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かわまりさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 296
性別 女性
ホームページ https://kawamari7.hatenadiary.com/entry/2021/09/03/221816
自己紹介 取り締まる法律が必要な(1)XX中毒。生まれた場所のせいで3歳で兆候が現れ、13歳で表彰状物の重症に、今ではより強い刺激を求め(2)X屋の中だけではなくこのサイトに出没、ネットで(3)XXXXXXがないかと探し回るのに誰も助けてくれません。KW = 「かわまり」「はてなブログ」で原子力開発関連の「プロメテウス達よ」と19世紀ヨーロッパを夢と詩で描いた「黄昏のエポック」を公開しています。  (Xの数に文字数が一致する言葉を入れてください。)

空欄の答え:(1)XX=「言語」、「活字」も可、(2)X=「本」、(3)XXXXXX=「読める外国語」、キリスト教国際病院で生まれ、宗教は仏教。

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21.  リチャード三世(1955)
1995年作のイアン・マッケラン版がシェイクスピアの普遍性を強調し、1930年代のナチスの台頭も髣髴とさせるノスタルジックで絢爛豪華な設定をとっていたのに対し、こちらはシェイクスピアの時代の演出にかなり近いものになっています。イアン・マッケラン版のインパクトが強かったこととローレンス・オリビエのつけ鼻に違和感があったので、正当派の人の意見とは異なると思いますが、ちっと点数は低めです。ローレンス・オリビエの扮装はいかにも「わたしは悪者です!!」という標識を下げているようで、いただけなかったです。かといってあの眉目秀麗なオリビエが素顔でも違和感があるし・・・、むずかしいですね。こすい、せこい感じはよく出ていたし、マッケラン版にはなかった宮廷の腐敗なんかもシェイクスピアの脚本にはない歴史上の人物を台詞なしでさりげなく登場させたり、うまくやっていたのですが、マッケラン=リチャードをヒトラーに重ねたアイデアには勝てませんね。まあ、映画勃興期にシェイクスピア劇の映画化を担ったシェイクスピア役者の草分けとしてはこれが精一杯といったところです。
[DVD(字幕)] 6点(2009-12-06 13:04:31)
22.  欲望という名の電車(1951) 《ネタバレ》 
王子様系(例えば「サヨナラ」)がぴったりなのにと私が勝手に思い込んでいるマーロン・ブランドの、体臭が画面から立ちこめるような粗野なスタンレーの演技に監督を恨んだのは私だけではないようです。ヴィヴィアン・リーもスタンレーに「カナリア」と揶揄されているうちは「Tomorrow is another day!」のスカーレット・オハラを髣髴とさせてよかったのですが、ミッチにふられそうになり、困惑を隠すためかしゃべりまくるシーンでは正体がばればれで「一体あなたには自尊心というものはないのか・・・。」と目を覆いたくなる始末でした。唯一の救いはニューオーリンズのそこここにみられる「鉄のレース」と形容される例の瀟洒な住宅の装飾でした。これはニューオーリンズに行ったことがある人にしわからない美かもしれません。ニューオーリンズに観光客として行ってもカメラを駆使するのは誰でも多分昼間だけ、夜のバーボン・ストリートでジャズを楽しんでもスポットの外にでればホテルに急ぐだけのよそ者が見落とす夜のニューオーリンズの陰影の美しさがこの作品には溢れています。とは言うものの、空港から市内に行くバスの中から垣間見た墓地の光景(海抜マイナス地域にあるため、浸水しないように棺は地面から一定以上の高さの石台に安置しなければならず、ニューオーリンズでは死ぬのに金がかかる)のせいで、私はマルディグラの狂奔を見てもニューオーリンズという街を死の影と切り離して観光することはできず、この映画のストーリーと美学も死の影と無縁に見ることはできません。晩年の太ったマーロン・ブランドがジョニー・デップとの協演で精神科医を演じて「彼(ジョニー・デップ)の明るく愉快な色情狂は伝染性・・・。」と言いながら踊るシーンがある「ドン・ファン・デ・マルコ」でも見て口直しをしましょう。
[DVD(字幕)] 7点(2009-03-29 12:58:51)
23.  嘆きのテレーズ
