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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3957
性別 男性
年齢 53歳

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41.  クレオパトラ(1934) 《ネタバレ》 
クレオパトラが誘拐されるいきなりの冒頭から、絨毯簀巻きの彼女とカエサルとの出会い、カエサル暗殺、アントニウスの敗戦と彼女の自死までを2時間弱に収めた、セシル・B・デミル版クレオパトラ映画。クローデット・コルベールが演じるクレオパトラは、ゴージャスという感じではなく、コケティッシュなイメージ。男どもが彼女になびいていくというより、彼女の方が男どもをたぶらかしているように見えちゃうのですが、これは偏見ですかね?  おそらくはセットや衣装に莫大な費用を投じているのでしょうが、人物中心に映画が描かれる分、ややそのスペクタクル感が伝わりにくい部分もあります。とは言えエジプト王室の贅沢三昧ぶり、みたいなものはしっかり描写されていて、世界の中心たるローマ帝国(当時は帝政ではなく共和政だけど)から来ているアントニーが、すっかり「おのぼりさん」に見えてきてしまいます。 そういう、王室のゴージャスさ。リアル竜宮城。しかしあの、オネーさんたちのあのキャットファイトみたいなヤツは、ありゃ何なんでしょうね? 終盤の戦闘シーン、こういう部分はスペクタクル史劇として期待してしまう部分でして、それが、断片的な映像のパッチワーク風に描かれます。戦闘の激しさと混乱を描いた、技巧的な演出、ではあるのですが、やっぱりここはもう少し、しっかりとした戦闘シーンを見たかったところ。映像が細切れなら、挿入される音楽(チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」)も細切れで、ここまでくるとグチャグチャのカオス状態。せっかくのスペクタクル描写が、物足りないし、いささか勿体ない気もしてきます。 でラスト、クレオパトラは毒蛇に自らを咬ませて死を選ぶ訳ですが・・・ヘビなんだかミミズなんだか、毒蛇まで小さくって迫力が無い(笑)。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-09-01 07:53:56)
42.  硝子の塔 《ネタバレ》 
「屋根裏の散歩者」を現代に置き換えると、もはや屋根裏を散歩するまでもなく、高層建築自体がスケスケの“ガラスの塔”となってしまう。というオハナシ。 そのビルでは、シャロン・ストーン演じる主人公が引越してくる前に、彼女によく似た女性が謎の死を遂げている。さらにその後も続く怪死事件。 では犯人は誰なのか、事件の裏には何があるのか、普通であればそういう展開になるのだけど、この作品では、「覗く・覗かれる」のヘンタイ的な描写が続き、どちらが物語の中心なのか、この物語において殺人事件はどの程度重要な要素なのか(あるいは単なる見せ球で、実はどうでもよいのか?)すらも、わからなくなってくる。こりゃ、一段上のナゾ、です。 思えば江戸川乱歩だって、ナゾとその解明が主でヘンタイ描写が従なのか、それともヘンタイ描写を描きたいがためにしょうがなくナゾと解明を付け足しているのか、よくわからん場合があって。いや、トボけちゃいけませんね、後者に決まってます。 いやいや、そうじゃなくて、両者は不可分。どちらも必要、どちらもあってこそ、両者が深め合う。 主人公の前に現れる二人の男。片やトム・ベレンジャー、片やウィリアム・ボールドウィン。どちらもそれぞれ異なるタイプのヘンタイなので、またまた怪しさ満点。さて、物語はどういう展開を見せるか。 望遠鏡での覗きから始まって、誰しも、なーんか「覗き」ということに興味深々、なんだけど、やっぱりそれはグロテスクな事なのよ、ということ。無数に並ぶ盗撮モニターの異様さ。クライマックスにおけるモニターの破壊が、そのグロテスクさを戯画化していて、いやはや、ヘンタイ道もここに極まれり。もしも乱歩が生きててこの映画を見てたら、結構、気に入ってもらえたんじゃなかろうか。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-08-25 18:40:02)
43.  4匹の蝿 《ネタバレ》 
夜の公園でオバサンが謎の人物に襲われる場面。公園の生垣の間をオバサンが逃げ回ると、まるでそこが立体迷路であるかのような、シャイニングチックなシーンに見えてきて、するとそこには何となくペンデレツキチックな気がしないでもない鋭い音楽が被さる。もちろんアルジェントがキューブリックをパクった訳でも何でもなく、そもそもこの映画が作られた時にはキングの原作小説すら世に出ていない訳で。さすが、ダリオ・アルジェント。 などと、無理して褒めてくれとはいいませんけれども。 その前の場面、オバサンが公園のベンチで誰かを待ち続ける姿が、不穏な空気を伴ってやたら長く描かれます。さらにその前には、オバサンが誰かと電話する場面。これがまた、カメラが電話線を追いかけていって我々を会話先の謎の人物のところまでいざなうような、奇妙な演出になってます。こういったシーンが醸し出す得体の知れない空気感の中、ついに起こる惨劇、という訳ですが、突然襲われるにせよ何にせよ、被害者が殺されること自体よりも、殺害に向けてジワジワと追い詰められていく姿、それを描くことが、主眼。アルジェントらしさ。オバサンの死はカメラの前で直接描写されはしないけれど、ジワジワ感は充分です。 他の被害者も、ロクな殺され方をしません。いや、映画の中でジワジワ死んでいかないようなヤツは要注意。実は生きていました、ってなことになり、改めて死んでもらうことになってしまう・・・。 ミステリ仕立ての作品ながら、謎解きよりは、幻想シーンを含め、ヤな感じを醸し出すことに重点が置かれていて、真犯人が明らかになるくだりも「そんなアホな」ではありますが、タイトルの「4匹の蠅」にも強引ながらちゃんと意味があったりするのが、作品の意外性。さらにこの作品、陰惨な内容ながら、トボけた探偵とか、犯人と間違えられて主人公にタコ殴りにされる気の毒な郵便配達とか、ユーモアも盛り込まれていたりするが、さらなる意外性。 真犯人は誰なのか。これが一番、意外性が無いかもしれないけれど(笑)、その最期は誰の死よりも唐突かつ派手に描かれていて、これぞミステリにおける犯人の特権。先ほど、ミステリ仕立て、などと言いましたが、謎解きだけがミステリではなく、怪しさと妖しさを兼ね備えたこの作品もまた、立派なミステリ作品と言えるのではないかと。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-08-25 17:14:19)
