1. 酔いどれ詩人になるまえに
《ネタバレ》 運よくブコウスキーのドキュメンタリーと続けて見ることができたために、作り手の意図もよくわかったし、ディロンが良く勉強して役作りしたこともわかった。 ブコウスキーオールドパンクとセットで見て初めて良さを感じる作品ですたぶん。 とにかく似ている!ディロンが似ています。肩をすくめたような姿勢といい、穏やかで人を食った物言いといい。 この映画だけを見ると、「ここに至るまでのブコウスキー」と「この先長い人生を生きたブコウスキー」が無いために、社会不適応者でアル中の30男の日常、というだけなのであんまり面白くはない。 が、「6歳から11歳まで父親にムチで殴られた少年」が、「天才詩人としてカルト的人気を集めて74歳で白血病で死ぬことになる」までの「中間」の風景をそのまま切り取ったものであるとして見てみて初めて価値を持つのだと思う。被虐待児の成長後の姿ともいえるし、また天才の不遇時代の姿でもある。その意味では映画としては未完成、ブコウスキーファンにしか消費されない…ともいえる。 「まだ何者にもなっていない時代のある男性」として見ることで、ブコウスキー本人が言っていたように「種火を消さないことこそが重要」という人生訓として見ることができなくもないが(本人は成功訓とか人生訓とか垂れるわけはないが)。実際、滅茶苦茶な生活をしていてもチナスキーが作品を出版社に送り続ける(ポストに入れる)場面は一貫して挿入されている。 さて現実のブコウスキーのしゃべり方は「ブルー・イン・ザ・フェイス」で見たルー・リードにそっくりであった。これは逆で、ルー・リードが真似たというのが正しいのだろうたぶん。出身地も生息地も全然違うのに、話の内容も似ているし、目をつぶっていたら間違えそうなほど似ていた。ルー・リードが故意に真似ていないとしたらとても不思議だけど、共通しているのは「諦観」のようなものだ。 ミッキー・ローク主演作のあまりの不出来ぶりに腹を立てていたブコウスキーに見せたかったディロンのそっくりさんぶり。おっさん喜びすぎてあの世で心臓発作でも起こしかねないな。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-09 14:44:15)(良:1票) |
2. 善き人のためのソナタ
《ネタバレ》 ヴィースラー大尉はおそるべき無私生活者で、家族もなく、その住み家も生活感のないホテルのような部屋だった。唯一の趣味は仕事、規律に従うことを何より重んじ、曲がったことが許せない。そんな彼の生きがいは他人の嘘を暴くこと。嘘を暴き、秘密を告白させることすなわち他人に勝利する瞬間である。そうしてヴィースラーは他人に勝ち続けているので、私生活が無くても精神の均衡を保てた。 けれどドライマンの盗聴という、他人との直接対決無しでの秘密の収集作業は、ヴィースラーの精神状態をおびやかした。盗聴によって秘密を知りえても、彼には勝利の味も達成感も他人を組み敷いた優越感も感じられなかった。彼は尋問によって喜びを得る人間として成立していたため、盗聴向きの人間ではなかった。 子供とボール遊びをし、美人女優を恋人にし、誕生日にはパーティーに人が集まり、友人たちの心配をし、気が向けばピアノを弾く。そんなドライマンの生活と、暗い屋根裏で盗聴機器に囲まれ何時間も過ごしたうえ、誰も居ない無機質な部屋に帰りデブな売春婦(しかもショートタイム)しか相手にしてくれないヴィースラーの対比が見事である。二人は陰と陽。光と影。 私の解釈では、ヴィースラーは政治的に共感したというよりはドライマンたちを家族のように感じ、彼らの一部として関わってみたくなったのである。 その序章として、バーに入ってきたクリスタに話しかけてしまう。ドライマンの代わりに忠告してしまう。あげくは彼らの代わりにタイプライターを隠すところまでエスカレートする。 私はヴィースラーのとった行動を、レジスタンスを助けたというようないわゆる「いい話」レベルには考えたくない。これはもっと、純粋に個人的な問題なのだ。 ドライマンがヴィースラーを問い質したとて、彼は決して真実を語らなかったと思う。だからあのようなやり方で謝意を示したことは、リアリティにこだわる意味でも映画のしめくくりとしても最良であった。 ひとつ残念なのは女性の扱いで、女性はクリスタしか出てこないというのに彼女は薬物依存で他の男とも寝るうえ、最後は秘密を暴露して恋人を窮地に陥れるという、甚だ情けない人物としてしかも死んでしまうというところ。それならばー、せめてもう一人、頼りになるマトモな女性を出して比較させるべき。「だから女は信用できない」死んで償え、で終わるのは納得いかない気がするぞ。 [DVD(字幕)] 8点(2008-07-28 19:23:38)(良:2票) |
