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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3957
性別 男性
年齢 53歳

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61.  マーフィの戦い
南米ベネズエラの大河を舞台に、Uボートの攻撃から生き残った一人の男が、Uボートに対する復讐の炎を燃やす(ピーター・オトゥールの狂気!)。彼には協力者がいるものの(フィリップ・ノワレがいい味出してる!)、巻き込まれたに等しく、事実上は主人公の孤独な戦い。欧州の戦況から遠く離れた地で、まさに人知れぬ戦いが、繰り広げられる。 なんで映画の舞台がベネズエラかというと、撮影の協力が得られたという純粋に製作上の都合みたいですが、実際のところ第二次大戦では、ベネズエラも含めた中南米の国の数々が、戦闘への参加はさておき、ドイツや日本に対する宣戦布告を行っていたのであって、そういう意味では地球規模の大戦とも言えましょう。地の果てみたいな場所、などと言っては現地の人に悪いけど、世界のどんな場所でどんな戦いが繰り広げられてもおかしくない状況の中、しかしだからと言ってこんな場所でこんな戦いが、何のために行われなければならないのか、異様とも言ってよい光景が繰り広げられます。 ひたすら復讐への道を突き進む主人公の偏執狂的な姿、それを描くこの映画自体にも、偏執狂的な雰囲気が横溢しています。主人公が操縦するオンボロ水上機が、果たして無事に離水するのか、その飛ぶや飛ばざるやという姿を、これでもかとカメラが追いかける様は、まさに偏執狂的と言ってよいもので、これだけでも手に汗握るシーンになっています。主人公の「執念」の映像化。 このシーンに限らず、主人公がUボートに立ち向かっていく姿が、この映画では、これでもかと克明に描かれます。作品を通じセリフが絞られていて、とにかく「見せる」ということに重点が置かれる。主人公がボロ船でUボートに突撃する場面なども、なにせボロ船でスピードが出ず、その光景だけもで充分に異様ですが、遅さ故にその光景が時間的にも引き延ばされ、異様さは数層倍に。主人公の狂気もまた、数層倍。誰も見ていない戦い、誰のためのものかもわからない戦い、誰にも止められない戦い。 圧倒されつつ、虚しさが心に突き刺さります。
[インターネット(字幕)] 10点(2024-07-20 07:39:47)
62.  スーパーマリオ/魔界帝国の女神
どうせ何やったって文句言われるんだから、いっそメチャクチャやっちゃえ、という「この考え方」は、(比較的)正しいと思うんですが、どうでしょうか。 さんざん待たされた挙句、ついに主人公のオッサン2人がマリオ&ルイージのコスプレで登場した瞬間の、高揚感! もう、この瞬間に尽きるのでは。こんなのどこがスーパーマリオの映画だよ、と思っていた人も、この瞬間だけは「これはスーパーマリオの映画である」と認めざるを得ない、そう、まさにこの大事な大事な一瞬。 もし最初からこの格好で登場していたら、この高揚感は生まれない。映画の最初から、いかにもマリオの映画です、というノリだったとしたら、この高揚感は生まれない。 すみません、私、ゲームの方をやったことがないので、こういう無責任な事が言えるのもそのせいだ、とは思うんですが・・・。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-07-20 06:25:23)
63.  グリズリーマン
アラスカの森林でグリズリーを保護すべく、彼らとの共同生活を送った挙句、ついにグリズリーに食い殺されてしまった環境活動家、ティモシー何とかさん(←ごめん、忘れた)の姿を追ったドキュメンタリー。 このティモシー何とかさん、ビデオカメラを手に森林生活を送っていたのみならず、カメラに映像を残すこと、それも野生動物の姿だけではなく、彼らの中に溶け込んでいる(かのごとき)自分の姿をも映像に残すことに強い執着を持っていたようで、彼の残した映像がこのドキュメンタリー映画の中核をなしています。そしてさらに、彼の生前の姿、あるいはその最期を追い求めて、関係者とのインタビューを敢行し、かつ映画のナレーションを務めるのは、ヘルナー・ヴェルツォーク監督本人。インタビューは落ち着いた部屋の中だけではなく、「現場感」を感じさせるような場所でもしばしば行われ、またティモシー某氏の残した映像や音声から彼の最期の姿に迫ろうとするなど、監督本人の強い関心からくる生々しさが、映画の中から感じられます。 これはもしかしたら、ヘルツォーク監督が、自身のこれまでの映画作りの姿勢を、ティモシー氏の姿と重ねて捉えているのかも。そこには、自分だけは動物たちと解り合えるという思いこみと自惚れがあり、その点では監督自身も一定の距離を置いているように見えるけれど、命がけで撮った映像が持つ迫力、大自然に対する人間の無力さを実人生で描き切ってみせたことなどには、羨望の気持ちがこのドキュメンタリーに込められているようにも感じます。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-07-14 10:12:40)
64.  ホールドアップダウン