44.  悪夢のエレベーター 《ネタバレ》 
本職の映画監督ではない人がちょっと変わった切り口で映画を作ってくる。さてどういう変化球で来るのだろう、と、こういうのにはちょっと期待してしまうのですが、この作品は、さすがに、弱いかも。舞台でやりそうなコントをそのまんま映画へ移植しただけ、という印象で、そりゃまあ、舞台ではできない表現ってのも確かにいくらか取り入れられてはいるけれど、映画でなきゃできないこと、映画だからこそやりたいこと、ってのが、さて、どのくらいこの作品にあるでしょうか。 エレベーターに閉じ込められた4人の男女。限定された舞台と限定された登場人物、というのが、映画としての挑戦か、と思いきや、何だか普通にこの制限の枠内で物語を語っているだけ、という感じ。無論、回想シーン等でもってこれらの制約から時に離れはするし、後半は多少、物語の舞台も広がりはするけれど、基本はこの、およそ地味で薄暗いエレベーターの中。エレベーターなんだから地味で明るくなくても当然でしょ、ということなのかもしれないけれど、例えばその薄暗さが強調されるでもなく、単に無頓着に撮ってるだけ、とも見えてしまいます。 本物のエレベーターの中ではなかなかこんな撮影はできないので、こちらの壁だけのセット、あちらの壁だけのセット、使い分けて撮ってるんでしょうが、だからといって特にどうということもなし。むしろ、同じショットの中に複数の登場人物を取り入れてそれぞれの表情を同時に見せよう、という点にはこだわっているらしく、しかしこれ、多用し過ぎると、正直、くどくなってしまう。 映画なんだから、ここぞという見せ場が欲しい! エレベーターに閉じ込められた4人。それぞれ個性的で服装も各々特徴があり、この中では斎藤工がまだしも一番マトモか、と思ってたら、やっぱり一応、それが伏線(?)になっている、という展開。 しかしこれも何だか、真相がいざ明らかになったとて、物語の上での意外性が充分あるんだから特に演出は不要でしょ、みたいな、愛想の無さ。意外性だけ楽しめりゃ、いいってことなんですかねえ。まあ、そうかもしれんが。。。
[インターネット(邦画)] 4点(2024-08-24 05:47:30)
45.  炎のデス・ポリス
まず冒頭、あのやたらカッコいい(その割に必ずしも頻繁に引用されている訳でもない)『ダーティハリー2』のテーマ曲が流れて、気分はノリノリ、つかみはOK。ただ、またこうやって過去の作品に寄りかかってていいんだろうか? こうやって後の作品に引用されてニヤリとさせられるようなテーマ音楽が、今の映画でも作られていってるんだろうか? ってなことも気になったりしつつ。 で、この作品、内容はというと、『ジョン・カーペンターの要塞警察』みたいな。設定もそうだし、映画開始からしばらく続く断片的な描写がある瞬間にカチリと嵌まって焦点を結ぶような印象も、ちょっと似てます。ただしこちらは過去作品の再利用というより、その発展形。『要塞警察』が『リオ・ブラボー』を下敷きにしつつ、新たな世界を切り開いたように、この作品も『要塞警察』の、その先の世界を展開してくれています。 『アサルト13 要塞警察』って、あれ、作る必要あったんだろうか? ま、いいけど。 さてこの『炎のデス・ポリス』、投げやりな邦題がまた好感の持てるところですが、このタイトルがなるほど言い得て妙、デスマッチ系の映画になってます。デスマッチの定義は何なんだ、と改めて訊かれると困りますが、凶器使い放題、敵殺し放題、どこへ話が転がっていくかわからない無制限バトルは、やっぱりこれ、デスマッチだなあ、と。 砂漠の中に孤立した警察署。冒頭の砂漠の光景からして、ヤバいものを感じさせます。実際、警察署は修羅場と化し、悪夢の一夜が繰り広げられる。 暴走を続けるオヤジどものジジイ臭さの中、その戦いの中に放り込まれるのがアフリカ系で短髪の女性警察官。こういう人物配置がまたカッコいいし、ステレオタイプなヒーロー/ヒロイン像ではないところがまた、意表をついていて、物語の自由度を高めています。転がり出したら止まらない物語、どこへ転がっていくかわからない物語。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-08-18 10:27:03)
46.  ダークグラス
ダリオ・アルジェント監督は1940年生まれとのことで、ウチの両親とほぼ同じというか、少しだけさらに上ですぜ。そんな爺さんが殺人鬼モノの映画撮ってるなんて、想像を絶する話で、もうそれだけで眩暈がしてくる。。。 まあ、一般人と比較してもしょうがないのであって、さすがアルジェント、としか言いようがありません。相も変わらず映画の中で血をぶちまけ、人を殺し、女性を襲わせる。相変わらずエゲツない。正直、特に目新しい点も無いのですが、奇をてらうこともなく、変な色気も出さず(ハダカは出てくるけどそういう意味ではなく)、もはや枯れた味わいとでもいいますか。奇妙な印象を残す要素をしっかり盛り込みつつも、それが過剰にならず適度に抑えられていて、自己主張し過ぎないのがよろしいかと。もはやショック映画を褒めてるのか懐石料理を褒めてるのかよくわからん文章になってきましたが。 冒頭、ヒロインの周りの人たちが皆、空を見上げていて、日蝕が起きる、というシーンですが、日蝕だから別にどうしたという訳ではなく、どうという伏線がある訳でも無く、ただ、何だかイヤな予感がする、という場面。彼女の服も口紅もやたらと紅く、そういうのが妙に印象に残る。日蝕なのでサングラス。ココは何となく、彼女が視力を失うこの後の物語を暗示してます。 で、ラストの空港のシーン。彼女はすっかり地味な出で立ちですが、やっぱり、少年のカバンとか、彼を迎えにきた女性の服とかが、やたらと紅かったりする。やや悪趣味な色彩がやっぱりアルジェントらしさ。 イヌが人間を襲ったりするのも、ああ、そういうのあったよなあ、とか思いつつ。 蛇がウジャウジャ出てくるのも、わけがわからなくって、イイじゃないですか。蛇でもいいし、ウジ虫でもいいし、針金の山だってかまわない。 結局、こういうのを一般には、マンネリとか劣化版とかいうのかもしれないけれど、こんな映画に、爺さんが生涯かけてここまで一生懸命取り組んでるのを、見過ごすわけにいかないですよね!
