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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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321.  シカゴ(2002) 《ネタバレ》 
アカデミー作品賞に相応しい素晴らしい作品だと思う。 作品賞にも相応しいが、本来は監督賞をあげるべきではないか。これほど中身がないストーリーの映画を超一級のエンターテイメント作品に仕上げた手腕は最も誉められるべきだろう。とても初監督作品とは思えない手抜きのない完成度の高い映画であり、まさにプロの作品だと思う。 他の普通の映画であれば、脚本をみれば、ある程度どのような映画に仕上るかは素人でも多少の想像はできるとは思うが、この映画の脚本を渡されて、映画を創れと言われても、本作以上のものを創れる人はおそらくボブフォッシー以外にはいないだろう。 また、ストーリーはないと言っても、殺人でさえも市民の娯楽、すべてがショービジネスのような世界「シカゴ」を余すところなく描かれている。タイトル通り、まさに何でもありの街の「シカゴ」を描いた作品である。 そしてミュージカルの利便性を最大限に活用している点も他の作品ではみられないところ。 自分のキャラクターのツボをミュージカルにして歌いあげることによって、瞬時にキャラクターを理解できるのは眼から鱗モノだ。エイモスのセロファンとしての悲哀や、愛なんて要らない金だけが全ての男ビリーフリン、ギブ(施し)があればテイク(見返り)が必ずある頼もしい看守のママなど、セリフや仕草で表すことよりも、最も楽に効率良く伝えることができる。 自分が想っている素直な感情をそのまま力強く観客に伝えることができるミュージカル特有の良さが最大限に伝わってきた。 演じる役者もなかなか良かった。キャサリンゼタジョーンズの迫力には驚かされたし、操り人形を扱うかのごとく周りを翻弄する弁護士をギアも冴えわたっていた。法廷をサーカスのように見立てたり、弁論をタップダンスで表現するのも素晴らしい演出だ。 一点難を言えば、レネーゼルウィガーか。冒頭のゼタジョーンズの代わりに自分が「ジャァァーズ」と歌う所を空想するところで、ゼタジョーンズとの声量や歌の上手さの比較ができてしまうのが残念だ。他の部分の歌は声量を要しない部分が多いので問題はなかったが。また、随所にレネーに対して「キュート」「キュート」というセリフを聞くと、自分の感覚では首を傾げてしまう。アメリカ人にとってキュートなのだろうか。
[DVD(字幕)] 9点(2005-11-27 22:49:32)
322.  エリザベスタウン 《ネタバレ》 
どん底に落ちた人生からの再生というのはなかなかよいテーマだったが、映画自体は監督が個人的な趣味で創っているような感じだった。やや観客を置き去りしているように思えるので、日米でコケたのはやむを得ないかもしれない。 また、終始滑り気味な笑い(60Bを行き過ぎて一人怒り狂うドリュー、サムソン等)と、センスはよいのだろうが映像よりも主張し、目立ってしまっている音楽(ムーンリバーやクルマでの旅行の際の音楽はよい)も多少難点だ。 また、人生の再生という主題に対してやや焦点がぼやけてしまっている感が否めない。確かに人生の再生を一つの事柄で表すのは難しいのは分かるが。 父の死を乗り越えようと料理やタップダンス等に精を出しつつ、悲しみに浸るよりもユーモアを忘れない母のスーザンサランドンや、昔の恋人?を忘れられなく、ドリューと同様にどん底にいながら健気に頑張るクレアなどがドリューに与えた影響が多少分かりづらいような気がする。 また、父の遺灰と共に(本当は生きている父と行きたかった)旅行にでて、心が癒されていく様もちょっと端折り過ぎではないか。本当の意味で一人になって自分を見つめ直す旅行であるはずなのだから。前半と中盤にやや無意味に時間を要されたのも痛い。 肝心のクレアとの関係の描き方も「恋人までの距離」のジェシーとセリーヌを見ているようで中々良かったとは思うが、一番中途半端な感じになったような気もする。もっと描くか、もっと描かないかのどちらかではないか。二人のやり取りは電話だけにして、最後に再会するという流れでもよい。 しかし、近くに居た人は泣いていたような感じだったし、終了後に一人か二人ぐらいが拍手していたのでよいと感じる人もいるようだ。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-21 01:15:42)
323.  親切なクムジャさん 《ネタバレ》 
「復讐者に憐れみを」「オールドボーイ」両作ともに凄まじいパワーを感じ、この監督はかなりの切れモノだと思っていた。したがって、復讐モノ三部作の完結になると言われている本作にも期待せずにはいられなかった。 しかし、深く考える人の中には入りこめる人もいるだろうが、個人的には、全く入りこめない、全く面白くないの二言に尽きる。 イヨンエという女優は全く知らないのだが、役柄上からだろうか、あまり内面の苦しみや怒りなどが伝わらず、彼女の感情を上手く把握できなかった。復讐という血なまぐさいテーマにはあまりあっていない女優のようにも感じる。 ストーリーについては、大して深く描かれていない人脈を武器にさくさくと復讐に向けた動きが進むだけで、ほとんど捻りがなく、復讐に向けた抵抗勢力が二人組の男くらいだけで山が極めて少なく低いのが問題。 また、復讐をするか否かという葛藤もなさそうなので同情や共感もしずらい。子どもがいるのに「復讐=人生を再度棒に振る=子どもとはもう会えない」という発想がないのもちょっとおかしい。