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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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321.  テリファイド 《ネタバレ》 
場所はブエノスアイレスだそうだが都心ではなく南米風にも見えず、戸建てが並ぶ郊外の緑豊かな住宅地である。日本でいえば呪怨の家で、事故物件住みます中高年のようなことをやっている印象だった。若い女性は出ないので、そういう面での彩りはない。 ホラーとして特に独創的に見えるところはなく、怖さを突き詰めようとした感じもないがまあ悪くない。看板娘的な存在のはずの裸体のものは、見えたり見えなかったりする設定のためか意外に出番が少なかったが、少し離れたところから見えると言ったとたんに迫って来たのは、見たな~という感じで悪くない。物静かなゾンビ少年も悪くなかった。  出来事の原因に関しては、偉そうな博士が何か適当に説明していたが荒唐無稽で聞く気にならない。こんな説明ならなくていい。 それより個人的には初老の男の意見として、見なかったふりして放置するのがいい、と述べたところに共感した。しかしその男が後で目をやられていたのは、見ようとしないのなら目など不要だろう、という皮肉な意味だったかも知れない。また主人公らしき男が、見えていたものを見えなくした(隠した)ことを微妙な関係の女性に咎められていたが(連れ子は見たくないという意味?)、その後に一度逃げてからまた戻っていたのは、もう見えないふりをせず、正面から対決しようと決心したということか。 どうも見える/見えない、あるいは見る/見ないの対比にこだわった映画にも見えたが、少なくとも自分には意味不明瞭なまま終わってしまった。とりあえずヤバいものはやはり見ないことにするのが基本ではないかとは思うが、見ないでいると致命的な結果に至ることもあるとすれば一般論ではなかなか語れない。ちなみに怖いのが嫌ならこの映画は見なくていい。  全体としては、悪くないとはいえるが意味不明なところもあり、絶賛するほどではないが嫌いでもないので悪くない点にしておく。なおハリウッドでリメイクされる予定はどうなったか知らないが、それとは別にこれ自体の続編も準備中らしい。今作のラストから直接つながる形になるそうで、そういえば最初から続きを予感させる背景音楽のようではあった。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-11-28 08:52:07)
322.  北京の55日 《ネタバレ》 
冒頭いきなりそれらしく作った城壁や街並みに驚かされるが、その後も巨大な楼閣が炎上して崩壊するなど、こんなものを実物でよく作ったものだと思わされる。壁に「殺」「焼」と大書されていたりするのが殺伐とした雰囲気を出していたが、ほかにも火薬箱に「容易起火」と書いた紙が貼ってあるなどアメリカ人には読めないわけだ。なお清国人を斬首するのに辮髪を掴んでいたのは使い勝手がよさそうだった。  当時の列強の政策自体はほめられたことではないとして、アメリカだけは別に領土的野心はなかったのだとアピールしていたようである。また清国側が民衆運動を都合よく使って示威行動なり破壊活動をさせていたのを見ると、こういうのは昔からあったのだと改めて思わされるが、その制御を誤ると権力が滅ぶというのが最後の西太后の述懐だったらしい。 列強側は11か国といいながら、アメリカ映画なので米英中心なのは当然として、意外に日本もアメリカ寄りで目立つ場所にいる。これは史実というより第二次大戦後の日本の立ち位置の反映かも知れないが、単なる子分というだけでもなく、いきり立つアメリカを宥めて協調を促したように見える場面もあった。敵の警備兵をカラテで倒したのも日本人ではないか。アメリカ人が英独仏伊には各国語で呼びかけておいて、日本語だけ出て来なかったのはナメられているような気もしたが、けっこう親日的というか変になれなれしい映画には見えた。 基本的には、日頃は利害が対立していても有事には協力していこう(アメリカ主導で)という映画だったようで、昔の日本も孤立して世界と戦うばかりでなく、ちゃんと他国と連携しようとしていた時代もあったというのは悪くない。今はそういうお仲間をどれだけ作れるかが問題だろうが、現実問題としてアメリカを当てにしていればいいわけでもなく、まあ前途多難だというしかない。  登場人物では、﨟󠄀たけたロシア婦人が一応ヒロインだったようだが、それはともかく自分としては、昔の夏帆を思わせる可憐な少女が救われてもらいたいとだけ思いながら見ていた。主人公の少佐に対して部下の軍曹や神父までが、この子にまともに向き合え、と強要していたのは笑った。この少女が幸せになりさえすれば、あとは大清帝国がどうなろうがハッピーエンドということだ。 そのようなことで、結果的にはそれなりに面白い娯楽映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-11-14 09:25:40)
323.  大阪少女 《ネタバレ》 
監督は本来バイオレンス映画を得意とするとのことで、DVDでも過激な映像が含まれている旨のテロップが最初に出る。場所はいわゆるディープな大阪ということらしく、屋外映像では主に西成区が映っていたように見える。山王2丁目あたりとすれば飛田新地に近く、あいりん地区からも遠くない。 物語としては、現地社会に適応しながら成長してきた少女が、祖母に任された家賃の徴収業務と、それに関わって起きたちょっとした出来事(現地では普通にある?)を通じて、社会性と人間性を向上させた話らしい。中学に入ってから1年後とすれば中学2年生ということになる。  最初のうちは主人公の過激な言動が小気味よかったが、次第にこれはやりすぎではないかと思うようになる。「今日から暴力は卒業です」と言っておいて特に変化がないように見えたのは、そもそも何をもって暴力というかの基準が違うということか。ただ人間のクズでもなく滞納もしない相手には、暴言だけで暴行はしないというくらいの違いはあったらしい。 相手構わず凄味をきかせるやり方は、本人がどうみても「お嬢ちゃん」だから通用していただけのことで、相手によってはかなり危なっかしい場面もあり、最後は祖母の人脈と人徳で守られたことを本人も思い知ったと思われる。