[インターネット(字幕)] 7点(2024-08-14 18:22:46)
47.  マッシブ・タレント
というわけで、時々ニコラス・ケイジの顔が発作的に見たくなるのですが、彼の出演作は無数にあり、さらに見るより作られる早さの方が上なので、ニコラス・ケイジ切れを起こす心配が無いってのは有難い話です。 そのニコラス・ケイジという俳優の、集大成、というか、彼を総括したような、この作品。 思えばかつてのシュワは紛れもなくシュワという隔絶された存在であったので、つきつめればその姿は「ラストアクションヒーロー」にまで昇華されるのですが、今のニコラス・ケイジはというと、中途半端の極致、とでもいいますか。これも一種の「隔絶」と言えなくもないけど、存在自体がパロディみたいなこの人が自身をパロって見せたとて、ほぼ出オチにしかならないのが、作品の弱さ。 いや、彼だって幾つも超大作アクションをこなしているし、この作品でも言及されているのだから、ラストアクションヒーローのごとく本気モードのアクションを繰り広げるべきだったのでは? こんな自虐的なノリだけでお茶を濁すのではなく・・・? いや、それは、無いですね。今のニコラス・ケイジには誰もそんなこと期待してない。「また今回もやらかしちまったか」と思わせつつ、時には意外な当たりで我々を楽しませてくれて、時にはそのやらかし具合で我々を楽しませてくれる。今回も、その一本。 変化球も、打者がそれを待っていたなら、打たれてしまう。というレベルの、いまいち煮え切らない緩~い変化球どまりの作品で、もうちょっと意外性があればなあ、と思いつつ、やっぱりこれは、他の人には作れない特異な作品、ジャンルとしてはニコラスケイジ映画と呼ぶしか無い作品。我々のニコラスケイジ切れを防ぐ貴重な一本です。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-08-14 07:06:19)(良:1票)
48.  ハード・キル 《ネタバレ》 
廃工場みたいなところを舞台に、迫りくる敵との攻防戦が描かれる。と来れば、たいていハズレ無しというか(知らんけど)、ちょっとテンション上がっちゃいます。雰囲気的には、「はい、この工場の中だったら、自由に撮影していいですよ。ただし、くれぐれも近所の方々にはご迷惑をおかけしないように」って感じですかね。知らんけど。 廃工場みたい、と言いながら、場所によっては水蒸気の煙が上がり(←いかにも工場らしいイメージ、ですね)、その気になれば電気も使えるらしい。だけどボロっちい感じはいかにも廃工場で、このサビれた雰囲気の中、いつ果てるともな戦いが繰り広げられる。 ただこの作品、正直、今ひとつの印象。 背景がよくわからないまま、とっとと攻防戦がおっぱじまり、戦いの物語の中で徐々に真相が明らかになっていく、というのがこのテの映画の定番でもあり理想でもあるかと思いますが、そしてこの作品も概ねそれを踏襲しているのですが、いかんせん、その「背景」というヤツの、セリフによる説明が多すぎて。そこまでストレートに説明をしてもらうほどのものでもなく、なんだかまどろっこしい。 その「背景」というヤツ、正直、敵の狙いとかはある意味どうでもよくって(そう言って語弊があるなら、敵の狙いなんてのはおよそ何でもよくって)、例えば、せっかくかのブルース・ウィリスにご出演願って、父と娘の物語を取り入れるんだったら、その関係性をもっと描かなくていいんだろうか。このミッションを受けるにあたって主人公が仲間をさそったのなら、彼らの友情なり何なり、もうちょっと掘り下げなくってよかったんだろうか(でないと、「裏切り」の意外性もサッパリ活きてこない)。敵方も、「ああ、おねーさんがいるなあ」とは思うもののそれ以外はこれといって特徴もなく。 ホントはコレ、もうちょっと面白くなる作品だったんじゃないのかなあ。 しかし、銃撃戦はたっぷりと盛り込まれていて、そこは楽しめます。あまりこだわりなく銃撃戦自体が好きな人なら。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-08-11 08:56:55)
49.  ワールド・トレード・センター 《ネタバレ》 
9.11の同時多発テロ事件が映画化されることについては、私は大きく予想を外しました。いずれ映画の題材となるであろうことは誰しも想像するところ、ただ、まさか、あの大勢の犠牲者を出した事件からたった5年で映画が作られてしまうとは。娯楽としての要素、ビジネスとしての要素を有することが否定できない、映画として。 一方で、そうやって作られ始める映画の一本が、オリヴァー・ストーン監督の手によるものだ、というのもこれまた意外。事件からの「5年」という期間、これがどのくらい短いと言えるかはともかく、実際は事件以降、あれよあれよという間にアフガニスタンからイラクへと戦火が繋がっていき、2006年頃なんて、サダム・フセイン拘束後とは言え戦闘は散発的に続いており、事件との地続き感バリバリの頃。そこに、あのオリヴァー・ストーンが早くも映画を作ってきた、というのがどうもキナ臭い。 しかし一方で今回の作品は、脚本にも製作にも名を連ねず、監督のみ、ってことらしい。これをどう捉えればよい? 実は私、今までこの作品、見たことなかったんですよね。というか、見ないようにしてきた。なんとなく、見ない方がいいような気がしてたんですが、まあ、事件から20年以上経過して、そろそろ、大丈夫かな、と。それに、なぜか時々、ニコラス・ケイジの顔が見たくもなったりして、じゃあ、コレかなあ、と。 さて、オリヴァー・ストーン監督はこの事件に、どうアプローチしてくるのか・・・。  作品で描かれるのは、事件直後の現場に駆け付けた、港湾警察の警察官たちの姿。と来れば、事件に巻き込まれた人々を救い出す彼らの活躍を奇跡の物語として描いた映画か、と思いがちなところですが、さにあらず。