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彦馬さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 450
性別 男性
自己紹介 大阪府出身、岡山県在住、阪神・下柳と同年月日生

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221.  瀧の白糸(1933)
溝口健二さん、昭和8年のサイレント作品です。残念ながらフィルムの保存状態は相当に悪いので、カメラが引いた時には役者の表情がつぶれてしまうのですが、アップになった時の入江たか子さんの美しさ、岡田時彦さんの二枚目ぶり、菅井一郎さんの鋭い眼光などにはハッとさせられます。そしてこの作品もまた、溝口さんの主題とした女の意地と矜持、たくましさとか弱さ、それらを優しく、激しく、きめ細かく、高らかに謳い上げています。サイレント作品ではどうしても説明字幕、会話字幕が入るので、後年溝口さんの代名詞ともなるワンシーンワンショットとはいかないのですが、それでも白糸が高利貸邸に包丁を持って乗り込んでいく最も切迫したシーンで、白糸が廊下を渡り部屋へ入り、隣りの部屋へ移り高利貸を発見するまでのシーンをカットを割らずに撮っているところにミゾグチを見ることができます。字幕がなければ・・・と思わせられるシーンがたびたび出てくるのは、後の溝口さんを知っているからで、この作品はこの作品として堂々とサイレントの名作といえるのではないでしょうか。
8点(2004-11-24 20:44:06)(良:1票)
222.  私の兄さん
 田中絹代と林長二郎(長谷川一夫)の共演、いや~お二人ともお若い・・・。田中絹代さんはこの作品では、純情っぽくもあり、ちょっと強がりでもありという令嬢、須磨子を演じておりますが、台詞やしぐさがほんと可憐で当時の男性が魅了されたのもよくわかります。林長二郎さんはやはり長谷川一夫さんで、所作がハセガワカズオしておりますね~。でこの二人が兄妹かといえば、そうではなくて、林さん演じる文雄の腹違いの兄、重太が〝私の兄さん〟になります。この重太を演じているのが河村黎吉さんで、タイトルにふさわしく名演なんです。継母である文雄の実母との関係、弟の文雄との関係、やや距離をおきながらも暖かい眼差しで二人を見守る役柄を見事に演じております。そしてこの作品は、ロードムービー的なところがありまして、といっても郊外をタクシーでいくだけなんですが、運転手の文雄と客の須磨子のロマンスが生まれていくさまが見ものなのです。また飯屋で須磨子が椅子に息を吹きかけたり、割り箸をねだったり、彼女の育ちのよさをさらっと描いているところなんかも楽しいです。ラスト、夕日にかぶせられる二人の会話・・・♪ほろり・ほろり ふたりぼっち~ ってとこでしょうかね~。もらい泣きまではしませんでしたが。
8点(2004-11-18 23:13:13)
223.  新婚道中記
「夫婦喧嘩は犬も食わない」と言いますが、この映画では犬のスミス君が夫婦二人へありったけの愛着を見せ、喧嘩を食ってしまいます。ついでにグラントとダンの二人の役者の存在をも食ってしまうかの勢いで、愛らしい演技をご披露してくれます。目ざとくグラントの新聞記事の写真に飛びつかせたりするあたりの演出は巧いですね~。さて、そのマッケリーの演出はその後の40年代のプレストン・スタージェスを思わせるような突然のズッコケぶり、唐突さで笑わしてきたり、ルビッチを思わせるような小道具とシチュエーションで笑わせたりと、広がりあるコメディに仕上げております。ラストのドアを必死で押さえつけている黒猫、この描写(猫写)にも膝を打ちますが、最後の時計にさらに膝を打ち、実はこの夫婦喧嘩を一番おいしく味わっていたのは見ている自分であったことに気付き、最後にもう一度大きく膝を打ったのでありました。
8点(2004-11-09 00:38:35)(良:2票)
224.  新しき土
