441. オスカーとルシンダ
私は観る前からだいたいのストーリーやオチがバレバレな映画を好まない。間違いなく面白いに決まっている映画をわざわざ観ても仕方がないし、つまらないとわかり切っている映画のために入場料を払うばかはいないだろう。この映画は、観ても観ても、いったいこの先どういう展開をするんだか、皆目見当がつかないという点で滅多にないほど珍しかった。そもそも誰が主役なのかも、かなり終わりに近づかなければわからない。一つ一つのエピソードが、その先のストーリーにどういう影響を与えるものかもわからない。そして物語がどういう方向に走っているのかも、最後まで観なければまったくわからない仕組みになっている。驚くべきことに、なおかつミステリーではない。オーストラリアの山奥にガラスの教会を建てたいという主人公の希望はわかるんだけど、いったい何故そんなことをしなければならないのかもわからない。非常に不条理かつ意味不明の目的に向かって映画は淡々と漂流を続けて行くのだが、何故か観ているこっちまで、何がなんでもガラスの教会を建てねばならんと思い込んでしまうところが恐ろしい。もちろんホラーではない。でもなんか、ワケのわからないなりに不思議なカタルシスのある映画なので、うっかり引き込まれてしまったら最後、どうしてもガラスの教会を建てることが大切なような気にさせられてしまうのである。中途半端な時代劇とも言えるし、オーストラリアの観光映画であるとも言える。あるいは究極の純愛映画とも言えなくもないのだが、泣かせどころがあるわけでもなく、実に意味不明なのに飽きさせずに先を観続けさせてしまうこの映画を作った人ってたぶん本物の天才なんじゃないだろうか。こういうわかりやすい意味不明さってものすごく新しいですね。私は感動しました。 9点(2003-12-09 23:51:17) |
442. オーシャンズ11
なんかスターかくし芸大会みたいな映画でしたね。モルモンブラザースに唯一笑えたけど。テーマは「アンディ・ガルシアを救え!」かと思いましたが、あんまり救われてなかったような気もします。誰か助けてあげて下さいな、腐ってもアンディ・ガルシアなんですから。関係ないけどブラッド・ピットとジョージ・クルーニーは「マット・デイモンを『アメリカで最もセクシーな男優10人』に選ばせる運動」というのをやっていたそうですが、この映画はその運動の一環だったのでしょうか。 6点(2003-12-09 23:40:56)(笑:1票) |
443. オール・アバウト・マイ・マザー
なんだかとてつもなく評判が良く、素晴らしい傑作で劇場が連日長蛇の列だというので必要以上に期待してしまったが、特にどうということのない普通のカミングアウト物だった。同性愛に偏見もなければ理解もない人間としては、特に感動もなければ嫌悪感もない普通の映画。なんとなく退屈しない程度にストーリーは進行し、眠くならない程度にいろんなエピソードが起こり、だからナニ?という微妙な脱力感を残して物語は幕を閉じる。一つ一つのエピソードは魅力的だし、設定もアイデアは買いたいところなのだが、もう一つ何が言いたいのか不明。これならもっとワケわかんない、どこから始まってどこで終わっても誰も困らないような一時期のフランス映画とかの方が数段おもしろいような気がしてかなり消化不良気味な作品である。ペネロペ・クルズはたしかに可愛いが、あのぐらいの器量の女優ならスペインには捨てるほどいるでしょう。世界でも有数の美女の産地ですぞ。 4点(2003-12-09 23:37:16) |
444. 狼男アメリカン