確かに人々を助けるために命がけで現場に踏み込んだ彼ら、ではあるのですが、あまりに巨大な事件の規模、一体何が起きているのかを充分に把握する間も無いまま、ビルの倒壊に巻き込まれて生き埋めになってしまう。人々を救助するどころか、自らが瓦礫に挟まれ大怪我を負い、全く身動きもとれないままひたすら救助を待つ身。 そういう意味では、主人公が超人的な活躍をするヒーロー映画では全くありませんが、いや、そもそもこの、絶望の中で必死に生き延びようとする姿こそ、ヒーローの姿ではないか、という訳で。 主人公たちが瓦礫の中で全く身動きできない状況を映画は描き、これだけだとどうしても映画自体に動きが無くなってしまうのですが、彼らの安否を気遣う家族の姿を並行して描くことで、物語に起伏をつけています。しかしそれにしても、自分の体がどうなっているのかすらよくわからない状況の中、暗がりの中で気力も失いかけていく状況の中、埃にまみれ表情すらも読み取りづらい主人公たちの姿をどこまでも描き続けるこの映画のある種異様な映像は、しっかり作品を特徴づけ、印象づけています。 やはりオリヴァー・ストーン、一筋縄ではいかない。 動かない瓦礫、動けない体、一見、物語も動きがないように思えたりするかも知れませんが、それらの「動かなさ」ゆえ、ようやく主人公たちが発見され救助隊が駆け付けたとて、本当に無事に彼らをこの瓦礫の下から救出できるのか、最後まで目が離せません。 そしてその死力をつくしたサバイバルと救出劇の末に、主人公たちが2人、ベッドに並んで治療を受けている姿は、ホッとしたりもするし、ユーモラスでもあるし、また感動的でもあります。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-08-11 08:31:00)
50.  悪魔のエイリアン 《ネタバレ》 
子どもの頃、「人喰いアメーバの恐怖」なるものをテレビの洋画番組で見かけ、「この世にはなんと怖ろしい生き物がいるのだろう」と思い(たぶん幼稚園の頃だったので、最初の方をチラ見しただけですが)、その後、実はアメーバなるものが全くこんな生物ではない事を知って「なんとテキトーな設定の映画だったんだろう」と思い(実際に全編見たら、内容もテキトーであったワケですが)。 そこでさらにもう一つの疑問にぶつかるのは、「なんでそんな映画に続編があるんだろう」。 私個人としてはさらに大きな疑問があり、「あの子供の頃にチラ見した怖ろしげな映画は、てっきり1作目だと思っていたけど、まさかまさか、続編の方だったのではなかろうか」。 10年以上たって作られた続編にまったく進歩が無いもんで、おおよそ、似たり寄ったり。今となってはアレがどちらの作品だったか、確認のしようがない。けれど、似たり寄ったりとは言えレベルが明らかに下がっているこの続編の方に、まさか子供の頃、震え上がったとは、思えない、思いたくない(いや、マジで)。 この続編、見るからに手作り感あふれ、シロウト感あふれ、低予算感があふれてます。カメラを初めて手にした人が試しに撮ってみた自主製作、という感じ。時々、そういう作品、ありますけどね。この世の全ての映画を出来の良いものから出来の悪いものまで順に並べたとしたら、どこかに大きな谷間があって、そこから一気に途轍もなく出来が悪くなるような気がします。これは、その谷間の向こう側に位置する作品の一本です。ヘボい演出に、ヘボい演技。そんな映画でも一応、役者はその気になって一生懸命(かどうかは知らんが)演技をやってる。おい、いい加減もうやめようぜ、と誰も言わないので、作品が完成してしまう。そこに何か、哀愁のようなものを感じてしまい、無視しきれないのもまた、事実なんですけどねー。 前作は当然フィクションだと誰もが思っていて、この作品の登場人物の一人も前作をテレビで見てたりするのですが、ラストで凍らされ、「?」マークとともに氷に封印されたはずの人喰いアメーバが、アメリカのド田舎に復活し、またも町をパニックに陥れる。少し(だけ)メタな構成になってて、それはそれで悪くないけど、結局は前作と大差無し。人喰いアメーバが寒さに弱いだなんて、そんなこと、もう誰だって知ってる、っての。それを、スケートリンクがどうのこうのと言い出して、おいおい、最後はまた凍らせるだけやんか、と思うと、そこからダルくて仕方がない。いや、外部では建物に火を放って人喰いアメーバを退治しようと目論んでおり、着火の準備が着々と進められている。主人公、危うし! という一種のタイムリミットが設けられているのは、これは工夫と言うべきか。 それでちゃんと盛り上げてくれれば、一気にポイントが上がるところ、ですが残念ながら演出力の無さ。まどろこしいばかり。 だいたい、これだけチープさ溢れる作品。建物に火を放つなどという金と手間のかかるシーンが撮れるはずもない。から、主人公は助かるに決まっています。とか言っちゃ、ダメですね。 アメーバってそんな生物じゃなかろう、と言ってみたところで、勝手にそんな邦題をつける方が悪いのですが、この続編は『悪魔のエイリアン』。この内容で。 無法地帯ですね。ははは。
[インターネット(字幕)] 2点(2024-08-10 07:01:58)
51.  オペラの怪人(1943)