3. 予言
《ネタバレ》 必ず誰か一人が死んでしまう状況、何度やり直しても家族全員が生き残ることはできない。こっちを足せばあっちが減る、という数学的なものを感じるし、萩尾望都や映画「バタフライエフェクト」をはじめSF各ジャンルで追求されてきたテーマですね。 そこに、お告げを聞いてしまう人間の存在と新聞をからめ、うまくまとめていると思う。ホラーとしては、なかなかの仕上がりと思う。 あと、この作品は、極端にセリフが少ない。…まさか酒井法子になるべくボロを出させないため、ではないだろうが、本当にセリフが、無いといっていいくらいに少ない。 ほとんどすべて、シーンそのものや、人物の目配せや身振り手振りで観客に伝えようとしているのだ。かなり意図的にセリフを省いていると思う。だから、終盤の「この電車に乗らないくれ」の一言が、「アレ、久々にセリフらしいセリフを聞いたな」と強調されてくる。 キャストについて。三上にとっては、十八番といえる役柄であったろうし、特に異論はない。そしてなぜ酒井法子…。 離婚して、バリバリ働いて車を乗り回すキャリアウーマン、という役どころだというのに、これほどノリピーに合わない役も無いし、…演技というほどのことは何もできてない…。セリフを棒読みして、あとは三上とのラブシーンを嫌々こなしているだけ(本当にイヤそうだったなあ。)。 女優落ちした元アイドルの中でも、ダントツで一位を献上したい大根である。や、大根とも言いたくないような気がする。大根のあとには少なくとも役者がつくから。酒井法子。この演技力で映画に出るとはある意味すごい鉄面皮。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2007-08-17 11:46:07) |
4. ヨコハマメリー
《ネタバレ》 ドキュメンタリー映画というものは、途中でボツになり日の目を見ないことが多いらしいですね。だいたい理由は内輪モメであるが(森達也の下山事件とか)。この作品中にもボツ作品のことが出てくる。しかも、往時のメリーさんを撮った貴重なフィルムが行方不明とはどういうことやねん(怒)。 そういう意味で、これがきちんと映画に仕上がって、観客の目に触れたというのは奇跡である。 もちろん、戦後60年にわたる横浜の歴史を、証言者が生存しているうちに記録したという意味でも、非常に価値がある。作り手の執念を讃えたい。 永登元次郎をはじめとして、ここに出てくる伊勢崎町周辺の人々の「濃さ」といったら。全員ものすごく濃いのさ。 この「濃さ」というのは、「戦争に負けた」を肌身で経験し、成長してきた横浜の「アク」のようなものなのであろう。だいたい、肩書きが「元愚連隊」ってどうなのよ。思わず突っ込みを入れずにいられないじゃん。 それでまあ、私は小学校5年生からずっと横浜に住んでいる。(両親は流れ者ゆえ、横浜の戦後史を子供たちに教えることはなかった。) で、メリーさんを目撃したことも、当然ある。職場が関内だった時期もある。この映画に出てくる場所も、ほとんど自分の足で歩いた馴染みのとこばっかりだ(伊勢崎町通りから南側を除いて。そこはあんまり行ってはいけないとこなのだ)。 「メリーさん遭遇」というのは、職場の世間話のあいまに語られる、ほとんど「風景」のようなものだった。「男」説も、もちろんあった。高島屋のエレベーターのドアが開いたら、いきなりメリーさんが居た、という先輩もいた。 アート宝飾の前のベンチ、今はもうないけど、メリーさんはよくそこに居た。ディスクユニオンに中古品を漁りに行くとき、あっ今日は見ちゃった。って思った。 私は、今回コレを見て、仮説を立てた。メリーさんは肉体的にはやっぱり男性だろう。だって、生理用品と常時使用可のトイレを確保しないで、あんな着飾ったホームレスができますか? なぜ故郷を捨てて、女の成りをするようになったのか。それはつまり兵役逃れか、逃亡兵だったとしか考えられない。…単なる仮説だけど。 いろいろ言いたいことはあるが…とにかく、これは非常に貴重な記録である。老人ホームにおさまったメリーさんの姿を公表することの意味については、個人的には疑問が残る。と言っておく。 [DVD(邦画)] 10点(2007-06-22 20:40:18) |