日独防共協定を背景に両国がそれぞれの思惑で作った合作映画です。ドイツの監督にアーノルド・ファンク、日本の監督に伊丹万作が当りましたが、意見が衝突、結局、ファンク版と伊丹万作版が出来上がり別々に公開されたようです。私が見たのはファンク版で、日本の風土に普通に育った者から見ると、とにかくおかしなところのオンパレード。さま~ずの三村に是非つっこんでいただきたい(笑)。例えば、富士山の近くに住んでいるはずが裏庭が安芸の宮島、東京音頭をバックに阪神電車のネオン、着物に草履の原節子が噴火する山にどんどんと登って行く、などなど。また日本文化の象徴たる事物の羅列は和的スパイラルのごとくとどまるところなし。富士山、桜、歌舞伎、相撲、お寺、仏像、屋台・・・、しかしこれは日本をドイツ国民に好意的に紹介するという使命を帯びた作品で、ドイツ人のファンクから見るとこういう映像になりますよ、ということを知ることができます。それらを切り取ったアングストのカメラは美しいです。ストーリィは、ドイツ語題を「侍の娘」というように、日本の美徳、因習と西洋の進歩主義のはざまに起こるドラマで、17歳の原節子がその娘を熱演しており、早川雪舟が原の父親役で競演しているのは、映画ファンならずともわくわくしますね~。ラストは、これは国策映画です!ということが直球で描かれていますが、そういう時代であったのだということを知る貴重なフィルムとして評価させていたたきます。←結局評価するのかよ!(三村調)
8点(2004-10-23 21:25:56)(笑:1票)
225.  珈琲時光
侯孝賢監督が描く現代の東京物語。静的でノスタルジックな雰囲気を漂わす作品でありました。台詞はまったくエモーションを排除したかのようでいて、言葉の端々、表情に見え隠れする微かな振幅がリズムを刻む映画、です。ストーリィはあってないようなもので、登場人物の背景も多少なりと語られる程度です。よってストーリィやキャラクター設定で語る映画ではないのよ、ということですな。電車の中、ぼ~っと何かを考えていそうな一青窈演じる陽子のシーン、立体交差する電車郡、電車が行き違う駅のシーン、そして電車や駅で録音する浅野忠信・・・電車を徹底的に作品に用いています。撮り方は一目瞭然の長回し。見ている者に感じてもらったその場の雰囲気を持続させようという感じです。その中で、カメラが微妙に動いて人物をフレームから外したり、物の影に隠したり、遮らせたりして、視界をすっきり保証してくれません。例えば、喫茶店のマスターに場所を聞くシーン、場所を語りだしたマスターをすーっとカメラから外しています。また陽子の部屋へ父母が尋ねてくるシーン、母が陽子を思いっきり遮った構図をわざと採用しています。ということで電車のすれ違いのシーンを挟むこと、人物を遮ったり隠したりすることで、東京という都会が含有する、人間のすれ違い、見えたり見えなかったりする人間関係を描いたもの、というところでしょうか。そうした中にも隣りの家へお酒とグラスを借りに行くシーンなどに、侯孝賢監督の古き日本への想いといったものが見えたりするのでありました。私が見たことのある「童年往事」「悲情城市」あたりと比べるとかなりあっさりしてますが、ちょっとコーヒーブレイクにはいいかもしれませんね。
8点(2004-10-18 00:17:19)(良:3票)
226.  素晴らしき日曜日
音が印象的な映画。浮浪児にかぶせる汽車の音、アパートの一室のポツリポツリとした雨漏りの音、突然スピーカーから流れる音楽、タクトを振り上げようとした時の風の音・・・。それぞれがその場の雰囲気を代弁しています。中北千枝子さんの、薄幸そうとはいえない明快な雰囲気も戦後の荒廃を明るく夢を持って生きようとする女性によくあっていますね。作中では、やたらと残金を計算しているのですが、現実に使ったお金が動物園の入場料以外、不本意な支出ばかり。しかしこの事実が、その後のベーカリーや音楽堂でのお金を使っていないシークェンスへ生きています。喫茶店でのミルクコーヒーの一件など残金を執拗に描いているのはそのためでしょう。またここではコートを手離させることで、目に見える形としての暖かさまでも奪っています。よって目には見えない未来のベーカリーや音楽堂でのコンサートがより際やかにその暖かさを纏うことになっているのが巧いなあ~と。音楽堂では、嬉しそうにタクトを振る男、涙ながらに観客席から見る女、お互い同方向を見ているためその表情はわからないはずなのですが、気持ちは一つになっている様子が画から伝わってきます。ラスト、黙って駅のベンチに座る二人。ここで喫茶店での女の言葉がまた生きてきます。汽車の音、揃ってちらりその方向を見る二人・・・彼ら二人の未完成交響曲が完成に近付きつつある瞬間でありました。
