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1.  ワイルドバンチ 《ネタバレ》 
地球上の半分の人間が否定しても残り半分の人間は肯定する映画、要するに男の為の映画だと思います。  付き合う時に女性が相手に対して気にするのは清潔感だそうです。 サウナ風呂に入っているシーンですら綺麗に見えないのですから本作に出てくるメインキャスト(特にサイクス爺さんの顔は汚れなのか酒焼けなのかメイクなのか本物なのか分かりません)は女性にしてみれば論外だと思います。 見終わった時に潔癖症の人だったらTVの画面を消毒したくなるのではないでしょうか(最後まで見られない可能性の方が高いかもしれません)。  しかし、汚くないワイルドバンチはワイルドバンチではありません。 もし登場人物達が汚れていなかったら絶対に作品の評価は今より低くなっていたと思います。 彼等が下ネタで爆笑している時に一体全体何なのか分からない(分かりたくもない)物体で汚れている歯が見えるから良いのです。(私は汚いもので興奮する性癖ではありません)  そんな汚くて暴力的な本作ですがそれらと対極にある女性と子供のカットが意外と沢山出てくる所は興味深くも有ります。 冒頭の白人、黒人、ヒスパニックの男の子や女の子が笑いながら蠍と蟻を戦わせて最後には焼き殺してしまう様は、ラストシークエンスの暗示と同時に闘争本能や残虐性は全ての人間の中に先天的に潜んでいると語っているようでイントロダクションとしてはこれ以上ないくらいに作品の説明になっていたと思います。  また、血が飛び散る銃撃戦の中に子供を立たせてみたり、その他残虐な作品には似つかわない程に沢山の子供達が出てきますが、実世界ではここに出てくる何倍もの子供達がここで表現されている何倍も残酷で暴力的な現実を目の当たりにしているのではないかというペキンパーのアイロニー的な主張を感じてしまったりもします。 製作が1969年でベトナム戦争真っ只中という事も影響しているかもしれません。 そう考えると女性の無残な死や子供達は本作では単に映像的背景以上の要素が有るように思えます。  容赦のない銃撃戦や汽車でのアクションもマルチカメラで撮っているのでカット割りがかなり細かくされています。 その為もあってスピード感と迫力を存分に感じながら状況を見失う事なく把握できます。 アクションシーンで相反するスピード感や迫力と見易さを双方擁立させる事の出来るペキンパーの手腕は流石ですし、映像からはカッコ良さを通り越して美しささえも感じます。  そして美しいといえば林の中のエンジェルの故郷の村でのシークエンスのカットは全て美しかったです。 ロケーション自体かなり奥行きがあるうえに焚き火の煙の効果で一層パースが強調された構図に、フレーム上方の鮮やかな空の青と木立の緑が配置された所から木漏れ日となって暗い地面や水面、人物に落ちてくる光がアクセントとなり画全体のバランスを取り、寒色から中性色寄りの画面構成によって涼し気な透明感を感じさせてくれるお陰でパイクとその仲間達の汚さも40%OFFくらいに見えます。  好きな作品なので何回か見ているのですが最初の頃は早撃ちや射撃の名手と言った西部劇の様式美の皆無な銃撃戦にアドレナリンが出まくっていましたが、回を重ねるにつれドラマ部分の脚本の質の高さが分かり始め、今では洋画の中では最も哀愁を感じる事が出来る作品の1本となっています。 勿論結末が分かっていての事なのですが彼等の笑い合う姿を見ると何とも切なくなってしまいます。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2015-09-16 01:56:36)
2.  ワルキューレ 《ネタバレ》 
この話は脚色は出来ても史実の根幹を違う表現には出来ないと思うのでやはり見せ方を工夫するしか無いと思います。 前半を淡々と見せて2時間で収めるのでしたら作戦決行後はやはりもっと盛り上げた見せ方にしないと見ている側も不完全燃焼で終わってしまいます。 クーデター勢力がベルリンを制圧していく見せ方は良かったのでその後の正規軍が鎮圧していく様子をオセロの最後の一手でパタパタとひっくり返して一気に形勢逆転してしまうように作中でももっと大胆に畳み掛けて見せるか、逆に後半をあの程度で見せるのでしたら前半部の人間関係や登場人物の見せ方に厚みを持たせて2時間以上の深みのある作品に仕上げるかにしないと淡々とした話が少しテンポアップして終わっただけの作品という印象しか残りません。 作品全体を通して見ても次の展開に急いで進もうとしているだけで、緊張感というより質の良くない焦燥感のようなものを感じるだけでした。 史実に基づいた作品は脚本に限界があるので映像や演出に特出する所が無いと魅力を感じられないものになってしまいます。  アメリカ側の製作者はシュタウフェンベルクをハリウッドが大好きなファミリーマンとして、またドイツ側の製作者は彼を英雄として描きたかったのではないでしょうか。 勿論これは推測ですが確かな事は前者の描き方が中途半端な為に後者のイメージを損ねてしまっているという事です。 家族を大事にする男というよりも大事の前で私事に目を向ける残念な人物に映ってしまった印象があります。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-07-13 00:22:47)(良:1票)
3.  私は貝になりたい(2008) 《ネタバレ》 
豊松には同情してしまいます。 何故ならそう描かれているからです。 子供の頃から貧乏で、足に障害を持ちグズだと言われ、身籠の妻と駆け落ちしてやっと小さな店を出したら軍に招集され、帰ってきたら刑務所に入れられ、二人目の娘には金網越しにしか会えず、SMAPなのに歌が下手で、最後には死刑になってしまいます。 製作者はそんな豊松への慈悲を感じて欲しかったかといえば、そうではない様な気がします。 大北山での出来事は背景や感情も含めるとかなり複雑です。 当時の日本はジュネーブ条約の捕虜に関する条項には批准していないので、矢野中将の「適切な処置を行え」という命令からしてあやふやですから、豊松までの間に入った士官達の命令責任も問えなくなりますし、「上官の命令は陛下の命令」としているならば、天皇陛下まで責任が及ぶことになってしまいます。 豊松の行動も「上官の命令は絶対」と言っているので銃剣が右腕をかすめたのは結果であって、受動的にせよ殺意はあった事になります。(それとは関係なく捕虜が死ぬ事も複雑にしています) この様に戦時中の陸軍の軍規に沿った出来事を戦後の戦争裁判(これ自体の賛否は省略します)で裁く事には無理が生じますが、それによって齎される軍国主義との決別と民主主義の到来を望んでいたのは、豊松の様な貧しい庶民であった筈です。 しかし、民主主義の基本的人権と法の下の平等を享受するには個人の行動に対する責任という代償が必要になります。 作中ではほぼ冤罪とも取れる罪に死刑という極端な表現をしていますが、製作者は、軍隊というヒエラルキーの中でさえ「責任」を有耶無耶にした日本人に戦勝国による戦争裁判で一様のけじめは着けられた様に見えるが、自らが総括もしないで今日に至っている私達に、出生や環境、個人の能力に関係なく与えられる人権や平等に対する個人の行動の責任の重さを理解しているのか、と問いている様に思えました。 人が社会の中で牛や馬ではなく人として生きるには人権が必要です。 人権を含む民主主義を主張する事は、個人としての行動の責任が伴います。 しかし、責任を負わずに生きる方法は有ります。 社会システムの外で生きるという事です。 深い海の底で誰にも干渉されず誰も干渉せずに、貝のように生きるということです。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-04-25 18:07:32)(良:1票)
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