コントネタがあふれるその世界。これがドリフでなくてなんなのでしょう…。 が、ここには笑えるネタと、「老い」「死」という人間の真実が混在しているのです。それが非常にシュールであって、なんともいえない味をかもしだす。ゆえにこの作品からは誰も逃げられない。彼らは、「死」ととても近いところで生きている。死んでしまってショーに出られなかったメンバーも、生きて出演して歌ったメンバーも、実はそんなに距離が遠くない。彼らにとって「死者」は遠くにいる存在じゃない。かなりの確率で、それは自分だったかもしれないのだから。とてもシュールです。ドキュメンタリーであるという「強み」が最も効果的に発揮される作品です。 観客が彼らを喜ぶのは「超高齢なのに」ノリのいい曲を迫力で歌うからです。「超高齢なのに」が欠ければ、たいした話題にもならず、おそらくプロを諦めてこの道を選んだであろうプロデューサーのボブはそのことがよくわかっています。 そして「超高齢」に「エンタテインメント精神」や「プロ魂」が加わったとき、彼らはすべての人を説得してしまう。刑務所の囚人も、ノルウェー国王も。 なぜなら彼らは儚いからです。儚いものは貴重で美しいのです。儚いものには誰も逆らえない魅力があるのです。 あなたも私と同じように、ぜひフレッドの「FIX YOU」で泣いてください。それは人間としてとても正しいことですから。 すばらしいです。技巧にも優れユーモアもあり心もこもっているという稀なドキュメンタリーです。 [CS・衛星(字幕)] 10点(2010-04-30 21:15:43)(良:1票) |
2. 厄介な男…からっぽな世界の生き方
《ネタバレ》 なんといっても見どころは、淡々として色彩にとぼしいあっちの世界に突如として挿入されるグロシーンです。非日常は日常のあいだに提供されてこそ光るのであり、そのバランスが重要なのだとあらためて悟ります。こういう手法で、似たようなのは確か「スリープレス」というのを思い出す。 私たちは死んだらどうなるのでしょう。もしかすると、このボーダーサムマンの世界に行くのかもしれない。この世界観はとても説得力があります。また、ひょっとしてこの世界は自殺者だけが行くところなのかもしれない、という疑惑もあります。子供がいませんし。 誰もが自分の欲求だけを満たして満足して暮らしているこの街は、自殺者が行くところだとしてもおかしくない。そして、現世に絶望した人が来るところだから、誰も「再生」への希望を持っていないのです。たぶん。 けれど、アンドレアはそうそう絶望して自殺したわけではなくふとした気の迷いであったので、「生の音や匂い」を嗅ぎつけ、再生への道を辿るのです。ラスト近くのバスの貨物室シーンは、そのまんま「誕生」のプロセスであり(ヘソの尾を模したチューブさえある)、「誕生」は「苦痛」であると言っているのです。 そしてアンドレアはまた誰かの赤ん坊として生まれたのです。ということは、私たちは生まれた後はすっかり忘れているけれど、「快適安楽」を捨てても再生したいという自らの意思によって生まれてきたのだということになります。ならば、自殺などすることは、あの時の自分を裏切ることになりますね。…私たちが死んだ後はどうなるのでしょうか。この映画は人類共通の問いへの答えの一種ともいえる。 さてあなたや私があの世界に行ったならば、果たしてアンドレアのように〝戻ってくる〟気になるでしょうか。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-06-06 16:07:25) |
3. ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密
