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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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621.  非・バランス 《ネタバレ》 
まずは題名の意味がよくわからないので落ち着かないが、外見からすれば中年オカマと少女の組み合わせが不釣り合いということか。また少女が長身で大人びた顔のわりに年齢に似合ったガキっぽさも出しているのがアンバランスともいえる。  ところで“人生のブレイクスルー”について考えた場合、少女の級友が過激な行動によって一発で実現していた(いきなりで驚いた)のは効率的ではあるが、しかし万人向けとしてはもう少し穏健なやり方が望まれるところである。 まず、無理に保っていた平衡状態をぶち壊すのは効果的である。少女の場合は突然出会った異質な人物が、独りよがりな「戦略」をなし崩しにしたのが突破口になったらしい。一方で中年オカマは深刻さのレベルが全く違っていたわけだが、それでも少女がまっすぐで無遠慮な好意をぶつけたことでプライドが根底から崩れてしまい、それでかえって次の道が開けた気になったようである。 また人間関係の取り方に関していえば、調和を優先して自分が引くとか迎合していればいいのでなく、あえて自分を出して衝突するのが問題の打開につながることもある。終盤で少女が仇敵に喧嘩を売ったのは痛快だったが、同時にその仇敵の方も、無道なことをすれば手ひどい反撃を受けると思い知ったことで別の教育的効果が生じたとも考えられる。 映画のラストでは、以上のブレイクスルー後の新しい安定状態が示されていたようで、ここでは新しい友人に自分のことを伝えたい、という少女の思いが、ほのぼのした音楽とともに素直に心に入って来る。そのように他者と心を通じ合うきっかけとして、まずは助けを求めてみてはどうか、というのがこの映画の提案だったようだが、しかし中学生はともかく大人の立場としては体面もあるのでそう簡単にはいかない。いい歳をした大人が、全てが崩壊した後になって初めて少女に泣きついていたのは情けない有様だったが、それだけに同じ大人としても切ないものがあった。  なおこの映画では舞台を特定の地方都市に設定しており、自分が昔ここに住んでいた頃に、オカマに迫られて脱がされそうになったことを思い出す(劇中の文化横丁ではない)。映像に何度か出る霊屋橋(おたまやばし)の周辺は緑が多く、角度によっては山中の渓谷のようにも見えるが、これでも市街中心部に隣接した旧城下町の一角である。
[DVD(邦画)] 7点(2017-12-27 19:58:48)
622.  ひかりをあててしぼる 《ネタバレ》 
2006年に渋谷で起こった殺人事件を題材にした映画とのことである。なぜかアメリカのホラー映画賞(最優秀作品賞と最優秀主演女優賞)をとったそうだが、普通一般のホラーとして見れば怖くも何ともないのでそういう見方はしない方がいい。 内容的には自分が見る限り、大変申し訳ないが何が言いたいのかわからない。実際の事件に合わせた展開に見えるが事件自体の映画化ではないらしい。また仮に普通の夫婦でも起こりうることを表現しようとしたのなら、まずは夫婦の相対関係の変化を地道に積み上げる形にしてもらいたかったところだが、特に序盤は実際の事件に合わせたエピソードが取ってつけたようで説得力に欠けている。第三者的に見る限りは何も感じ取れない話だったので、あとは個々の観客が、それぞれの事情に照らして見るべきところがあると思うかどうかの問題だと思われる。  出演者に関しては、夫役はこの役者としては普通の役どころに見えて特に驚きもなかったが、妻役の女優はこの人自体が見どころと思わずには済まない存在感を出している。この女優は近年では「渇き。」(2014)でも結構ハードな役をやっていたので、今回のこれもそういう流れの延長上と捉えるべきか。 観客側の立場としては、女優を見るからには主に表情とか声色とかを気にしているわけだが、しかし本人としては“身体の筋が見えるような(力のこもった?)動きが妻の怖さを表現している”というようなことが重要だったらしい。自分としても酒瓶を全力で振り下ろすのは思い切った感じでよかったと思うが、その後に細く長い手足で力技というのも強烈だったかも知れない。ボディラインが見える場面が多いので本当に細身の人だというのが印象づけられる(昔からそうだったが)。
[DVD(邦画)] 5点(2017-12-27 19:52:34)
623.  オーメン(1976) 《ネタバレ》 
恐らく自分の世代では知らない者のない映画と思われる。6月6日生まれの人ならほとんどダミアン呼ばわりされた経験があるのではないか。 内容に関しては、監督本人も「傑作だ」と言っているのでそうなのだろうが、しかし1976年の時点でどれだけ革新的だったのか、今となってはよくわからないのが残念である。ストーリー展開とか個別の出来事とかに既視感があって驚きがないが、それは他の映画でさんざん流用されたからか、あるいは大昔にこの映画で見たのを何となく憶えていたからか。ちなみに棒が落ちて来るのは最近見た「富江 アンリミテッド」(2011)にもあったので(笑)、いまだにグローバルな影響を及ぼしているとは思われる。 ほか不吉感のあるメインテーマ(Ave Satani)に関しては、曲自体はわざわざ作らなくてもカルミナ・ブラーナのO Fortunaそのままでよかったのではと思ったりしたが、歌詞の方は悪魔の映画ならではの不穏な感じに作ったようである。  