5. 夜よ、こんにちは
《ネタバレ》 実在のテロ事件をベースにしているところ、やはり「ミュンヘン」を思い出す。現実に起きたテロ事件を映画においてどう料理したか、という点では、こちらに軍配を上げる。「ミュンヘン」では、スピルバーグは思い余って重要なことをセリフで言わせてしまったり、思い入れが激しすぎて失敗しているからだ。 「夜よ」では、ほとんどのシーンがキアラという美人テロリストの視点を中心として描かれる。 さて、美人で23歳で図書館に勤めるキアラがなにゆえ赤い旅団のメンバーとなって、テロに参加するのか。最も重要な疑問というのはこれである。 キアラの夢にモノクロで現れる、パルチザンの処刑。父は、どうやら、ファシズムと闘って処刑された抵抗運動の闘士だったらしい。 キアラの理由は、父である。23歳の彼女に、自前の思想などあるわけがない。 モロが法王あてに書いた手紙の感想を聞かれたとき、涙を浮かべていたにもかかわらず、「つまらない冷たい手紙」と言い切ったキアラ。それを言わせたのは、死んだ父である。無残に処刑された父がいる限り、キアラは女闘士であり続けなければならない。 キアラというのは「父の娘」なのだ。世の中には「父の娘」と「母の娘」がいる。「父の娘」というのは、「母の娘」に比べて「かたくな」なのである。 ところが、「父の亡霊」に憑依されているはずのキアラに、変化が起きる。それは、とうの昔に死んで、顔もロクに思い出せないような父と、現実に一つ屋根の下に存在するモロが重なって見えてきたせいだ。キアラにとって、品がよく、教養があり、家族思いで、思慮深げなモロの姿は、「理想の父」の姿に思えて仕方ない。父=モロ現象に、キアラは苦しみ、モロを逃がす夢を見始める。 現実には処刑されたモロの葬式と入れ違いに、自由になったモロが表を歩く姿で映画は終わる。 これが、監督の撮りたかったシーンだ。「あのとき、誰ひとりモロを救うことができなかった。」過去に遡って、間違いを糺したい。でも、できない。だから、この、映画の中でモロを解放する。「自由なモロ」の微笑みが心に痛い。やはり、最も言いたいことは、セリフで言わせてはいけない。 今も獄中にいる犯人たちは、50代であろうか。このラストシーンを見て欲しいと思う。 [DVD(字幕)] 8点(2007-04-21 14:47:59)(良:3票) |
6. 歓びを歌にのせて
《ネタバレ》 もうちょっと違う展開を期待して見たのだった。 ダニエルは音楽のプロだ。 究極のプロと素人以下の村人合唱団。この二つが出会った時の驚きとか、ダニエルの力によって有り得ないほど底上げがされるとか。 ところが話はほとんどどうでもいいような村人のプライベートなもめ事で埋め尽くされ、音楽に力が割かれていない。ダニエルの音楽家としての素晴らしさが描かれない。それじゃつまらない。 そんで一番若くてきれいな女の子とエッチまでして、あーあ、指導者としての矜持はどこへ。 結局一番描きたかったのはなんなのかよくわからない。興ざめ。 [DVD(字幕)] 4点(2006-09-23 16:38:30) |
7. 4人の食卓
《ネタバレ》 なかなかよいと思います。韓国って女性の監督でもグロいのね。そこはいただけないが、全体としてはよくできていると思う。韓国の女優さんて透けるようにキレイなんだけど、どうも「ロリ感」があるんだよなあ。胸がなくて黒いストレートヘアだからかな。シガニーウィーバーなみのごつい女優さんの出る洋画を見るとなぜかほっとしてしまう嫌味な日本人。 [DVD(字幕)] 8点(2005-11-16 23:27:12) |