《ネタバレ》 大好きなサンドラと、「エクソシスト」から好きなエレン・バースティン、この2人が画面に映っているだけで、幸せな気分になる。それだけでなく、シッダの子役の子がすばらしい。 そして、アシュレイ・ジャッドがエレン・バースティンの若いころを演じたというのが…絶妙な感じがした。顔の雰囲気が似ているのだ。これまでアシュレイについては、個人的な評価は「微妙」だったが、家出後のホテルでの孤独なシーンなど、「アシュレイ・ジャッドって、こういう演技もできるんだ」と思った。 ストーリーについて。アメリカ南部の女性たちの話である。先日読んだ「性と暴力のアメリカ」によると、昔からアメリカでは、既婚の女性どうしが精神的に深い絆で結びつき、男性社会であるアメリカを生きぬく支えとなってきた伝統があるという。「ヤァヤァ」は、まさにそれをあらわしているようだ。 さてこの話の中で、女性たちに対して強烈な支配力を示す男性はただ一人、ヴィヴィの父親だけ。彼は自分の娘にセクハラ言動を行い、高価な指輪を与える。でもそれは、ヴィヴィの言うように本当に「パパとは何もしてない」のにもらったものなのか?ヴィヴィの母親は、夫と娘の関係を邪推するほど「妄想幻覚」に囚われていたのだろうか? 作品の中では確たる証言はなかったけれど、前後の事情からすると、ヴィヴィと父親はなんらかの性的関係があった、ということだろう。「高価すぎる指輪」は、「もうすぐ結婚する娘に対する謝罪と口止め」の意味だ。でなければ、その後のヴィヴィの「心の病」に説明がつかない。婚約者が戦死したため、気に染まない男性と結婚した、だから人生に不満だった、というだけでは、ヴィヴィの「ご乱心」に説得力が生まれない。作品の中で語られないけれど、これは父親に性的虐待を受けた過去を持つ、という前提でヴィヴィの「乱心」を見るべきだと思う。 そんなヴィヴィは、懺悔したように本当は「有名になりたかった」女性、なのである。夫が成功すれば自分も幸福感を得られる、というタイプではなく、「自分が」社会的に成功したかった、野心ある女性だった。 これはヴィヴィという女性にとって、自分があきらめたものを娘が手に入れたことを許し、受け入れるまでのプロセスの物語だ。 シッダの弟妹が全く話に絡んでこないことが少々不自然だったが、「ヴィヴィ」の立場の女性にも、「娘」の立場の女性にも、見てほしい一作だ。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2007-11-02 20:20:27)(良:1票) |
4. やわらかい生活
《ネタバレ》 なぜ2名の方のレビューしかないのであろう。 さて、この映画の最も有益な鑑賞法を説明します。それは、ブスではなくても美人とはいえない女が、ウルトラかっこいい男に散々に奉仕させる様子を、自分に置き換えて満足感を味わうのです。(でもこれは、Mの方には向かないかも。) そういう意味で、優子役が寺島というのは、必然であった(決して美人であってはならない)。祥一役がトヨエツというのも、絶対条件であった。(見てるうちに、及川光博でもいいような気もしてきた。彼も40に近いし。でも演技力が足りないか。) 私は別にトヨエツのファンではないがー、本作では本当に彼を褒め称えるしかない。トヨエツってきっと役者バカなんだろう。 顔面が端正で、身長も高くスタイルも良い場合、暗めの2の線を演じるというのは、なんの驚きも与えない。流れる方に流れた、というだけだ。「LOFT」でもトヨエツの使い方はまさしくそれだった。なんの面白みもない。 本作では、トヨエツの魅力が余すところなく大爆発だ。 頭カラッポな地方のボンボンで九州弁をしゃべるトヨエツ。寺島の頭を洗ってやるトヨエツ。濡れた床を掃除するトヨエツ。寺島におかゆをよそってやるトヨエツ。腰に手を当ててトマトジュースを飲むトヨエツ。…こんなものが見られるとは思わなかった。非常に眼福な気がする。 これだこれだったんだよなー、「かっこよすぎる」男性の魅力の引き出し方って。 原作者が女性というだけで、監督も脚本も男性であるのに、トヨエツのかっこよさがあまりにもうまく引き出されているところを見ると、監督にはそっちの気もあるのでは、という気もする。