オペラ座のセットにおけるクレーン撮影とか、人物を手前と奥に配置する構図とか、シャンデリアと客席を捉えた俯瞰だとか、カメラがいろいろと見せ場を作っているのですが、いかんせん、映画を通じての緊張感に、やや欠けていて。 「オペラの怪人」が、怪人になるまでのくだりを前半にもってくる構成が、まずあまり魅力的とは言えず、もともとちょっと変だった人が本当に変になりました、くらいの印象。謎もなければ驚きもなく、説明的な展開になっちゃてるのが、もったいない。 そのまま存在感をいまいち発揮できない怪人、その姿のカットがチラ見せで挿入されるのも、不気味というより、何だか頼りない。 警官とオペラ歌手がヒロインにちょっかいをかける恋のさや当て、みたいなギャグも、映画がちゃんと不気味でコワけりゃ、ちょっとした気分転換によいかもしれないけれど、この作品ではますます緊張感を遠ざけているだけ、のような。ラストもこのノリに作品を乗っ取られてしまい、哀れなのは存在感が最後まで薄かった怪人。 オペラ上演のシーンがふんだんに取り入れられていて、これがショパンとかチャイコフスキーの有名曲を豪華絢爛たるオペラ調にアレンジしたもの。『砂の器』なみに音楽に力入れまくりで、ストーリーそっちのけ、もはや怪人の立場ナシ。 ところで、マエストロのリストさんとかいう人が登場しますが、あれ、フランツ・リストのカメオ出演(?)ってことでいいんですかね。リスト晩年の写真にソックリ。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-08-04 09:16:09)
52.  昭和残侠伝 破れ傘 《ネタバレ》 
シリーズ掉尾を飾るということもあって、何となく出演者が豪華な気がする第9作(いや、いつもこんなもんか)。 高倉&池部コンビに加え、鶴田浩二がいる、安藤昇がいる、北島サブちゃんまでいる。山本麟一はふてぶてしくもしっかりニラミを利かせ、待田京介に至っては、死んで初めて「ああ、そういやあなたもいたのね」と気づくぐらい。そう、これぞ一話完結の強み、豪華出演陣が気持ちよいほどにジャンジャン死んでいって、静かに積もり積もった怒りと恨みが、ラストの殴り込みに繋がっていく。ほぼ様式美、ですね。 北島サブちゃんの熱演にご注目。テキトーながらも一本気な若者を、鼻の穴も目一杯広げて演じ切っています。セリフ棒読みの新人・檀ふみも少しは見習って欲しい。いや、これはこれでいいんですけど。とにかく、熱演のサブちゃんですが、冒頭出てきたきり、しばらく出てこない間にも、映画は色々と出会いを描き、色々と事件が起こるもんで、ようやく再登場する頃には、そういやあなたもいたっけね、と。そんなのばっかしですが、要はそのくらい、盛り沢山。 そんな中で光るのが、星由里子。と言っても、慌ただしい物語の中、最終的にはこのヒトも唐突に死んでしまいますが、ともかく、二役での登場が、印象的。別にそういう設定にしなくともオハナシは成立するんですが、「かつての恋人によく似た女郎」とのやりとりが、健さんのハニカミ演技で絶妙の味わいを出し、星由里子もこの設定に見事に応えています。檀ふみもちょっとは見習って欲しい。いやあれはあれでいいんだっけ。 今回の物語は、池部良側の組が真っ当で、高倉健側の組が、ちと問題アリ、という設定。作品ごとに微妙な差はあれど、やっぱりマンネリの良さ、というヤツでしょうか。あるいは、同じものの中にある微妙な差を楽しむ。そういや、「名曲をいろいろな演奏家の演奏で聴いてみたい」という気持ちには、演奏ごとに異なる表情を見せる音楽の、その差を聴きたい、というのもあるし、単に、お馴染みの曲をまた聴くにあたって「いやこれは別の演奏だから」と自分への言い訳が欲しい、ってのも実はあったりして、それに近い感覚かも・・・。 雪の降る中、死地へ赴く二人の姿。もはや生きては戻らぬ、という決意が静かに漲る橋の上のシーンが、カッコいい。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-08-04 08:16:36)
53.  大列車強盗団 《ネタバレ》 
実際にイギリスで発生した列車からの大金強奪事件に取材した映画で、事件の経緯をとにかく淡々と描いており、実に愛想の無い作品に仕上がっています。劇伴の音楽も使用は一部シーンにとどめ、静かな緊迫感の中に描かれる、列車強盗。 強盗たちの間に、これといって友情が描かれるでもなし、目だった対立が描かれるでもなし、微妙な空気感の中で行われる犯行、ではありますが、とにかくクール、なんですね。大金の入った袋をワッサワッサと機械的に運び出し、時間がくればアッサリ引き上げる。ある意味、マジメな人たちの集団、に見えなくもないけれど、札束に火をつけてみたりするあたりに、ちょっとしたヤンチャぶりみたいなものが垣間見えたり。 強盗事件と直接は関係しないのですが、冒頭のカーチェイスシーンが、とにかく目を引きます。疾走、というより暴走する自動車、どこまでが演出で、どこまでが「本当に事故寸前」なのか。危うさ全開のゴツゴツしたシーンに仕上がっています。 ラストの「The End」にはクエスチョンマークが重なり、実は知られざる逃亡者がいるのでは、まだ物語は続くのでは、みたいな感じで映画が終わりますが、最後がクエスチョンマークって、『人喰いアメーバの恐怖』じゃあるまいし。このクエスチョンマークを見て、スティーブ・マックィーンはピーター・イェーツを『ブリット』に起用したという・・・ワケではないですよね。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-08-03 07:32:31)
54.  続・片腕必殺剣
邦題が「続~」となっていたとて、どうせ無関係の映画なんでしょ、と思いがちなところですが、ご安心ください、これは間違いなく『片腕必殺剣』の続編。いや、続編を作るほどの作品かと言われると、返す言葉も無いのですが。。。 すでに右腕を失ってしまい、すでにそのハンデをものともしない剣の達人になってしまい、すでに剣の道を引退し農夫として妻とひっそり暮らす主人公。もう続編を作る余地も無さそうなところ、そうはさせじと、新たな強敵たちが登場します。まず、怪しげな白装束と黒装束の二人組が主人公のもとを訪れ、怪しげな招待状(というのか、はたまた挑戦状というのか)を届けるところから。 この白黒二人組も充分に強いらしいのですが、招待先であるところの覇王城には、この二人を上回る、8人の刀王ってのがおり、ええと確か、千手王、地蔵王、大力王、毒龍王、転輪王、無相王、あと二人はゴメン、漢字が難しくてよくわからんかったが、とにかく、強敵ぞろいの8人衆。