クムジャの頭の中には「復讐>娘」という関係があるように思われるので共感しにくい(復讐が終わってようやく娘と向き合えるというのも分かるが)。老いた警官も葛藤を与える役柄にしても良かっただろうに。 女性復讐者であることの最大限の利得である母性もこれまた上手く感じることができなかったのが残念だ。韓国語が分からない女の子という設定が、「通訳」を効果的に演出できるというメリットはあるものの、コミュニケーションが上手く取れないという欠点にも繋がったように感じる。なぜか彼女の「I’m sorry」や白いケーキが胸に響かなかった。 そもそも、子どもを殺された家族の苦しみと(子どもとともに過ごす)時間を失ったに過ぎないクムジャを同列に描くことはちょっと違うのではないか。犯人は子どもを嫌いと言いながらクムジャの娘を解放しているのにもやや矛盾を感じる。どうせならクムジャの娘は双子という設定にして片方が誘拐され殺されたとしたならばまだ分かるのだが。
[映画館(字幕)] 3点(2005-11-15 01:16:46)(良:1票)
324.  復讐者に憐れみを 《ネタバレ》 
観終わった瞬間はラストはちょっと余計かなと思った。 苦し紛れに言った言葉が実は真実だったという手法はありがちであり、せっかくいい映画なのにこれでは蛇足ではないかと思ったりもしたが、よくよく考えるうちに、この映画の主題は「復讐の連鎖」であり、復讐を遂げることで映画が終わっては主題とずれるのではないかと監督は考えたのではないか思った。 自分に非がないのに巻きこまれた被害者であったはずのガンホであるが、復讐そのものが正当化されるはずはない。逆に、全く面識もない者たちに復讐され得る加害者でもあったという復讐の論理を訴えたかったのではないか。 あの四人組にも、自分たちの同士を殺されたことに対する彼らの復讐に隠れた大きなストーリーがあると思させたが、もうちょっと何かしらの説明なり、セリフがあった方がよりテーマが深まるかなと感じた。 映像に関しては、リアリズムを追求した荒荒しい映像はテーマに非常にマッチしている。人形と共に手が黒焦げになっていく過程などは、こんなふうに撮る人は今までちょっといなかったなと感じさせたが、「こう撮ったら面白そう。こうすればいい画が撮れるのではないか」というような技巧に頼ったり、本質ではない部分にこだわったりしているようところも見受けられた点は多少引っかかる。 映像のリアリズムを追求するのはよいが、あの状況下においてエレベーターの中で手を握る姿は日本人の感覚ではリアルではない。二人の関係やドゥナに対する想いの深さ、愛するものを奪ったものが愛するものを奪われたという姿を描きたいというのはよく分かるのだが。
[DVD(字幕)] 7点(2005-11-13 02:58:56)
325.  ブラザーズ・グリム
ギリアム監督作品はあまり見たことないのでよくは分からないが、素直にストーリーを追っても面白くはない作品を撮る特殊なタイプの監督なんでしょうか。 ストーリー自体は極めて平凡。どこにも驚くような仕掛けや展開もなければ、兄弟愛を謳った感動するようなストーリーでもない。 また、ファンタジー作品とみても、昨今同種のあまたある作品群の中からあえて特筆すべき点はどこにも見当たらない。 しかし、面白い点を探せば、この映画はどうやらコメディとみるのが妥当ではないかというところ。ファンタジーの名を借りたコメディというのは恐らく彼のような特殊なタイプの監督でしか撮れない映画なのかもしれない。 そうはいっても、この監督の笑いは恐らく理解できる人は限られていると思われる。映画館で観るよりも、家で一人で細かい笑いを楽しむような部類の映画なのかもしれない。ツボに嵌まる人は少なからずいるだろうが、このような一般受けしない映画にそこそこの大金を注ぎ込むアメリカの製作会社の気持ちが全く分からないな。観客を呼べそうな面白そうな題材で、観客を呼べる俳優を使っているのに、この調理方法はどうなんだろうか。 たぶんギリアム監督とは感性が違うと思われるので、よほど前評判が高くない限り、彼の監督作品を観ることはないでしょう。
[映画館(字幕)] 5点(2005-11-07 01:04:57)(良:1票)
326.  ドミノ(2005) 《ネタバレ》 
アメリカでは完全に黙殺されてしまった本作だが、トニースコット監督は才能があり、もっと評価されてもよい監督の一人だと思っており、自分は密かに注目していた。公開前に亡くなってしまったが実在した女バウンティハンターの生涯を描くというのも面白そうな題材だ。また、キーラナイトレーも今後主演女優として一本立ちできるかどうか重要な作品となった。 本作での(無駄に)凝った映像、(無駄に切り刻んだ)ストーリーの組み立て方などは個人的には彼の演出は評価したい。 しかし、実在した人物を描いた映画としては、全く評価できる部分はない、ひどいものであった。 いったいどういうつもりなのかは分からないが、アフガンとか、病気の少女(あのボスは30万ドルもないの)とか、後半の展開は「ひょっとしてそれはギャグでやっているのか」というストーリー。タランティーノやトニーの過去の作品に類似するストーリーにはただただ唖然とするばかりであった。 なぜ実在の人間を題材としながら、このような捏造されたでっち上げたストーリーを描いてしまうのか理解に苦しむ。この内容ならば「based on true story(たぶん)」とするよりも「inspired」程度に留めて、登場人物も別名でやるべきだろう。ドミノという冠が付いているがために、あまり本人と離れした映画にもできずどっちつかずの訳の分からない映画になってしまっている。