それでも最後まで口が悪いままだったのは、これが本人のいわばベースラインだったのかも知れない。現地では本当にこれで普通なのか。 ちなみに劇中描写が現地事情をそのまま反映していると思うわけでもないが、もしかすると昔気質の極道の気風(「ゼニカネだけで動いたらあかん」)を解しない外来後発の勢力が波乱要因になることはあるのかと思った。人でなし連中をいきなり埋却処分したのは正直笑った。  全体としてはそれほど大感動というようなものでもなかったが、ただし主人公が、あまりに人情味がなさすぎたかと気にしていたところで、いきなり取り返しのつかない事態になってしまい、さすがに少しこたえたようだったのは若干泣かせる場面になっている。 そのほか単純に面白かったのは、「妄想ノーベル文学賞受賞作家の妄想の娘」(役名)がポルノ小説家のところにも出たことだった。意味は不明だが、個人の妄想が実体化して独立的に活動し始めたということか。それなら「ポルノ小説家の妄想女性」も実体化させればいいだろうがと思った。
[DVD(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:55)(良:1票)
324.  はらはらなのか。 《ネタバレ》 
監督の酒井麻衣という人は、映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSIC LAB」に出品した「いいにおいのする映画」(2015)で各賞を受賞して注目された人物らしい。ちなみに同じ音楽祭の出品作としては、個人的に加藤綾佳監督「おんなのこきらい」(2014)、松本花奈監督「脱脱脱脱17」(2016)を見たことがある。 この映画はその映画祭と関係ないらしいが、やはり映画×音楽のコラボ風のようで複数のミュージシャンが出演・演奏している。また物語の中心になる劇中劇は、実際にこの映画の主演女優が2015年に主演した演劇とのことだが、その舞台の演出家もこの映画に脚本協力するとともに本人役で出演している。ちなみに主演女優もいわば本人役ということになるらしい。  内容としては役者の道を目指す少女の物語になっており、ポスタービジュアルの印象ではコメディかと思うが実は笑えない真剣ドラマである。ただ突然始まるミュージカル風の場面はコミカルで、また主人公の見ている幻影を現実に紛れ込ませるのがファンタジックではある。 解説によると子役から俳優へ移行する過程の話だそうで、演技することの意味を主人公が悟るのと、母親の不在を満たすのが最後に重なる展開だったらしい。子どもの頃なら妄想や願望でしかなかったものを、仮想的に実現する場として演劇を位置付けるようになったということか。ほかに個人的感覚としては、役者になるための基礎条件として、本人が役者になると頭から決めてかかっている必要があることが表現されているかと思った。 見ている側は12歳の少女でも役者志望でもなく、共感しにくい題材だったのは仕方ないが、結構深みのある映画ではあった。なおラストの場面が「心で見たい世界」を舞台の上で見るという意味だとすれば、いきなり異次元世界に入り込んだ印象だったのはわかりにくかった。  キャストとしては、主演女優は満13歳になった直後くらいの撮影だったようで、最初は心許ないかと思ったが実はそうでもなく、主人公の心の変化を表現できていたようで感心した。また松井玲奈という人は大人のおねえさん役で惹かれたが、13年前の場面も13歳くらいらしく可愛く見える。ほか先輩役の吉田凜音という人は、「女子の事件は大抵、トイレで起こるのだ。」(2015)と似たような服装で出るのでまたこれかと思わされるが、まだ若いのに顔に迫力があるのは特徴的だった。ギターで歌う場面もある。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:52)
325.  アイロ 北欧ラップランドの小さなトナカイ 《ネタバレ》 
トナカイ映画である。場所はラップランドだが、国としてはフィンランドのほかノルウェーも出ていたようで(フィヨルドが見える)、季節によって国境を跨ぐ移動だったらしい。トナカイのほかにも周囲に住む各種の動物を見せている。 ポスタービジュアルが安っぽく見えるので期待していなかったが、本編は映像が圧倒的に美しい。四季の自然景観は当然として、特に生き物の動態が印象的に撮られている。トナカイの群れが歩くのと並行して撮った場面は、個人的には船団に付き添って飛ぶ航空機からの映像のように感じられた。またオオカミが走る場面は、低空で侵入する軍用機の編隊のようで恐ろしげに見えた。なお日本には野生のオオカミがいないわけなので、代わりに自分としては「もののけ姫」(1997)を思い出した(牙を見せていた)。  制作にあたっては、一年くらいかけて現地の野生動物を撮りまくってから切り貼りしたのだろうと思うが、細切れの映像をつないで動物の表情を出しているのは巧妙な編集に見えた。なお主人公の若いトナカイが最初から最後まで同じ個体だったかはわからない。 ナレーションを入れてドラマのようのものを作るのは、あまり人の感情に寄せるとウソっぽくなって見ていられなくなるが、この映画では他の動物との友情関係などは少しやり過ぎに見えたものの、動物の生態に沿った部分はそれほど違和感がない。ホッキョクギツネの若いオスがずっと配偶者が得られず焦っていたのは、個体数が減っていることの反映のようだった。 オオカミ以外に危ない相手だったのはクズリという奴で、木の上から獲物を狙うのは本来の習性らしい。悪役らしく邪悪な顔をしてみせる場面もあったが(こっちを見ていた)、直後にユーモラスな行動をしたりして、特定の動物を悪者にしない配慮をみせていた。ちなみにクズリは和名だが英名は「ウルヴァリン」のようで、手(前足)に生えている爪も見えた。 ほかレミングが2回くらい出ていたが、擬人化もされず単なる食い物扱いなのは哀れだった。また人間は姿が見えなかったが(そもそも人口希薄だろうが)その存在が若干の圧迫感を出しており、森林伐採?の場面では、機械の全貌が見えずに火星人が攻めて来たような印象を出していた。こういうのもうまく作っている。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-31 08:55:05)
326.  犬鳴村 《ネタバレ》 
