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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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981.  武士の献立 《ネタバレ》 
笑いあり涙ありで特に深刻な破綻もなく、良質の娯楽映画と思われる。不満があったのは、いいタイミングで父親が倒れるなど若干の都合良さがあったことと、ラストに再度土下座が出なかったこと程度だった。そのほかエンディングの曲がどこか無関係なところから持って来たような感じだったが、これは聞かなかったことにすれば済むことである。  ところで、料理人が地場の食材を掘り起こして回るというのは当時からあったことなのか、あるいは現在の加賀料理の中に劇中の大名料理がどの程度受け継がれているかといったことはよくわからない。饗応料理の考証などは別にして、実際のところかなりの創作部分が含まれているのだろうが、ただし舟木家が実在の武家であることは間違いないらしい。 武士というからには武を尊ぶのは当然としても、一方では社会の秩序と安定を維持する責任を負った社会階層という面もある。特に江戸時代ともなれば一人ひとりが“公”の心を持ち、それぞれが己のなすべきことを考える、というのも武士の本質をなしていたのではないかと想像され、その手段は剣術ばかりでないはずだという考えも容易に導かれる。御家騒動の一方の首領が単なる悪役ではなく、やはり藩のあるべき姿を考えていたというのは出来過ぎな気もするが、それでこそ終盤に「武士」と「献立」をちゃんと結びつけた台詞が出て来たわけで、出来過ぎではあるが感動的な場面だった。 続いてラストも舟木家の安泰を見通す形で終わっており(最後の地蔵は子宝祈願と思われる)、大名家も一介の武家も、料理を通じて未来へのつながりを残す形になっていた。これも出来過ぎという気はするが、全体としてまとまりのいいお話になっていたのは間違いない。  なおキャストも豪華で申し分ないが、個人的好みとしてはやはり主演女優の存在が映画全体の価値を上げている。江戸の料理屋の娘ならもっと“おきゃん”(時代劇用語)な場面があってもよかっただろうが、今回は武家の妻らしく健気でしおらしい様子も出ていてよかった。こんな可愛い嫁さんに古狸はないだろう、と劇中の親爺と同じ気分になる。
[DVD(邦画)] 7点(2015-05-25 19:57:10)(良:1票)
982.  体脂肪計タニタの社員食堂 《ネタバレ》 
実在の社名を出して社屋も使っているが、見れば最初から最後まで作り話のコメディとわかるので誤解を生じる恐れはない。 内容としてはダイエットの基本知識を盛り込んだ上で笑って泣けるドラマをきっちり作った感じで、全体としてかなり満足度の高い映画になっている。映像に出る料理が具体的で種類が多いため料理映画としても一定の充実度があり、また登場人物も主要キャストが全員いい味を出していて、特にワンマン社長の怒鳴り声は嫌味がなくて格好いい。 ラストも基本的にみんなしあわせな感じで結構だが、しかし一人だけ悲運に泣く男が残されたようである。現実問題として異性に好かれたいというのは減量の最も強力な動機付けになるはずだが、この映画の立場としては一応“恋に肥満度は関係ない”と言ってみせたのだろうと思われる。  ところでお勉強の面から見ると、食べる順番が重要とかいう話は勤め先がやった健康食講座でも聞かされた覚えがある(忘れていた)が、2カ月後に壁があるなどという話を聞くと、なるほどダイエットの道が険しいということがわかる。重要ポイントとして「ダイエットの極意」というのが出ていたが、これはダイエット以外の人生全般にも言えることのような気がする。 また副社長が言っていたように、自分がやらなくても他の誰かがするはずだ(かつ自分より上手くやるだろう)と思うことは実際多々ある。しかし、たとえ結果的にでも自分が背負ってしまっているものがある限りは自分がやらなければならないのであって、そのことに副社長が気づくところは少し感動的だった。特に、みんなの思いというようなことを言われてしまうと個人的には弱い。  なお劇中の会社は別として、本物のこの会社に肥満の社員がいないのかどうかは気になる。肩身が狭いくらいならまだしも、“タニタにデ×な男は不要だ”と宣告されて処刑されるとかであれば社員としてはつらいものがあるだろう。