リック・ベイカーによるあまりにも有名な変身シーンをさておいても、なかなかの傑作と言って良いのではないかと思われるジョン・ランディスの異色スリラー。同じ英語圏でありながらまったくの異邦人として扱われるアメリカ人の主人公が、異国の空の下で共に旅していた親友を亡くし、自らは狼男として生きるハメに陥る、哀愁漂うコミック・ホラーである。コメディとして楽しむも一興、一人のアメリカ人の悲しい運命に涙するも一興。ランディス得意のカーチェイスも、短いながらもなかなかのキレの良さで楽しめる仕立てになっている。イギリスの片田舎で異端扱いを受けるアメリカ人の孤独は、我々日本人にはちょっと馴染みづらいものがあるが、よくよく真剣に観返してみると、普段は我が物顔で世界の王様面をしているアメリカ人が、異国を彷徨えば単なる旅行者にすぎないことを痛烈に皮肉っているようでもあり、あるいは歴史ある大英帝国の伝統に手も足も出ないアメリカ人の情けなさを笑っているかのようでもある。伝説の魔物狼男という由緒正しいアイテムを通じて、アメリカを自虐的に笑ったコメディとでも言うべきか。冒頭とラストに流れる2つのバージョンの「ブルームーン」が印象的。 8点(2003-12-09 23:32:27) |
445. 王様と私(1956)
歌い踊るユル・ブリンナーというものをハナから期待しておらず、「ウェストワールド」と「SF最後の巨人」を観たついでにと借りて来たらあの眼光鋭いユル・ブリンナーがマントをひるがえして踊っておられた。ああびっくりした。実はこの映画の原作となった舞台劇こそ無名だった彼の出世作であり、ガンで亡くなる一ヶ月前までこの役を演じ続けたという、文字通りのライフワークであったことを知ったのは後の話。当時はSFや時代劇でエキセントリックな悪役を演じている彼しか知らず、なんで彼がミュージカルなんかを、と仰天したのを覚えている。こっちが本業だったんですね。原作者のマーガレット・ランドンは、アンナ・レオノウェルズ本人の自伝を元にこの小説を書き上げたそうだが、そもそもこの自伝というのが身の上話からすでに嘘八百の自慢話にすぎなかったという説もあり、それを小説化したランドン自身もタイ王国を訪れたことがあったかどうかは疑わしい。仮に現地を訪問していたとしても作品の舞台となった1862年のタイ王国は既になく、映画の中に当時のタイの風景を再現することはほとんど不可能だったに違いない。そういう意味では、この作品は50年代当時のアメリカ人の東洋観を投影しているという点で非常に興味深い。実際、都市部を除いたほとんどのアメリカの片田舎の人々にとって東洋人なんて見たこともなく、タイを訪れるなんて夢のまた夢だった時代に、ちょっと個性的な顔立ちのユル・ブリンナーはまさに東洋一美しいと言われるタイ国の国王にふさわしい風貌だったのだろうし、セットや小道具、彼らの身につける衣装はアメリカ人の想像するオリエンタリズムそのものだったのだろうと思う。今なお再演が繰り返されていることからも、この作品のミュージカルとしての完成度の高さはお墨付きだが、実際のタイ国の考証がどうだとか言うよりは、「へぇ~アメリカ人から見た東洋ってこんななんだ」と別の面からも楽しめる、1粒で2度おいしい作品と言えるかも知れない。本物のタイの風物詩を楽しみたい方には、リメイク版「アンナと王様」の方をお勧めする。 7点(2003-12-09 23:24:04)(良:1票) |
446. ザ・フライ2/二世誕生
何を間違えたのか、この映画が地上波で放映されるという日に限って、皿いっぱいニラレバを作って食べ始めてしまった。半分ほど食べてテレビをつけたら、画面では犬がギトギトの肉の塊に変貌していた。やめればいいのにそのまま観ていたら、ニラレバが一口も食べられなくなってしまった。結論としては、ニラレバを食いながら鑑賞するには最も適さない作品である。 2点(2003-12-09 00:34:13)(笑:1票) |
447. 2001年宇宙の旅
映画は大衆の娯楽であるべきで、よっぽどのばか以外はそれなりに支払った代価に見合う楽しみが得られることを前提とするべきです。そういう制約の中で、優れた主張や価値あるメッセージを一部の知性ある人々に向けてきちんと発信できる作家も大勢います。わからないばかは帰れ、という姿勢は、映画という芸術そのものが歩んで来た道のりを否定するものであり、映画という存在そのものを否定するものであります。仮に私一人が理解できる作品に出会ったとして、その感動を分かち得る相手がこの世に一人も存在しなかったとしたら、映画を観る楽しみはほとんどなくなってしまうでしょう。