黒澤明監督のモノクロも墨絵のようで美しいですが同作品はヨーロッパのモノクロ作品の美しさを存分に見せ付けてくれます。主演のシモーヌ・シニョレが美しいのは言うまでもない・・・と言いたいところですが、体全体はあくまでも豊満で肉感的なのに顔が大写しになると男のように見えました。でも、他のどのような女優さんでもテレーズの満たされない寂しさは出なかったでしょう。嫁と姑の確執も特に後半以降、姑役の年配の女優さんが鬼気迫る演技で見事に表現していました。周囲からは羨まれているに違いない安定した生活の中で欲求不満に陥っているテレーズと彼女に言い寄るセクシーな男の話は、残業続きで疎遠な夫に愛想をつかす金曜日の妻たちの走り、そして金妻モノをもっと極端にした形で展開します。ただ、「猫の目をした(テレーズの言葉)」水兵あがりの男が出てきた頃から少しつまらなくなりました。結末も、私の私見ではありますが、陳腐なので-1とします。原作者ゾラは人間の情欲を見つめた作家でしたが、物語としての結末はどうでもいいのかもしれません。邦題「嘆きのテレーズ」の「嘆き」はないほうがいいと思います。
[DVD(字幕)] 9点(2007-06-22 22:53:14)
24.  二十四時間の情事 《ネタバレ》 
私はこの作品を恋愛ものだと思いたくありません。二人の関係は紛れもない不倫だし、外国の街角で自分の国の言葉で話しかけてきた異性と即ベッドインなんていうのは勧められませんが、主人公のフランス人女性には戦争で壊滅的に破壊された広島という街でそうしなければならなかった理由があり、全編がその理由を語るために存在するというといってもいいと思います。作品の中盤で、ロケの休憩中に転寝をする女性のわきに長い尻尾が妙な形に曲がった猫が登場しますが、「猫なら尻尾が曲がるだけでも人間だったら心の奥底に見えない傷がある。」と言うためにこの猫を出したのでは、などというのは考えすぎでしょうか?巻頭の「君は広島で何も見ていない。」という日本人男性の言葉には「戦勝国の人間には所詮、敗戦国のことはわからない。」というような奢りさえ感じられますが、その日本人男性は次第に考えを改めていき、フランス人女性の「ドイツ人の彼が死んだ悲しみを、村の人に罵倒されたり、髪の毛を刈り取られたりしている間は忘れることができた。」という言葉で正に目が覚めたと思います。トイツ人を愛したフランスの女まで憎いというフランス人の心理は(フランス人でなくても)ただ戦争の愚かさだけを見せつけます。「目を覚ませ!」というかのように女性の頬をひっぱたく男性と感謝するように微笑む女性。最後に夜明けのバーで離れた席に座ってフランス人女性を見つめる男性と目を伏せる女性・・・癒しにはほど遠いけれど理解しあうことはできたというような結末でした。点数は一番手の方の真似をしたわけではなく、モノクロながら目をそむけてしまった被爆者の治療シーンがあることと日本語の題名のせいでー1点です。わたしだったら題名は「ヒロシマ、わたしが愛した人」にします。
[DVD(字幕)] 9点(2006-03-23 11:15:32)
25.  理由なき反抗
ジェームズ・ディーンだからできる、価値がある、歴史に残ったと言えるでしょう。ストーリー自体は大したことはないかもしれないけれど、彼の演技力には脱帽しました。ティーン・エージャーの無為や孤独がびんびん伝わってきます。
[ビデオ(字幕)] 8点(2005-09-23 09:33:00)
26.  雨月物語
能楽ファンにはたまらない魅力がある作品だと思います。私は謎の若い女を演じた京マチ子の仕舞の出来をどうこう言えるほど能楽を見たわけではありませんが、能舞台では男の能役者によって面をつけて舞われる仕舞が能面のような顔をした京マチ子によって舞われ男性の謡(うたい)がバックに聞こえるのは官能美の極地です。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2005-07-31 15:49:22)(良:1票)
27.  サヨナラ
アメリカの有名俳優が出演する日本ものはとりあえず見ておこうと思ってビデオを借りたのですが、期待したよりも良かったです。アメリカ兵が日本人女性を一時の慰みものにしないよう、日本駐留のアメリカ軍はアメリカ兵と日本人女性のデートを禁止しますが、アメリカ兵である主人公たちが日本人女性を真剣に生涯の伴侶として考え、また日本人女性も自分の人生を大切にする誇り高き存在として描かれているのが良かったです。「日本の男はどうした!」という方もご安心を・・・。作中に登場する歌舞伎俳優は、英語が巧すぎるのが少し気になるものの、アメリカ人女性をスマートにデートに誘って人生相談の相手にまでなるという国際性で満点をもらえるような紳士として描かれています。主人公ロイド(マーロン・ブランド)の歌舞伎と文楽で退屈した時の表情と和服を着流した時の姿がとてもセクシーでした。マーロン・ブランドのアカデミー主演男優賞ノミネート、ケリー役のバトンスの助演男優賞受賞、ケリーの妻役、梅木さんの助演女優賞受賞、音響賞美術賞受賞などの快挙が目白押しです。ラスト・サムライ以前にも日本を礼賛するまともな映画はあったのです。
