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コメント数 16
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1.  ポセイドン・アドベンチャー(1972) 《ネタバレ》 
パニック映画とは言え、本作の他人を救うために自らの命を落とすシーン・・・あたかもキリスト(教)の『受難』、もしくは『自己犠牲』のテーマを重ね合わさせるかのよう(笑)その意味でも胡散臭い神父、もしくは神父らしくない神父・・・ジーン・ハックマンのぶっきらぼうぶりさが、世俗におもねる宗教のあり方と一線を画すスタイルで描写されて面白い。 また一方で、助かったごく僅かの人たち。ハックマン扮する神父が実践した「天は自らを助くものを助く」・・・人々の動向や潮流に流されるのではなく、回りに逆らってでも自分たちの強い意思を捨てることなく、自らが逃げ道を切り開いていく以外に助かる道はない。たとえ天であっても誰も助けてくれやしない・・・とかく他力本願的な宗教のあり方に対して、なかなか皮肉なスパイスのある映画でもある。
[DVD(字幕)] 5点(2011-04-24 01:45:29)
2.  ワイルドバンチ 《ネタバレ》 
これまでの勧善懲悪型の西部劇とは一線を画し、アウトローたちとその末路、そしてその古き西部劇の時代への告別を感じさせる傑作だと思う。 キレイ事を語らせて、観客に媚びることは一切しない。残虐であろうとなかろうと、登場人物たちが生きていくためには選択せざるを得ない・・・あるいはそうするしか生きていく術がない人たち。無慈悲で容赦ないペキンパーのそうした視線を感じつつも、運命共同体的な男同志の絆をデリケートかつ荒々しく描いていて、そこに魅せられる。 ピークはやはり、ラストのスローモーションの手法を用いた大殺戮場面。 俳優たちも皆、渋くてカッコいい。役作りにあたって、ペキンパーを観察しペキンパーを真似したというホールデン・・・ペキンパーの娘が父にそっくりと語っているが、その意味でもペキンパーの自己投影を最も現わした作品のひとつといえるのかもしれない。
[DVD(字幕)] 9点(2011-01-06 15:23:46)
3.  黄金の指 《ネタバレ》 
レビューがなかったので・・・書いてみました。 映画としては渋い、地味な部類に入ると思うが、それなりに玄人受けしそうな作品だと思う。鮮やかなスリのチーム・プレー、とりわけジェームズ・コバーン扮するスリのリーダーは天才的なスリの指さばきの持ち主。コバーンが仲間に引き入れた若い男女の二人組にスリの手ほどきをするものであるが、そのコバーンの渋いスーツのファッション・センスが決まっている。若い男のほう(マイケル・サラザン)に、「一流になりたいのなら、一流のものを着ろ(ナリをパリッとしろ)!」と哲学を教え込むあたり、コバーン一流のダンディズムの香り? 共演陣にウォルター・ピジョンなんて懐かしくも、またまた渋いキャスティング。ちょいヤキが回り始めた元一流のスリで、コバーンの相棒役。警察に捕まってしまい・・・ついにはコバーンもお縄に。と言っても最後は、警察が張り込んでいるのに気付いていて、盗んだ現物を仲間(マイケル・サラザン)に渡さず、自ら達観していたかのような最後。  ジェームズ・コバーン扮するハリーの見事なスリさばきからか、日本語タイトルは『黄金の指』。オリジナル・タイトルとは全く違っているけれど、まあまあの線のネーミングなのかもしれないと思う。ちなみにオリジナル英語タイトルは直訳すると『ハリーは現物を握らない』(スリは現行犯のみ検挙されるため、実行犯であるハリーは現物を仲間に渡して、警察の尋問をすり抜けること)。最後に『握らないハズ』のハリーが、仲間に盗品を渡さなかったのは、将来ある若い仲間をかばうためではあるが・・・一流のスリの最後はこのザマだよ!と身をもって教えているような、老成した醒めた男の皮肉なラストでもある。
[地上波(字幕)] 5点(2011-01-01 01:12:58)
4.  第三の男 《ネタバレ》 