8点(2004-10-15 00:35:52)(良:2票)
227.  兄いもうと(1936)
夏、河川工事に精を出す人足衆、叱咤しながら指揮する親分。間違いなく頑固親父の画を描き、そこに英百合子さん演じる妻が、ふかした芋をもってやって来て人足衆を労います。この2人が兄いもうとの父と母で、彼らの人物像を見せた後、兄といもうとの会話へとつなげていきます。丸山定夫さん演じる兄と竹久千恵子さん演じる上の妹の一本気なところは父親似、堀越節子さん演じる下の妹のおっとりした感じは母親似、ってとこでしょうか。実家である家屋が、また生活臭を感じさせて素晴らしいんです。土間でご飯の支度をする母のショットや、開け放たれた障子の向うに広がる土手は、それだけで絵になるんです。秋、冬が過ぎ、春がやってきます。ここは郵便配達人を配し、おちる葉っぱや、雪のショット、虫とり網をもった子供たちのショットで語ってきます。外に出ている妹2人が帰って来る時ののどかなロケーションは、口の悪さを見せるもののそれぞれにやさしさを持つ家族の肖像のようでした。そして後半は、兄とワケありの上の妹がすさまじい口論をします。その時の、竹久千恵子さんの圧倒的な口調に見せる女の強さ、その騒ぎが落ち着いた後にもらす口調に見せる女のやさしさ。兄の妹への思いはそれまでに直接的に語られるシーンがあるのですが、兄が家から去っていく後ろ姿の超ロングショットにもそれがにじみでておりました。また夏がやって来て、人足衆を鼓舞する父親の姿。このラストシーンはこの父の持つやさしさ、いつまでも変わらない家族の絆・・・なかなかの傑作です。
8点(2004-10-10 21:56:47)
228.  当りっ子ハリー
チャップリンやキートン、ロイドに比べると知名度は劣りますが、ハリー・ラングドンもサイレント時代を代表する喜劇役者、だそうです。私もこの作品で初めて彼を見ました。童顔に白塗りの顔、年齢不詳、誰やねん!といった風貌で、巻き込まれ型の笑いを提供してくれます。キャプラはこのラングドンのもとで喜劇作家として売り出し、この作品では監督をつとめました。後半のミュージックホールではラングドンの見せ場全開なのですが、ストーリィはまさにキャプラタッチです。静かな街が金と資本に蹂躙され、金の亡者が経営するミュージックホールは、刹那的な快楽にふける客で大賑わい。静かな街を取り戻さんと立ち上がる牧師と善良なる市民たち。ハリーと牧師の娘である盲目の少女との恋が並列に描かれ、ハリーのドタバタ一人舞台の大騒ぎを見せ、大いに笑わせた後には、さらりとハリーと少女のハッピーエンド。目が見えるハリーが石につまずきこけるラストは憎いったらありゃしないです。ラングドンの雄姿を見ることができる貴重なフィルムであるとともに、キャプラタッチをも堪能できるこの作品、当り、であります。
8点(2004-10-03 23:55:10)(良:2票)
229.  ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け
パルコが映画製作にのり出した作品です。この作品、見れば見るほど系で、もがけばもがくほど足をとられるような魅力があるんですよ。話は、ある酒場の店舗内でのみ進行していきます。その酒場をギャングから守る用心棒と、店に来る客、彼らがすべてネジが一本以上とんでいるような連中で、とにかく荒唐無稽なストーリィというかストーリィレスなストーリィ。理解不能な会話や登場人物の雰囲気を皮膚感覚で受容できるかどうかがこの映画を満喫できるかどうかの鍵ですが、私は受容派に属しました。また私の好みなのが、高間賢治さんのカメラワークで、店内を虫のようにドリーとクレーンで気持ちよく動いてくれます。北林谷栄さんと奥村公延さんの会話で、カメラがぐるっと回り込み、いたはずの奥村さんがいなくなって包帯巻きの人物が寝るベッドに変わっているワンカットのシーンは、「雨月物語」ばりでインパクトがありました。ギャングが襲来しての壮絶な銃撃戦は、スモークやら、雨やら幻想的な雰囲気をうまく作り出しています。ということで、保安官のパット・ギャレットにも是非見ていただきたい、愛すべき一品なのであります。
8点(2004-10-02 00:30:24)
230.  