[DVD(邦画)] 7点(2015-05-25 19:55:38)
983.  クレヨンしんちゃん バカうまっ!B級グルメサバイバル!! 《ネタバレ》 
このアニメを見るのは初めてなので認識不足だが、とりあえずこの映画は大人の鑑賞に十分耐えるもののようである。もっともほかの大人の皆さんはお子さんと一緒にご覧になったのかも知れないが。 ストーリーとしては、いい加減な覚悟の防衛隊が解散の危機を結果的に乗り越えて、最後に使命を完遂するというのは一応感動的な構成である。各キャラクターはこれで平常通りかどうかわからないが、初見の立場としては犬が賢明で健気なのが印象的で、この犬がフラダンスで敵部隊を蹴散らした場面が個人的にはツボだった。ここは彼にとって面目躍如といったところだったのだろうと想像する。  ところで今回のテーマに関していえば、高級食材を庶民が食って美味とは限らないことを無遠慮に指摘していたのは笑える。食が芸術たりうるという主張自体は否定しないにしても、他の文化的な分野と違って食は生活に直結するところまで裾野が広いので、各家庭での日常的な創造性の発揮もまた食の豊かさを生むことになる。そのことが劇中でさりげなく指摘されていたのは少し感心した。また一日何も食わないとこれほど腹が減るのか、といったことも、食の基本的な重要性を伝える点で食育的な意味を持つといえなくはない。ただ単に笑わせればいいというのでもなく、ちゃんと題名に沿ったそれなりの内容を込めてあるのは真面目な映画に思われる。 そのほかオープニングのクレイアニメーション+KPPは中身を期待させる出来で結構よかった。それをいえばエンディングも悪くない。  なお一部で有名なようだが参考まで書いておくと、パープルのおねいさんが最終決戦に向けて人々に呼びかけている姿形は、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」から取ったと思われる。人物の前面に死屍累々なのも同じである。 もう一つ、イベント出店者のうち「お京」を名乗る人物がなぜか九州方言だったのは、「トラック野郎・御意見無用」(1975)のモナリザお京(渥美マリ主演の映画ではなく)を思わせるものがあったが、それは深読みし過ぎか。
[DVD(邦画)] 6点(2015-05-25 19:55:33)
984.  のんちゃんのり弁 《ネタバレ》 
何をやっているかは大体わかるが、下司な人物や騒々しいドタバタといった感覚的に不快な要素が多くまともに見ていられない。映画とはいえ一応は現実世界を舞台にするのであれば許容できる限度があるだろうし、逆に延々と続く乱闘場面を見ていると、そこまでやるならいっそ殺してしまえという気分にもなる。主人公も突然芝居じみた調子でわめき出したりするのが変人のようで共感を妨げるものがあり、また子役の悪口を言うつもりはないが、主人公の娘の言動までもがいちいち神経を逆撫でする。 そういうことに苛立っているようでは自分もまだ人間ができていないのであって、ここは料理屋の主人の懐の深さを見習わなければならないのだろうと思われる。この人物の人徳には感じ入る。
[DVD(邦画)] 4点(2015-05-25 19:55:24)
985.  南極料理人 《ネタバレ》 