一方で、今になってみるとどうも穏健すぎる作りに見えて少々退屈である(首が飛んだのを見ておいて何だが)。悪魔の子があまり邪悪に見えないのは意外だったが、終盤の物理的脅威がイヌと岸田今日子似の乳母だけだったのも盛り上がりに欠ける。 また個人的に不足に思ったのは、善なる神の意思がほとんど感じられないことである。少しくらい救いがあってもいいではないか、という意味もあるが、そもそもアンチキリストというのは正統なキリスト教あってこその対立勢力だろうから、本体に存在感がなくてアンチだけというのも変な気がした。ちなみに吹き曝し感のある丘に建つ教会の門前で悪魔の子が暴れた時に、結果として結婚式に悪影響がなかったらしいのは幸いだった(外の男がドアを閉めたところで安心した)。ここは神の恩寵があったのか、制作側のささやかな良心ということか。 なお余談だが、メギド(ハルマゲドン)というのはエルサレムの南ではなく北にあるのではないか?? 確かに直線距離で90キロ(60 miles)くらいのようだが。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2017-12-22 00:01:57)
624.  サイキックビジョン 邪願霊 ~狙われた美人キャスター~<OV> 《ネタバレ》 
題名が長いが、本編を見ると「邪願霊」だけが本来の題名のようなのでその他は無視でいい。 内容としては極めて安手で貧乏くさく見えるビデオである。劇中アイドル歌手はいかにも昭和っぽく、題名のキャスターの服装も昔風で見ていられない(こういうのが流行っていたのは確かだが嫌いだ)。少なくとも序盤は真面目に見るのが苦痛だったが、しかし本筋に入ると少し緊迫感も出るのでそこまで耐える必要がある。突然爆発が起きたところはさすがに驚いた。 またいろいろと後世の映画で見覚えのある要素が多く、現代邦画ホラーの元祖のような扱いをされているのも納得できる。劇中の出来事を見る限りは「女優霊」(1995)の直系の祖先のようで、劇中アイドルの扱いがよく似ているように思われる。また歌が原因になっていたのは、誰も知らないだろうが「録音霊」(2001)に受け継がれた形である。映像面でも、何かがたまたま映り込むのは今となってはよくあることだが、このビデオでは初回に少し目立つようにしてわかりやすくしていたのが親切だった。ほか特に、この時期にフェイクドキュメンタリーホラーはかなり新しい試みだったのではないか。 そういう意味で、邦画ホラーのファンなら教養として見ておくのもいいかも知れない。自分はファンでも何でもないので本来見る必要はなかったが、見てしまったので一応紹介だけはしておく。  ちなみにわざわざ書くべきことかとは思うが注意事項として、この話では芸能界の闇のようなものが背景になっているようだが、このビデオが製作されたのは実在のアイドルが自殺して社会的にも大きな影響があったとされる1986年の事件のすぐ後であり、当時はまだ日本国民のかなりの部分がそのことを鮮明に記憶していたはずである。当時を知る者としてはこれと無関係に製作されたとは思えないが、しかし劇中の出来事をこの事件に過度に重ねてしまうと故人への冒涜になってしまうのでやめるべきだと書いておく。 なおエンディングの後で、特別出演の水野晴郎氏が余興的にハリウッド怪談を語っていたのはいいとして、竹中直人が無意味に出たのは不快でしかない。これが最後に悪印象を残したので、点数をさらに落とすことにする。
[DVD(邦画)] 3点(2017-12-21 23:59:33)
625.  ガンマー第3号 宇宙大作戦 《ネタバレ》 
[2017-12-16改訂] 公開当時は入替制ではなく、途中入場したところがちょうど「そこを開けちゃいかん!」の場面だったのがトラウマ級の衝撃で、とにかく怖い映画という印象がずっと残っていた。そもそも当時はガンマーという言葉からして怖かったが、劇中の怪物(台詞では「怪獣」)も子どもが親しめる要素などは全くなく、気色悪さと怖さに特化したデザインになっている。大人が見ればどうということはなくても、子どもの立場ではそのように感じたということは証言しておく。  あらためて見れば基本的には昔の特撮映画だが、日米合作のためかけっこう堅実にできており、かえって昭和特撮らしくない。地球に別の天体が衝突する話は「地球最後の日」(1951)や「妖星ゴラス」(1962)に続いてのことだが、この映画と同じく天体を破壊しようとする「アルマゲドン」(1998)より簡単に成功してしまい、あとは「エイリアン」(1979)風に追い詰められていく恐怖の物語となる。特撮は他の怪獣映画も手がけた「日本特撮映画株式会社」が担当していてそれなりの水準だが、個別の場面としては脱出用の宇宙艇が発進するときに、3回それぞれに変化をつけていたのが印象的だった。 また成人後に見ると目につくのが2人の隊長の関係性である。最前線での働きは若い頃の名コンビを髣髴させるということだろうが、しかし今となっては指揮官として明らかな差がついてしまっているのが微妙に切ない。確かにエリオット隊長は人格的に甘いところがあったようで、劇中の出来事を見る限り、判断を誤らせる原因は人助けに代表される人情の問題を優先してしまうことだったらしい。それが事態を悪化させてしまったわけだが、しかし最終的にはそれが親友と地球を救うことにもつながったと解される。タイミングのいいところで人生を切り上げて名を残す、という形に結果的にはなってしまったが、こういう人物に気持ちを寄せたくなるのも年取った証拠かという気にはなる。  ちなみに余談として太陽系内には「フローラ」(Flora)という小惑星が実在しているので、とりあえず台詞の「二等遊星」は「小惑星」のことだと思えばいいらしい。ただし実物は小惑星帯のメインベルト(火星と木星の間)にあり、それが何でわざわざ地球まで飛んで来るのかと素朴な疑問が生じるわけだが、そこは登場人物も「この際原因はどうでもいい」と投げていたので観客としても突っ込まないのが正しい。