Ⅴ6を6人まとめて起用できる、となった時に、ここまでハチャメチャな映画を作ってしまう、作れてしまう神経の図太さは、いやはやさすがです。ある意味、ブチ壊し。痛快。 とりあえず6人を、強盗2名、刑事2名、よくわからんヤツ2名と割り振って、あとはそれぞれ入り乱れてのシッチャカメッチャカな追いかけあい。何がどうなって誰がどうなったか、スピーディー過ぎて、ついていくのが大変、いや、ついていかなくても映画の方が連れて行ってくれるけど、そもそもどこに連れていかれるのかが、さっぱりわからない。 で、どこに連れていかれるのかと思っていたら、謎の洋館。これ、もし『シャイニング』を全く知らない人は見たら、全く意味不明でしょう。いや、知ってても充分、意味不明ですけどね、「なんでここで『シャイニング』なのよ」と。 意味不明でも結構、シャイニング効果でいきなりバトルが開始され、すでに充分ブッ飛んでいた映画前半をさらにブチ壊さんとばかり、映画は別次元へと。 こうやってみるとⅤ6は、メンバー間の年齢差が大きいってのもあるのでしょうが(一番老けているイノッチは、実は、どちらかというとカミセン寄りの年齢なのだけど)、それぞれの個性が際立ってますね。旧ジャニーズで、こういう映画に起用できるグループは、他にいないかもしれません。と言うわけで、この映画がⅤ6の、正しい起用法なのかもしれません。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-07-14 06:40:59)
65.  プロゴルファー織部金次郎4 シャンク シャンク シャンク
さて、前作あたりでだいぶバカっぽい風味が出てきていい感じになってきたのですが、この第4作でとうとう、本物のバカ映画になってしまい、そろそろシリーズも終わりが近そうな。これはこれでいいんですけどね、ただやっぱり、マンネリの良さと、マンネリを打ち破ろうとする意気込みとの、バランスの難しさ。 これまで冴えなかった主人公が、ついにトッププロにまで上り詰めて自分を見失う、という『ロッキー3』、とは違って成績が相変わらずの主人公ではありますが、こちらはCMに担ぎ出されて自分を見失う、という、いわば同工異曲。チャンピオンなら負けて落ち込むところだけど、常勝ならぬ常敗オリキンは負けたくらいでは落ち込み度合いが足りないもんで、彼には、もっとヒドく、もっとアホらしい設定が待ち受けている。いやはや、あまりにもあんまりな、欠陥ゴルフクラブ。いくらなんでもあんまりです。「バカバカしい」から「バカ」への垣根を、一歩越えてしまった・・・。 前作まで設定上ほぼ活かせていなかった主人公の娘2人にも、急にスポットを当ててみたりして、色々と工夫はしてるんですけどねー。工夫というのも、悪くするとネタ切れ感を感じさせたりもして。 「川」が出てくると、そこにはタイミングを見計らったかのように(いや当然見計らってるんでしょうが)船が現れる。そういった辺りは、こだわりも感じさせつつ。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-07-14 05:41:08)
66.  プロゴルファー織部金次郎3 飛べバーディー
オリキンシリーズ第3作。ナンセンス指数がいい感じに上がってきていて、いわゆる「ツッコミどころの多い作品」ってことになるんだと思いますが、それこそが作品の大胆さでもあり、楽しさでもある訳で。 仲間の下町連中がただオリキンを応援するばかりではなくって、例のゴルフ練習場がブラック企業と化し(金の無心ばかりするオリキンもブラック社員だけど)、アホらしくも危険極まりない仕事に追い込まれたオリキン、トーナメント前の大事な体であるにも関わらず転落事故を起こし、持病の腰痛を再発してしまう。メチャクチャな展開ですが、この腰痛エピソードはさらに複数のエピソードへの導入として最大限に活用されている(あと、ベーヤンの特別出演への導入にも)ので、文句を言ってはいけません。いや、文句は言ってもいいけど怒っちゃいけません。 転戦を繰り返すプロゴルファー映画らしく、冒頭から旅の情緒を感じさせます。通りかかった花嫁行列に笑顔を送る主人公、「結婚」という作品のサブテーマをここで暗示しているのかどうか。主人公が飛び乗ったバスの中で、若い女性プロゴルファーとの出会いがある。けれどこの二人はさすがに年が離れ過ぎで、恋愛には発展せず、父と娘みたいな関係ですかね。何となく武田鉄矢がエロそうに見えてしまい、何となく彼女を狙っているように見えてしまうのは、これはもうしょうがない。そういや1作目以来、「主人公の娘」というのが約2名、ストーリー上ほぼ活用されないまま登場し続けているけれど、あれ、何とかしてあげられないものなんでしょうか。 で、主人公が知り合ったこの女性プロゴルファー、の物語が、初勝利を目指す主人公の物語に絡めて描かれる。彼女の役を演じるのが新人の女優さん。この演技が正直、イタイ。きっと初々しさみたいなものを監督が求めすぎた結果、こんなコトになっちゃったんじゃないか、と想像しまてしまう。いったい監督は誰なんだよ、出てこい!と思ったら、そういや2作目からは武田鉄矢本人が監督してたんでしたっけ。とにかく、せっかく彼女もしっかり映画の中でゴルフの腕前を披露してくれたりしてるのに、演技指導にかなり難あり。。。 それを除けば、結構、楽しめます。財前直見は髪切りましたかね、性格も変わりましたかね。だいぶ暴走モード。オカマ枠は平田満からコロッケにバトンタッチし、オカマ演技をしていると時々、トシちゃんのモノマネをしているように見えてきたりもしつつ。というわけで、バカバカしい笑いあり、旅先の情緒あり。ラストのローカル線の駅なんかもいいですね、できればもうちょっと周囲の光景をカメラに入れてもらえたら、なお良し。  あと、同年の某作品と同じく、気になった点としては・・・まさか加山雄三、この程度の出演の仕方で、ギャラ受け取ったりしてないだろうな!ということですかね(友情出演、ってんだから、ノーギャラかな)