地元PRに使えるネタではないはずだが、現地の自治体が実名を出して特別協力していたのはかなり驚いた。県警名と車のナンバーも実在であるのに電力会社だけ架空になっているが、ちなみに現実の犬鳴ダムは県営である。 ストーリーはかなり説明不足に見えるので、欠落部分を勝手に補うと次のようになる。 ***** 村人は昔から周辺住民に忌避され恐れられてきたと想像される。ダム建設なら金と脅しで立ち退かせれば済むはずが、皆殺しにまで至ったのは会社の意向というよりも、この機会に忌まわしいものを一掃したい、という周辺住民の集団意志があったからではないか。その先頭に立った旧家に主人公の母が嫁に来たのは、憎むべき家系の廃滅または乗っ取りの意図が背後にあったと思われる。また今回の事件がきっかけで、それまで知らぬふりをしていた周辺住民も、まるで全てが旧家のせいだったかのように責任転嫁を始めたようだった。 事件のあと、旧家は家庭崩壊を免れたようでもあったが、しかし村人の子孫は確実に社会に紛れ込んでおり、その異能はやがて周辺住民の脅威になっていく恐れもある。そうするとダム建設時の虐殺も、社会の多数派たる周辺住民にとっては一理あったことになるか。あるいは大した脅威でもなかったものを、脅威のように言い立てて差別し迫害した多数派への復讐が始まるということかも知れない。 ***** 家単位で見ると憑物筋の特徴も出ていたようだが、村単位ではネット発祥の怪談「コトリバコ」や、欧州でのポグロム(イェドヴァブネ事件など)を連想させられた。ちなみに実在した犬鳴谷村はこれとは全く違うものであり、上記はこの映画限りでの解釈である。 個別の場面としては、若年女子が股間を黄色くして歩くのが衝撃的だった。白い服に映る映像を振り払おうとする演出も悪くなかったが、終盤のトンネル内の揉め事は早く終わらせろと言いたくなった。なおラストのトンネル映像が本物だったとすれば、ここが一番怖かった。  人物関係では、三吉彩花嬢は長身で美形の医師かと思ったら臨床心理士だそうで、女性っぽさは抑えていたがすらりとした姿には終始見とれていた。ちなみに劇中の子役はこの人の子役時代とは似ていない。また村娘役の宮野陽名という人は撮影当時まだ中学3年生だったとのことで、若いのにプロ根性があるようなのは感心した。ほか突撃バカ役の大谷凜香という人は、「ミスミソウ」(2017)でも悪役だったが今回またひどい役だったので、今後もどうか頑張って演技者として大成してもらいたい。逆さになった一瞬の表情は輝いていた。 [2022/7/23変更] 突っ込みどころの多い映画だが、「牛首村」までのシリーズ3作の中では最も総合的なエンタメホラーになっていて悪くないと思ったので点数を+1にしておく。エンディングの空撮とテーマ曲が心に残る。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-10-17 08:22:32)(良:2票)
327.  人面魚 THE DEVIL FISH 《ネタバレ》 
今どき人面魚とは、日本の配給会社も適当な題名を付けるものだと思ったら原題からして人面魚だった。副題の「紅衣小女孩外傳」は「紅い服の少女」というホラーシリーズの「外伝」の意味らしい。この映画でシリーズ3作目のようだが、「紅い服の少女」自体は関係ないのでスピンオフと表現した記事もあった。なお「紅い服の少女」も「人面魚」も現地に実際にある話のようで、うち人面魚に関しては、この映画で見た限り「おいてけ堀」を思わせるものがあったが、ただし焼魚になってから怪をなすのは日本と違う。 基本的な筋立てとしては、かつて善なる神の「虎爺」が封印した大魔神が現代に蘇ったため、主人公の道士が虎爺の力で退治する話になっている。封印の時期を1669年と特定した意味は不明だが、これは鄭成功が台湾最初の漢人政権を建てた時期に、いわば鎮定の一環として土着の魔物を排除したということかも知れない。ちなみに虎爺は「フーイエ」と振り仮名がついているが、日本人としては「とらじい」としか読めない。  ホラー映画としては伝統的怪談、心霊、エクソシズム、アクション、CGでのモンスターバトルといった多彩な要素が含まれている。ストーリーも二本立てのようで、複雑というかまとまりのない印象もあるが、いろいろ盛りだくさんな豪華娯楽大作といえなくはない。 ドラマの面では、家族関係の描写でやや感動的なところがある。特に子が親を思う心情が強調されており、単なる男女の愛でもなく、家族の愛が最後に勝つというのは日本人としては新鮮に感じた。 キャストに関しては、小学生の母親役(徐若瑄/Vivian Hsu)はもうそれなりの年齢だろうが、どんな顔をしていても可愛さが隠せないようでもある。また道士の妻も、超絶美形でもないが個人的に惹かれるものがあり、ラストで美男美女夫婦が揃った場面は何とも眩しく見えた(羨望)。その息子を演じた幼い子役が、感情を懸命に抑えようとしていた演技は泣かせるものがあった。   [2023/5/6追記] シリーズの1・2を見たので補足。2から10年遡った前日談で、内容的には当然つながった形で作ってある。字幕で「魔神」と書かれていたのは1・2の「魔神仔」のことだったらしい。 初見時には全体構造がわかりにくかったが、今回のビビアン・スーは2のシングルマザーに当たる主人公、地下室の少年が「紅い服の少女」に相当し、人面魚は人面蛾に対応するものとして整理できる。また2と同様、主人公のドラマと並行する形で道教寺院の関係者が出るが、今回は魔神と戦う道士一家のドラマに重点が移ったようで、それで主人公のドラマと二本立てに見えたらしい。家族がテーマというのはシリーズ共通のようだった。また主人公に関わる屋内のホラー描写も1・2より手が込んでいる。 日本では3が最初に公開されたので仕方ないが、やはり本来は1・2・3の順に見るべきものだったらしい。結果的にはシリーズ中でこれが最も充実して見えたが、登場人物としても個人的には道士の妻が3作中で最も好きだ。メイリン(美玲)という名前も可愛い。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-10 08:58:05)
328.  黒人魚 《ネタバレ》 