[DVD(邦画)] 7点(2017-12-16 11:39:48)
626.  バンパイア・ラヴァーズ 《ネタバレ》 
題名の印象は全く違うが、1872年にアイルランド人作家が英語で書いた小説「カーミラ」(吸血鬼カーミラ)の映画化である。最初に出た古城の映像(絵)がいかにも安手で、続いて男が殺されたあたりで型どおりの定番ホラーかと落胆したが、その後は意外に原作に忠実にできている。舞台は一応原作通りオーストリアのスティリア(シュタイアーマルク)に設定されており、年代としては最初の古城が18世紀末、続く本体エピソードが19世紀前半ということになる。 全体構成としては、原作では登場人物の体験談だったものを映画では独立のエピソードとして起こし、時系列順に並べて見どころを作りながら盛り上げていく形になっている。終盤では、関係者が揃って古城に乗り込んでいくところでもう大丈夫、という安心感を生じさせず、屋敷での出来事を別に作って並行させることでスリリングな印象を出していた。ほかオッパイとか全裸の映像が無造作に出るがそれほど刺激的でもなく、かえってあっけらかんとした感じに見える。ちなみに男を誘惑するのは「カーミラ」の映画化としては反則と思われる。 なおカーミラ(カルミーラ)役の女優は右目の下にほくろがあるようだが、これをこの映画では原作に沿った形で生かす気がなかったらしい。古城にあった絵にもこれを描けばいいだけのことだが、なぜかしていないのはかえって意味不明である。  ところで登場人物に関して、劇中の「エマ」は原作の「ローラ」に相当する人物だろうが、原作では清楚なお嬢さんのイメージだったのに対し、映画ではそうでないとまでは言わないが若干のお転婆感が出ており(目玉も目立ちすぎ)、吸血鬼としてはその辺に惹かれたのだろうが自分としては必ずしも同調できなかった。原作では村娘の葬列が来た際、この人も一緒に歌うことで心優しい人物との印象を出していたが、映画では省略されていたようで残念だった。  題名のとおり映画では女子2人の恋愛感情をはっきり出す形になっているが、ラストでそれがどう表現されたのか自分としてはわからなかった。日本人的にはいわゆる成仏して終わったように受け取れるが、もう1人に継承されたというならちょっと洒落にならない結末であるからそういう解釈はなしにしてもらいたい。
[DVD(字幕)] 5点(2017-12-16 11:25:39)
627.  アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ 《ネタバレ》 
冒頭でEurimages(ユーリマージュ、「欧州評議会」の文化支援基金)とスロバキア共和国文化省・チェコ共和国文化省の名前がクレジットされる。物語の主な舞台であるチェイテ城は現在のスロバキアにあるので、スロバキアにとってはご当地映画的な扱いなのかも知れないが、主人公を含めた登場人物の多くはハンガリー人であるから郷土の偉人のような位置づけではないと思われる。チェコは何の義理があったのかわからない。 主人公のバートリ・エルジェーベト(1560~1614)は題名のとおり「血の伯爵夫人」と呼ばれており、今日では残虐な常習的殺人者として知られている。しかしこの映画はその固定観念をひっくり返すことを目的としていたようで、これまで主人公の悪業とされてきたことを取り上げて、誤解だとか曲解だとかそれなりの事情があったとかいう形で丁寧に言い訳している印象だった。まあ高位の貴族なので臣下や領民の全員を人道的に扱っていたわけでもないだろうが、少なくとも大量殺人をする人物ではないものとして表現されている。 物語としては、残虐行為抜きだと普通にヨーロッパ貴族の没落の話になるのでそれほどの面白味はなく、また時間が長い割にダイジェスト感があったりもして娯楽性が弱い気がする。加えて珍妙な発明をする人物がいたりするのは意味不明で、必然性のないものを無理に入れ込んだようで目障りだった。しかし個人的には最初のところで本物のチェイテ城を映した後に、時代を遡って過去の全体像が復元されていく映像を出していたのは好きだ。こういうのを見ると観光誘客の効果はあるかも知れないとは思う。また死体が運ばれて行った後に黒ネコがニャンと言いながら全速力で道を横切った、というような芸の細かさはある。  ところでこの主人公は流血を伴う残虐行為で知られたせいで、後世の吸血鬼カーミラ(1872年の小説「カーミラ」より)のモデルということになっている。主人公に痣があったのは史実というよりカーミラのほくろに似せたものと思われる。 同様に近代の吸血鬼イメージの元になったとされる人物としては、現在のルーマニアにいたワラキア公ヴラド3世(1431~1476)が吸血鬼ドラキュラ(1897年の小説「ドラキュラ」より)のモデルとして知られている。この人物も残虐行為が多かったとされており、実際に串刺し刑を多用したからこそ「串刺し公」と呼ばれたわけだが、それにしても対立勢力によるネガティブキャンペーンのせいで、殊更に極悪なイメージが後世に伝えられたという説もある。現在のルーマニアでは、オスマン帝国の侵攻に果敢に抵抗した英雄として肯定的評価がなされるようになっていると思うが、これに倣って?この映画でも、悪名高い「血の伯爵夫人」の名誉回復を試みる意図があったのかも知れない。 ただ残虐行為がなかったことにしてしまうと単に陰謀で破滅した未亡人ということになり、この人物に注目する理由自体がなくなってしまう気がするわけだが、しかしそういうこととは別に、事実を尊重する気のない集団が悪意をもって情報操作した場合に、それが歴史として定着してしまうことの恐ろしさを訴えたとすれば、日本人にとっても現代的な意義のある映画といえる。