この映画に感動する人々を私は非難しませんが、この映画を理解できなかった私にもきちんとわかるような説明を与えてくれる心優しい人を私は知りません。たとえばロダンの彫刻であっても、無人島に置き去りにされていればただの石ころであるのと同じように、映画も多くの人が楽しんでこそ、初めて成立するものであると私は信じます。これまでこの映画について現実的に私にも理解し得る解説をしてくれたのは、今年還暦を迎えた私の母ただ一人です。「この人は死んだから星になったのよ。人間は死んだら星になるっていう映画じゃないの」というのが彼女の意見ですが、そう言われてみればそのようにも受け止められます。私は「メリー・ポピンズ」を観ていて長いと感じたことはないですが、この映画はいつも非常に長く感じられます。幸いにして、この映画があるおかげで私が不眠に悩まされることはありません。そういう意味では、使える映画であるとは思います。 2点(2003-12-09 00:30:28)(笑:3票) (良:8票) |
448. エンゼル・ハート
行方不明になった往年の歌手、ジョニー・フェイバリットを探し出して欲しいと依頼するナゾのお金持ちの名前がルイ・シフレ。依頼を受けてジョニー探しに乗り出すしがない私立探偵がハリー・エンゼル。もうネーミングだけで笑ってしまう、ウィリアム・ヒョーツバーグの傑作小説の映画化。オカルトとハードボイルドを融合させようと思いついたのは彼が最初ではないかも知れないが、少なくとも私の知っている限りにおいて、成功したのはこれが初めて。映像化の難しい作品ではあるが、アラン・パーカーの暗い画質が原作の持つ独特のオカルティシズムと見事にマッチした。濡れた石畳の舗道、ニューヨークの裏道、湿った空気の都会からニューオーリンズのひなびた雰囲気へと移動する後半。時間的制約もあって多少駆け足になった感は否めないが、考えられ得る最高の水準で映像化されたという意味でファンには嬉しい映画化作品となった。これが遺作となりかねないミッキー・ロークには、ご苦労さまと言うほかはない。なかなか雰囲気があって楽しい作品ですよ。 7点(2003-12-09 00:22:17) |
449. エレファント・マン
単なるキワモノ趣味だと思うんだけどなあ。アン・バンクロフトが絡んで話がややこしくなりましたね。実在した伝説の奇形児を、さも人間万歳みたいなオブラートでくるんで美しく描いてしまいましたが、実際に観に行った人の何割が人間の尊厳や心の美しさみたいな感想を抱いて帰ったか、ちょっと自信がないです。「すげーヘンなのがいた。しかも実話だ。」っていうニオイしか伝わって来ないんですよね。狼に育てられた子がいたぞ、そいつぁ珍しいや、って飛びつく人たちがぞろぞろ観に行く映画なんじゃないでしょうか。ジョン・メリックは可哀相で、ラストも涙をそそるモノでしたが、やっぱり監督がデビッド・リンチで、前に「イレイザーヘッド」を撮った人なんだ、っていう先入観が強すぎて、どうしてもキワモノ趣味としか受け止められませんでした。私自身、身体障害者に対する偏見や差別意識は極めて低い方だと思うんですがね。こういう不幸な人を、見世物小屋でお金を払って見るというのが人間のやって来た現実なんだ、という意味では存在価値がないとは思いませんが、この映画をお金を払って観に行く私たちと、見世物小屋に集まった人たちの違いがどうしても説明できないんです。そういう意味では、非常に後味の悪い映画でしたね。 4点(2003-12-09 00:16:53)(良:1票) |
450. エルム街の悪夢(1984)
シリーズ化されちゃってコメディ路線に流れたようですが、1作目のこの作品は本当に久々の正当派ホラーという感じで非常に好感が持てました。悪夢が人間を襲うという発想も当時かなり新しかったですし、何より登場人物たちが魅力的でしたね。バスルームで後ろから襲われるシーンなど、子供時代から70年代ホラーにどっぷり浸かって大きくなって、いつか自分がホラー映画を撮るとしたらこんなシーンを撮りたいなあ、と思っていたシーンを端から実現してくれた楽しい作品でした。ありそうでなかった、痒いところに手が届く映画だったということです。コワイ、という意味ではそれほどコワくはなかった気がしますが、作り手の誠意が伝わる良いホラー映画だったと思います。ただしシリーズ化は良くないね。 7点(2003-12-09 00:10:25) |