それぞれが個性的かつ凶悪な必殺技をもっており、彼らが持つ武器も、空とぶギロチンみたいなヤツとか、柄の無い鎖鎌とか(使いにくそう・・・)、なかなかに多彩。なんかこう、忍法帖みたいなノリですかね。どうせ、一人また一人と斃されていくんだし(笑)。刀王の中にはちゃんと女性もいて、くノ一みたいなもんです。さあ、続編の準備は整った、ということで。 この八人の刀王たち、よくわからんが狙いは一種の世界征服(?)ということらしく、主人公のみならず、巷の各武術道場にも挑戦状を送り付け、さらにはその師範たちを誘拐して人質にとり、弟子たちに対し、自ら右腕を切断して我らの軍門に下れ、との無茶な要求。 行き違いもあったりしたもんで、この争いには距離をおいていた主人公、しかし、敵のあまりの横暴、さらには弟子の一人が右腕を切断するにいたり、さらにはさらには愛妻のプッシュもあって、ついに立ち上がる。というワケで。 例によって、小規模なスタジオセットの撮影が多く、いくらなんでもそりゃないでしょと言いたくなるショボ過ぎな書き割り背景のシーンもあったりして、多少ツラいものはありますが、敵キャラの充実ぶりもあって、まあ、楽しめます。それなりに。 敵地に乗り込む主人公のとる、ブラックユーモアというか殆どギャグのような非情なる作戦、ここは見どころでしょうか。主人公の「片腕」という設定が、めずらしく機能しているという・・・。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-08-03 06:53:47)
55.  ランボー/ラスト・ブラッド
映画の最後に、この「ランボー」シリーズの様々な場面が回想されて、ああシリーズもこれで終わりか、としみじみするべき場面なんでしょうが、いやいやいやいや。この突拍子もないシーンの数々、どう考えたって、一人の人間が一度の人生で経験するワケがないでしょ、と。こうやって一遍に並べちゃうと、もはやギャグですねえ。「ランボー」というキャラはこうやって、スタローンのオモチャにされてきた、という・・・。 2作目あたりからかなり雲行きが怪しくなり、3作目などは完全に黒歴史になってて、そうなるといっそ「無かったこと」にして回想シーンから省きたくなるのも山々、だとは思うのですが、それでも、そういう作品も作っちゃったという暗い過去に目を背けることなく、ギャグみたいであれ何であれ、ちゃんと回想シーンに入れてくる。スタローン、偉いじゃないか。 「ランボー」というキャラをオモチャにしてしまったことへの贖罪の気持ちの表れが、この作品なのか(それとも単にもう一発だけ、ランボーネタで稼いでおこうということなのか)。ランボーとしてのスタローン、最後の挨拶。 なんとなく、結局は「若き日のランボー」みたいな作品がまだまだ作られそうな気もしつつ。それは言わない約束か。 さてこの作品。かのランボーがいまや普通のアメリカ市民の一人として普通の生活を送っている、という、ほぼあり得ない設定で開始され、この時点で、「ツッコミはいくらでも甘んじてお受けいたします」という製作サイドの覚悟が垣間見えるような。ツッコんであげるのも親切、かもしれないけれど、厳しい私はあえてこれ以上ツッコミませぬ。 庭の地下にはわざとらしく、ナゾの坑道みたいなのが作られていて、クライマックスに向けた準備も早々に整えられています。こういうところも、ツッコミが好きな方はどうか、盛大にツッコんであげて欲しい。最後の介錯だと思って。私はツッコミません、悪しからず。本当これで最後かどうか、わからんしなあ。 で、とにかく、この平和な生活がおびやかされ、破壊された時、今やジジイとなった歴戦の強者ランボーが老骨に鞭打ち敵に立ち向かっていく、復讐譚。ゲリラ戦もどき、いや、ゲリラ戦ごっこ、みたいなものが繰り広げられるのですが、そこはそれ、前作から顕著になった残酷描写を容赦なくブチまけて、単なる「ごっこ」とは言わせない「イッちゃった感」が横溢しております。思えば一作目こそ、過去のトラウマと現実とが入り混じった混乱の中で暴走するランボーの危うさ、というものがあったけど、その後のランボーは正常な意識の中、様々な形で暴走を繰り広げてきた訳で、今回も復讐に燃える彼の、残虐行為自体は狂気を感じさせるものながら、意識はいたって冷静に見受けられるのが、また別の危うさを感じさせます。 ここには「赦し」といったものはありません。戦うことを宿命づけられた男が、戦い続ける。それ、あるのみ。 できれば最後に、あの実にウサン臭かったリチャード・クレンナをタコ殴りにし(残念ながらすでに他界しているが)、ブライアン・デネヒーと電撃和解してシリーズを終わってくれれば、キレイに収まったと思うんですが、スタローンの贖罪は、そこには無く、ランボーはあくまで、戦うランボーとして、年老いた自分の肉体でもってその姿を描き切る。なんなら、タコ殴りにされるのはランボーの方であって、その腫れあがった顔には、ロッキーの姿も重なったりしつつ。 それにしても、今回の敵も、メキシコ人ギャングという、「外国人」。アメリカ人以外だったらナンボでも殺してよい、というのがまた、いかにもランボーらしい作品ではありました。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-07-28 07:18:20)
56.  コンティニュー