[DVD(字幕)] 5点(2017-12-14 23:25:52)
628.  地獄のモーテル 《ネタバレ》 
DVDが「バンパイア・ラヴァーズ」(1970)とセットになっていたのでたまたま見たが、映画の紹介文に書いてある以上のことは起こらず、またサプライズ要素だったはずの被り物も宣伝写真に出ているので意外性がない。昔の映画であっても、現在まで残ってきたからにはそれなりに娯楽性が高いのだろうと思ったらそういうこともなく、大変申し訳ないが時間の無駄という言葉が最も当てはまる映画だった。ただあからさまな減点ポイントはあまりなかったとは思う。
[DVD(字幕)] 2点(2017-12-14 22:58:07)
629.  神聖なる一族24人の娘たち 《ネタバレ》 
ロシア連邦の構成共和国であるマリ・エル共和国に住むマリ人の物語を集めた映画である。解説によれば題名は本来「草原マリ人の天の妻たち」だそうで、邦題のうち「一族」「娘」は不適切である。映る場所は主に農村部だが、劇中出た一番の都会は首都ヨシュカル・オラだったらしい。なお映画紹介ではマリ人が「特異な民族」と書かれているが、ロシア領内にはマリ人と同系その他の各種民族が広く住んでおり、その中でマリ人だけが異色といえるのかは不明である。ロシア人でも辺境の民など何をやっているかわかったものではない。  映画の内容は22話のショートストーリーが連続する構成で、短いものは36秒くらい、長いもので9分半くらいある。別にマリ人でなくてもと思う話もあるが、土地の風習を題材にしていたり、土地の風物を盛り込んだりして地方色を出しているように思われる。全くわけのわからない話もある一方で、短くても映像面を含めて感慨を覚えるものや、けっこう見ごたえのある長い話があったりして充実している。 個人的に関心の持たれるエピソードとしては、 「オドチャ」(樺の木の話)体調不良の際には近代医療、祈祷の催し?、キリスト教の聖人、呪術・卜占が頼りにされるようだが、結局最後の占いが最強だったらしい。 「オシャリャク」(歌姫とゾンビの話)ゾンビというかヨーロッパに伝わる“不死者”のような感じである。官憲が普通に対抗措置を準備していたのが面白い。 「オルマルチェ」(怪しい合コンの話)ホラー風味。討伐隊が出たのは驚いたが、要は“コックリさん”のようなものか。なお「キセリ」はロシアの伝統食らしい。 「オシライ」(墓から戻った男の話)死者を思う家族や友人の心情が切ない。意図的に混乱させていたと思うが、「セリョージャ」は「セルゲイ」の愛称であって、これと「パブリーク」が親友と思われる。 以上のほか「オラズヴィ」(納屋の戯れの話)は閉鎖→開放の意外な展開がいい。また「オヴロシ」(水泳見学の少女の話)や「オノシュカ」(去り行く老人の話)は男子として若干の切なさを感じる。  登場人物としては、邦題では「24人の娘たち」となっているが、実際は小学生くらいから孫のいそうな年代まで幅が広い。劇中では美醜さまざまに見えるが、ラストの顔見せで24人を連続で映すところは化粧して着飾ってそれなりに魅力的なので和む。24人のうちベストヒロインは世界平和少女であって、日本アニメの少女キャラクターのような言動が可愛らしいので笑ってしまう(笑ってごめんなさい)。また乾布摩擦少女は最後の表情が微笑ましい。 ちなみに山姥は24の数には当然入っておらず、役者はボリス・ペトロフという男である。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2017-12-09 09:58:46)
630.  ククーシュカ ラップランドの妖精 《ネタバレ》 
ロシア映画だが、舞台になっているのは1944年秋のフィンランド北部である。撮影場所はロシア領コラ半島とのことだがフィンランドに隣接する地域であり、もともとサーミ人が住んでいた場所という意味で大して違いはない。高緯度地方のためその辺にある山の中腹に森林限界が見えていた。  映画のジャンルには「コメディ」とあり、特に序盤は言葉を交わしているようでいて完全にすれ違っているのがけっこう可笑しい。しかし男女関係については言葉がなくても通じるようで、これが結局男2人を人間共通の基盤に置いたということのようである。男連中が素っ裸でいるところに女が来て品定めする顔がいい演出だった。 ただ男女関係に関しても実は態度の違いがあったようで、男にとっては一時の恋愛のようなものだったかも知れないが、女にとっては最初から生殖に直結する問題として捉えていたのではと思われる。出演女優は実際にサーミ人とのことで、この人が監督に、サーミ人は性欲が強いとでも思っているのか、と聞いたとの話だが、そこは自分が見てもそのようには思わなかった(強いというより普通というか)。サーミ人でも何人でも、人間の原点に近い暮らしをしていればこうなるのは変ではないだろう。 特に人口希薄な地域で暮らしていれば次代の生命を常に意識するのは当然であり、そうであってこそ人間という種族がこれからも続いていく。精霊に頼んで待ち構えていたところに来た男2人は餌食にされたような形だが、しかし単なる種馬扱いでもなく、ちゃんと人格を含めて受け入れられたことが納得できる終幕になっている。どっちの子だったかは大して問題でないという気がした。 また終盤の「温もりが欲しい」というあたりも人としての根源的な欲求なのかも知れない。これに応えたロシア人も価値ある恩返しができたのではと思われた。  ほか個別の場面としては、男を黄泉の国から救い出すところを映像化していたのがけっこう感動的で、ここは現代人が失った力を持つ民がうまくやってくれたという印象だった。また細かいところでは、フィンランド人に喧嘩を売ったロシア人が、痛めた手を大事そうにふうふう吹いていたのは笑った。手足がもげるような戦争ではなく、こっちが普通の人間の姿である。