実在の人物を描くという足枷が本作をダメなものとしてしまっているのではないか。この内容ならば当然アメリカから黙殺されてもやむを得ないだろう。 さらに付け加えると、本作はドミノという人物が全く描けていない。彼女が何を思い、何に苦しんで、何を得たのかというものが全く見えない。マザーに向かって「Ilove you」と言ってもなんだか全くわからない。「そういう映画だったっけ?」と自問したくなる。実在の女性を描くのならば、シャーリズセロン主演の「モンスター」ような映画にするつもりはなかったのだろうか。ないとすれば、架空の女バウンティハンターの映画を作ればよいのであってアプローチを間違えているとしかいいようがない。 また、キーラのイメージビデオとして見ればどうかと思ったが、主役の割には焦点がぼやけまくってこれも上手くいっていない。キーラ自身は頑張っていたが、この役には合っていないようだ。無理をして貧乳をさらすよりも自分にあった役を選ぶべきではなかったか。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-05 23:52:15)
327.  機動戦士ZガンダムII 恋人たち 《ネタバレ》 
前作では、新旧入り混じった画像の違和感とストーリーの繋がりの悪さが目立っていた。一本の映画と評価すべき点はなかった。 本作では、画像については大幅に新画を取り入れ、比率的には旧画よりもウェイトを占めている印象を受けた。しかしオリジナルでカツが出撃した際のMKⅡを映画でカミーユが乗っている様に転用するという手抜きは相変わらずだ。次作ではそろそろ全て新画で統一して欲しいものだ。 画質は確かに多少改善されたが、肝心のストーリー方は非常に好ましくない。特にフォウの扱いには驚きを隠しきれない。恐らく再度の地球降下を描けないがための処理だろうが、あれではカミーユはフォウの生死を知らないままで終わることになるのではないか。フォウの死というのは、カミーユの戦いに対する気持ちを変えた最大の出来事であり、あんな中途半端な描き方では酷すぎる。 しかも主題であるはずの二人の関係も全く満足に描ききれてはいない。前半は二人の関係で終始させてもよかった。二人の屋上でのキスシーンを旧画で描くというのも「逃げたな」という印象。 カミーユとフォウの関係を描けないにもかかわらず、声優の関係からか、サラとカミーユには時間を掛け過ぎだ。二人の関係はそれなりには重要ではあるが、恋愛感情はほとんどない。サラはカツ及びシロッコとの関係が重要であり、カミーユとの関係はカットできる部分だ。 また、「恋人たち」という主題であるため、カミーユとファ、クワトロとレコア、ヘンケンとエマ、アムロとベルトーチカ、ブライトとミライの関係も描こうと努力はしているが、概ねこれらの関係の描き方は間違っていると思う。特にカミーユとファの関係はあれほどストレートではないはずだ。幼なじみということもあり、ストレートに気持ちを表せられない二人の関係が本来の姿であり、あの二人の関係の面白さでもある。オリジナルでは再会時に安堵感から抱きしめ合う姿はあるが、本作のあんな描き方ではフォウに対する気持ちは何なんだということにならないか。あれではただの女好きだぞ。 そして本来描かれるべきシロッコとレコア、ジェリドとマウアーを描かないでどうするんだと思う。 しかしストーリーはどうであれ、モビルスーツが戦う姿を大画面で見るだけで興奮するものだ。次作「星の鼓動は愛」では無駄な部分をカットして、シロッコとハマーンをきちんと描かれれば文句は付けない。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-01 01:41:28)(良:2票)
328.  シン・シティ 《ネタバレ》 
正直言ってロドリゲスは名前だけで才に欠ける男ではないかと思っていたが、大きな間違いだったようだ。原作は未見で、どういう内容の映画かも全く知らずに鑑賞したが、徹底したハードボイルドの世界と切ないラブストーリーが見事にマッチしており、さらにセンスある世界観がこのハードボイルドさとラブストーリーをより高次元のものにしている。この見事な世界にたっぷりと酔いしれた。 また、魅力とクセのある役者がそれぞれのキャラクターを見事に演じきっている。恐らく協同監督に原作者フランクミラーがいるためだろう。原作者がキャラクターの本質を徹底的に役者に仕込んだものと思われる。原作者を協同監督にできたのもこの映画の高評価の理由だろう。 また、この世界はバイオレンス溢れる罪深き街を描いているが、このバイオレンスさが全く下品に感じないのも良かった。これは恐らくコミック的な良さ(マーブは何度轢かれても死なない等)を活かしているからではないか。コミック的なものがこの世界を覆っているため、我々の世界とは違う別次元の世界と感じられるからグロさや下品さをあまり感じないのではないか。 【以下完全なネタばれ】 この映画は、ハーディガン(ウィリス)とマーヴ(ローク)とドワイト(オーウェン)の三人の男達(と女達)のストーリーであるが、それぞれのストーリーに深い意味を感じる。 自分を見失うことなく8年を耐え得ることができたハーディガンは、自分を生かしてくれた女を生かすために死んでいった。また、一晩限りでも女の温もりや愛を感じさせてくれた天使の復讐のためにマーヴは死んでいった。 自分を生かしてくれるのも女であり、自分を死なすのも女である。男というものは、女のために生きも死ぬもするという哲学が、この映画に一本筋を通している。 また、愛する女を守るために戦う男ドワイトのストーリーには、女のために男は必死にもなるが、女自身も守られるだけではなく、戦う強さも持ち合わせているということを感じさせた。この主演三人も素晴らしいキャラクターだったが、脇役のイエローバスタードとケビンも女と間違った接し方しかできない悲しいキャラクターではないだろうか。また、男をこうも動かす女の魅力を、ナンシー、ゴールディ、ルシール、ゲイル、ベッキー等々が存分に示してくれた。どう考えても美しくないデボン青木でさえ、魅力を感じてしまうのもこの映画の魔力だろう。