邦題は読み方に困るが、原題は「ルサールカ、死者たちの湖」である。 ルサールカとはロシア限定というよりスラブ系民族に広く伝わる水の精だそうで、例えばドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」はチェコを想定して作られたと思われる。その歌劇でのルサルカはアンデルセンの「人魚姫」のような役回りで、それが英題のmermaidや邦題の「人魚」につながっているが、基本はこの映画のような邪悪な存在と思われているようである。 水の精といっても大昔からいたトロールとか河童とかトトロのようなものとも限らず、死者が化けるものという考え方もあるらしい。この映画に関しては、1853年(ニコライ1世の時代、クリミア戦争開戦の年)に死んだ若い女性がその正体ということになっていた。ちなみに魚の格好はしていない。  そのような設定から、ファンタジーホラーというよりは心霊ホラーの印象が強くなっている。湖だけでは舞台が狭まるためか、広く“水”に関わる場所で活動する設定にしたようだが、水と無関係なドッキリもあったのは意外で笑わされた。また櫛や合わせ鏡はロシアでもオカルト的な意味づけがなされているのかどうか。 ホラー演出の面では、意外に邦画ホラーの感覚そのままで見られる映画になっている。まだ始まらないうちからの予兆や不吉感、音や人影で何かが来ている気配を感じさせるといった場面があり、また真相を知る老人を訪ねてから全ての発端になった場所に突撃し、渾身の策が成功したと思ったらそうでもなくて延長戦に入る、といった展開にも馴染みがある。終盤になると普通にモンスターホラーのようになり、映像効果が安っぽいとか弱点の設定が安易だとかいうこともあったが、全体的には少し前の邦画ホラーを真面目に作り直した感じで結構いい印象だった。 個別の場面としては、姉が弟にした思い出話はそれほど怖くはなかったが、今ではもうわけのわからなくなった昔の記憶としてはいい雰囲気を出している。エンドロールの水死者のイラストも素朴で和んだ。ちなみにヒロインは可愛い感じで結構好きだが、ルサールカももっと可愛い顔で出てくればいいがと思った。  [追記] 自分としては単純なホラーとしてしか見なかったが、他のレビューサイトを見ると(人数が多いので全部読んでいないが)人間ドラマの面で非常に参考になる投稿があった。そのように深読みもできる映画だということだ。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-03 08:29:13)
329.  いつまでも一緒に 《ネタバレ》 
邦題に関して、「いつまでも一緒に」は原題そのままだが、Amazonプライムビデオではなぜか「息を止めて」に変えてある。 リトアニアの映画だが、いかにもそれらしい風景を見せるわけではなく、普通にヨーロッパの都市部の話になっている。場所はカウナスでないこと以外はわからないが、橋の上にいた母子の背景に映っていたのは首都ヴィルニュスにある大天使聖ラファエル教会のようだった。なお屋根の崩落事故は、隣国ラトビアで2013年に起きたものの映像を使ったらしい。  予想の通り娯楽性は皆無で、何が起こっているか説明もないので見るのがつらい映画だが、大まかにいえば主人公である女性の心理を中心に、家族関係の行き詰まりと打開?を描写した映画になっている。 最初は夫に振り回される妻子が気の毒に見えたが、実は妻の方がよほど周囲を振り回すタイプだったらしい。夫はまだしも歩み寄ろうとする様子が見えた一方、妻の方は終盤に大事件のようなものが立て続けに起こってやっと思い知らされたのだと思われる(多分)。しかし夫婦とも別に悪人というわけではなく、また題名からすれば家族の解体が予定されているわけでもない。今回の件で夫婦とも少し考え直すところはあっただろうが、今後は何より娘がまともに成長することが望まれる。 なお劇中では、妻が理想と考えていた家庭像が断片的にいろいろ見えていたが、特に強くこだわったのは家族が一緒の時間を作ることだったようで、その決まりを自分で破ったとたんにバチが当たったと思えばいいか。もしかすると現地のキリスト教(カトリックか)との関係もあるかも知れないがわからない。夫はロシア正教なのか無宗教だったのか。  余談として、家族同士で「こんにちは」と言うのは他人行儀でさすがに変だったが、ここで言っていたLabasというのはそれほど改まった言葉ではないようで、仕事仲間に軽く声をかけるのにも使っていたほか、家族同士の「ただいま」「おかえりなさい」という字幕のところもこの言葉だった。要は家族が無言になるのを避けるため、いわば家庭内のあいさつ運動として、とりあえず声をかけ合う決まりだったのかも知れない。 そのほか登場人物として、ソーシャルワーカーの人はしっかりした職業人かつ心優しい人物だったようで、リトアニア社会の全部が殺伐とした雰囲気でないことはわかった。警察と福祉の連携もできていたと思っていいかどうか。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-09-05 08:26:47)
330.  ブラック・ウォリアーズ オスマン帝国騎兵隊 《ネタバレ》 
15世紀のオスマン帝国の精鋭部隊が、現在のルーマニアにいたワラキア公ヴラド3世に戦いを挑む映画である。原題のDeliler Fatih'in Fermanıは「デリラ 征服者(=メフメト2世)の勅令」の意味らしい。デリラという騎兵隊は本当にあったようだが、delilerは複数形であって単数はdeliのため、ウィキペディア日本語版には「デリ (騎兵)」で出ている。 悪役のヴラド3世は「ドラキュラ」のモデルになったとされる人物であり、串刺し刑を好む残虐な君主として知られているが、近年のルーマニアではオスマン帝国の支配に抵抗した英雄として評価されるようになっているはずである。しかしこのトルコ映画では「正義の者」であるオスマン帝国と、「残酷なる者」である非道な領主との「善と悪の戦い」の話にしてしまっていたので笑った。串刺しはともかく「細菌兵器」まで持ち出すとさすがに荒唐無稽だが、疫病がらみの話は実際に伝えられているらしい。 ちなみに雄大な景色が印象的な映画だったが、撮影地はカッパドキアのアクサライという場所とのことで、見えていた高い山はハッサン山(3,253m)と思われる。またヴラドの城はポエナリ城のイメージかも知れない。  戦士の大活躍は主に終盤にまとまっており、そこを期待して見ると途中で延々待たされる感じになる。いろいろ非現実的なところのある戦闘場面だったが、やたらに干草の山が爆発していたのはユニークだった。 