事前知識なしで見たら意外に笑わせる映画だった。こんなふざけた隊員が実際いるかとも思うわけだが、まあ男所帯の中で現実に起こりうる範囲のことであり、非現実的というほど羽目を外した印象はない。基本的にがさつでむさい感じの連中ではあるが、1年ほども一緒にいればまあ愛着もわくだろうという気はする。 隊員の中では主人公の調理担当がなぜか例外的に爽やかで、これは役者の持ち味ということもあるだろうが、多少何があろうと柔らかく受け止める人柄のよさが好印象だった。当初はこの一家の人間関係がよくわからないところもあったが、最終的にはこの男あってこその妻子のあの態度だったのだろうと思わせるものがある。ほかに弄られキャラの若い男もなかなか愛嬌のある奴だった。 劇中の感動ポイントとして用意されているのは主に家族関係であり、最後の「本さん」の顔つきもよかったが、東京との中継で主人公が娘と話したところも何気に泣かせるものがある。そのほかKDDインマルサットオペレーターの清水さんは、出演者としてクレジットされていながら声だけなのかと心配したが、最後にちゃんと顔出ししていたので安心した。 別に誰かの人生を変革するほどのドラマでないのは終盤の「本当に南極になんて行ったのか」という台詞の通りだろうが、帰って来てみての感慨はあったようだし、観客としてもここに出る人々の気持ちを感じ取って共感できればそれでいいのだろうと思われる。  ところで劇中では専門の観測スタッフと、サポート役の医師や通信・車両担当などとの間で気合いの入り方に微妙な差があったようだが(暇の度合いも違っていたようだが)、調理担当に関しては基地の運営を根底から支える点で日々責任重大だったらしい。食というものが単に生存だけでなく、人間としての文化的な生活を維持する機能について、いわば極限状態(というほど厳しくもないが)のもとで描いてみせた映画というように取れる。劇中人物の中では「本さん」の感覚が自分に最も近いわけだが、こういう場所であればやはりそれなりに料理人に感謝する機会も多いだろうとは想像する。
[DVD(邦画)] 7点(2015-05-25 19:55:21)
986.  かもめ食堂 《ネタバレ》 
食い物には関心がないのでその点は評価対象にならないが、海苔がパリッというのは少しよかった。また舞台がフィンランドである必然性も感じられないが、主人公の話すフィンランド語が結構それらしく聞こえていたのは感心する。全編にわたって微妙な可笑しさが醸し出されているのは見ていて意外に楽しく、うち一つだけ書くと、五寸釘おばさんの泣きの場面は笑えて仕方ない。 劇中では登場人物の来歴がほとんど語られず、そのことが互いの人格を尊重し、過度の密着を避けるような雰囲気を出している。またみなそれなりの年齢ということもあって、別々に生きている人間がたまたま同じ時間と場所を共有しているだけのようにも見える。いわゆる自分探し的な観点からすれば、後から流れついた2人がここに居場所を見つけたことが重要なのだろうが、しかし主人公の「ずっと同じではいられない」という台詞には無常観も感じられる。この主人公としては束縛のない自由さをあくまで尊重する姿勢だったようだが、それでもやはりいつかは失われるこの関係をいとおしむ思いがあるのだろうし、逆にそう思えばこそ、今という時間のかけがえのなさを感じるということかも知れない。そのような時間を切り取ってみせた形の映画だったようにも思われる。 なおどうでもいいことだが、原作では五寸釘おばさんに相当する人物に藁人形の話を教えた際、「人を呪わば穴二つ」に相当する内容を同時に教えていたが、映画で知らせなかったのは不親切だ。本来は他人に見られないようにしなければならないわけだが、人口密度が低いので普通にやっても大丈夫なのだろうと思われる。
[DVD(邦画)] 6点(2015-05-25 19:55:17)
987.  神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃 《ネタバレ》 