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-07-13 09:53:19)
67.  プロゴルファー織部金次郎2 パーでいいんだ
主人公のオリキンこと織部金次郎、前作でプロゴルファーとしての生き様を取り戻すも、年齢からくる肉体の衰えに加え、腰痛を発症して思うように体が動かせず、また引退を考えるようになる。そこに、川谷拓三演じる初老のゴルファーが、長年の夢である初勝利を目指し、オリキンに弟子入りするサイドストーリーが絡みます。 って、いや、これは大変な事態ではないでしょうか。なにしろ、日清「どん兵衛」が、マルちゃん「赤いきつねと緑のたぬき」に弟子入りして軍門に下る訳ですから。いや、カップうどんについては東洋水産の方が歴史が長いので、これでいいんだっけ。 とかいうCMの話はどうでもよくって。 今作のオリキンは、劇中で何度か声を荒げるシーンもあり、感情の起伏が表に現れるようになってきました。1作目はやっぱり、異様だったと思います。狙いとしては「スポーツ人情喜劇」とでもいったところなんだろうけれど、ようやくコメディらしくなってきたな、と。喜怒哀楽があってこそ、喜劇も活きるというもの。 浅草が舞台ということで、1作目でも浅草近辺の光景を取り入れて下町風情のようなものを出していましたが、2作目でもそれは健在。さらに種子島にも舞台を移して、「ゴルフ」と「海」なんて一見関係無さそうだけど、しっかり融合させてみせる。 タイトルでは「パーでいいんだ」とか言ってますけど、パーでは勝てない訳で、人生ときには冒険が必要、攻めの姿勢が必要。好きならば、それができるし、やらなきゃいけないし、やってダメだったらそれもまた良し。ってなところですかね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-07-07 09:09:05)
68.  プロゴルファー織部金次郎 《ネタバレ》 
あの素晴らしかった刑事物語シリーズがなぜ、たった5作で終了し、なぜこんなよくわからないゴルファー映画のシリーズを始めてしまったのか。 と世の中の誰もが思っていたのなら、そもそも刑事物語が打ち切りになることも無い訳で、ま、そうは思われてなかった、ってことですね。 新シリーズ開始ということで(最初からシリーズ化が決定していたのかどうかは知らんけど)、この織部金次郎なる人物像を紐解きつつ、彼と周囲の人々との関係を描いていけば、これといって大きな事件など無くとも充分に映画になるんじゃないかと思うのですが(そもそも、人と人との出会い、というものが映画における「事件」なのだろうけれど)、意外に物語が「伸びない」という印象。 これは、この主人公が、縮こまった人物、として描かれていることとも関係しているのかも知れませぬ。あるいは武田鉄矢自身が縮こまってしまっているのか?  そういう、縮こまってしまったヒトの、再生の物語。プロゴルファーって言っても、それはあくまでプロ資格を持ってるというだけで、トーナメント出場だけでメシを食っていけるのはそのごく一部だけ、とはよく聞きますが、なるほど、大会に出るだけでは金は稼げないし、稼げない中では大会に出るだけでも負担が大きく大変、ってことですね。そんな生活してりゃ、家庭もギクシャクしてしまい。 その彼の、再生の過程、というのがもう一つピンと来ません。アマチュアにバカにされつつも勝っちゃったりするのは、実はスゴイ実力の持ち主、スーパーショットの持ち主、ということなんでしょうけれど、そうなるとなぜこれまで一勝もできなかったのかが、よくわからなくなってくる。あるいは、そんなヒトでも勝てないくらい厳しい世界と言うのなら、その中でどうやって彼の再生を、描くのか。 彼の娘、ってのも登場しますが、一瞬だけ。エピソードとしては弱いし。周囲に後押しされての再チャレンジ、ではますます弱い。 結局のところこれは、「この中で一番、笑顔がステキな大人って、だ~れ?」ってヤツなんですかね。チコちゃんじゃないけど(いや、チコちゃんだな)。ヒロインたる財前直見の笑顔よりも何よりも、あの大滝秀治の笑顔が、主人公を導く。この笑顔こそが、主人公のパワーの源泉。主人公の再生ってヤツ、きっかけは何でもよくって、要は、再生を成し遂げるためには大滝秀治の笑顔が必要である、ということ。 これは、説得力ある! なにせこの無類の笑顔。もはや妖怪(笑)。 プラス、武田鉄矢のあの(阿部寛が並ぶことによりさらに強調される)短躯から発せられる、あの少しはにかんだような、少し寂しそうな、笑顔。 このシリーズやってた頃だったか、武田鉄矢が何かのテレビ番組で、プロゴルファーの打つ球は気迫が違う、みたいな事を言ってた記憶がありますが、この作品でも、その「球の気迫」を伝えんとばかり、カメラが飛球の行方を追いかけます。武田鉄矢自身も、プロゴルファーの名を映画で汚さぬよう、見事なフォーム(かどうか、すみません私にはよくわからんのですが、多分)を披露し、カップインを決めてみせる。 その辺りは、さすが、妥協ナシ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-07-07 05:54:29)