またオスマン帝国がキリスト教徒や「ジプシー」(字幕)やユダヤ人に寛容だったというのは、おおまかにいえばそうかも知れないが、映画として話を作り過ぎではないかという気はした。しかしローマ教会や「ナザレのイエス」まで否定して、自分こそが神の子と称する不遜な君主をイスラム教徒とキリスト教徒が協力して滅ぼす展開は、この映画としても宗教間の融和に配慮していたと思わせる。 ほか単なる非情な殺人集団でもなく、つかの間の恋や「無口な者」や笑う男のエピソードなどで人間味も見せている。映画の制作上も、串刺しといいながら人を杭に縛りつけただけに見えるなど、直接の残酷描写が抑制気味のようなのはかえって悪くなかった。 最終的にはあまりにも正義の英雄として美化しすぎに見えたが(日本でいえば正義の忍者のようなもの)、トルコの観客には気分のいい映画だったかも知れない。今度はルーマニア側でも、軽薄なアメリカ映画「ドラキュラZERO」(2014)などに任せておかず、堂々とヴラド3世を英雄にした映画を作ってもらいたい。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-08-22 08:42:18)
331.  海底軍艦 《ネタバレ》 
名前は海底軍艦だが実は陸海空の万能戦艦で、かえって普通に海上を航行する場面がない(黒と赤の塗り分けが無意味)。見た目は昭和じみて古風な気もするが、劇中の雄姿を見ればシンプルで精悍なデザインだと思わされる。 また怪竜マンダは目がネコなので、大写しの顔が出るとニャンといいたくなった。  物語に関しては、この当時なりに戦争を扱ったものになっている。愛国心など今の若い者には理解できないだろう、と言われた神宮司大佐の娘は、女優が1941.12.17生まれ(開戦のすぐ後、戦艦大和の竣工の次の日)とのことで、戦争中に生きてはいても、戦争自体は覚えのない人々が成人する年齢になって来たという感慨が当時の人々にあったのかも知れない。 それでも戦わなければならない場面というのは依然としてあるわけで、この映画に関していえば、まるで帝国主義時代の感覚で世界に覇権を拡大しようとする悪の帝国を国際社会は許さないということである。海底軍艦は国際連合の要請を受けて出動した形になっており、かつての日本海軍が世界平和のために役立ったというのはまことに喜ばしい。 ただし、ムウ帝国というのは人口何人だったのかわからないが、結局全滅してしまったらしいのは悲惨だ。再生可能エネルギーである地熱を高度に利用していたらしく、技術面で協力できれば人類社会に貢献できたはずだが残念なことだった。  人物の関係では、ヒロイン役の藤山陽子という人は正統派の美人女優のようで、特撮関係では「宇宙大怪獣ドゴラ」(1964)にも出ている。知らない間に娘がこんな清楚な美女になっていたのを見てもっと驚け、と神宮司大佐に言いたくなったが、その娘に大嫌いと言われてしまって大ショックという気持ちはわかる。 また皇帝陛下は小林哲子という女優で、劇中では高貴で高慢な顔をしているが、頬が結構ふっくらして、男と並ぶと小柄だったりして可愛く見える。終盤この人を連れ回して帝国の滅亡を見せつけるのは酷ではないかと思っていたが、やはり悲しい最後だったのは心が痛かった。 ほかに水着モデル(リマコ)役は北あけみという女優で、端役だがなかなかいいキャラクターになっていた。  ちなみに全く関係ないことだが、「ムー」といえば個人的には昔懐かしい雑誌の名前である。今も続いているとは知らなかったが、先日創刊40周年とのことで記念号を買ってみると「読者投稿 ムー民広場」というのがあって笑った。おれもムー民と名乗ってみたい。
[DVD(邦画)] 6点(2020-08-16 09:52:52)
332.  妖星ゴラス 《ネタバレ》 
企画段階で当時のSF作家がアイデアを出した、と小松左京氏が書いていたのを読んだ覚えがある。黒色矮星という言葉は実際にあるようで、劇中でも「老年期に入った太陽」と説明されており、造形物の印象と違って表面は気体(水素)という設定だったらしい。半径は地球より小さくても質量が6千倍というのは、当時の一般人の感覚からすれば意外な設定なのではないか。 こういう場合に最も現実的なのは逸らすことではないかという気がするが、劇中の人々もそのような考えではあったらしい。しかし質量が大きすぎて不可能だったため、結果的に逃げるというユニークな方法になったと見える。対策の開始から結果が出るまで時間がかかり、途中で正月が挟まるのがいい雰囲気を出していた(決戦前の小休止のような)。 特撮に関してはそれなりだが、南極の工事現場はかなり本物っぽいので感心させられる。また本邦初公開のジェットビートルが、ちゃんと怪獣を攻撃できる仕様だったのは安心した。この映画が1979~82年、「ウルトラマン」が90年代の話とすれば、これの改良型を科学特捜隊で使っていたと考えても変ではない。  政治面ではリアリティがあるともいえないが、隼号の尊い犠牲(万歳!)に応えられない政府や国民でなく、科学者主導で地球を救うというのが昔のSFらしい理想論かも知れない。偉い学者が徒然草を引いて、人間はいつの時代も目先のことに追われている、と語ったところで街の風景を映したのは「日本沈没」のような悲哀感を出していた。理系だろうが古典にも親しんでいるのは本物の知識階層である。 また宇宙省の長官(大臣でなく?)が、突然押しかけた若い連中を座らせて、ちゃんと話して聞かせたのはさすが人間が大きいと思わせる。「話せばわかる」とはこのことだ。しかしその「宇宙のパイロット」に関して、隼号はともかく鳳号はあまりにいい加減な連中なので呆れた。軍隊でないから規律が緩いのかも知れないが、今後は宇宙省も採用方法を見直した方がいいのではないか。  ほか女優陣では、ダブルヒロインの白川由美さんと水野久美さんが、冒頭で何と服を脱ぎ始めるのでドキッとしてしまう。いつも清楚な印象の白川由美さんも、この場面では女の子っぽく見えたのは和まされた。水野久美さんはお色気場面もあったりしたが(これ見よがしなので笑った)、幼馴染に見せる気安い表情が可愛いのは感激した。
[DVD(邦画)] 6点(2020-08-16 09:52:44)
333.  ファブリックの女王 《ネタバレ》 