[DVD(字幕)] 8点(2017-12-09 09:58:44)
631.  迷宮カフェ 《ネタバレ》 
骨髄移植をテーマとした映画で、少なくとも前半はあからさまにPR映画のように見える。ファンタジックかつミステリー調に展開する中でも、骨髄移植の基礎知識のようなことを主人公が何気にしっかり語っており、そのあとコーディネーターが出た場面などは本当に啓発ビデオ(コメディ風味)のようだった。 提供された側が感謝する顔をわかりやすく出すことをしないのは、現実に相手の顔が見えないことの反映と思われる。しかし代わりに出ていた「調整医師」役の女優はまさに本物であって、実際に骨髄移植を受けたからこそ今この人がここに映っているということのようである。そのほか映画的な作為として本人と偶然対面する場面があったりもした。  また啓発だけでなく後半では“家族”や“生命”に関することを加えて物語の厚みを増していたようだが、特に“生命”に関することが正直わかりにくいのは困った。無理にまとめる必要はないかも知れないがあえてまとめると、生命の価値はそれ自体が絶対的なものであって代替不可能、というようなことを訴えたいのかという気はしたが、それにしても台詞が長かったりして文章を読み解くような努力を要するのは少々つらい。 また本当にわからなかったのは獄中結婚のくだりであって、これは獄中側にとってはありがたいことだろうとは思うが、結婚を言い出した側の動機については納得できなかった。いろいろと事情はあるにせよ、自分を助けるための人助けをするな、という一般原則に反した軽率な行動ではなかったかという気はしなくもない。  一方で物語の作りとしては、少々わざとらしいが意外な展開が何か所かあって退屈せず、また個人的には2か所、思わず泣ける場面があった(録音テープの声、コーヒーが好きな人)。最後に出た「浜辺の少女」(役名)というのがほんわかした感じで心和むものがあり、このことも穏やかな余韻を残す結果につながっている。 また主人公は良心的な人物だろうと最初から思ってはいたが、「甘いもの食べると少し元気が出る」という言葉を聞くと、あらためて心優しい人柄が見えた気がして素直に好意を寄せたくなる。最初はただのPR映画と思っていたら結果としては意外に悪くなく、心温まる映画に思われたというのが実感だった。 ちなみに自分としては、これからドナー登録をするには遅いようだが、せめて(直接関係ないが)献血くらいは続けたい。
[DVD(邦画)] 6点(2017-12-06 19:37:44)
632.  学校の怪談 呪いの言霊 《ネタバレ》 
以前の「学校の怪談」シリーズというのを知らないので比較できないが、これ単独で見る限り、安手のアイドルホラーと割り切って見れば悪くない。撮影は全て天気のいい昼間だったようだが、それでけっこう背筋の寒い映画ができている。 ストーリーは込み入っていて理解不能だが、要は計5人が同じ日に廃校へ侵入したところ、男3人が校内の閉鎖空間に取り込まれ、以前からいた高校生と合流したということらしい。また校内で人々の発言に聞き耳を立てていたのが「あ」「く」「ま」であって、これが閉鎖空間を支配していたが、普通とは違う専用の降霊術でコンタクト可能だったようである。校舎が解体されてからも、この閉鎖空間だけはいつまでも現地に残るのだろうという気がした。  また「言霊」という言葉の解釈に関しては、暑いと言われると本当に暑くなる、というのはいい例だが、しかしガス事故を語ればガス事故が起きるというのも短絡的過ぎるので、簡単に言ってしまえば「怪を語れば怪至る」ということだと思われる。また場所の問題ということもあるわけで、まさにその現場でそんなことを言うな、と思う場面は現実世界でもなくはない。 自分が思い出したのはむかし読んだ本(※)の中で、航海中に海上で怪異を見た人物が、船長に「何か見ましたか」と聞かれて「いいえ」と答えたことに関し、「船中にては左様のことは申さぬもの、という伝統的なたしなみを持っていられたのであろう」と評した話があったことである。“たしなみ”といえば場所の問題だけでなく、そもそも死者なり鬼神なりに対して敬意を払っておく(のが無難)というのもその一つと思われる。 何かと強がって見せたい年頃の連中にそんなことを求めても無駄だろうが、それでも一応、例えば心霊スポットに突撃して現場を荒らす無鉄砲な連中を戒める教訓的な映画と取れなくはない。 ※今野圓輔「日本怪談集 幽霊篇」(1969年)(現代教養文庫666)「海坊主のあくび」  なお主演のグループは知らない人々なので何ともいえないが、気が動転して何も考えられなくなった顔がけっこう真に迫っていると思う演者はいた(これが彩乃という人?)。侵入した女子の「バッカみたい」というのも非常にいい。石橋杏奈さんは心のピュアな清楚系の役で大変結構でした。
[DVD(邦画)] 6点(2017-12-06 19:27:49)
633.  コドモ警察 《ネタバレ》 