69.  快盗ルビイ 《ネタバレ》 
ほぼ常軌を逸したようなあの80年代アイドルブームの中、小泉今日子は「アイドルはやめられない」などと歌いながらも、当然ながらいつまでもアイドルを続けられるものでもなし。で、こうやって映画に主演したりして出口戦略を取ったりもする訳ですが、とは言ってもこの作品では、求めらているのはまだまだ、アイドル的な可愛らしさ。いや正直、アイドルブームの頃も小泉今日子の何がいいのかサッパリわからんかったけど(ごめん)、しっかしコケティッシュな魅力を振りまいて、マスコット的な存在感を映画の中で示しています。急には、変われない、変わらせてもらえない。けれどどこか、変わり始めている。 一方、「爽やかなアクションスター」なんてのも、いつまでも続けられるものかと言えば、真田サンなら続けられちゃったりするのでは、とか思っちゃうけれど、役の幅は限られてしまう訳で、真田サンもここではアクションを封印し、ダサくてコミカルな役に挑戦。ソファの上でクルリと回転してみせたり、ツボにぶつかって落としそうになるのをあわやキャッチしたり、と、封印しきれない身のこなしをところどころで見せつつも、基本的にはダサさ全開。プロレスラーが被っているマスクを剥がされた瞬間、待ってましたと言わんばかりに瞬時に顔を隠すように、真田サンも度の強いメガネを外した顔を決して我々に見せようとせず、悪夢にうなされて飛び起きるや否や、真っ先にメガネをかけてます。勿論、メガネを外した顔は、最後のお楽しみ、ということですね。 監督・脚本が、イラストレーターの和田誠。星新一のショートショート集の挿絵というと、まず思い出すのは真鍋博さん、ですが、和田誠さんのイラストも忘れ難いですね。という、別ジャンルから進出の監督さんで、いわば、本職じゃないけど「どマニア」な人の作品。マニアならではの大胆さがあり、マニアならではの思い入れみたいなものが、ひしひし伝わってきて。『麻雀放浪記』からも大きく路線を変え、雰囲気を変えて、こういうシャレた映画もしっかり守備範囲に収めてます。 ただ、多少安っぽくなってしまってるのは、残念ですね。当時の(娯楽)邦画界の限界か。邦画が勢いを取り戻した今なら、こういう映画ももっとおカネと人手をかけて作れそうな。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-07-06 10:48:49)
70.  ブレージングサドル 《ネタバレ》 
メル・ブルックス作品な訳でして、だからパロディ映画な訳でして、西部劇のパロディ。 どういう訳か、メル・ブルックスの作品からは、こういう作品を楽しめないヤツはダメだ、こういう作品で笑えないヤツはセンスが無い、という無言の圧力を感じてしまうのですが、、、、、そんな事ないですか? いずれにせよ、笑えませんでしたと正直に告白するしか、無いんです。いや、『ヤング・フランケンシュタイン』は確かに楽しめたはずなのだけど、、、妙に不安になってきたり。 いや、笑えることだけが映画の魅力ではないはず、まずは西部劇としての世界がちゃんと作られていて、人種差別を笑い飛ばす心意気があって、悪くはないはず、なんですが、どうももう一つ、ついていけませぬ。 「ここで笑わないと、笑うところないよ」と開き直ったのは、孤高の芸人テントか、はたまた東北訛りの関西弁漫才、酒井くにお・とおるか。この作品ではメル・ブルックスご本人が澄ました顔で登場するも、どこでどのくらい笑ったらいいのか迷っている私のような人間の悩みなど知る由もなし、といった感じで、自信満々の表情。さらには別の役でも登場して二人一役、まさにノリノリ。そういえば、私はなぜ、メル・ブルックスの顔を知っているのだろう? と、またこれが私の不安を誘ったり。 終盤、ベニヤか何かででっち上げた街のセットで敵の目を欺くところから、映画の舞台はさらにカメラの外へ、「映画を見る者の目を欺く」映画スタジオの現場へと移り、もうこれ以上ないと言っていい程のハチャメチャな展開。ついていけない、というより、そうかこれは「どうだついてこれるか」という映画だったんですね。しかしこのギャグ、実は、「ウソを本当に見せる」という映画作りというものに対する、自己懐疑の無意識の表れ、なのかも知れませぬ。そう思えばなかなか深い・・・かどうかは知らんけど、まあ、貴重。
[インターネット(字幕)] 3点(2024-06-30 17:52:34)
71.  ザ・エージェント 《ネタバレ》 
広告代理店に勤めているかつての知り合いに久しぶりに会うと、下世話な私などはつい「芸能人にもしょっちゅう会うんでしょ」などと訊いてしまうのですが、すると若干困ったような(困ったヤツだというような)表情で、「そりゃまあ、タレントさんって、自分達にとっての“商品”だからね」という返事が返ってきて、“商品”という言い回しに一瞬ギクリとはするけれど、しかし何だか妙に納得してたりも。実際は、ある人たちの「才能」が商品なのであって、しかし「才能」は人物と不可分なので、すなわち人物ごと「商品」として扱われることになる。スポーツ選手ならその人のスポーツの才能が提供されるだろうし、音楽家なら音楽の才能、芸能人なら、ある一定時間、ある空間を盛り上げる才能が提供されるかもしれない。その才能には値段がつき、そこには無形有形の一大産業が生まれる。