べつにいいけど。 「お姫様抱っこ」といえばトヨエツ、ということになってしまったなあ。身長180cm以上の男優さんでないと、キマらないし。「LOFT」では中谷美紀を、安達祐実を、本作では寺島を。 私が今までトヨエツを無視してきたのは、「面白くない」「つまらない」が原因だったことに気付いた。考えてみれば、「面白い顔で面白いことを言う」よりも「端正な顔で面白いことを言う」方がいいに決まっているではないか。…とにかくこの映画はトヨエツ。しかし、純日本人であろうに、なんであんな日本人離れした体型なのかなあ。(内容のことが全然書けなくなっちゃった。) [DVD(邦画)] 9点(2007-06-17 20:05:24)(良:2票) |
5. 山猫は眠らない2 狙撃手の掟
久々に見直してみました。前作の質に及ばなかったとかそういうことはもう置いといて、「トムベレンジャー」の「目」に対する考察と行きたい。さて、トムベレンジャーはなぜこんなに他の男優さんに比べてスクリーンの中で存在感があるのでしょう。それはなにより「目技」にある。トムはまぎれもないハンサムなのであるが(シュテフィグラフに瓜二つだけど)、白人の美男俳優としては、「ちょっと目が小さい」のである。(リチャードギアはどうなんだ、という話だが、彼の場合は「目」としてはもはや機能しておらず、単なる「黒い線」であって、白目が皆無であるためどこを見ているかも不明。悩んでいても微笑しているような「目」を演出)そして、「黒目」の部分は他の人と変わらない大きさなので、「ブルー」の虹彩部分との差が小さくなる。ブルーの部分が大きいほど「猫目」に近づく。→「ガラス玉」のように冷たい印象。トムの場合→「黒目」が生きる。他の「目がパカッと大きい俳優」さんと同じことをしていたのではダメだということで、工夫と努力の結果、トムは「横目」の多用、という技を編み出した。真正面を見ている時間を少なくし、「横目」により表情を出すことにしたのである。また、「瞳の上下に白目部分の隙間をなるべく作らない」ようにすることにより(これは目がデカくないからこそ可能)、「驚いた」り「無防備」な印象を排除し、クールさを演出。そしてこれを、「眉毛を動かさずすばやく瞳の部分だけを左右に移動させる」と組み合わせ、画面のどの位置に居ても観客はトムに釘付け、という状態を生み出した。「黒目」を生かし「横目」を多用。イタリア系男優の「落っこちそうなタレ目」の下品さにくらべてこの抑制美。日本人の好みに合っている。「普通に目がデカい白人俳優が真正面を向いてパカッと目を開けてる」の逆の発想による、「そんなに目がデカくない」トムの目技、芸術品であります、ご堪能あれ。 [DVD(字幕)] 7点(2006-01-14 13:13:16)(良:1票) |
6. 山猫は眠らない3 決別の照準
《ネタバレ》 実はトムベレンジャーは私の元彼なんだけど、昔は「本当に」カッコよかったのよー。(前半大嘘)と言いたくなるくらい「背信の日々」から惚れていたトム。白人の俳優さんの中ではダントツに好きな「私のトム」なのに。この2~3年の間に何がどうなって急に「太ったおじいさん」になってしまったの。超びっくり。心臓に悪いからやめてよ。 しかも最悪な出腹系の太り方で、シャツの前部分が持ちあがってるという、運動不足が見え見え。もはや階段を登るのも大儀そうで、「ここはスタントまちがいなし」な場面さえ出現。昔の恋人がこんなになってしまった様子を見るのは本当につらい。あまりにつらいので、「山猫1」を見て気を取り直そうと決心した。しかし男子の皆さんて、本当に見た目のことに言及しないよねー。品というものか。誰も言わないなら私が代わって言いまくりましょう。ところで「山猫」の監督にゲイを使うってのはどうなのよ。ありなの? [DVD(字幕)] 6点(2005-12-29 22:06:14) |