amazonで視聴、TVドラマの方は見ていない。 この監督の映画に共通のことらしいが、自分としては最初から最後まで大笑いというわけでもなく、微妙にニヤニヤしながら見ていて時々大笑いする場面があるという感じである。この映画では、新聞をたたんでから茶をぶちまけたところは笑った。 刑事ドラマとしては特にどうということもなく、要は年齢のギャップが可笑しいだけである。特にギャップが目立つのがデカ長だろうが、これで石原裕次郎なのか渡哲也なのかはわからない。最年長の刑事は役者も年上でベテランの風格が出ているが、劇中人物としては慎重すぎて詰めが甘くなるのが弱点ということらしい。また女刑事はあまりに美形すぎて笑ってしまった(惚れた)。さすが同級生の児童からも一目置かれていたようである。 そのほか新人刑事を含めて、最後はレギュラーメンバーにけっこう愛着がわいて来る作りだったので、TVシリーズの方はさぞ人気が出ていたのだろうと思っておく。
[インターネット(邦画)] 6点(2017-12-01 19:45:20)
634.  コドモのコドモ 《ネタバレ》 
別にこういうテーマに関心があるわけではなく、好きな女優が出ているわけでもない。最初から突っ込みを入れる気満々で見たが、結果的にそれほどひどい印象はなかった。 物語の面では、どの段階で事実を表に出すのかと思っていたら結局子どもらだけで済ませてしまったのが意外だった。「稀に見る安産」とかいうのは著しく都合のいい展開だが、それはそのように作った話だからと割り切るしかない。肥満少年の符牒のような報告で教室が沸き立つ場面は、学校側の鼻を明かす形になっていて痛快だった。 社会的な面では、劇中の担任教員の扱いを見る限り、例えば一時話題になっていた過激な性教育への反発が根底にあって、いわば実物の迫力で観念論を圧倒することが目的なのかという気がした。そう思うことにして、それ以外にこの映画から見える各種の重大な問題点には気づかなかったふりをすれば、自分としては何とか受容できないことはない。 ただし当然ながら、見た人が何らかの行動の指針にするようなものではなく、児童の教育に使うようなものでもない。事件の原因になった出来事からして極端に非現実的な設定だったわけで、あくまで非現実を非現実のままで受け取れる大人が、いわばファンタジーとして見るべきものだろうが、ただしそれなら原作マンガはともかく実写映画化には向いていなかった気もする。 最大限に好意的に書くと以上のようだが、作り手が本当に何を考えていたかは不明のため、大事をとって点数は0点にしておく(直接関係ないが「ブタがいた教室」(2008)と同じ扱い)。子役の皆さんはご苦労様でした。  ちなみにこの映画は秋田県能代市の協力のもとに同地で撮影されているが、このようなことに関して自治体として特に何らかの問題意識を持っていたということなのか。そうでなければ単に映画の舞台として地元をPRしたいという意図だったと思われるが、そういう動機で協力するには、この映画はリスクが高すぎる。
[DVD(邦画)] 0点(2017-12-01 19:44:20)
635.  富江 アンリミテッド 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第8作で、現在までのところこれが最後の富江映画である。 写真部の月子という少女が主人公で、主に原作の「写真」「接吻」のあたりを下敷きにしたようだが原作通りでは全くない。グロ描写や残酷場面を遠慮しないというのが副題の意味だろうが、廊下を追いかけられる場面などはドタバタホラーの風情だった(これは気色悪い)。あまり真面目に見るものではないという気にもなるが、今までにない賑やかさと映像的な見せ場(安っぽいが)の豊富な富江映画とはいえる。  ただし終盤になると、主人公の秘めた感情をもとにして思い切りシリアスな物語ができている。意味不明ではあるが自分として思ったのは、劇中では明らかに富江(姉)=怖い、主人公(妹)=可愛い、という対比ができており、これはどう見ても妹の方が人に好かれるはずだということである(主観だが)。主人公が姉に引け目を感じていたというのは家庭内事情なので何ともいえないが、少なくとも外部評価として姉>>>>>妹ということはありえない(主観だが)。 主人公は自分が他人に必要とされていないと思い込み、本当は周囲の皆が少しずつ自分の存在を支えてくれていることにも気づかないまま、そこに付け込んだ姉に誤ったイメージを植え付けられて自滅したということではないか。妹が父の実子でないというのも実は嘘で、本当は姉の方がもらい子だったとも考えられる。最後は例えば虐待する夫から離れられない妻のような図式になっており、こうならないためには自己の確立が大事だという警告の物語と取れる。  ところで今回の富江は、「シリーズ史上最も原作のキャラクターに近いと評される」という宣伝文をあえて否定するつもりもないが、何しろ顔が怖すぎて、見た男が全員惚れるという本来の設定はどこに行ったのかという感じだった。これに比べれば、終盤で街中に蔓延していた富江はさわやか感が際立っており、仲村みうという人本人も(もともと少し怖いイメージだが)さすがに本来はこっちに近いのだろうという気がした。 また主人公(妹)は、外見的な印象としては前記の主観のとおりで、この人だけはあくまで清純派でいてもらいたかったが最後は少し残念だ。ほかAKB48メンバーの扱いがひどすぎたのは笑うしかないが、しかし本人は何とも思っていなかったようで、こういうところは現代アイドルの割り切りのよさかも知れない。
[DVD(邦画)] 6点(2017-11-26 21:58:26)