サスペンス映画として古典的で、古色蒼然とした雰囲気は現代の観賞者からすると、とても退屈な映画に写るものなのかもしれない。だけど、この映画の持っている情感と猥雑な時代感に、私はとても逆らうことが出来ない魅力を感じる。  ストーリーはともかく、映画の舞台となるウィーンという街・・・音楽や美術などヨーロッパの文化の中心都市のひとつであり、かつてのオーストリア帝国、ハプスブルク家をはじめとした宮廷文化の華やかで優雅なイメージ。 しかし内面は一筋縄ではいかない老獪さに保守主義や地元指向、地元文化に対する異常なプライドの高さ。それ故に連合国軍に統治されているというとてつもない屈辱。また、かつてオーストリアが併合、影響力を及ぼした国々、例えばルーマニア人、ハンガリーなどの人々が入り込んできている人種的な複雑さ。  こうしたウィーンという街の背後が到るところに盛り込まれていて、その中で人間関係に立ち入っていくのは、アメリカやイギリスといった英語文化圏の人々には伏魔殿のようなところであるという雰囲気を、私はこの映画を見るたびに感じる。  ジョセフ・コットン扮するアメリカの三文作家・・・いかにも純粋な人間で、良心的アメリカ人の典型?として描かれていて、老獪なウィーンでは彼の存在はとても浮いて見える。あれではアリダ・ヴァリをエスコートするには役不足であると思うのだけれど。オーソン・ウェルズのような怪物なればこそ、まさに伏魔殿的なウィーンの闇社会で暗躍できたのであり、男性二人の対照的な描写は実に面白く鮮やかだ。 そのオーソン・ウェルズのセリフ「ボルジア家の圧政の下、イタリアはルネッサンス文化を生んだ。では永世中立国のスイスは?ハト時計だけさ!」は印象的であり、自らを偉大な芸術の産物者に喩える不遜なセリフが、私の中で最も印象に残っているシーン。しかしジョセフ・コットンに自分の命を託すかのように・・・ウィーン人のような老獪さのない人間だから信用していたのだろう。 最後になるが・・・やはり音楽が素晴らしい。オーストリアの民族楽器ツィターの味わいは、まるでホイリゲンに居合わせるかのような錯覚に陥らせてくれる。軽妙で人生の機微に触れるかのような味わいを持つのは、名手アントン・カラスの腕によるものだろうが・・・彼は仕上がった映画を見ながら、ほぼ即興的に音楽を付けていったのだと言うから、余計に恐れ入る。
[DVD(字幕)] 10点(2010-12-29 15:14:49)(良:1票)
5.  王女メディア 《ネタバレ》 
パゾリーニの音楽に対する造詣の深さ(とりわけクラシック音楽について)は、つとに知られるところではあるが・・・この『王女メディア』では日本の地歌や筝曲、ラマ教の読経?、イスラム教徒のザグルール(叫びと手拍子)などなど異文化のカオスは、「ギリシャ悲劇」のオリジンを不明にするものとして、私は当初、違和感を抱いていた。 しかしながら、それが気にならなくなってきたばかりか、西洋音楽の音階とは全く別世界の音調・・・レンジも狭く、おそらく西洋人にとっては音階やメロディーのない音楽の持つ呪術的な不気味さ、畏敬の念を感じさせたのだろうと私は想像している・・・映像とパゾリーニが意図した作品のテーマに合致していることに感心させられるようになってきた。  大悲劇というスケールより、バーバリスティックな宗教儀式の挿入などギリシャ世界とは異質な独自世界を表出、セットもフィルムワークでも音楽同様にレンジが狭いものの、この作品の抑制されてはいるが、不気味で執拗な感情の変遷に主眼が行われているように思う。  また、主役メディアをマリア・カラス。彼女はギリシャ人でもある。私なんぞは、この映画を見るより先にオペラ歌手マリア・カラスとして、同じ題材を扱ったケルビーニ作曲の「メディア」を聴いてしまっていたため、どうしようもない先入観を持ってしまう。とりわけ、このオペラ作品については音楽史の中に埋没していたものを、マリア・カラスが蘇演させ、作品の評価を決定付けたものでもあり、メディアといえば未だカラス以外の余人をもって代えがたい作品である。彼女の声の劇的で表現の深さ、役柄や言葉のデョクションを徹底的に掘り下げるスタイルなど、おいそれと凌駕するものはいないほどの圧倒的存在ではあるが、こうして歌わない演技だけの彼女の姿を見ても演劇人としての稀有な才能が改めて再確認された次第であった。この映画は、間違いなくカラスを抜きにしては語れないし、おそらく製作されなかったものだと言っても過言ではないと思う。 おそらくパゾリーニは・・・マリア・カラスという人の映像は数えるほどしか残されていないことは悉くも残念なこと・・・パゾリーニの彼女の偉大な才能に対するオマージュでもある。こうしてマリア・カラスの貴重映像が残されたことの意義は、極めて大きいと思う。