[映画館(字幕)] 9点(2005-10-02 03:14:27)(良:1票)
329.  シンデレラマン 《ネタバレ》 
各試合白熱し、手に汗握りブラドックを応援し、彼の戦う姿にはそれなりに感動したので、悪くはないと断定できるけど、なんというかやっぱりロンハワードらしいなという感じ。 こんな例えを出してもここでは理解できる人は恐らく1割もいない気がするけど、柴田ヨシトミジョッキーみたいな気がする(分かる人だけ分かって欲しい)。 とにかく教科書的というか、公務員的というか、真面目なんだけど、思い切りのよさや冒険や攻めがなく、観ている者に面白みや驚き、サプライズを感じさせない。おっと思ったのが、試合が終わったのと同時に次の試合が始まっているという流れくらいか。あとはほとんど既視感を感じるシーンばかりだ(確かにサプライズで勝負する映画ではないのは分かるけど)。 演出に関して一点、自分で整理が付いていない問題がある。確かラスキー戦だったと思うけど、肋骨を怪我して、立っているのもしんどいという状態のときに、家族のことを思い出して相手に向かっていったようなシーンがあったと思う。まさにミルクのため、息子との約束のために戦うブラドックらしさを感じる演出ではないだろうか。 しかし、対ベア戦の際には、ブラドックが息子や娘、妻を想うシーンがなかったのをどう受けとめればよいのか自分では整理が付かない。 対ラスキー戦ではなく、対ベア戦の際に、家族のことを思い出すシーンがあれば、彼が戦う意味や彼が倒れることなく必死に戦う原動力を観客は再認識しながら応援することができるような気もする。他方、そんなシーンを入れなくてもブラドックが戦う意味は、母親に反抗して立て篭もってラジオにかぶりつきながら応援してくれる子どもたちや教会に集まった人々を映すことによって、観客は感じることができるので、改めてそんなシーンを入れるのは野暮ったいような感じにもなる。むしろ、ベア戦ではそんなシーンを入れるのは蛇足であり、ブラドックががむしゃらになる姿を映すことにより、ロンハワードは観客が自然とブラドックが戦う意味を感じ取るせるという流れに導くことにしたのだろうか。 しかしながら、試合のシーンが迫力がありすぎて途切れることなく続くので、かえって親子愛や夫婦愛、友情といったテーマがやや影を薄くしていないかという気がする。試合の途中でどっかでぶった切って、観客の試合への集中力を落とすというのも、考えられなくはない演出ではないだろうか。
[映画館(字幕)] 7点(2005-09-19 23:07:40)(良:1票)
330.  NOTHING ナッシング
この映画のキャラクターは、自分の都合の悪い記憶を消すことができるらしい。 恐らくこの映画を見た人のほとんどが思うであろうことが、自分の記憶を消せるとすれば、この映画を見たという記憶を消したいと思うに違いないだろう。それほど酷い映画だった。もっとも、内容がないので、記憶を消すまでもなく、忘却の彼方に消し去ることはできるが。 ストーリーも意味も内容もオチ(実際はエンドクレジット後に多少のオチ有り)も本当にナッシングだ。サスペンスでもなんでもない。 「CUBE」「カンパニーマン」のノリを期待すると間違いなく裏切られること間違いなしのヴィンチェンゾ・ナタリの2年前の作品。 とにかくオッサン二人が飛び跳ねたり、ゲームしたり、騒いでいるだけの90分なので、普通の映画を見たいと思っている人は間違いなく見ない方がよい。 普通ではない一風変わった映画を見たいという人にだけには、なんとか勧めることができる映画。 本来ならば色々深く考えると意味(本当に消したいもの、消したくないもの、失って気づく本当の大切さなど)がありそうなんだけど、そんなことを考えさせないようなマイナスのオーラに包まれたB級映画に仕上がっている。 オッサン二人が砂漠の中をひたすら歩くというガスヴァンサント作品の「ジェリー」には意義を見出して8点を付けた自分でも、この映画は0点でもよかったのだが、微かな友情の証を見出せたので1点を付けておく。
[映画館(字幕)] 1点(2005-09-19 22:49:06)
331.  銀河ヒッチハイク・ガイド(2005) 《ネタバレ》 
巷では評判がよい本作ですが、有名らしい伝説のカルト小説の存在すら知らない自分にはちょっと向かない映画でした。一言でいえば、つまらなくはないけど、面白さを感じない。微妙にツボがずれている気がする(自分は宇宙船レッドドワーフ号の笑いは理解しているつもり)。 他の観客もそれほど大笑いしているという感じでもない。もっとも、本作は大笑いするというよりもクスッとくる映画ではあるが。 この映画のツボがたまたま自分に合わないのか、それとも他の多くの日本人にも合うのかどうか知りたいので、レビューが増えることを期待するけど、東京では六本木でしかやっていないのが問題。個人的には、よほどの原作マニアでない限り、六本木まで足を運ぶ必要はないのではないかという気がする。DVDを待っても良いのではないかと思える映画。 【以下ネタばれ含み】 原作を知らないのに語るのには抵抗があるが、なぜハマれなかったのか理由を考えてみたい。 ①「意外と真面目な映画に仕上がっていないか」 ユルイ笑いとナンセンスさが中心になっているかと思いきや、やや哲学的な内容を含み、どうでもいいはずのストーリーなのに真面目くさいのが肌に合わない。 