636.  富江VS富江 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第7作で、監督・脚本は「富江 最終章」(2002)で助監督をしていた人物である。映画紹介ではこの映画を「完結編」としているものがあるが、それなら「最終章」とは何だったのかということになり、またこの後も富江映画は製作されているので全く完結していない。その時々でこれが最後の決定版だと宣言したいのかも知れないが、それにしても今回はかなり番外編的な内容になっている。  今回も一応は原作にネタ元があり、「梅原」「尚子」という人名は「ある集団」から、誰彼構わず注射するのは「通り魔」からだろうが、しかしストーリーは全く違っている。原作では注射されると完全に富江化していたが、この映画では「出来損ない」の半富江になるというのが独自の設定で、またこのことから、人間の部分を残した半富江の悲恋物語ができているのが今回最大の特徴点と思われる。 放っておくとやがて自滅するなど本来の富江にはありえないことで、その半富江が生存をかけて争う様子は哀れともいえる。一方で、満を持して登場した本物は元彼の生命などには頓着なく、半富江の最後の思いも踏みにじって1人だけ生き続ける形になっており、さすが本物は無慈悲で無敵という印象があった。死んでいった人々には申し訳ないが、この富江ならもう大丈夫、という安心感さえある。 全体的な雰囲気としても、背景音楽のせいもあって邦画ホラーというジャンルに捉われない怪奇映画のような風情がある。エンディングテーマも本編と統一感があって余韻を残し、最終的にはけっこう佳作と思わされる映画になっていた。  キャストに関しては、今回の富江役といえば一応あびる優という人だろうが、ほかにも半富江と思われる人々が多く、序盤の枝分かれ元も別の富江だったとすれば子役2人(笠菜月・荒川ちか)を含めて富江演者が5人にもなる。自分としては派手目の顔より堅実な顔が好きなので、実は2番手の半富江(演・松岡恵望子)を応援していたが、わりと簡単に排除されてしまったのは残念だった。
[DVD(邦画)] 6点(2017-11-26 21:58:23)
637.  富江REVENGE 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第6作で、このすぐ前に公開された第5作と合わせて、第1作の脚本兼監督の人物が脚本兼監督をやっている。第5作との間で直接のつながりはないが、撮影地は同じく小山町フィルムコミッションのあたりらしく今回も富士山が映っている。  話としては原作で雪山が舞台になる「復讐」を下敷きにしたらしく、REVENGEという副題はそこから採っており、谷村(兄弟)・浜口・土井という男連中の名前も同じである。富江が男を食っている場面も原作にあるが、これは高山の雪中でこそ成り立つことではないのかと一応言っておく。 今回は本物の富江が誰なのかをめぐるミステリー風に見えなくもないが、そもそも他人の身体を乗っ取る話を気安く使う監督であり、全く違う女優を使っておいてほくろを出したり消したり勝手気儘にやるのでは誰が本物かなど考えても仕方ない。 また個人的印象としては富江の話に「あさま山荘事件」(1972)を組み入れたような感じで、テロ集団というなら公安調査庁が出て来るのも自然なことではあるが、そういう社会派っぽい色が求められているとは全く思えない。さらにその上「男が世界中からいなくなれば、ほとんどの戦争はなくなる」のだそうで、もう左だかフェミだかわからない支離滅裂な話になっている。制作側としては、いわば偽の富江に言わせることで本筋から切り離したつもりかも知れないが、こういう異物を故意に入れること自体が観客への騙し討ちであって、個人的には許容範囲をかなり逸脱している。自分としては史上最低の富江映画というしかない。  なお登場人物に関しては、浅間山荘にいた過激派リーダーは嫌いだ(女優のせいではない)。代わりに医師役の女優には心惹かれるものがあったが、毅然とした発言をすべきところで女の子っぽい口調になってしまうのは少し残念だ。また少女役の美波という人は無邪気な美少女と妖しい美少女を使い分けていて大変結構だ。ほかに看護師も何気に美形だったりして(芹澤みづきという人らしい)見るところが全くないわけでもないが、しかしそういうことで点数を上げるには限度がある。
[DVD(邦画)] 2点(2017-11-26 21:58:20)
638.  富江BEGINNING 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第5作で、このすぐ後に公開された第6作と合わせて、第1作の脚本兼監督の人物が脚本兼監督をやっている。富江が岐阜県から転校してきたというのは第1作に合わせており、片目を隠した山本という人物も同じ役者がやっていて、同じ劇中世界としての連続性を出している。  内容に関しては、廃校で同窓会という現実味のなさ(それを真に受けて来る男のバカさ)はまあいいとして、主要部分を回想談で語る趣向は悪くない。最初はどこがBEGINNINGかと思ったが、回想で語られている話が実は原作最初のエピソードだったことが次第にわかり、山本・松原礼子・高木(担任)という名前も原作から取られていたのは意外に原作に忠実といえる。第1作と同じく原作の内容を過去のこととして語った上で、現在の物語をここから始めたという意味と思われる。 それ自体は悪くはないのだが、人間の本性を語るとか富江の起源論とか、本心かどうかは別として殺されたくない痛いのは嫌だと訴えるとかいろいろ違和感があるところが多い(恐らくプラナリアは痛いと思っていない)。またラストのオチが拍子抜けで、どうもこの監督は他人の身体を乗っ取る話を安易に使い過ぎのように思われる。 その他、いかにも低予算に見えるとか嫌悪を催す背景音楽とかはいいとしても、おふざけが過ぎるのは弁護しようがない。教室に富江が出現した際の担任の行動はまだしも笑ったが、無宿の渡世人のような連中はさすがに羽目を外し過ぎである。ただそのあとで「何百年も前から」富江が生き続けて来たという話を聞けば、実際に江戸時代の北関東あたりではこういうこともあったのだろうと逆に想像させる効果もなくはなかったが、しかし終盤の座頭市は明らかに悪乗りである。  なお褒める点として、今回の富江は個人的に好きなタイプではないが妖しい美貌を備えており、目元のほくろというより目そのものの迫力が印象的である。富士山の見える屋上の卓球台???で担任が襲われた場面を見ていると、これなら誰でもやられてしまいそうだとこのシリーズで初めて思った。