映像的には現代風だが、特殊効果が安っぽくスケール感もあまりない。また人間ドラマ部分が見事に軽いので心に染みるものが全くなく、登場人物が泣いてもわめいても白々しいばかりである。 ただし実際に起こった事件が題材のため、歴史的背景に関心を持って見れば一応見られる内容になっている。ベネチアの修道士、オスマン帝国大宰相、神聖ローマ皇帝、ポーランド国王といった主要人物は実在の人物であり、映画の展開も実際の歴史からそれほど外れてはいないようである。ストーリー上もオスマン帝国側とキリスト教国側をほとんど対等に扱った感じで、トルコ側の登場人物もちゃんと人間味を出していたのは現代における最低限の良心的な作りといえなくもない。しかし一方でウィーンの皇帝を貶める形にしていたのは、ポーランド国王らを相対的に持ちあげるために叩きやすいところを狙ったような感じもある。  ところで劇中では宗教がらみのことが重要な話題になっていたようだが、何が言いたいのかはよくわからない。話を聞く限りトルコ側が寛容でキリスト教側が偏狭に感じられたが、イタリアとポーランドのカトリック教徒にとってはその方が心地よいということなのか。ドラマ部分では敵味方の区別なく理解しあえる雰囲気を出しておきながら、結局はキリスト教だけが絶対正しいと言い張るのもかえって人が悪い気がする。史実としてはこれがきっかけになってオスマン帝国の領土拡大が阻止されたということのようだが、それをもって結果的にキリスト教の優位が証明されたといわれても必ずしも納得できるわけではなく、それを最大の感動要素として押し売りされて素直に同調できる観客など世界にどれほどいるかという感じだった。葬式仏教徒がいうのも何だが。  なお余談として、途中でオスマン軍に合流したクリミア・タタールの首長役は日本人俳優(Hal Yamanouchi)で、これはクリミア・ハーンの系譜を遡るとモンゴルのチンギス・ハーンに至るという知識あっての配役と思われる。ただし本当にこういう東洋人顔だったかは不明である。
[DVD(字幕)] 4点(2015-05-23 20:44:35)
988.  ドラキュラZERO 《ネタバレ》 
15世紀の史実と小説「ドラキュラ」から少しずつ要素を取り入れて、あとは勝手にストーリーを作ったような形である。 ヴラド公の生地は実際にトランシルヴァニア(ルーマニア北部)であり、オスマン帝国に人質に取られたのも事実だが、同地の君主という設定にしたのは小説に合わせたものである。史実としては隣接のワラキア(ルーマニア南部)の君主であって、メフメト2世の大軍を迎え撃ったのもここである。このメフメト2世も歴史上の著名人のため、終盤の対決の場面ではどちらも死ぬはずはないと思っていたらメフメト2世がやられてしまったので驚いた。ここで死んだのだとすれば、これが史実からの最大の逸脱ということになる。またDraculaの意味について、映画の序盤でSon of the Dragon、終盤でSon of the Devilと言っていたのは、実際に両義性のある言葉だったのをストーリー展開に合わせて使い分けたもので、これは少し感心した。 そのほかラストで現代に飛んだ場面はロンドンだったようだが、これは小説の内容がロンドンにドラキュラが来るストーリーだったことによるもので、ここで女性の名前がミナだったのは小説の登場人物と同じである。 長くなったが考証的なコメントは以上である。  それでストーリーに関しては、一応まとまったお話ではあるがダイジェスト感が強く、意味不明な人物や事物が目につくほか特に序盤の展開が急で、あっという間に大軍が攻めて来るので呆れてしまう。ドラマ的にも薄味で、現実問題として息子を人質に出すのが当時としてそれほど過酷だったか疑問なため、悪魔と契約してまでの反抗に至る動機に全く共感できない。ラストは時代を超えて二人の魂が共鳴し合うといったところだろうが、それで特に心が動かされるようなものでもない。 結局は映画の中身自体より、この時代のこの地域の歴史を扱っていることが個人的に興味を引くというだけのものだった(デタラメだが)。ちなみに本物のワラキア公ヴラド3世は、敵兵だけでなく自国民も他国の一般民も必要があると思えば串刺しにする恐ろしい君主であり、庶民感覚で共感できる相手などではなかったろうと思われる。
[DVD(字幕)] 4点(2015-05-23 20:44:30)
989.  録音霊<OV> 《ネタバレ》 