451. エバー・アフター
たまたまヒマな時にCATVで観たのでそれほど腹も立ちませんでしたが、劇場へ足を運んでいたら口直しに何か別の映画が観たくなっていたかも知れません。普通に笑えるし普通に納得の行くラストなのですが、どうもドリュー・バリモアにもう一つ美貌を感じられないとキツいです。魅力的な女優さんだとは思うのですが、美貌度ではちょっと厳しいです。アンジェリカ・ヒューストンはこういう路線がちょっと板につきすぎてしまってコワイです。もう後戻りは効かないんだろうナ・・・お嬢さまなのに。 5点(2003-12-09 00:03:47)(笑:1票) |
452. エド・ウッド
とりあえず現時点ではティム・バートンの最高傑作。今後もまだまだ傑作をモノにする無限の可能性を秘めた監督であるので、あくまでも現時点ではとだけ言っておく。ジョニー・デップは単なるハンサムボーイで売り続けようと思えばそういう道もあるだろうと思うのだが、敢えてこういうクセの強い役で勝負しようという強い意志が伺い知れて頼もしい存在である。おバカなドタバタの中にも、監督自身の映画に対するとてつもない愛情が感じられる、同レベルの熱狂的な映画バカに捧げられた作品として、こればっかりは絶対に譲ることができない。テーマは「人はどこまで映画バカになることができるか」または「映画は人をどこまでバカにならせることができるか」。史上最悪の映画監督は、たぶんティム・バートンが本当になりたい映画監督でもあるのだろう。万歳。 10点(2003-12-09 00:00:09)(良:1票) |
453. エデンの東(1955)
《ネタバレ》 愛されなかった子供という普遍的なテーマを扱って今なお多くの亜流を生み出し続けているエリア・カザン監督の問題作。旧約聖書を題材にしたとされているが、カインとアベルの物語では弟アベルを殺した罪でエデンの東に追われるのは兄のカインの方である。ジェームス・ディーンの卑屈な個性が、愛されない弟キャルに見事に投影され、屈折した青春が観客の共感を呼ぶ運びは良いが、あまりにも取ってつけたようなラストの急展開には今もって納得がいかない。原作となったスタインベックの同名小説を読んでいないので何とも言えないが、本来映画は原作と切り離して一つの作品として自立すべきであるという観点から考えれば、いくらなんでも安直かつ偽善的な結末ではないかという思いが否定できない。まあこういう映画が喜ばれる時代ではあったんだろうけど。こういう話なら無理やりカインとアベルにこじつける必要もなく、ただ魂の救済をテーマにした美しい親子モノという態度を徹底した方が美しかったんじゃないだろうか。まあ嫌いな作品ではないし、「リバー・ランズ・スルー・イット」が良い良いと騒ぐぐらいなら、こちらの方をお勧めしたい気持ちは充分あるのだが。とりあえずジェームス・ディーンの姿が拝める数少ない作品ではある。が、彼が生き延びて傑作をあと50本も撮っていれば、時代と共に薄れてしまった可能性は否定できない。非常に微妙な8点献上。 8点(2003-12-08 23:55:14) |
454. エクソシスト
《ネタバレ》 悪魔払いをモチーフにしながらも、現代の精神医学や心理学を論拠に「悪魔」の存在に徹底的に懐疑的な視点で扱ったところで高い信憑性をかもし出すことに成功した傑作。単に「悪魔がとりついてしまいました。追い払いましょう」ではなく、あくまでも迷信であると仮定して科学的に症状を説明しようとする医者たち。ついにイエズス会の神父でありながら精神科医の資格を持つカラス神父に鑑定の依頼がされるが、彼の目からも実質否定の状態のまま、催眠療法としての悪魔払いが実施されることになる。