[DVD(邦画)] 4点(2017-11-26 21:58:18)
639.  富江 最終章~禁断の果実~ 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第4作である。題名に「最終章」とあるが特に終わりの印象を出しているわけではなく、富江は依然として野放しであり、映画としても間をおいてまた製作されている。  今回は原作のどのエピソードをもとにしたということでもないようで、かなりユニークな話になっている。 主人公が最初のところで「バートリー」を名乗っていたのは実在の「血の伯爵夫人」バートリ・エルジェーベト(1560~1614)を意識したのかと思うが、そのあとで「私はバンパイア」と言っていたのはその伯爵夫人がモデルといわれる吸血鬼カーミラ(1872年の小説「カーミラ」より)のことだろうから、主人公はもともとそういう存在に憧れていたということらしい。若いまま生き続けてほくろの位置が同じというのは劇中では富江の属性だが、もとはといえばカーミラの特徴であり、またカーミラの同性愛の性質も今回の富江は受け継いだようである。 奥手な眼鏡女子だった主人公は、父親を異性として意識し始めたのか嫌悪気味のようだったが、富江に誘惑されてガールズラブの方に行ってしまい、本物の異性関係をすっ飛ばしていきなり母親に目覚めたというのが今回の話と思われる。途中で育児放棄という挫折もあったようだが、最後に「本当の親友を作る」と言っていたのは現実の(一部の)母親の子育て感覚というつもりかも知れない。 一方で、主人公の父親が初恋をやり直すなどと言われて全てを捨てたのは、年齢的にまだ間に合うというつもりだったかも知れないが(かなり無理があるが)、相手が娘と同年配の少女では犯罪だ。また工場のジジイまで少女好きが顔に出ており、これはどれだけ年取っても男はスケベ心を忘れないということの表現に違いない。自分としても当時16歳くらいの宮崎あおいはさすがに可愛いと思うわけだが、そういうオヤジをロリコン扱いしてはばからない皮肉な作りの映画になっている。  そのようなことで男女の性に関わる人間模様が描かれていたようだが、今回の富江は残念ながら個人的にあまり好きでない(容貌と性格)。劇中の富江は主人公を「年を取って醜くなって誰にも相手にされなくなって」と中傷していたが、この映画から15年後の感覚でいえば、宮崎あおいは30過ぎていろいろあっても役者としての存在感があって(自分的には昨年の「怒り」)今でも可愛く見える、と言ってやる。
[DVD(邦画)] 6点(2017-11-20 20:53:38)
640.  富江 re-birth 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第3作で、これが清水崇監督の劇場版初監督映画ということになるらしい。題名からすると前年の第2作と関連がありそうだが実際は全く関係ない話になっている。 物語としては原作のどのエピソードとも言いがたいが、肖像画とか顔から毛髪といった個別要素は拾っている。大まかにいえば男3人と、それぞれに関わる女性のエピソードを連ねた形になっており、男女の愛憎がらみなのが富江らしい雰囲気を出している。特に今回は女同士の争いに重点を置いて、人の心の執着心や嫉妬心が富江を生み出すのだ、というような教訓話にしたようにも見えた。ただし富江を生み出していたのは若手女子だけで、中年以上は単に排除されて終わりになるようで、子離れできない母親の末路は因果応報・自業自得という印象だった。最初の男の母親(演・大塚良重)が無事だったらしいのは案外普通の親子関係だったということか。 なお原作との関係でいえば、口紅だけで富江が伝染するのはあまりに安易な展開であり、違う女優でも目元にほくろがあれば全部富江だというお手軽感覚にも納得できない。また最初は東京都内の話だったのに終盤で里帰りするのは「呪怨2」<OV>(2000)で見られた地方出張のようなものかと思うが、個人的好みとしては都市的環境の中で終わらせてもらいたかった。  今回の富江に関しては、外見的な派手さはあまりないが目つき顔つき話し方笑い方の印象は良好で、口先で人の感情を翻弄するのが小気味いい。耳元でささやかれるのが神経に響きそうな感じで、殺し文句の「好き」というのは自分も言われたい(が向こうも相手を選ぶとは思われる)。洗面器からじっと見ていて何気にまばたきするのも愛嬌があって、個人的には今回の富江がシリーズ中で一番好きだ。 ちなみに電柱の張り紙など見ると、呪怨シリーズに通じるおふざけ感が出ていたようでもある。自宅に帰った男が持っていた買い物袋からネギが出ていたのはマンガのようだった。
[DVD(邦画)] 6点(2017-11-20 20:53:35)
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