今日もまた自分はけしからぬことに、作品にケチをつけようとしているのですが、ココがダメだとか何とかエラそうな事を言ったとて、何か特定の条件に合致したから即、この映画はダメなのである、などという「審査」をしている訳ではなく、見終わってから、面白かったとかツマラナかったとか感じた原因はなんだったんだろうと思い返すと、きっとそれは、作品のこの部分、あの要素、によるものだったんじゃなかろうか、と。 もちろん、見終わってからとは限らず、見てる最中にもそんなことを漠然と感じてたりはしますが、あくまで感覚であって、見終わるまではなかなかそれが明文化された感想には至らないですからねー。それに、作品のラストで印象が一変する可能性もあるし。。。 で、この作品。主人公が目覚めたら、謎の一味に命を狙われ、殺されるとまた(その記憶を持ったまま)元の朝に舞い戻り、また命を狙われ・・・を繰り返す、タイムリープもの。以前にもどこかに書いた気がするけれど、こういう、時間が可逆であるという設定、映画を含め「ドラマ」と言うものに対してあまり向いていない気がしています。人生はすべからく、覆水が盆には返らないもの、取返しのつかないもの。その不可逆性がドラマってものなんじゃないか。それが、何回でもやり直せるだなんて設定、ヌル過ぎないか。 とか言うのなら、そもそもその手の映画を見なきゃいいでしょ、という話。しかし実際には、類似の設定でも、ちゃんと面白い作品があったりする。じゃあ、そういう作品はなぜ面白かったんだろう。この『コンティニュー』はなぜダメだったんだろう。 一言で言えば、この『コンティニュー』という作品、さすがに「ナメ過ぎ」ということなんでは。 今となってはむしろ使い古したような感のあるこのタイムリープなる設定を、もしかして製作者たちは、いまだに「斬新だ」とか思いながらこの作品を作っちゃったんじゃなかろうか? 作品だって特許だって、先に出したもん勝ち。仮にこの作品の企画自体はもっと早くに立てられていたとしても、発表が遅ければ、それは所詮、後続作品の一つに過ぎない訳で。 類似の設定でもちゃんと面白く作られていた過去の他の作品は、設定を活かす工夫がそこに加えられていたように思います。繰り返しの中で生まれる主人公の成長であったり、特異な設定の中で生まれる不安、サスペンスであったり。 しかるにこの作品。設定そのものが「出オチ」みたいになってて、プラスアルファが何もなく、ゲームのような設定をそのまんまゲームのように繰り返すだけ。あるいは、どうせ非現実的でバカバカしい設定なんだから、内容もバカバカしくてOK、と割り切っているんでしょうか。一応、また生き返るとは言え、死ぬ際にはしっかり苦痛を伴うらしいのだけど、能天気なセリフで一応その点に触れるだけ、なもんで、そこには何の実感もない。また振り出しに戻る「面倒くささ」しか、そこには無い。 しまいにゃ主人公も面倒くさくなって毎回死にまくる時間帯などもあったりして、ギャグのつもりなんだろうけれど、曲がりなりにも人の死を、「ゲームの繰り返しの回数」という数字で表現するなんていうセンス、ちょっとついていけません。不謹慎だとか目くじら立てるつもりはないけれど、「そこまで映画を面白く無くして、どうすんだ?」と言いたくなっちゃう。映画を盛り上げるチャンスは実はいくつもあったはずなのに、これは映画じゃなくて単なるゲームですと言わんばかりに、最後までダラダラ感が続きます。 なぜ主人公はこんな時間ループの中に放り込まれたのか、という謎ときが、強いて言うと物語の骨格、ということになるんでしょうが、真相が明らかになったとて、ナルホドとも思わなければ、感動が呼び起こされる訳でもなし。 残念ながら、お寒い出来の作品でした。寒かった理由はたぶん、そんなところかと。
[インターネット(字幕)] 3点(2024-07-27 07:38:39)
57.  がんばれ!!タブチくん!!激闘ペナントレース
昨夜、テレビで「巨人・阪神OB戦」ってのを放送してて、懐かしの元選手たちが次々に登場。なんと、我らが田淵幸一さんまで! 相変わらずお若い、とはさすがに言えず、しっかりお歳を召しておられ、「がんばれ!!タブチくん!!」シリーズで再三、とりあげられた肥満ネタの面影今いずこ、めっきり痩せておられるのですが。 しかしその姿はまぎれもなく、田淵幸一選手そのもの。見事にヒット(?)も放たれて、感涙モノでした。 この第2作ではタブチくんがトレーニングで激ヤセする、なんて話もありましたけれども。 思えばスポーツ選手って、人生の中、限られた期間しか活躍できないけれど、そのスポーツを見る我々の人生の中、あの時期にはこの選手が活躍し、この時期にはあの選手が活躍して、それぞれの選手が、我々の人生のヒトコマの記憶と結びついていて。 それが、OB戦を見ながら、思い出されたりもする。感無量。 この「がんばれ!!タブチくん!!」も、ごく一時期のプロ野球界を描いているに過ぎないと言えば過ぎないけれど、いや、そこにこそプロスポーツの価値があるんだよね、などとつくづく思っちゃうのでした。 で、作品はと言うと、まあ一作目から変わりばえはしないんですが、「タブチくんイジリ」のギャグがますます過激になってきたような気もしてきます。いや、1作目もこんなもんだっけか。 選手以外では、おじゃまんが山田くんでもお馴染みのヤクルト応援団長・オカダさんが登場しますが、なぜかライオンズを応援している? 今年のライオンズは本日現在、目も当てられない成績ではありますが、これもまた、プロ野球の歴史のヒトコマであり、世の中の誰かにとっての将来忘れられない記憶とも結びつくヒトコマなのかもしれない。 がんばれ、ライオンズ! それにしてもヒロオカさん、この1980年の段階でライオンズの監督を完全に射程に収めてます。怖すぎ。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-07-21 18:29:36)
58.  アリゲーター2