↓お一人でおくつろぎのところ失礼いたしますよ、ドカッ。しかしどえらい物語設定ですねー。しかしその設定、人形が底なし沼に吸い込まれていくカット、ぶくぶくとガスが湧き出ているそのカットのおどろおどろしさ、そしてあの農場主一家の非道ぶりが後半の脱出冒険劇として見事に生きてくるわけです。そして誘拐されてきた赤ちゃん、まあ確かにこの女の子がクルクル巻き髪で実にかわいらしいのです。が、メアリー・ピックフォード演じるモリーが「まあかわいい、本当に私にくれるの」って緊張感なさすぎやろ!と思わずつっこんでしまいました。が、この無邪気な母性本能がまたその後に生きてくるのです。この赤ちゃんを背に子供たちとの農場脱出劇は、逆に緊張感ありすぎやろ!というぐらいにハラハラドキドキ。あのワニの恐ろしさといったら・・・。そんな緊迫した中にも、後ろからズボンを引っ張られてお尻を出している子もいて笑いました。まあ、ピーチクパーチクさえずっても仕方がないのでこのあたりにしておきます。ラストシーンは、私も雀の涙ほどの涙を流したことを付け加えて。
8点(2004-09-28 00:52:36)(良:1票)
231.  ベジャール、バレエ、リュミエール
バレエに関する知識といえば、ノーザンダンサーを父とするニジンスキー、ヌレイエフといった種牡馬が実在のバレエダンサーから名付けられたということ、ぐらい・・・そんな私が最初にレビューするのは申し訳ない、ごめんなさい。さてさて、このドキュメンタリー作品、天才振付師、モーリス・ベジャールが舞台「リュミエール」を完成させ公演するまでを追います。リュミエール=光をモチーフに作品が練り上げられていくのですが、その過程で語られる言葉の数々、バレエに全人生を捧げ、全人格をぶつけてきた者にのみ許される重みがあります。そして光の束のように踊り舞うダンサーの苦闘がシンクロされ、ベジャールさんの生の姿をそのまま切り取ろうと粘り強くじっくり自然光で回されたであろうカメラが、彼の苦悩、行き詰まりの闇の向こうに光が見えたその瞬間などを表現していきます。そしてベジャールさん、とてつもない映画好き!日本びいき!知っている人には常識なのでしょうが、知らずに見ている者には感動でした。グリフィス、シュトロハイムなどを見て育ち、リュミエール兄弟を作品に登場させ、舞台の台詞で語られる映画タイトル「ピクニック」や「散り行く花」などにまじり「雨月物語」が登場!そして映画について語られる一連のシーンのしめくくりが、リハーサル時の舞台台詞「君はヒロシマで何も見なかった!」・・・思わずニンマリしました。流れるシャンソン、ダンサーの指先、ベジャールの視線、それらが静かにじわりと余韻を残します。ラスト、出発点が到達点、子供時のフィルムが物語る雄弁性に拍手です。
8点(2004-09-10 23:33:21)
232.  マイ・フェア・レディ
ヒギンズ教授宅の美術セット、丁寧で重厚でいいな~。蔵書にあふれたクラシカルな知的空間。一瞬ですが広角でフレームいっぱいに広がる蔵書を捉えたショット、お~~と歓声を上げました。そこに不似合いだった薄汚れた花売り娘が、少しずつその空間に同化し、ラストにはその空間以上にヒギンズ教授の心の中にもいなくてはならない存在となる様は、痛快であります。そして、この舞台劇を単調になることなく捉えたハリー・ストラドリングのカメラ。上の階を見上げたり、下の階を見下ろすなど空間を立体的に利用したり、構図に気をつかいながら回り込ませたりしているカメラワークは、アカデミー賞撮影賞も納得です。ともすれば、話のつながりを分断することで嫌われるミュージカルも、この映画ではストーリィが単純なだけ、レビューを楽しむ余裕が生まれていますし、事実、見ていて心が躍りました。しかし、3時間近くの長さは、さすがに2時間を超えると集中力が少しなくなり、そこが少しマイナスです。さ~、オードリーといっしょにお~どりましょう。うっ、靴を投げないでね。
8点(2004-09-03 01:13:44)
233.  雄呂血
阪妻演じる平三郎ですが、この人には世界の中心で不幸をさけばしてあげたいですね~。見ている私が「誰か助けて下さい!」と画面に向かって言いそうになりました。奈美江さんもお千代さんも人妻におさまっちゃって、そりゃーヤケにもなりますわな。カメラはさすがに据えたショットがほとんどですが、平三郎が逃げるところなどに移動撮影が使われ、ラストの立ち回りを捉えたロングショットはじわじわフレームが動いていて、大人数を1コマにのせ動かすことで、まさしく大立ち回りとなっております。これだけの出演者を揃えたのですよ、と誇らしげなシーンでもありますね。阪妻がにゅ~っとカメラに近付く超クローズアップ、この侍の葛藤、矜持。はたして善事の仮面を被った偽善者=悪人と無頼漢の謗りを受ける浪人=善人の結末やいかに。浪人の刀が理不尽な世をバッサリ斬る、ことができるのかはどうかご覧下さいませ。おろちくお願いいたします。く、く、苦しい~、私がバッサリ斬られそうですな。
8点(2004-08-30 23:54:45)(良:2票)
234.  ジャズ・シンガー(1927)
「お楽しみはこれからだ!」の台詞から、おっ、ここからトーキー全開になるのかと思って見ていたら、ほとんどサイレントで完。私もしばしサイレント・・・。私は完全なトーキーとして期待し、すっかり拍子抜けしたクチであります。先に↓を読んでおけば・・・(笑)。内容的にも、ニューヨークのユダヤ人街、ジャズシンガーが賛美歌を歌うことの意味、贖罪の日、顔を黒塗りする舞台など、それらの伝統や歴史、文化をあまり理解していない私には辛いところでありました。拍子は抜けましたが、トーキー映画の表紙を飾るようなこの映画、敬意を表して8点と評しましょう。トーキー映画のお楽しみはこれからだ!