才能の提供者にあまりにスポットが当たるが故に、目に見えていることが全てだという大きな勘違いを消費者にしばしば与えてしまうけれど、当然ながら、実際には表舞台以外の大勢の人々が産業を動かしているのだし、またこれもいたって当然のことだけれど、表舞台で提供されるパフォーマンスは、その提供者の持つ商品としての「才能」であって、そのパフォーマンスが提供者の実像そのものではない、ということ。私生活だって、あるんです。 で、まあ、この映画では、スポーツ業界において自身のスポーツの才能を商品として提供するスポーツ選手―――の代理人、といういわば裏方さんの姿が描かれます。で、これを演じるのがトム・クルーズ。手振り身振り全開のオーバーアクトで、まったく「裏方」感ナシ。ははは。あ、これがトム・クルーズの実像と思っちゃ、いけないんだっけ・・・。 で、その相手役がレネー・ゼルウィガー。トム・クルーズに負けじと、こちらも大袈裟な表情でもって、それを迎え撃つ。この演技の応酬。誰も止めなくていいのか。いや、いいんです。いろいろウソ臭く見えちゃいますが、これも映画の華。 レネー・ゼルウィガー演じるヒロインがシングルマザーで、息子はまだ幼い上に喘息の症状があったりもして、大変そう。だけどこの息子というのがいかにも人懐っこくって、いい味出していて。トム・クルーズの腕にぶら下がってクルクル回って、こんなことされちゃったら、いくらあのトム・クルーズでも、だんだんパパの顔にもなろうというもの。 会社をクビになったおっちょこちょいのトム・クルーズ、彼がいなくなっても会社は何も変わらずこれまで通りの業務が続けられ、ただ、こちらもおっちょこちょいのレネー・ゼルウィガーだけが一緒になって道を踏み外し、トム・クルーズと新たな活動を開始する。例の息子のお陰なのか何なのか、二人の間も接近して行き。 この映画、主役二人の演技が大袈裟な分、バランスを取ろうというのか演出の上では淡泊なところもあって、劇伴の音楽は(実際に劇中で音楽が流れるシーン以外は)控えめ。二人が接近した挙句、トム・クルーズがついにプロポーズするシーンなどですら、安直に音楽で盛り上げたりはしません。 裏方が中心の物語とは言え、表舞台に立つ選手たちにも、いろいろな立場、いろいろな私生活がある訳で、ゼロからの再出発となった主人公のように、自身も這い上がろうとするアメフト選手(キューバ・グッディング・ジュニア)の物語がそこに絡んできたりもする。裏でも表でも、それぞれが成功を夢見つつ、大事な私生活も抱えていて。 トム・クルーズとレネー・ゼルウィガーが互いに視線を交わし、なにせこの二人なのでそれがいかにもウソ臭いというかウサン臭いのですが、それでも何でもこの二人がラストで間に子供を挟んで、夕日に尾を引く影を後ろに、歩いていく姿には、家族という私生活が投影されて、やっぱりしみじみとしてしまうのでした。 ところでこの映画。主人公が最初勤めていた大企業ではオフィスの窓から都会の景色が見えていて、一方、クビになって独立すると、窓からの景色ものんびりしたものとなるのですが、とにかくこの窓からの景色が、トム・クルーズの演技などよりはるかにウソ臭く見えてしまうのですが、もしかして合成映像???とか思っちゃったり。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-06-30 16:59:35)
72.  65 シックスティ・ファイブ
白亜紀末期、巨大隕石の落下を目前にした地球に不時着した宇宙船の乗務員の男と、乗客の少女とのサバイバル。 登場人物が極端に絞られている上に、二人の言語が異なるため殆ど会話が通じないという設定。何やら親切な装置が状況をわざわざ解説してくれたりはするものの、基本的にはセリフも抑え気味となって、そこは良かったかな、と。 徐々に主人公の過去が明らかとなって行き、クライマックスにおける感情の高まりに繋がっていくのも、悪くない。 だけど、大自然の中のサバイバルが、「時たま恐竜が襲ってきます」程度で、いいのかなあ、とも。 例えば、雨が降ったり風が吹いたり、とか、夕闇が迫ってきて「ああ、また不気味な夜が来るなあ」とか、そういう味付けがもうちょっとあってもよかったのでは。なんか淡々と、昼と夜とが繰り返されてるだけ、の印象。 と思ってたら一応、最後は夜明けが描かれて、ああ、これがやりたかったのね。 アダム・ドライバーは、スターウォーズ出演したのは失敗かと思ったけど、スターウォーズが微妙にハズレてくれたお陰で型に嵌ることもなく、しっかりと曲者俳優の道を歩んでいるようで。本作品でも確かな存在感を示していると思います。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-06-30 12:08:22)
73.  セトウツミ
どうも世の中、ストーリー信仰みたいなのがあって、ストーリーがつまらないと作品もつまらない、一般性もない、みたいに捉える向きがあるんですけれど、実はそんな事は無くって。もしそうなら、なぜ、あのストーリーがほぼ無く、オジサンがメシを食うだけの「孤独のグルメ」なるテレビ番組が、シーズンを重ね、何度も再放送されるのか? ストーリーが面白けりゃそれに越したことはないけれど、それ「だけ」だったら、一回見てスジが頭に入ればそれで終わりな訳で、でも実際はそうではなく、だから実際は、作品の魅力は他のところにある。その魅力を支えるスパイスとして、「ストーリー」というものがあったり、「美味しそうな料理」があったり、例えばこの『セトウツミ』では主人公ふたりのアホらしい会話があったり、するんですね。 そういう直截的な魅力以外に、午後の川べりの気だるくも何だか可笑しい雰囲気やら、二人の関係に微妙に入り込んでくる周囲の人々(謎のオジサン、イヤな先輩、バルーンアートの人、家族、といった人たちから、背景の通行人まで。