『アリゲーター』の続編、と言っても内容的には全く関係が無く、共通点と言えばせいぜい、「下水道に巨大ワニがいる」という程度ですが、どこの下水道だってワニの一匹や二匹はいるでしょうから、ねえ(?)。 もはや90年代、続編作るのが遅すぎ。何なら、第1作から遡って、70年代には作っとかなきゃいけない。それが動物パニック映画。 まあ、時代なのか、予算の関係なのか、大したパニックは起きない、この第2作ではありますが・・・。 主人公の刑事は、オールバック風の髪型が渋すぎる、あまりヒーロー然としていないオッサン。その妻が、よくわからんがなんかの研究者らしい(笑)。それにしても、アメリカ人はいつになったら実験器具の正しい使い方を覚えるのやら。「映画に出てくるリービッヒ冷却器は必ず間違った使い方をされている説」というのを強く唱えたいです、ハイ。それはともかく、この妻の役を演じているのが、ディー・ウォレス。『E.T.』のおっ母さん、『クジョー』のおっ母さんですね。あと忘れちゃいけない『ハウリング』。ほれみろ、『アリゲーター』1作目の直後あたりが彼女の全盛期だったではないか。 それはともかく、誰も期待していないこの第2作。製作費なんかどこにもありません、と言わんばかりにワニは大して活躍せず、それならそれで、ワニを探しての下水道探検、とか、闇に潜むワニとの攻防戦、とか、なーんかもうちょっと描けなかったものかと。 一番困っちゃうのが、下水道がいつも闇に閉ざされている、いわば「安定の暗さ」であるのに対して、地上シーンは昼だったり夜だったりする訳で、この辺りの時間感覚がよくわからない点。え、いつのまに昼になってたんだ?とか思っちゃう時点で、気が削がれます。。。 しかし、ですね。 CG技術の登場が、動物パニック映画というジャンルをダメにした、とつくづく思う昨今。いやそれ以前からそのジャンルは廃れてたでしょ、というのはわかってるんだけど、それでもやはり、激安CGによって間違った形でジャンルが復活してしまったことを恨めしく思う昨今。こういう「CG前夜」の、ちゃんと生きた本物のワニで撮影してくれているのは、ありがたいもんです。もちろんハリボテのワニも出てきますが、いずれにせよこうやって、ちゃんと質感があり、実在感がある。だもんで、それなりに雰囲気がある。 ところで映画中盤にプロレスのシーンがありますが、レスラーの一人として登場しているのがチャボ・ゲレロ。見事にコーナートップからのムーンサルトアタックを決めてみせます。だからどう、ってことも無いんですけどね。ま、雰囲気が、あります。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-07-21 07:26:03)
59.  ロッキーⅥ
全然関係ない映画のことを書いている際にふとこの「ロッキーVI」を思い出して、どうせ8分程度だし久しぶりに見るか、と思って(いや、割と最近も見た気がしつつ)、また楽しむ訳ですが、「ロッキー4」と同程度の内容(?)を8分ほどで楽しめるというのは、ありがたいもんです。 日本で言うところの「ほねかわ・すじえもん」といった感じの激ヨワ感あふれるアメリカ人ボクサーが、ゲジゲジ眉毛の大男(←いかにもサイレント映画風の容貌)のソ連のボクサーと対戦する。ポップな劇伴音楽の中に、これぞロシア情緒と言ってよいのかどうなのか「ボルガの舟歌」が流れたり、はたまたプロコフィエフの「キージェ中尉」の一節が流れたり。 あくまでパロディ、かつ短編作品であって、ボクシングシーンなども全然、本気モードではないですが、本家「ロッキー4」がペレストロイカの中、楽観的でヌルい展開になってしまっているのに比べると、こちらは最後までシニカル。ある意味、辛辣。ははは、やっぱりこの作品では「ロッキー4」の代わりにはならないですね。 ロッキーというより、どちらかと言うと、ストーカー市川(現・このまま市川)の試合を思い出したりもしつつ。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-07-20 11:07:21)
60.  プロゴルファー織部金次郎5 愛しのロストボール 《ネタバレ》 
いきなりネガティブな話をして申し訳ないのですが、このシリーズ、いつが止め時だったんですかね。もはや手遅れ感。 勝てない主人公がそれでもゴルフを続ける理由、みたいなのがこのシリーズのキモだったはずなんですが、気が付いたら主人公は「世界レベルのバンカーの達人」みたいなスゴい人になっちゃってて、ついでに武田鉄矢もだんだん自信満々の顔つきになってきてて、なんだかゴルフも映画シリーズも惰性で続けているみたいな。 前作が「ロッキー3」路線だったので、今回は「ロッキー4」のごとく、いよいよ世界に目を向ける、ってことなのか、個人的には「ロッキーVI(86年フィンランド)」版の織部金次郎を見てみたい気もするけどそれはともかく、舞台は海外へ。 ロケのついでにゴルフ三昧してるんじゃなかろうか、いや、ゴルフ三昧のついでにロケ撮影をちょこっとやってるんじゃないか、という疑いを持ちつつ、しかし、海外を舞台にするとなった時に、安直にハワイロケとかにしないで、東南アジアを舞台に選んでいるあたりは、ユニークな作品であろうとする矜持を感じさせます。バブルが崩壊した日本とは裏腹に存在感を伸ばしつつある90年代の東南アジア。 で、主人公と、財前直美演じる桜子との関係においても、この東南アジアをキーワードにした大事件が発生するのですが、これがもう、大事件過ぎて、唖然としてしまう。なんと彼女は、某国のお偉いさんに求婚され、彼の第四夫人として海を渡ってしまうというんだから、穏やかじゃない。というか、このシリーズにおいて、そんなのアリなんでしょうか。。。 で、最初の疑問「シリーズの止め時」についてですが、妊婦姿の財前直美がラストで、お腹から偽装の枕を取り出して「もうこんなの、や~めた」みたいになるのが、「もうこのシリーズ、や~めた」という風にも聞こえて、まあ、この作品でシリーズ打ち止め、ということで良かった気もしてきます。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-07-20 09:03:56)
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