悪魔であるというはっきりした確信が持てないまま儀式に臨むカラス神父に悪魔が仕掛けるワナは、実は神父の心に潜む罪悪感との対話という形で人間の尊厳にまで言及し、やがてラストに至る人間対悪魔との壮絶な闘いへと展開して行く。カラス神父の心につけ入ったのは悪魔なのか、それとも彼の罪悪感にほかならないのか。実際にははっきりとした説明をしないまま、観客は素直な心を取り戻した少女の笑顔に安堵の吐息を漏らし、亡き神父の親友はひっそりと友の魂に祈りを捧げる。あまりにもセンセーショナルな原作小説にあくまでも忠実に映画化しただけの監督ウィリアム・フリードキンはこの作品を遂に越えられないまま今なお復活のチャンスを狙っているが、これは悪魔の呪いなんでしょうか。 9点(2003-12-08 23:40:02) |
455. エイリアン3
《ネタバレ》 えーと。「3」を観る前に「2」を予習しておこう、と余計なことを思いつき、「2」のラストでヒックスとレベッカのその後の活躍に胸を躍らせてビデオを回し始めたら、冒頭1分で二人には二度と会えないことがわかり頭の中が真っ白になってしまいました。あまりのショックに、内容はよくわかりませんでした。でも監督がデビッド・フィンチャーで、脚本がウォルター・ヒルなんですよね。たぶん「2」の余韻を払いのけることさえできれば、私にも楽しめるはずなので、そのうちリトライしてみたいと思います。でもやっぱりなあ。あんなに苦労して二人の命を助けたリプリーの苦労はどうなるんだ。 3点(2003-12-08 23:30:01) |
456. エアポート’80
ネタがなくなったのでかつぎ出されたに決まっているアラン・ドロン様とシルビア・クリステル様、どうもご苦労様。というだけが感想の映画。特にパニックでもスペクタクルでもなかったような気がするし、コクピットが爆破され、バミューダ海域にジャンボ旅客機が沈むという大仕掛けの続編にしてはあまりにもお粗末な展開。コドモでしたから、シルビア・クリステルと言われてもタダのキレイなおばちゃん、という印象しかありませんでしたし。アラン・ドロンのこの役って、最近で言う「バットマン」のジャック・ニコルソンとか、「ディック・トレイシー」のアル・パチーノとか、そういう趣向だったのかしらん、と真剣に思い悩んでしまう今日この頃です。ヒマでヒマで鼻くそをほじくってるぐらいしかやることがなかったら観てもいいかも知れません。私なら鼻くそをほじくってる方がマシですが。 3点(2003-12-08 23:26:23) |
457. エアポート’77/バミューダからの脱出
個人的にエアポートシリーズの最高傑作と信じる本作は、なんと飛行機が海の中に沈んでしまったという奇想天外な設定。ほとんどタイトルの意味を失ってしまい、単なる密室サスペンス劇のバリエーションと化しているが、ジャック・レモンにブレンダ・バッカロ、オリビア・デ・ハビランドにジェームス・スチュワートなどシリーズ随一の豪華キャストにクラクラ。沈んだ場所がバミューダ海域というのは当時流行っていた世界のナゾ世界のフシギ系味付けにすぎず、特にストーリーに大きな影響はなかったような気もするが、まあそこはご愛嬌。海に沈んだ飛行機から脱出するのと、沈没船から脱出するのとどう違うのよ、という声も聞こえて来そうだが、飛行機って案外水中に沈むには不向きにできているのだという一つの教訓にもなる。114分のほとんどが海の中という非常に異質な航空パニック映画だが、これが売り物の絶望的な状態で織り成される悲喜こもごもの人間模様も、シリーズ中これが最も美しくてヨイ。まあこのへんでやめておけばよかったんだよね、というのもまた正直な感想なのですが。(以下次号) 8点(2003-12-08 23:21:24) |
458. エアポート’75