[ビデオ(字幕)] 7点(2010-12-28 13:13:14)
6.  第七の封印 《ネタバレ》 
第七の封印とは?神学論争ですら割れている難解なこの黙示録を読み解くことなど、神学者や敬虔なクリスチャンでもない私には不可能なことだ。そのために見る側によって、様々なイマジネーションが創出されるのかもしれないと思う。 私の場合、ベルイマンは敢えてこのタイトルを用いて、宗教への疑念や不信を表明していると思う(後の「ファニーとアレクサンドル」でも、継承されている部分でもあるが)。 まずは映画の冒頭、十字軍から帰還した話で始まるところから、人間が創り上げた都合の良い宗教の矛盾を提示してくる。すなわち聖都奪還の目的がイスラム諸国からの略奪へと変質してしまい、神とは人間の都合の良いように『侵略行為』の名目に利用されてしまったものだということ。 途中で登場する堕落してしまった聖職者たち、火あぶりで魔女裁判(魔女は火で炙っても死なない)、自虐的に自分の身体を茨で打ち続ける殉教団などなど、混沌とした中世の世界観というより、不遜にも神の名を語り、人間が人間を自分の都合の良いように裁いていく不条理な情景を次々に提示してくる。 一方、死神という死の影は容赦なく迫りくる。その追っ手から逃れるためには、信仰など何の救済にも役立ちはしない。むしろ主役たち一行の死という犠牲があって、最後に旅芸人たちが生き残る(救済される)と言う複雑な思い。 私には強烈なメッセージを放つ作品であった。
[DVD(字幕)] 9点(2010-12-27 03:17:18)(良:1票)
7.  続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 《ネタバレ》 
最後の3つ巴決闘シーンなど、バカバカしいと思いながらも・・・あの引っ張り方といい、すっかり楽しんでいる私はもっとバカなのかもしれない。 誰が悪人か?なんて・・・みんな悪人なんだけど、主役3人の中のキャラクターでは個人的にはトゥーコが一番好きだし、それを演じるイーライ・ウォラックの味と演技に魅せられてしまった。それ故か、ややトゥーコを贔屓して見ている自分がいる。 このレオーネ初期三部作、1作目はクリント・イーストウッドに痺れ(もちろんヴォロンテもだけれど)、2作目はリー・ヴァン・クリーフの渋さに、3作目ではイーライ・ウォラックのコミカルで野卑だけど憎めない味わいに感じ入るという風情。一作ごとに加わった新しい主役陣に次々と目を奪われてしまったという感想。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-27 01:37:03)(良:1票)
8.  ロベレ将軍 《ネタバレ》 
ロッセリーニ作品のなかで個人的に最も好きなもの。 偽のロベレ将軍が、本物のロベレ将軍になっていく・・・いやロベレ将軍というのは人物というより、愛し同胞を支え鼓舞するといった愛国心のことであると思う。 身分の高低、職業内容が云々ではなく、ラストでのデ・シーカ演じる偽ロベレ将軍の気高さ。戦後まもなく貧しいイタリアではあるけれど、人々のプライドの矜持を謳ったものだ。   
[CS・衛星(字幕)] 8点(2010-12-26 02:48:18)
9.  アルジェの戦い 《ネタバレ》 
イタリアン・ネオ・レアリスモの薫陶を受けた監督だけあって、テロやレジスタンス活動を無慈悲に淡々と描写する冷酷さと気迫が同居していて、有無を言わさぬ訴求力を感じる。 ピークはラスト・シーンで、アルジェ独立を叫ぶ民衆が迫ってくる場面には圧倒される。しかしその一方で、革命思想の主張も感じてしまい・・・立場も思想も異なる私には全面的に理解できない部分だと思う。