あ、中条あやみを忘れてた。笑)やら、といった要素が加わって。 「おや」と思わせる瞬間があったり、そういった瞬間が積み重ねられることによる前後の連関があったり、作品を通じての大きな流れ、あるいは世界観があったりして、広義の「物語」が作られていく、結局はその広義の「物語」こそが作品の魅力なんだと思います。でなかったら、私がどうしてこの一見会話ばかりの映画を楽しめたのか、どうして見終わった後に充実感を覚えたのか、よくわからなくなっちゃう。 ここで語られている「物語」は、高校生としての「今」。誰だって、自分の高校生時代を「青春」のただ一言で括れる訳じゃない。漠然とした不安もあっただろうけど、だからと言って「不安」の一言で括れる訳でもなし。ただそこには、今しかない「今」がある。 ところで、メイン3人のうち池松壮亮だけが、関西ネイティブではないだけにイントネーションに微妙なズレがあります。が、違和感というほどではなく、作中で小さからぬウェイトを占める会話劇を、よく支えています。・・・しかしこの映画、関西弁じゃなかったらどんな作品になっていたんだろうか? このアホらしいオフビートの会話を成立させるには関西弁がマストのように思えるだけに、逆に、関西が舞台でなければ作品がどう化けるのか、ちょっと気になりました。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-06-23 07:38:06)
74.  ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂
エベレスト初登頂の模様を描いたドキュメンタリー。と言っても頂上までカメラマンが同行していた訳ではないので、再現映像が交えられた作品になっています。再現と言ってもセリフ仕立てではなく、流れるのは関係者の証言ナレーション、なのであくまでドキュメンタリーの構成。 実際の映像と再現映像とが区別なく流れていくのですが、これが正解だったかどうか。わざわざ区別するような断り書きを都度入れるのも興ざめ、という声もあるかもしれないけれど、断り書きが無いなら無いで、これも気になるもの。再現映像は確かに迫真の出来、であるシーンも多々あるのですが、残念ながらあまり迫真ではなくってそれこそ目のやり場にちょっと困るようなシーンもあって。 ドキュメンタリーに紛れ込む作り物感、ってのは、どうも始末が悪いのです。 再現ドラマが悪い、って訳ではないんでしょうけれど、ラストももう一息、何か、事実の重みを感じさせるものが欲しかったなあ。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-06-22 18:53:11)
75.  劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン 《ネタバレ》 
出来事よりも風物を主体に描こうとする、静かさみたいなものがあって、それをアニメでやろうというのが、なかなか大胆。で、それは一定の成功を収めているとは思うのですが、しかし。 全般的には、違和感が。正直言うと心のどこかに「京アニのことはあまり悪く言いたくない」というバイアスがあるのですが、それでも違和感が拭えません。 いかにも美少女キャラな主人公、戦争で両手を失い義手になっている、逆に言えば、それを除くと表面的には、顔を含め他には何もダメージを受けていないように見える。いや勿論、それ自体が問題という訳ではないのだけれど、過去の悲惨さが義手という「符号」に置き換えられて、美少女キャラの単なる添え物みたいになってしまうと、どうもピンと来ません。義手ゆえの苦労なり不便さなり、といったものも見受けられず。また、心にも傷を負っているのであろう、とは想像しつつも、このヒト単に無口なだけなんじゃないの、とも。「過去」が重要なはずなのに、どうも「現在」の中に「過去」へと思いを至らせるものがあまり無く。 当然ながら、主人公が元上官に対し、どういう気持ちを持っているか、映画から「知る」ことはできても、その気持ちをなぜ持っているかを含め、映画から「感じる」ことができない。 これってもしかして、テレビアニメ版も見てたら印象が変わったりするの? もしかして、見てない私が悪かったりするの? 終盤、主人公は元上官との再会かなわず、船で島を去ることになるけれど、彼女を求めて港に現れた上官の姿を目にして、船から海へと飛び込む。この場面、船の欄干に向かって画面手前を横切る姿として描かれるのは上手いと思うんですが、いざ海に飛び込んだら、「義手なのに大丈夫なのか」とヒヤリとするところじゃないですか。また、それを乗り切るのが再開への通過儀礼でもあるはず。しかるに、気が付いたらアッという間に浅瀬に辿り着いてるだなんて、肩透かしもいいところじゃないですか。 海の真ん中で直立するのは、ゴジラだけで充分。 で、まあ、ハッピーエンドっぽく終わるんですけど、一応この作品、これら登場人物がもう存命ではないであろう、さらに未来を視点にして、過去の出来事を追いかける構成になっていますが、この構成を取っている時点で、主人公は孤独に代筆業を続けて生涯を終えたんだろう、ということの暗示だと思ってたんですけどね。まさかのハッピーエンド。いやほんと、まさかと思いました。 あと、主人公が名前を「ちゃん」付けで呼ばれる、という感覚もよくわからん。何のためにそんな国籍不明感を出すのか?