「42」に対する質問や展開もユルくてもよいはずであり、白ネズミの存在や、地球再建なども明確的に描いて欲しかった。 ドアの音、ゼイフォードとフォードが飲む酒、無限不可能性ドライブ後の副作用などにはセンスや興味を惹いたが、やはり笑いと真面目さのバランス感覚が悪い。タオルとかイルカも使い道があったのではないか。肝心のガイドが大切なときに役に立たないというオチでもよい。 ②「せっかくのキャラクターが活きていない」 ゼイフォードを演じたロックウェルや、ハーマを演じたマルコビッチはそれなりの存在感を示したが、アーサー、フォード、トリシアが揃ってイマイチ。もうちょい個性的なキャラになり得たはず。いい味を出しているがマービンももっと笑いが取れるはずだ(緊迫感のある場で場違いな発言をしたり、皆から全く無視されるなど)。 アーサーはもっとマヌケ、悲観的役。フォードは逆に如何なる場面でも「don't panic」で究極の楽観的。トリシアはもっと不思議系でよかったのではないか。 ③この映画をみて「どこかに旅行にでも行きたいな」と思ったりもしたが、そういうテーマに対して上手くストーリーをまとめていない気がした。
[映画館(字幕)] 5点(2005-09-11 19:35:18)
332.  ビューティフル・マインド
人間の行動には計算で割りきれるような「答え」はない。 それは人間が全てのことを「頭」で考えて最良の結果になるように行動しているからではなく、「心」で行動しているからなのだろう。 ナッシュを支え続けたアリシアや、プリンストン大時代のライバルであり、晩年のナッシュを支えた友人がナッシュを助ける理屈などはない。 理屈などなくても、人々は行動する。それは人間には「美しい心」があるからではないだろうか。 宇宙の広がりが無限だと証明する手段がなくても無限だと知っているように、「愛」や「友情」の存在を証明する手段はなくても、「愛」や「友情」が確かに存在すると知っている。 人間の行動を計算することはできなくても、「美しい心」に裏打ちされた「理」は確かに存在するかもしれない。 ナッシュのゲーム理論については不勉強であり全く知らないので、ここで持ち出すべきか妥当ではないのかもしれないが、「人間の行動」をモデル化し理論化したものではないだろうか。そのナッシュの映画に対して、人間の計算できない行動を主題にしているのはとても面白いと感じた。 映画の創りとしては、序盤では、一人の学生の「すべてを支配する真理を見出したい」と夢にかける情熱的な姿を描く。中盤では、スパイ行為をサスペンス風に仕上げる。 そして終盤では、一人の男の人間としての復活をヒューマンドラマ的に劇的に描き出した。 これらの様々な要素を取り入れつつ、「夫婦愛(白いハンカチが象徴)」を映画の根っこに置いて一本筋のある映画に仕立てている。この点は評価されてもよいだろう。 ただ2時間余りでは描き出すのに時間の制約があり、夫婦の葛藤など個別エピソードは随分弱くなっている気がする。 ナッシュ自身の苦悩ももう少し描いた方がより分かりやすくなるのではないか。ナッシュは病状を悪化させないように、「すべてを支配する真理」の発見のような難しい研究は諦めているのではないか。しかし、自分には数学しかないから研究は続けざるを得ない。そんな苦悩や葛藤がもう少し欲しかった。 そんな苦悩や葛藤を描いた後に「学生に教える」という答えを導き出せば、ストーリーはより通るような気がする。それにしても、学生時代、教わるのを拒み、中盤の教授時代も人に教える姿勢も示さなかったあのナッシュが、最後の最後に人に教える(協調)素晴らしさに気づくというのもなかなかよい流れではないか。
[DVD(字幕)] 8点(2005-09-04 22:13:58)(良:1票)
333.  愛についてのキンゼイ・レポート
無修正という事が少し話題になっているが、その点については全く衝撃を受けるものではないので期待しないように。それよりもエンディングクレジットの際に流れる映像の方がよっぽど刺激的ではないだろうか。 この映画は「性」についてオモシロオカシク描いたイロモノ的な映画ではなく、極めて真剣に真面目に創られている映画であるので誤解しないように。 映画は色々と考えさせられるところもあり、恐らくよい映画なのかもしれないが、どうにも自分にはピントが合わせづらい映画だった。 この映画は、今から50年前「性」という当時はタブーとも言えるテーマに果敢に挑戦した学者の苦難の半生という見方もできる。また、夫婦の愛を描いた作品でもあり、父と子の確執を描いた作品でもあり、「性」と「愛」の違いや、人間の個性についても描いた作品でもある。 しかし、それらを観客に明確なメッセージを込めて、ストレートに伝えるのではなく、かなりボヤッとした感じで描かれているという印象を受ける。 だから観る者が深く深く噛み締めれば、味が出るのかもしれないが、初見ではあまりピンと来るものがなかった。 というのも、自分はノーマルだと思っているからかもしれないが、自分がアブノーマルかもしれないと思っている人は観れば、特別に感じるものがあるかもしれない。 それにしても、例の出し方が上手いなと感じた。かなり危ない10秒オッサンとレズのおばさん、この二人を登場させることにより、キンゼイレポートの功と罪が明確になったように思える。
[映画館(字幕)] 5点(2005-08-28 13:47:29)(良:1票)
334.  ビッグ・フィッシュ 《ネタバレ》 