独創的なデザインのファッション製品・バッグ・インテリア・雑貨類を世界に提供するフィンランド企業「マリメッコ」の創業者であるアルミ・ラティア(1912-1979)の映画である。邦題の「ファブリック」とは会社の原点になった布を意味しているようで、今も商品ラインナップに載っている(テキスタイルとはニュアンスが違うらしい)。なお個人的には衣類には縁がないが、ウニッコ(Unikko)柄のマグカップが一個だけある。 ちなみに創業者の死去後、経営が悪化していた会社を1991年に買収して再建したキルスティ・パーッカネンという人物のTVドキュメンタリー「マリメッコの奇跡」というのも見たことがある。この人物も創業者を評価し、その方針を引き継ごうとしたとのことだった。  マリメッコの映画であるからには、鮮やかな色彩感で見せる映像(ポピーのお花畑イメージ)が豊富かと思えばそうでもない。また監督インタビューによれば「お決まりの伝記的な形にはしたくはなかった」そうで、この人物を語る際に必ず出そうなケネディ大統領夫人の話などは出て来ない。 それより基本的には人格の表現に重点が置かれていたらしい。DVD特典のTVドキュメンタリーでは本人の理性的な面が見えており、有無を言わさず周囲を引っ張る豪傑のような印象もあったが、しかしこの映画ではどちらかというと、監督の言っていた「非理性的なところ」や人間的な弱味が強調されていたようである。 また当然ながら、男社会で苦闘する女性への共感も制作の動機だと監督は語っていた。ちなみに監督は主人公の元友人で、マリメッコの役員を務めたこともあるそうである。  映画の作りとしては、主人公を扱った演劇の稽古の場面を映画にした劇中劇の形になっている。その理由としては、主人公のいた世界をまともに再現しようとするよりも、舞台装置の形にした方が安価でシンプルかつ芸術的に表現できるからか。また演出家との会話で役者の迷いが語られていたりするのは、一人の人間の本質に迫ること自体の難しさが表現されていたようでもある。映画化にあたってまとめ切れていないというよりは、それが人間というものの実態だということかも知れない。 以上のようなことで、評価すべき点はあるだろうが娯楽性は高くない。個人的には大変よかったともいえないが、個別の場面としてはアメリカで、主人公の側近が舞台裏から覗いていたのが面白かった。変人風だが重要人物だったらしい。
[DVD(字幕)] 6点(2020-08-01 08:49:50)
334.  地獄少女 《ネタバレ》 
マンガもアニメもドラマも見ていない。この映画で見た限り、「地獄少女」役がこの人なら少女である必然性もなく、制服姿も不要なので和装の超絶美女で通せばいいだろうと思った。 もっと殺伐とした話かと思っていたらそうでもなく、前半の物語では復讐の連鎖があっさり止まり(ただし事故物件が生じた)、後半では手前勝手な理屈で世界を破壊しようと企んだ奴が一人で滅んだのはいい結末だ。意外に人道的な映画という印象だった。  基本設定はよくわからないが、恨む相手に対面して直接殺害できるならそうすればいいだけなので、一般人が手を出せない相手(拘置所にいるなど)に復讐してくれる仕事人のようなもの、というのが地獄少女本来の役目らしい。ただし必殺シリーズとは違い、「人を呪わば穴二つ」の原則で厳しい歯止めをかけていると取れる(本人が直接殺してもどうせ地獄に堕ちる)。 地獄少女の立場としては、依頼されれば実行するのが基本のようではあるが、実行時に本音を吐露する場面もあり、また場合によっては再考を促すこともあったらしい。口上を聞けばこの世の悪を裁くのが本来の目的のようでもあり、そこに近づけるようその都度いろいろ配慮しているということではなかったか。非情なようでも決して無情ではないように見えた。  ところで主人公少女の末路について、結論的にいえば地獄に堕ちなくて済むと思われる。それは主人公が恨みを晴らすのでなく、自ら地獄に堕ちる覚悟で親友の生命を救おうとしただけだからである。それでは依頼の条件が満たされないので契約も成立せず、処罰はフリーライターに代行させる形にしたのではないか。ラストの場面でも、地獄少女(とカラス)が空から2人を見守っていたように見えなくはない。 この監督だからといって救いのない結末とは限らない??わけだが、何より観客側としても、この主人公が地獄に堕ちては絶対困る、という気持ちで考えることが大事だ。そのように見れば悪くない映画であって、エンディングの雰囲気も余韻を残した(縦書きと曲が古風でいい感じ)。  キャストとしては、玉城ティナさんが人間離れした恐怖の最強美女になっているのは見ればわかるとして、実質主演である森七菜(もりななな?)という人も、天然小動物系少女をベースにしながらいろいろ個性的な顔を見せている。しょうもない邦画ホラーではあるが、新進女優にとってはなかなかいい出演作になったのではないか。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-07-04 09:59:36)
335.  血を吸う粘土 ~派生 《ネタバレ》 
また見てしまった。派生というか続編のようでもあり、若手多数出演の中で黒沢あすか姉さん(監督の妻)が奮闘するフォーマットができつつある。 今回も主要キャストとして、講談社主催「ミスiD2018」の関係者6人が出ている。選ばれただけあって容姿も高水準の人を揃えていたが、揃い過ぎて劇中人物としては不自然だった。なお主演の藤井愛稀(ふじいいつき)という人は、さすが主人公なので一筋縄ではいかない個性的な可愛さを見せている(母親とも津田寛治とも似ていない)。 バケモノ造形は、今回は粘土の素材感にそれほどこだわった感じには見えなかったが、鳥を捕って食うのが面倒くさいのは印象に残った。最後は何が出たかと思えば結局これかという感じだったが、このとぼけた顔を見せなければこの映画でないということではあるらしい。 ほかに映像面では、今回は普通にアーティスティックなビジュアルで見せていると思ったら、結局最後は本来の泥臭い世界が現出するという趣向だったようでもある。ビニールカーテンを使った虚構空間とかは面白くなくもない。  ストーリーとしては12年後の話だったようで、前回の怨念は薄れてしまって惰性的に凶行を繰り返すのかと思ったら、最後だけ唐突に前回並みのスケール感で大惨事が起きていた。この騒動の元凶になったジジイはいったい何がしたかったのか。ちなみに前回イモムシ(モスラ)と思ったのはミミズだったらしい。 ほかに人間ドラマ的なものとして、今回は主人公を中心にした家族関係のテーマがあったように見える。実父への思い、それとは別に実母への思い、養家の娘との関係など複雑だったようだが、切れ切れなのであまり心に残らない。どうもそういうところが素直に受け取れない作りなので、次回は(あれば)改善願いたい。  以上いろいろ書いたが、面白くなくもないが絶賛するほどでもないという微妙な感じなのは前回同様だった。しかし今回は総体的な映像面の印象と、主人公の可愛さで前回+1点にしておく。 なお笹野鈴々音さんがどこに出るのかと思っていたら何と顔が見えていないではないか。スーツアクターになってしまったのか。せっかく出るのだから可愛く見せてもらいたい(共演者のブログのようなものに打ち上げ時の写真が出ている)。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-07-04 09:59:34)