[地上波(邦画)] 6点(2024-06-22 09:24:34)
76.  Mr.ノーバディ
冴えないオヤジがバリバリ戦いまくる痛快さをたっぷり楽しませてもらって、こんなことを言うのも何なんですが、結構、既視感があるなあ、と。 ノリのいい音楽の中、繰り広げられる殺戮は、キングスマンとか何とか。敵の襲来に備えて様々なトラップを仕込んでおくのも、ランボーがラスト・ブラッドで披露したばかりだし。ジイサンが参戦するような展開もどっかで見た気がしたんだけど、これは例が思い出せないので私の負けですね。すみません。 とにかく、これはユニークな映画なんだ、そのはずだ、と思いながら見ている割には、思ったほどユニークな印象が残らないのですが、「映画よ常に斬新であれ」というのもなかなか酷な話かとは思います。 しかし冒頭、まるで運命の日がやってきたとでも言わんばかりに曜日を表示しつつ、実は平凡な日々の繰り返し、ってのは、これはやたら可笑しかったです。冒頭だけ斬新過ぎてハードル上がっちゃったかも。 ノリのいい音楽で大殺戮、と言いながらも、中盤のバスでの乱闘シーンなどは劇伴無しだったりして、単なるアクションの垂れ流しではなくメリハリもつけられてます。 総じて楽しめたので、まあ、良かったんじゃないかと。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-06-22 08:36:29)(良:1票)
77.  キャノンレース
ノルウェー製の公道レース映画。邦題通りというか何と言うか、冒頭のクレジットでこの作品、ハル・ニーダムに捧げられてます。そりゃこの映画を無理やり誰かに捧げるとしたらそうなるかも知れんけど、そもそもハル・ニーダムってヒト、映画を一本、捧げる対象ではないんじゃないかと。 カッチョよいクルマがフィヨルドの国を走りまくる。あの素晴らしくダサいハル・ニーダム作品よりは、ワイルド・スピードに近くって、そこに若干の、TOKYO DRIFT風味。笑っちゃうほど見事なドリフト走行。ただし主人公とそのライバルは、いい感じにダサい。 お姉さんドライバーも出てきたり、ジャック・イーラムほどポンコツではないけれどいい感じのジイサンも出てくるあたり、微妙にキャノンボールに対する目配せも。 あくまで公道レースなので、アホらしいクラッシュシーンなどは無く、まあ、一部の荒唐無稽なアクションを除けば、走っているだけなんですけど、そんな映画をなぜノルウェーで作らにゃならんのか、と言えば、これは見て納得。舞台は、アメリカには無い景色。夜中に始まったレースから、夜が明けてくるとそこには素晴らしい眺望が広がります。その北欧の自然を、クルマが駆け抜ける。草原に刻まれる、タイヤの跡。 そうやって展開されるレースの中に、親子の物語が織り込まれますが、それが決して押しつけがましいものではなくって、「そうそう、親子ってのは結局、こんな感じだよね」という、味わいがあります。夕刻とともに近づいてくるゴール。 なーんか、ジワっとくるものがあります。 で、大満足の8点! のはずだったんですが、ラスト1秒で急遽、9点になりました。ごめんなさい。けど、この気持ち、ご覧になった方には、理解していただけるんじゃないかと。 この作品、ハル・ニーダムも草葉の陰で喜んでいると思います。
[インターネット(字幕)] 9点(2024-06-16 18:37:03)
78.  007/スペクター 《ネタバレ》 
バットマンだってちゃんと撮ったらちゃんとした作品になるだろう、というのがノーラン版バットマン映画だとしたら、007だってちゃんと撮ったら・・・というのがこのサム・メンデス版007映画、ってことなんでしょうか。で、その「ちゃんと撮ったら」という部分のベクトルが間違っている気がしてしまうのが、両者に共通するところ。 この作品、メキシコシティの「死者の日」を大規模に再現した長回しっぽい冒頭シーン(何となく、実際はカットが切られている気がする)がやたらカッコよくって。その後に待ち受ける一連のアクションもあの手この手で盛り上げて小気味よく、「全編の中で、結局、タイトル前が一番カッコいい」という点ではこれ、007映画らしい作品と言えなくもなく・・・。 その後も、アクションシーンか否かに関わらず、カッコよく撮ろうとしているのは伝わってくるのだけど、はたまたそれっぽくエピソードも散らしておこうとはするけれど、トータルでは中身が薄い印象のまま、この長尺。ちと、つらい。007映画に中身が無いのは今に始まったことではないからそれ自体はもうどうでもいいんですけどね、中身が無い代わりにしっかりとバカ映画であった007映画から「バカ」を取ったら、何が残るのか。何を残せるのか。 長尺を引っ張り過ぎた挙句、本来なら盛り上がるであろうクライマックスシーンまで、尻すぼみに感じられてしまうのは、いかにも残念。 拷問にあってもそれをタフに乗り切るのが、やはりクレイグ=ボンドの持ち味でしょうか。今回は相当ヤバいところまで追い込まれますが(ってか、手遅れでは。ははは)、その直後には何事も無かったかのように涼しい顔で戦いまくり。タフと言うより、ここまでくると正直、不気味です。
[CS・衛星(吹替)] 5点(2024-06-16 06:10:41)
79.  がんばれ!!タブチくん!!