8点(2004-03-18 03:17:48)
28.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 
もう一度見たのですが、始めにちゃんと「イエス・キリストの物語」と書いてあるではありませんか。やはり、この作品は魂の救済をテーマとしているのです。復讐を遂げた後の人間というのは人生のバロメーターがマイナスからゼロになったようなもので虚脱感はあっても建設的な人生を築く土台はないわけだし、あれほどの目にあったらベンハーほどの強靭な精神の持ち主でも(といおうか強靭な精神の持ち主だからこそ)心はぼろぼろで「それは不当だ!」と叫んで夜中に飛び起きたりやなんかして(ここまで描写したらサイコホラーかコメディーになりますが)、元に戻るには数十回の治療セッションが必要なはずなのに、イエス・キリストは2回会っただけで治してしまうなんてすごいですね。さもなければベン・ハーはきっと、一生の間メッサラと同様の人間を攻撃し続けるサイコで終わっていましたよ。イエス・キリストはこの物語の頃に「やあやあ我こそは旧約聖書イザヤ書に予言されたる救世主なり・・・。」と言って(自分で言ったのではなくて後世の人が言ったことにして)登場、ユダヤ人達に「わてらの目の黒いうちにユダヤ王国は主権を回復するのかいな?(注:傀儡ユダヤ王国は存在)」と期待させながら「王国は汝等の心の中にあり。」なんて言ったものだから、「そりゃインチキや!」と処刑されてしまい、弟子たちのその後の努力によってその教えが各地に広まった(以上は新約聖書の超ダイジェスト版)そうですが、ユダヤ人の中にもキリストが正真正銘の救世主だと思った人もいたはずで、そういったユダヤ人はユダヤ王国の再興後に官僚になったり政治献金をするあてのない下積みだったと考えられがちです。でもベンハーのように金や実力のあるユダヤ人も結構キリスト教に帰依したのではないでしょうか。何しろ復讐は律法に従って実行すればいいし、金は自分で稼げばいいし、地獄の沙汰は金次第(これは浪速商人は言ってもユダヤ商人は言いそうにない)だけれど、生きているうちに心の平安を得ることは非常にむずかしいからです。従来の医療で直せない心の病を治すために精神分析を始めたユダヤ人医師フロイトのお弟子さんたち、聞いてくれていますか?
10点(2004-03-06 10:03:40)(良:1票)
29.  羅生門(1950)
“Rashomon syndrome”という言葉がある。権威のある英語辞書(Oxford やRandom Houseなど)にこの言葉が熟語として収録される日も近いと思われる。この熟語の発祥の地である日本で対応する言葉、「羅生門症候群」が一般的に使用されていないのは不思議な気がするが、英語圏でこの熟語が市民権を得てきた背景にはキリスト・ユダヤ教に基づいた一元的世界観、また裁判を好むアングロ・サクソン民族の風土が存在する。西欧の一元論において真理は一つしかないとされる。しかし裁判など「人」がどうあっても真理を探りそれに基づいて何らかの結論を下さなければならない場合において、「人」の証言というものは各人の背景や利害、証言を行う環境などに容易に左右されてしまう。“Rashomon Syndrome”は一つの真理に対して複数の見方を存在させるに至るような集団の心理状態を指す。この熟語が権威ある英語辞書に収録された場合、語源は[Rashomon < Japanese, the title of a film by Akira Kurosawa]と記載されることは間違いない。なお、“Rashomon syndrome”に対して ”Trashomon”という言葉がある。この単語が権威ある英語辞書に収録されることはまず無いが、一応意味と語源を日本語を交えて記しておく。意味:どうでもいいようなくだらないことに複数の人間がやかましく意見を述べること。また、その状態。  語源:[trash(はきだめ)+ Rashomon < Japanese] (付記:黒澤の他作品でこの作品を越えるものが多数ある、という理由で初投稿後2点減点しました。)