[ビデオ(字幕)] 8点(2010-12-26 02:19:52)
10.  アマデウス 《ネタバレ》 
私は大のクラシック・ファンのため、一般的な視点と異なっていることをまずはお詫びするとともに、大部分のクラシック愛好家といえるかどうかは判らないまでも、クラシック音楽マニアとしては世評の高いこの映画をどう思うか・・・その意味からレビューします。 ベートーヴェンを指導するなど偉大な教育者であり、慈善活動にも熱心で尊敬されていたサリエリは、作曲家としても凡人どころなんかではない。また、モーツァルトを毒殺したり、精神病院で終わるなどのストーリーについては、凄まじい史実の捻じ曲げであり、これは断じて容認出来ない部分だと思う。しかしながら、かつて色々と言われていたサリエリとモーツァルトの関係を面白く描いていて、音楽史の中に埋没していたサリエリを復活させたという意味、あるいはこれまでクラシック音楽に縁のなかった人々に興味を持たせたという、クラシック音楽人口膾炙の点からは意義を見出すことは出来ると思う。 映画では、オーストリアやドイツ文化圏と歴史が全てアメリカナイズされてしまっていて、この点からも個人的には致命的に感じている。 加えて、クラシックの音楽の転換期に当たるモーツァルトの時代の描写不足。とりわけモーツァルトの晩年には音楽の対象(聴衆)が、貴族社会から民衆へと移行しようかという過渡期に当たる時代である。このことは非常に重要で、その後の楽器改良、ひいては作曲技法が新展開し、萌芽ともなる下地を作っているからでもある。故に、作曲家にとってのいわば激動の時代・・・モーツァルトが一層深化していく姿をもっとフォローしていく必要があると思われる。 また、公開当時にこの映画を見たときは気にはならなかったけれど、クラシック音楽界ではピリオド・アプローチ(時代考証派)が隆盛をきわめる今日、バックで流れるマリナーの指揮も面白みがなく、ヴァイオリン等の弦楽器群などでもスチール弦を使用したモダン・スタイルによる演奏は、時代衣装を着て当時を再現している俳優たちとの間にどうしようもない決定的な齟齬、違和感を感じさせることになる。その意味で、当時は第一線だったマリナーが陳腐化してしまったという、時代の隔たりを感じさせるところだが、映画のバック演奏としては贅沢と言うべきなのだろう。 結局は娯楽作品と古典芸能としてのクラシック音楽との乖離に、最後の最後まで苦しめられる作品のため、個人的には非常に厳しい作品。
[DVD(字幕)] 2点(2010-12-25 14:57:01)(良:2票)
11.  夕陽のギャングたち 《ネタバレ》 
ダレる部分はあるものの、やはり良い作品だなと思う。 当初、「続夕陽のガンマン」のイーライ・ウォラックがキャストされていたと言うが・・・ロッド・スタイガーとしてはらしくない盗賊役と思いつつも、やはり名優! セルジオ・レオーネが何度もテイクを重ね、スタイガーが疲れ果てて憔悴の表情を見せるのを待ったという逸話を重ねてみると非常に面白く思う。  一方、スカしたような傍観者としてのジェームズ・コバーン、やはりカッコいい。こちらも当初はイーストウッドの予定だったと言うけれど、コバーンの味が出ていて間違っていない配役だと思う。  ただし個人的にシックリいかない箇所が何点かある。 特に最後のコバーンの自爆シーンの前に挿入される男女三人のキスシーン。スローモーションのロング・ショットについては、コバーンの回想シーンとしての意図は判るのだけれど、若干、興をそがれるというか・・・違う方向に話が行ってしまいそうになる。 この関係・・・レオーネが男同士の熱い友情、親友という関係に憧憬を抱いていたからと言われてみたりするけれど、男性同士の密接な描写を見れば、女性との複数関係と単純にとらえ難いように思われる。 相手の恋人を共有するという間接的表現=女性を通してもう一人の男性を感じてるというか、男性同士の間接的なキス・シーンにもあたる。(間に女性というクッションを差し挟んで誤魔化してソフトにした)ゲイ的なシーンであり、この作品を単純な男性同士の友情とだけでは片付けられなくしてしまう複雑な場面でもある。なお邦題であるが、ヒドい!