どちらかと言えば悲喜こもごもの人間模様メインだった第1作から、やがてスケールを拡大しすぎて迷走を始めるシリーズの第2作と考えれば、仕掛けもそこそこ派手だしまずまずの及第点と言えるシリーズ中ではわりと地味な作品。前後の作品に比べるとオールスター度はやや低いが、グロリア・スワンソンとリンダ・ブレアが頑張っている。私はシリーズの最高傑作として3作目の「77」が一番面白かったかな、と思っているのだが、この作品は当代きってのアクションヒーローだったチャールトン・ヘストンと、アメリカン・ニューシネマのシンボル的な存在だったカレン・ブラックが共演しているという点でちょっぴり興味深い作品ではある。飛行中のジャンボ旅客機のコクピットのガラスが吹っ飛び、一介のスチュワーデスが操縦桿を握るというちょっとあり得ないストーリーだが、まあこの時代の映画って夢があったよなあ、と思わされる展開ですね。どうでもいいけどただでさえ寄り目のキツいカレン・ブラックが操縦桿を握るという都合上、真正面からのアップが多く、観ている私も寄り目になりました。キャスティングが面白い、というだけで7点は甘すぎかしら。 7点(2003-12-08 23:12:42) |
459. エイリアン
「スター・ウォーズ」を皮切りに、空前のスペースオペラブームに沸いた70年代末期。アメリカはベトナム戦争とJFK暗殺の暗い時代からようやく脱却し、人々が未来への夢と希望に溢れていたこの時代、「宇宙ではあなたの悲鳴は誰にも聞こえない」という名コピーと共に、突如夢と希望の空間を隔絶された恐怖の密室へ転換させてしまったのがこの作品である。いきなり人々の憧れに「NO」をつきつけたのも新しければ、それまで難関をくぐり抜けた一握りのエリートたちばかりだったはずの宇宙船の乗組員が、貨物船に乗り組む肉体労働者たちという宇宙を労働の場とするブルーカラーに設定したのも新しい。これってアレですよね、現代ならさしずめマグロの遠洋漁船に乗り組んでる人たちみたいなやつですよね。元々がそういう連中だから、宇宙で発見した異質な生命体に科学者ほどの危機感を持たない。「なんだこれ~」と軽いノリで、ちょっと調べてみちゃったりする。この安直さがやがては宇宙船ノストロモ号を壊滅の危機に追い込んで行くワケだが、ジョン・ハートやイアン・ホルム、ハリー・ディーン・スタントンやベロニカ・カートライトなど、渋めのバイプレイヤーを集めながらも、始まった時点では誰が助かりそうなキャラで誰が真っ先に死にそうなのか全然読めないところもミソ。集団ホラーにありがちな「主人公は絶対死なないの法則」を適用させないようにしたことで、オチが皆目予想できなくなった。H.G.ギーガーのグロテスクな世界観の中で、絶対に殺すことのできない超完全生物エイリアンと丸腰のブルーカラーたちの壮絶な戦いは、他をの追随を許さない圧倒的な存在感で映画史上に燦然と輝き続ける。 10点(2003-12-08 23:03:19)(良:2票) |
460. エイリアン2
安易に二匹目のドジョウを狙わず、大ヒットした前作のジャンルを完全に変えてしまうという凶悪な手法で、見事に前作とは全く異なる評価を勝ち得たという点で、映画史に是非残すべき作品。閉ざされた空間、姿を見せない敵、一人、また一人と消えて行く乗組員たち、という1作目の独特の世界観とギーガーの創出した奇怪な異星人の姿を思いっきり逆手に取り、わらわらと湧いて出るエイリアンに立ち向かうのは訓練を受けた職業軍人たち。「今度は戦争だ!」のコピーに恥じず、大派手にやってくれた心意気は大したもの。もちろん前作の独特のムードをブチ壊しにされたとリドリー・スコットが鼻血を出して激怒したのも無理はないが、敢えて大ブーイングを覚悟の上でこれをやったジェームス・キャメロンの度胸と自信には頭の下がる物がある。前作で、丸腰とは言えあれほど大勢の乗組員たちをひとたまりもなくやっつけたのがたった1匹であったことを考えると、いかに武装部隊とは言えずいぶんエイリアンが弱くなった気はしないでもないが、前作を完全にネタとして利用し尽くしたという点で、「二匹目のドジョウの正しい狙い方」に新たな境地を開拓したことの意義は大きい。前作の、かなり真剣なファンである私でさえ、これには参りましたと言うほかなかった。ヘタな猿真似に終わるよりは、はるかに有意義な「続編」だったのではないかと思う。ご立派。 9点(2003-12-08 22:44:44)(良:2票) |