336.  リベレイター 南米一の英雄 シモン・ボリバル 《ネタバレ》 
19世紀初め、南アメリカ(北西地域)をスペインの支配から解放して独立させた英雄の映画である。邦題は英題のカタカナ書きだが、それより原題のリベルタドールLibertadorを使った方が、日本でも知られたコンキスタドールという言葉(「虹コン」など)との対比で人物の性格が際立ったのではという気がする。 出身地はベネズエラのカラカスとのことだが、1999年から2013年までベネズエラ大統領だったウーゴ・チャベスは、この人物を賞揚して国名を「ベネズエラ・ボリバル共和国」とわざわざ改名し、その政策も「ボリバル革命」として知られている。この映画も国策映画のようなものかと思ったが、部外者として見た限りではそれほど臭みのようなものは感じられなかった。世界史的な有名人を知っておく意味で見る意義のない映画でもない。 ただし内容的には大河ドラマを2時間に縮めたようで何が何だかわからない。どうも歴史的経過をこの映画自体でわからせようという気がなかったようだが、主人公の最期が謀殺だったとほとんど断定していたのはこの映画の独自性かも知れない。弁論合戦とかアンデス越えとか橋の大激戦といった見せ場はあり、また港の少年のエピソードが救われた気にさせるラストではあった。  主人公の政治的な考え方に関しては、本人が美辞麗句で理想論を語るのはあまり真面目に聞く気にならなかったが、結論的にはアメリカ合衆国の建国の理念と同じであって、ただ白人だけでなく全人種のためと言っていたのはたとえ話としてわかりやすい。ただし初めから考えが固まっていたのではなく、意見が対立しているように見える相手から、その都度考え方を取り入れながら視野を広げたようには見えた。 しかし南米の統合(境界をなくすこと)にこだわっていたのは実は動機が不明だった。各地の在地権力者の専横を抑えて国の力を大きくし、外国勢力(金融関係?)の介入を防ごうという意図ならわからなくはないが、この辺が製作当時の政権の主張に沿った形になっていたということか。  なお手厳しかったのは“スペイン人は支配はしても家族の生命までは奪わなかった”という老婦人の発言だったが、そう言われても、スペインの支配が永続していいともいえないので困ってしまう。史実がどうだったかは知らないが、この映画で見た限りでは優しすぎる英雄の姿が表現されていたようで、そういう人物像には好感が持たれた。 ちなみに主人公の奥様も、オッパイはともかくなかなかできた人物だったようで、早々に退場してしまったのは残念だった(手に黄疸が見えた)。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-06-06 10:27:38)
337.  ストレイ 悲しみの化身 《ネタバレ》 
原題のтварьは生き物とかいう意味らしい(creature, being, animal, beast, monster: Wiktionary, the free dictionaryより)。英題のstrayはストレイドッグ(野良犬)のストレイだが、この映画の場合は浮浪児のようなイメージか。邦題の副題「悲しみの化身」が最もまともに内容を説明しようとしている。 スタッフの人名を見ると原作(原案?)・脚本・監督とも女性らしい。ジャンルにはミステリーとあるが特に難解な部分はなく、結末部分を含めて素直に見られる作りになっている。ホラーとしては、邪悪な子どもと夫婦という設定自体にかなりの既視感があるが、それよりはドラマの方に力点が置かれている。 物語の中心になるのは家族の喪失による心の痛手ということだが、それほど独創的に見えるところはなく、見る側の立場で何か心に刺さるものがあるかどうかということになる。この生物も存在意義があるからこそ存在しているのだろう、と推定してみせた孤児院のシスターの達観には少し感心した。細かい点として、途中で夫婦それぞれの心変わりが唐突に感じられるところがあったが、これはバケモノが人の心につけ込んで操作していたのが原因と思われる。人の魂をもたず知能と生存の意志だけはある悪辣な生物に利用されそうな弱みが、夫婦の両方に最初からあったということで、こういう点は現実社会でも警戒しなければならない。  映像面では、現代ロシアの地方と都会(モスクワ)を舞台にした陰鬱な雰囲気は悪くない。また気に障る描写として、吹き戻し(ピロピロ笛)の場面は予告編でも見られるが、これは特に選んで入れるにふさわしい名場面である。しかし安っぽい視覚効果とかワイヤーアクションとかの技法はこの映画には不要に思われた。これは明らかにマイナス要因である。 キャストとしては、特に序盤でビースト状態のтварьを演じたのがすごい子役だと思った。また母親役の女優はそれなりの年齢だろうが、日本でいえば田畑智子さんを普通の美女(個性的美女でなく)にした感じで目を引く。他の映画に出ているのも見たくなった。 ほか余談として、「だるまさんがころんだ」は日本だけにあるのではないことがわかった。劇中では孤児院の子どもが「海の生き物、止まれ」と言っていた。またバケモノの呪文のようなのはフィン語系の言葉に聞こえたが(意味不明)、これはスラヴ人がこの地を占拠する以前の先住民の言葉とでもいうつもりか。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-05-16 08:56:37)
338.  アバウト・タイム 愛おしい時間について 《ネタバレ》 