昨今のテレビ番組とかで、いろいろと規律のユルかった昭和の時代を「あの時代は良かった」的に振り返ってるのも、正直どうかと思いつつ(これは私ら昭和世代が悪いんですが)、しかししかし、この『がんばれ!!タブチくん!!』なる作品が許され、メチャクチャな形で描かれている本人を含めて、皆が笑って受け入れ、素直に楽しんでた、ということを思えば、やっぱり昭和は良かったんじゃないかと(笑)。これぞ昭和を代表する作品!と言っちゃってもよろしいのでは。 一話10分くらいの寄せ集めというテレビアニメのノリなもんで、纏まりも無いし、絵の方もいたってシンプルでこれもテレビアニメ風。手抜きのようにすら思えますが、しかしそれを逆手にとったような、デフォルメされた世界観、これがやたら楽しかったりします。現実の野球選手をネタにして、現実にはあり得ないようなギャグをかましまくっているもんで、絵の方も非現実、というか超現実。シュールレアリスムですね。 絵が手抜きったって、一部のシーンではちゃんと人物の影を描きこんでいたりして、いや、手抜きなんかしてないんですよ、きっと。 西武ライオンズの対戦相手はなぜかいつも(?)阪急ブレーブスで、ピッチャーはなぜかいつもヤマダさん。アンダースローで器用に投げるシーンが器用に描かれ、実在の山田久志さんの方がよほど動きがメカニックでギクシャクしてたんじゃないか? とも思えてくる。 その他、懐かしい選手や監督が出てきますが、西武ライオンズ時代のノムさん、ってのは、ちょっと貴重なんじゃないでしょうか。 西田敏行さんによるタブチくんのアテレコは、西川のりおさんのテツの声と並んで、本職の声優ではない人が演じる名アテレコだと思います。代わりに務まりそうな人は全く思いつかない・・・ あと、ミヨコ夫人のチャーミングさってのは、アニメ界でもトップクラスだと思うんですが、どうでしょうか。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-06-15 07:22:20)
80.  座頭市の歌が聞える
座頭市シリーズは90分に満たない作品も多く、コンパクトな印象がありますが、この作品などはその代表で、結局このヒトとこのヒトとは実はこういう関係で・・・というのを辿っていくと、何だかやたら世間は狭いなあ、となってしまうのですが、良く言えば、まとまりのあるオハナシ。旅先で知り合った少年一家を助け、町を牛耳る悪辣な一味に立ち向かう座頭市。 はたまた、座頭市が知り合う女郎のお蝶さんというのが登場しますが、これが小川真由美。どこか妙に現代的ですねえ。で、妙に色っぽい。さらにそこに絡んでくる浪人風情の男が「あの」天知茂で、座頭市のライバルとして超重要な役どころですが、何なら、このヒトが一番、存在感無いかもしれない(笑)。いや、無い訳じゃないけど、ちょっと収まりが悪くって、もっとしっかり描くか、いっそ今回は割愛するか。なんか、勿体ない。けど、まあいいや。 どうしてこんなオカルト映画か何かみたいな不気味なタイトルにしたのか、内容はオカルトでも何でもなく、しかし大映時代劇なので、画面の暗さはオカルト映画以上かも知れませぬ。そんな中、クライマックスの殺陣が、シルエットが闇を切り裂くように引いたカメラで描かれて、不気味さここに極まれり。実際は明るい場所で撮影し、処理によって暗く見せているので、振り回される白刃が光を反射し、うごめく黒い人影に妖しい彩りを与えます。やたらカッコいい。死神たる座頭市の、面目躍如。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-06-09 11:46:32)
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