8点(2004-08-20 14:23:16)
235.  オアシス
オアシスのタペストリーに木の影が不気味に揺らめき、風が窓を打つ音、ラジオの音、犬の泣き声、車の音などが重なったオープニングからなにやら見せてくれそうな予感。全編を通じてムン・ソリ、ソル・ギョングをドキュメンタリータッチで追うように、手持ちカメラで撮られた映像がテンポよく展開していきます。障害者と前科者の2人をそれぞれの家族が、自らの打算や体裁に利用しているのですが、厄介者をせいぜい利用させていただこうといった風情でそこに悪意を感じさせない、悪意のなさが、一般者のこの2人への距離感を象徴しているようです。車椅子にのったムン・ソリが空を見上げ、空からムン・ソリの表情を捉えたショット=天上からのショットの次シーンに牧師様が登場しますが、後半、牧師様の祈りの最中にソル・ギョングが警察から逃亡するシーンにより、実はすべてをお見通しであるはずの神でさえも、2人のことはわかっていないんだなー、と少し切なくさせられます。そして、夜間にひたすら木を切るシーンは、涙があふれるほどの名場面。ラジオのボリュームをマックスに応えるムン・ソリ、その視線から捉えた眼下のソル・ギョング、パトカーの音、近所からの苦情、それらが混ぜんと見ている者に迫ってきます。夢想シーンと蝶々のCGなどは、ドキュメンタリータッチの中にもファンタジックなシーンを挟むことで緩衝的な役割をしているものと解釈しております。しかし、ムン・ソリの演技には、恐れ入りやの鬼子母神です。
8点(2004-08-10 01:00:47)(良:1票)
236.  午後の五時
大統領になりたいという女性。その彼女がヒロインとして華々しく描かれるのではなく、彼女とその一家を介して、タリバン政権崩壊後のアフガンの現実、イスラムの伝統社会を透かせて見せています。食べること、住むこと、寝ること、といった生きる原初的欲求。おしゃれをするといった二次的文化的欲求。そのはざまの主人公の苦悩、葛藤、どうしようもなさ。廃墟の宮殿の静寂にポツンポツンと滴る水、ハイヒールの靴音。このコントラストは主人公の内面が見事に音をもって表現されています。義理の姉が水を使って洗う赤ちゃんの背景に、焚き火の炎を揺らめかせながら、水と火を生きる象徴として表現した後、暗闇の中、凍えを逃れるため、やむなく火をつけた一家の糧である荷車が燃え盛るシーンは、主題歌であろうイスラム歌謡がかぶせられ、とてつもなく切なく美しいです。ラスト、行き場を失った老人に神の死を語らせているのは、“午後の五時”に人間の死を意味させているだけではなく、神の死をも意味させているかのようでした。そして水平に消えていく一家は、水平から現れるオープニングの対として、静かにこの映画に幕を下ろしています。難癖をつけるなら、あまりにも対話シーンにクローズアップが多いのがマイナスです。引いたショットでその構図が映えているだけに、もう少し効果的にクローズアップが使えたのでないかなー、と感じながら映画館を後にしたのでありました。
8点(2004-08-04 00:36:32)
237.  アドルフの画集
鉄工所を改造したマックスのアトリエ、室内装飾など、美術はかなり丁寧に時間をかけて製作されているような印象でした。そしてこの時代の不穏な雰囲気に似合う抑制された照明と、それを捉えるカメラも美しく、スタッフ技術の確かさがうかがえました。鷹のオブジェがそびえる屋上から地上にカメラを向け、上を向くアドルフを捉えたシーン、鷹という天上舞う鳥からの視線=神の視座でヒトラーを見せること、これがラストの俯瞰ショットに見事につながっていると感じました。ラストシーンの俯瞰は、柔らかいオレンジの光あふれる大通りと、青白い光に照らされる広場が同時に捉えられ、背中あわせに織り成される皮肉な運命を浮かび上がらせます。しかし、それが神の視座であることを知ると、けっしてこのストーリィがタラ、レバの興味本位なものではなく、ヒトラーという人間をモチーフにしながら、その場面場面の運命を受け入れる力、人間の受容力が晒されたもので、そこから人はどう生きるのかが大事である、という摂理が提示されているのではないかなー、と感じているところであります。