可笑しそうに笑う女性の写真が気になって見た。内容としてはタイムトラベルの話だったが、主人公は「秘密のパワー」を持った家系というだけで、それ以上の説明がなかったのはかなり簡略な設定である。 主人公が何度も過去に戻って都合のいい結末を得ようとしていたのは、個人的に知っている範囲では「時をかける少女」アニメ版(2006)に似ているが、やがて取返しがつかなくなるとか天罰が下るわけでもなく、また本人の努力や試練のようなものもあったにせよ、結局思いどおりにうまくいくのは出来すぎである。結論的にも少し違っていたようで、この映画では若いうちに秘密のパワーを使って充実感のある境遇まで到達してしまい、そのあとの余生の過ごし方を語って終わったようで変な気がする。 ただ、普段の何気ない幸せ感の表現は非常によかったので、ここは監督がインタビューで語っていた映画の目的に貢献している。荒天の新婚パーティは悲惨なようでも、後になれば完全に笑い話というのがよくわかる。また平凡な一日を繰り返してみると、二度目は美女の笑顔が見えた上に、なぜか値段まで違っていたのは反則だった。終盤で幼い娘が何度も手を振るところは少し泣かされた。 自分としては過去など二度と繰り返したくない日ばかりで、今となってはもう墓場が見えている気もするわけだが、せいぜい今後とも前向きなタイムトラベルを心がけていきたいと思わされなくもなかった。悪い映画ではない。 なお自分をこの映画に誘引したヒロインは、劇中でも最高にキュートな女性だった。この点では間違いなく期待通りの映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-05-09 09:28:58)(良:1票)
339.  ダンスウィズミー(2019) 《ネタバレ》 
宣伝文では「ハッピーミュージカルコメディ」とのことだが、ミュージカルに徹するわけでもなくそれほど大笑いもしない。しかし一応ハッピーな気分で終わるので悪くない映画ではある。ちなみにミュージカル成分は、昔の映画でいうと優香出演の「恋に唄えば♪」(2002)と似たようなものかと思った(もっと少ないか)。 序盤のオフィスやレストランのミュージカルパートでは、せっかく周囲を巻き込んで歌とダンスで盛り上がったと思ったのに現実が悲惨だったのは非常に落胆させられたが、これはそれこそミュージカルの虚構性の表現ということか。その後のロードムービー部分で仲間と歌っているのは普通に楽しげで、特に恥ずかしいトラブルもなく、こういう純粋に音楽を楽しむところまでいったん戻ってから最後のトラウマ解消に至ったという全体構成だったのなら納得できなくはない。歌につられて自然に身体が動くのは変ではないだろうとはいえる。 歌の選曲としては少し古い方へ寄っていたようだが、個人的には「夢の中へ」とか「年下の男の子」のあたりは劇中人物のノリに同調できた。また普段、映画を見ながら先読みなどはしない方だが、3人組での「ウエディング・ベル」に関しては直前の予感が当たった(この状況ではこの歌しかありえない)…実は自分としては柄にもなくこの歌が心に刺さるものがあって痛い。 ちなみに何の説明もなく突然方言を聞かせるのが好きな監督ということなのか、今回また耳慣れない方言が出て来ていたが、これは新潟県の言葉だったのか(新潟市はほぼ標準語だと思っていた)。  キャストに関して、主演の三吉彩花という人は子役時代からいろいろ出ていたのを見たことがあり、昔から長身で美形だったので、周囲の子役の中で変に目立ってしまうところがあったように思うが、ここに至ってやっとふさわしい姿で出られるようになって他人事ながら感無量である。単純な美人女優でもないようで、今後とも幅広く活躍できる役者になってもらいたい。 ほかに名の知れた役者もいるがあらかじめ情報が出ていなかったようで、黒川芽以が出演しているのは実際見て初めてわかった(姉の「友美」役)。また「ウォーターボーイズ」(2001)のエンターテインメント性を一気に向上させた立役者である秋定里穂さんが出ているのは最初から知っていたが、実際見ると出番が少ないので不満に終わった。ここはもう少しファンに配慮してもらいたかった。
[DVD(邦画)] 6点(2020-05-03 20:29:16)(良:1票)
340.  学校の怪談3 《ネタバレ》 
シリーズ共通だろうが大人が見て怖いところは全くなく、ひたすら微笑ましい子ども向け娯楽映画になっている。あらかじめ死んでいる人物を除き、劇中の教員や子どもらが次々死んでいくなどという悲惨な展開にはなりそうもなく、安心して子どもが喜ぶお化け屋敷的怖がらせに付き合ってやろうという気分になる。なお撮影場所の学校は岐阜県下呂町(当時)にあったらしい。 ちなみに自分の幼少時には「合わせ鏡」が特に不吉なものという感覚はなかったが、この頃はもう怪異の元凶というのが常識だったのか。鏡の世界では文字が左右反転していたが、右書きと左書きが混在していたのは意図不明だった。  お話としては小学校高学年向けの恋物語がちゃんとできていて、最後はそれなりにキュンとさせられる。ヒロインの美少女が「泣いちゃうよ」と言ったところは切なくて笑った。なぜか女子だけ美少女揃いで男はどうでもいい感じという対比ができており、長身でキュートな女子のお相手が肥満気味の男子だったのは釣り合いが取れないが、これは容姿にかかわらず万人に同様の可能性が与えられていることの表現か。それにしてもこんな奴の全裸(尻)など見たくはないわけだが、重要テーマの「運命は自分で変えろ」という言葉は特にこの人物のためにあったらしい。 他の登場人物としては、担任教員は微乳を売りにしていたようだがそれはまあいいとして、特に主人公の義妹が見せるとぼけた感じの表情が非常に可愛らしいので和まされた。また現在も女優として活動している秋定里穂さんが中学生くらいの年齢で出ているが、特に美少女の扱いはされていない(「ゾンビバス」の女子高生役)。なお肥満児の母親役で渡辺真知子さんが一瞬出ており、この頃はもうこういうキャラクターだったのかも知れないが、昔は歌っている姿だけ見て“かっこいいお姉さん”と思っていた。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-05-03 20:29:13)
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