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-25 14:03:45)
12.  群れ 《ネタバレ》 
どうしようもない不条理、救いのないやり切れなさ・・・ラストで家族が離散するさま、頑固な家長と都会の雑踏の対比、その雑踏の中で全てを見失ってしまう家長。不条理さと矛盾に憤る、監督の社会告発的視線を痛切に感じる
[CS・衛星(字幕)] 9点(2010-12-14 16:42:12)(良:1票)
13.  夕陽のガンマン
やはり、リー・ヴァン・クリーフ。カッコいい!渋い!ティーン・エイジャーだった30年くらい前に見てから、こんなカッコいい大人になりたいと憧れたものでした。今ではありがたくDVD鑑賞。何度見てもワクワクする。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-14 12:57:14)
14.  攻撃 《ネタバレ》 
映画として若干の不満がないわけでもないけれど、ジャック・パランスの凄演で全てを忘れそうになってしまう。特に最後の復讐のシーンの形相と最後の叫びには、画面に釘付けになっている自分がいる。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-12-14 12:50:31)
15.  博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか 《ネタバレ》 
もう何度見たことか・・・初めて見たのは今から四半世紀前、まだ19歳だった頃で、三軒茶屋の自主映画館で見た。原爆投下された広島の出身者でもあったせいか、映画の真意が理解出来ず、当初はこの映画を見て怒ってしまった・・・今から思えば自分がいかに未熟な子供だったかを思い知らせてくれる。 今ではキューブリックで最も好きな作品でもあり・・・何度見てもコワいけれど、イカレまくっている狂気の世界に魅せられてしまう。やはりストレンジ・ラヴ博士が自分にとっての最大のヤマ!性的不能者(インポテンツ?)と右手の不可解な動きは自慰行為もままならない?などなどと想起させてナンセンスであり、キノコ雲の描写に到ってはカタルシスが頂点に達した表現とでも言えそうな異様さ&不謹慎さ?  ストレンジ・ラヴの演説の内容がナチス・ドイツそのものであり、最後の立ち上がるシーンはナチスの復活を宣言する部分としてもコワイけれど、性的表現とのダブル・イメージを考えれば考えるほど、震撼させられてしまうのだった
[DVD(字幕)] 10点(2010-12-14 12:35:57)
16.  自由の幻想 《ネタバレ》 
とりとめのないエピソードの羅列として、その力の抜け方を気にするか・・・はたまたブニュエルらしい屈折した皮肉と見るかで評価は変わるのかな?と感じる。  この映画を見て、かつての盟友であり、共にシュールレアリスムの旗手であったサルヴァドール・ダリ(ブニュエルの「アンダルシアの犬」の共作はご存知の通り)がパリの美術学校に通った際の有名な言葉、『自由は無秩序である』を思い出した。 この言葉の真意は、自由に好きなように出来たパリの学校での自由教育の退屈さに源を発したものであり、自由は不自由であったということ。つまりは自由からは何も誕生せず、厳しい制約、弾圧や教義の押し付けに反発することが芸術が誕生する源泉になっているという話。  「自由とはいったい何なんだ?」何でも自由にできると言うことは、何も出来ないというのと同じこと・・・映画の中の様々なナンセンス行為同様、自由だと思い込んでいる人々の発想が実は貧困で、自由なんぞは有り得ないし、要らないとでも主張しているかのような斜に構えたブニュエル独自の皮肉を感じた。
[地上波(字幕)] 7点(2010-12-14 12:03:44)
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