[映画館(字幕)] 8点(2004-02-04 03:30:49)
30.  尼僧物語
子供の頃にテレビでこの映画を見て「神様のお嫁さんになるって大変だ。アフリカに行って一生懸命働かなくてはいけないし・・・。」なんて真剣に感動しました。最近になって貸しビデオ屋さんでこの作品のビデオを見た時、箱に写っている尼僧に扮しても華やかで色っぽいオードリー・ヘップバーンの写真のせいで同じ作品だとは思わず「まさか、あの話じゃないよね・・・。」なんて思いながら借りてみたらやはり同じ作品でした。そして「ローマの休日」では王女だったのにこんなつらい目に、かわいそう、まあ頭がいいのにそれを隠せって、そんなのないでしょ・・・なんて子供の頃に比べて随分すれた感じ方をしてしまいました。これも「ローマの休日」や「ディファニーで朝食を」なんていうロマンチック・コメディーで好演したオードリー・ヘップバーンを見たせいです・・・と、トップバッターの南浦和の三波さんに続いて、と言おうかそれ以上に不真面目なレビューしか書けませんでした。真面目な作品なんだから誰か真面目なレビューを書いてください。「あらすじ」を書いて許してもらおうかな・・・でもそのためにはもう一度ビデオを借りてこなくっちゃ。 このストーリーを本で読んだら真剣に感動したと思いますが映像になるとオードリーの色っぽさが印象的すぎるんです。
8点(2004-02-01 14:10:39)
31.  十二人の怒れる男(1957)
ヘンリー・フォンダが壮年期だった頃のアメリカ、そして今のアメリカや日本でも共通していると思いますが、国選(アメリカでは公選)弁護人がもらえる報酬というのはすごく少ないんだそうです。特に殺人事件なんて任されたらウェイターやったほうが儲かるどころかまともに取り組んで労力と時間を費やしたら最低賃金を割ってしまうほどなんだそうです。ましてや、この映画の被告人のような英語が不自由で貧しいマイノリティーが殺人を犯したら・・・法廷では通訳がついても弁護士にはつかないでしょう。だから、調査はちゃらんぽらん、「物的証拠がない限り推定無罪」なんて刑法適用上の原則もめちゃくちゃにないがしろにされて、「こんなやつは虫けら同然。死んでも自分にとっては痛くも痒くもない。だからこいつを犠牲にして一件落着にしてやろう。」なんて弁護人も証人も思うようになってしまうのです。こんな状況において陪審員が頑張らなければ誰が無実の人を救うんでしょうか?陪審員が何とかしなければ結果は火を見るよりも明らかです。この映画は検察庁(弁護人と異なって給料をもらっている検察官や通訳者がいる)に代表される国家権力と個人が犯罪行為をめぐって対峙した場合における「疑わしきは罰せず」という刑法の大原則、あるいは法治国家の原則を示している教科書です。 なぜ十二人の陪審員が「怒れる男」なのかわかっていただけるでしょうね。
10点(2004-01-27 14:52:51)(良:1票)
32.  戦場にかける橋
イギリス兵の誇りの象徴、口笛で吹く「クワイ河マーチ」がこの映画で有名になりました。この作品に出演した早川雪舟さんは国際的な映画コンテストでノミネートされた日本人の第一号だそうです。でも、イギリス人将校ニコルソン大佐の協力なしではビルマの辺境地に橋を建設できないことを悟ったときの斎藤大佐の気持ちは男泣きするほどくやしいものなのかな・・・ニコルソン大佐の命令なしではイギリス兵は働かないのが当たり前だと私は思うのですが・・・。武士道の権化のような斎藤大佐がイギリス留学で得た国際性を次第に表わし、さらにニコルソン大佐が「平和になった時にはこの橋を作ったイギリス兵は現地の人に感謝される・・・。」と気持ちを軟化させてイギリス兵たちが追随していくくだりが実にいい。それにしてもアメリカ兵は憎らしい。大岡昇平なんか読む限り、アメリカ軍だけが東南アジア戦線で衣食に困らなかったらしい。なにせパール・ハーバーを別として、本土が全く戦禍にさらされていないわけだから・・・。日本兵ではなくアメリカ兵を残酷で近視眼的な悪役、あるいは「アホ」に描いたこの映画がアメリカのアカデミー賞を7部門で受賞するなんて、アメリカ人は懐が深いのか、それとも戦争が嫌になっていたのか、でなければやはり映画そのもの神通力のせいでしょう。
10点(2004-01-26 14:48:27)(良:2票)
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