この映画を観る前と観た後ではモノの見方や考え方が変わってしまうと思えるほど素晴らしい映画だと思うし、観た事を自分の財産にしたくなるような映画だ。自分に息子ができたらこんな父親になりたいと、この映画を観た男の多くはそう思うのではないだろうか。 大切なのは「偽りのない真実」を語ることなのではない。大きな人生を望む「気持ち」や大きなものに手を伸ばすという「志」こそが大切なのだということをこの映画から教わった気がする。 「金魚蜂が大きいと金魚は2~4倍にも成長する」というのは、この映画を端的に表するいい例え話だ。もっとも「小さな池のデカイ魚は海に出ると溺れることもある」とセリフも、これもまたいい例え話だけど。 このような大きな考え方だけでなく、この映画の素晴らしい点は父と息子の関係だ。 息子の「本当の父親の姿を知りたい」「父親のことをよく分からない」と苦悩する気持ちも痛いほど理解できる。 そして、父親の全てを伝えたはずなのに伝わらないというもどかしい気持ち、一番理解してもらいたい人に理解してもらえない哀しい気持ちも痛いほど理解できる。 この二人の微妙に交差しない気持ちを観客が充分に理解することによって、映画のラストに向けて大きな効果・感動をもたらしているように思える。 大きな人間になるという気持ちや志の素晴らしさを息子に伝えたいと想う父親の愛情と、その大切な気持ちと父の愛情に気づいた息子の父親に対する愛情のベクトルが向き合ったときに息子が語る「奇跡なようなストーリー」には感動という陳腐な表現はしたくないけど、感動して涙が流れた。 また、エドワードがサンドラを想う純粋な気持ちにも胸が熱くなる。あまりストレートには描かれなかったけど、サンドラがエドワードを想う気持ちもバスタブ辺りのシーンでは充分に感じられた。 ところで、往年のバートンファンは本作をどのように思うのだろうか。バートンらしいけどどこかバートンらしくない映画に仕上がった気がする。「シザーハンズ」のように恋人を殺してしまうような、バートンらしさはあるけどやはりどこか毒気が抜かれている。ファンタジーなんだけど、バートンらしいファンタジー感も影を潜めている。しかし、本作は嘘か現実かなのかが分からないことを踏まえて、ややバートンらしさを押さえているのかとも思われる。 
[映画館(字幕)] 10点(2005-08-21 20:19:28)
335.  ヘルボーイ 《ネタバレ》 
CG、アクション、ストーリーなど全般的に安っぽさが目立っている。しかしながら、ストーリーに突っ込みたいところがあっても、「まあ、チープだからどうでもよいか」と大抵の部分は受け流せるようになっていたのである。 まさにマイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるという現象ではないだろうか。これを演出家が狙っていたのならば凄いと言わざるを得ない。これが「ストーリー」と「映像」どちらかを真面目に創っており、どちらかがダメダメであると、プラスとマイナスが足されてしまい、マイナスの映画になってしまう。この映画のマイナス度がよい相乗効果を与えているのではないだろうか。 この映画は悪い面ばかりではなく、良い面もあると思う。一本の映画にシリアス、ラブストーリー、アクション、ホラー、コメディなど多様な要素を詰め込んで、一本の筋のある映画にしている点は評価すべき(できればマイヤースとの友情も詰めて欲しかったが)。 ただし、評価はしたいのだがどれもこれも中途半端さが半端じゃないのも欠点になっている。もう少しメリハリを付けるべきだっただろう。「シリアス」ならば、教授とヘルボーイの確執や教授を嫌う理由をきちんと描けなければ、確執に裏打ちされた二人の「親子愛」を読み取れない。「ラブストーリー」ならば、ヘルボーイが容姿等を深く悩む部分、二人の想い出、彼女を救うところと彼女が救うところをもう少しドラマティックに演出しないと観客は共感できないだろう。 そもそも、この映画は盛りあがりに随分欠けるのではないだろうか。 ラストのラスプーチン戦も特段の盛りあがりに欠けているが、一番盛り上げる必要があるのは、ヘルボーイが己の角を折るシーンではないか。 この映画のテーマは、「人格や個性を形作る要因は生まれなのか、育った環境なのか、それとも…」というテーマである。その答えは、「何を選択したのか、人生をどう生きるのか」という答えである。重要な選択をするには、それだけ多くの迷い、躊躇、葛藤があるはずである。にもかかわらず、ヘルボーイは躊躇なく、鍵を開けようとし、葛藤もなく自分の角を折る。自分は悪魔なのかそれとも人間なのか、愛する人を救うべきなのか、人類を守るべきなのか、そういう迷いを観客に訴えるような演出や演技としては合格点は与えらないのではないだろうか。 それにしても、唯一クロエネンだけはカッコ良かったな。
[DVD(字幕)] 5点(2005-08-21 15:04:50)
336.  ミッシング(2003)
映画自体は真面目に創られており、役者も子役を含めて上手い人ばかりでしっかりと演じられていると感じる。 しかし、映画ははっきり言って、面白くない映画としか言いようがない。 原作を知らないので映画化すべきか否かという根本的な問題は置いておいて、なんでこうも面白くないのかの原因を考えると「演出」と「脚本」に問題があったのではないだろうか。 「演出」の問題点は、圧倒的に緊迫感が欠如していると感じられる。 自分たちがいつ殺されるのかも分からない、リリーが無事なのかどうかも分からない、相手もよく分からないという状況下において、それぞれやけに余裕が感じられる。 極めつけは、救出後に山の頂上に陣を張っている際に、父が大切にしていた十字架を返すシーンだ。このシーンは、断絶していた父と娘が心から和解するシーンで、映画のキモでもある大切なシーンである。十字架が和解の象徴にもなっている。そういう大切なシーンだからこそ、戦闘状態という一種の緊張感とは異なる空気になっているが、どうにも相当の違和感を感じる。