8点(2004-07-10 14:26:12)
238.  リアリズムの宿
なんともいえない“間”、いやいや笑いました。顔ぐらいは知っていた男2人がやむなく旅をすることになって、生み出される空気。そこに加わる女1人。その3人が、低温で微妙な関係を保ちながら、日常の延長のようなだらだらとした旅を続けます。長回しの会話で生み出される独特の間、長塚圭司と山本浩司の会話の間は、監督と2人の役者とが入念に築きあげた信頼関係から生まれる、即興的な部分もかなりあるような印象です。「異邦人」のタイミングにも笑いました。3人そのものがその宿では異邦人的なのですが、歌う山本浩司を異邦人でも見るかのように見つめる2人がまたおかしいですね。また彼らが泊まる宿が、風変わりな宿ばかり。笑わしてくれます。なんともけだるくアンニュイで、見る者を心地いいまどろみに引き込む、鳥取ロードムーヴィーです。
8点(2004-07-05 22:29:06)(良:1票)
239.  赤ちゃん教育
しゃべる、しゃべる、走る、こける、しゃべる、しゃべる、走る、こける・・・このリズムにのってジ・エンドまでハイテンションで展開する息つく島ないスクリューボールコメディ。とぼけた令嬢に巻き込まれてしまった生真面目学者、その2人をさらに巻き込むのは、豹と犬。動物的なる天然キャラの令嬢とまさに動物に振り回されるグラント、その彼が動物学者であるのがおかしいですね。ホークス監督の一気に駆け抜ける演出が冴えわたる一品です。
8点(2004-06-28 08:40:40)
240.  昼下りの情事 《ネタバレ》 
ワイルダー、ハリウッド監督13作目。そしてI・A・Lダイアモンドと脚本を組んだ最初の作品です。ワイルダーによるとダイアモンドという人は極端に性的表現を恥ずかしがる人だそうで、そういや、この作品もオードリーの魅力とあいまって品のある作品となってますねー。唯一、邦題だけが・・・なんだこの艶っぽさは。さてさてそれはさておき、この作品もワイルダーお得意の“なりすまし”から始まる物語。不倫相手の女性になりすまし、プレイガールになりすますことで、さんざん女性を振り回しきたプレイボーイを振り回すのは、本当は純真無垢な音大生。父親から真実を知らされ、荷物をまとめてオードリーと部屋を出るクーパー、廊下でチェロにちらっと目をやるクーパー、その後チェロを手に階段を降りる父。ワンカットで撮られたこのシーンは、チェロを媒介に実に巧く映像で語ってくれます。ラスト、駅で必死にふりをするオードリー、知っているクーパー、見る者はクーバーが知っていることを知っているだけに切ない別れ・・・あーいい映画だったなー・・・で終わるはずがひょいとオードリーを持ち上げ、列車へ ・・・えー、2人は結ばれちゃうのー!?、親父ものん気に判決うんぬんなど台詞を決めている場合じゃないだろと思うんだが、あくまで個人的な好みで、このラストはどうしても気に食わないなー。プラットフォームに残されたオードリーにチェロを渡す父の姿で終わってほしかった。しかし、アンクレットに挑発された男というのは「深夜の告白」では悲劇的な最後を迎えるんですけどねー。ちなみにオードリーはオードリーでも、クーパーとオペラを観劇していたご夫人は本物のワイルダーの妻、オードリー・ワイルダーです。
8点(2004-06-21 23:19:48)
010.22%
130.67%
271.56%
392.00%
4153.33%
5255.56%
64810.67%
77115.78%
89621.33%
910022.22%
107516.67%

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