このシーンだけが緊張感がないと言っているのではなくて、やはり映画全体に漂う空気があまりよろしくない。もっと生きるか、死ぬかといった空気が必要ではないだろうか。 「脚本」の問題点としては、この映画は「親子の断絶と和解」が一つのテーマになっているはずである、にも関わらず論点がやや不明確になっている点が問題だ。この映画には、ジョーンズとマギー、そしてマギーとリリーという二組の親子が登場する。一方は母を捨てて突然いなくなってしまい亀裂が完全に入っている、そしてもう一方は暮らしに不満を抱き、母に対して怒りを抱えており今まさに亀裂が入りつつある。こういう二組の親子がいて、対比的に色々と面白くできそうなのに全く利用できていない。 一方の娘は父の気持ちを理解して再び愛する気持ちを取り戻し、もう一方の娘も母の気持ちを理解して再び愛する気持ちを取り戻すという二点がこの映画には必要であるが、ジョーンズとマギーの話で終わっているのが勿体無いと言える。しかも、「自分がいると家族に迷惑になる」というやや具体性に欠ける父の訳の分からない独白でしかないのも、感情移入ができない点となっている。 それにしても、アカデミー賞を取った次回作がアメリカだけでなく日本までもこれほどまで無視されようとは…。
[DVD(字幕)] 4点(2005-08-14 00:16:52)
337.  チーム★アメリカ ワールドポリス 《ネタバレ》 
「魁!クロマティ高校」があわや公開差止を食らうところだったのに、本作がアメリカで普通に公開されるというのは、やはりアメリカ人の懐の深さというか、表現の自由ということなんでしょうか。クロマティ自身はアメリカ人なんだけど。 しかし、パラマウントはよく公開したなあと思う。今回登場した人物プラスマイケルベイとベンアフレックは、パラマウントとの関係はおかしくならないのだろうかと心配してしまう。 この映画のなかで一番大爆笑できたのは、ゲロシーン。周りはちょっとヒキ気味だったけど。その他にも、手をバタバタさせるSOSシーンとパールハーバーのテーマにはなかなか笑いのセンスを見出せるが、個人的には「スターウォーズ」などヒネリを効かせた笑いや、ゲロや下ネタとは異なるもう少しハジケた感じの抜けた笑いももうちょい欲しかったというところ。 しかし、本作は人形劇にしたために映像の幅が広がったという利点を感じる。あの二人のベッドシーンは実写では到底無理だし、アニメでも無理だろう。人形だからこそできる微妙なリアル感がでた面白いシーンだと思う。俳優たちが吹っ飛ぶシーンや黒猫のシーンも人形劇だからこそというのはあった。憂いに満ちた表情など人形であることのギャップを利用することによって、なかなか良い効果が生じさせたのではと感じる。 【深いネタばれ】本作は、ぱっと見では①テロ撲滅を名に世界の警察を名乗るアメリカへの批判、②政治的な発言が目立つ俳優への揶揄、③テロ国家への非難を感じられる。 しかし、①については、実は最後には0.01秒差で世界を救うのはアメリカであるし、②についても、主人公自身が実は俳優であり、俳優が世界を救うというストーリーになっている。 非難する点と映画の結末が矛盾する形となっていることを考えると、制作者は案外、真意を悟られないように実は計算して創っているのではないかという気がする。③に関しては、どれも似たようなものだがチ〇〇がアメリカであり、マ〇〇がアメリカが内政干渉する国であり、ケツの穴がテロ国家という図式であり、世界がクソだらけにならないよう、ケツの穴を取り締まることは大事であり、チ〇〇のような世界の警察は必要悪なのかもしれないではないかというメッセージは一応込めていたような気がする。
[映画館(字幕)] 7点(2005-08-08 23:25:35)(笑:1票) (良:2票)
338.  ヴェラ・ドレイク 《ネタバレ》 
本作は2004年のアカデミー賞監督賞、主演女優賞、脚本賞にノミネートされた映画である。 確かに冒頭の数分を観ただけでも分かるマイクリーの素晴らしい演出に、イメルダ・スタウントンも迫真の素晴らしい演技をしていた。脇の役者も皆よい演技をしていた。 劇場では感動して泣いていた人も見られ、決して悪い映画ではないと思うが、あえて点数についてはちょっと低めにしたい。 個人的にマイクリーに対して深い思い入れはないのだが、彼の監督作「秘密と嘘」「人生は、時々晴れ」は点数云々とは別にして、本当に素晴らしい映画だと思った。 「家族」「夫婦」などをテーマにし、そのテーマを深く見つめた結果のいわゆる「落としどころ」という感じの‘告白’が観るものの胸を打つというのが彼の映画の特徴ではないだろうか。 この映画にも確かに落としどころはあるようにも見えるが、あまり心には響かない。というよりも響く前に終わってしまったというのが正直な感想である。 映画のポイントがピンぼけになっているとしか思えなかった。 ヴェラの行為は確かに人助けではあるが、脱法行為である。その彼女の長年の秘密は家族である息子、娘、夫でさえも知ることはなかった。その秘密を知ったときに、家族がヴェラに対する気持ちがどのように変化していくのかについてポイントをもっと絞った方が良かったのではないか。 夫や息子が物分かりが良すぎるのが問題だ。怒りや不信などがあってこそ、はじめてヴェラを本当に許せるようになれるのではないか。本作でも、もちろん夫は内面では怒り、息子も「恥だ」と母を蔑んだが、心の動きを描くに際して、比重や扱いが軽すぎやしないだろうか。 なぜヴェラがそのような行為をするのかという彼女の気持ちに対して、家族は真摯に向き合っていないのも本作に入り込めない理由になっている。 また、堕胎行為に対する是非、例えば法廷にて彼女が救った女性などを証人にたてて情状酌量などを訴えるということ、をあえてぼかした創りになっているが、これについて描くべきか否かは正直悩むところであるが、家族の心の変化にポイントをきちんと置いていないのでやや疑問かなと感じる。 彼女の行為に対して、どのように心を整理すればよいのかを‘家族’と同様に考えるためにも、堕胎の是非も描いてもよかった気がする。 この映画のセリフにあったように「白か黒か」で映画を観る人には向いていないと思う。
[映画館(字幕)] 4点(2005-08-06 23:26:06)
339.  PLANET OF THE APES/猿の惑星 《ネタバレ》 
ラストの地球に戻るまで、バートンらしさに欠けた毒にも薬にもならない平凡な出来だなと思っていた。確かに細部にはこだわり、バートンはバートンなりに頑張っていたように思えるが、あの脚本では、誰がどう頑張っても、たかがしれているだろう。しかし、ラスト地球に戻ってからの様子を見て、色々と考えさせられるような部分がでてきた。 まず1点目。レオが戻る際の宇宙船からの視覚的な地形とコンピューターの情報から、ラストに地球に戻ったのは、まぎれもない事実だろう。その地球がエイプに乗っ取られていたという事実と、セードがリンカーンほどの英雄に祭り上げられていたという事実がある。こられの情報を総合的にみてみると、最初にレオが降り立ったのは、実は地球だったのではないかという気がする(かの地から見上げた際、一瞬写った天体が異様だったのに矛盾があるが)。そう考えると、初代に負けず劣らず、実はあの星は地球だったというオチが含まれていたのではないか。地球上の生命は核戦争なり、なんらかの原因で絶滅していたのではないだろうか(馬は宇宙船に実験用に積まれていたと思料)と考えると、意外とブラックのような気がする。 そして2点目。劇中ではセードはオリに閉じこめられ、人間とエイプは共生するような途を進むのではないかという風に描かれていたように思われる。しかし、歴史ではセードがエイプ解放の英雄に祭り上げられている。このシーンには、やはり「人間」の人間たるゆえんが実は描かれているのではないかという気がする。共生の途が選ばれたとしても、人間は数においても圧倒的多数であり、また、エイプ以上に凶暴で狡猾な動物である。そんな人間が、エイプと共生できるはずがない。あの後、権力争いによって、エイプ排斥運動が起きたと思われる。そして、あの地で人間とエイプの逆転現象(エイプの奴隷化)が起きたのではないだろうか。そこでセードが解放され、銃を利用して、奴隷となったエイプを立ち上がられて、人間達を葬ったのではないだろうか。あのラストのセードのリンカーンシーンだけで、実は「人間」の権力主義・暴力性が描かれていたのではないか。そう考えると、やはり意外とブラックのような気がする。もっとも、パラレルワールド説とか、セードがレオの宇宙船であの星から地球に行って、地球を占領したとか色々と考えられるけど、自分はあのラストを観て、このように考えてみた。
[DVD(字幕)] 5点(2005-07-25 23:28:28)
340.  アイランド(2005) 《ネタバレ》 
近未来を舞台にクローンをテーマに扱ってもマイケルベイにはお構いなし。相変わらずのベイ・ワールドが展開される。ある意味、凄えなと思わせるこだわりが彼にはあるようだ。本作は頭を空にしてアクションを楽しみたいという人に向く映画であり、クローンを扱ったアイデンティティや人間性をテーマにした映画を観たいとか、近未来の管理社会やクローンの危うさをテーマにした映画を観たいという人にはあまり向かない。そうは言ってもバッドボーイズとは違って、あまりおふざけなしの映画には仕上がっているので、なんとか観れる映画にはなっているとは思う。そして「バッドボーイズ」でもおなじみの激しいカーアクションは一つの見所になっている。「バッドボーイズ」では、クルマの上からクルマや死体を投げ落としていたが、今回もなにかを投げています(荷台から荷物が落ちて、後ろがとんでもないことになっているのに運転手は走り続けるところがマイケルベイらしいところ)。 以下ネタバレ【マイケルベイのここが嫌い】 ①「捕まえるのは無理だ!もう殺しちまえ」といきなり言ってしまうところ。一応、大事な「商品」らしいのだし、クローンの育成には恐らく莫大な時間と費用が掛かるのだろうし、サラ本人は死にそうな状態なのに、殺していいのか。契約とかもあるだろう。 ②「軍にばれたらやばいからオマエ達に頼む」というのが大前提。にもかかわらず、ブシェミを惨殺→(ブシェミカード使用により)警察の介入を許す→今度は警察を襲撃。そんなことしてたら、しまいには軍動くぞ。しかも、再度のカード使用では警察に動きなし。そもそも論を無視した激しいアクションには笑けてくる。 ③おもむろにジョーダンがパンツの中から拳銃を取り出すところ。セキュリティも何もあったもんじゃねえな。金属探知機か何かで調べられたら御仕舞のそんな無謀な計画が上手くいくと思っているのか。 ④全く途中のストーリーとは関係ない部分で、フンスーが裏切るところ。それは本当に勘弁して欲しい。ストーリーに多少絡ませるくらいできるだろう。汗かきすぎだし、そもそも銃持っているからって、リンカーンを撃ち殺すなよ。 ⑤ラスト大将一人で自らリンカーンに立ち向かうようなところ。あとから、いっぱい黒服も来たけど、その後、どっかに行ってしまっているようなところ。 ⑥「アイランドはあったわ。それはわたし達よ。」まじで意味分からねえ。
[映画館(字幕)] 3点(2005-07-24 02:14:42)(笑:3票) (良:2票)
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