基本的に「キング関口台スタジオ」という建物の地下一階だけで撮影しており、超低予算映画と思われる。普通に新しく清潔感のあるスタジオのため、「女優霊」(1995)と同じように暗く湿った雰囲気を想像していると少し意外である。閉鎖空間の中で物語が展開することもあって、舞台演劇のような印象も受ける。 ジャンルとしては一応ホラーになっているが、どちらかというと登場人物の心理描写に重点が置かれているらしい。この心理劇の部分はもしかするとありきたりかも知れないが、全体として心霊モノの枠組みを作った上で、その中にこういう趣向を入れ込むこと自体は悪くない。ふざけた感じなのは名前だけで、中身は真面目なお話である。 また劇中では、「歌」というものの持つ霊的な作用が重要な要素になっていたらしく、「女優霊」とは少し違った方向から、スタジオに何かが籠る理由を説明しようとしているように思われた。何もいないように見えて、実は昨日死んだはずの人物が映り込んでいる場面があったりするのは細かい作り込みだが、初見ではほとんど誰も気づかないだろう。  ところで劇中で非常に印象的なのがその「歌」であり、微妙に前世紀の匂いがしているが、真面目に聞けば心に響く内容である。これを最後に新人歌手が歌いあげていた場面は感動的といえなくもないが(口パクだろうが)、そのすぐ後のエンディングでまた再度フルコーラスで流すのはやり過ぎである。しかしそのせいでこの歌が耳について離れなくなり、これで全体が印象づけられてしまった気がする。実際に歌の持つ霊力に当てられた気分だった。  なお劇中の新人歌手は台詞で16歳と言っていたので、それではサバ読みしすぎだろうと思ったが、実際に女優の実年齢もまだ16歳程度だったらしく、ずいぶんと大人びて見えている。「デビルマン」(2004)などよりも、これに出ているのを見た方がよほど好印象だった。
[DVD(邦画)] 6点(2015-05-21 19:40:11)
990.  大怪獣バラン 《ネタバレ》 
劇中の岩屋集落の所在に関しては、最初の方で出た日本地図が不正確なため特定するのが困難だが、おおむね一関市や平泉町に近い奥羽山脈沿いのようである。ただし大怪獣のいた湖は、自衛隊の地図では猪苗代湖と同じ形をしている。桐野洋雄氏の台詞で「なるほど日本のチベットだよ、あまり気持ちよくありませんね」と言っていたのは東北の山村とチベットに対して失礼だろうが、本多監督も実はそういう場所の生まれだったはずである。  ところでこの映画では陸海空自衛隊の大活躍が目立ってしまって本来のテーマが埋没したような感じだが、序盤の千田是也博士の言葉(「いやあ、信じてはいないがね…」)を聞けば、こんな映画の中にもそれなりのメッセージが含まれていたように思われる。 まず科学の発達ということに関して、明治以後に近代文明が浸透していく過程では、一般庶民のレベルでも“科学的でない”との理由で俗信を軽侮する風潮が生じ、この映画の時点でもそのような態度が幅を利かせていたと想像される。これに対して通俗的知識や固定観念にとらわれず、まずは世界を虚心に見つめる態度が必要であり、それこそ真に科学的だ、というのがここでの主張と考えられる(もっともその具体例が怪獣出現というのでは少々寒い結果だが)。 また社会的な面から見れば、その時点の常識で迷信や悪習と思われても、我々と同じ知能を持つ人間が継承してきたからには必ず何かの意味があるはずである。確かに、かつての意義が失われて惰性的に継続しているだけのものもあるだろうが、それでもむやみに革新ばかりを言いたてて、何の考慮もなく全てを切り捨てるのが正義とはならないだろうということである。 宇宙ロケットを飛ばすような科学万能の時代でも、自然や人間に対してあくまで謙虚であるべきだという主張が、ここでの博士の言葉に凝縮されていたように思われる。そうすると、いかにショボい感じの怪獣映画でも、やはりそれなりの敬意をもって対しなければとの思いが個人的には持たれるのであった。  なおこの映画のヒロイン役は園田あゆみさんという人で、ふっくら系で可愛らしく見えなくもないので自分としては嫌いでない。劇中では新聞記者なので生意気な面もあったが、わずかながらにこやかに笑う場面もあったのが嬉しかったりする。もう少し若いうちなら普通に可愛らしかったかも知れないが(外部情報によると当時25歳)。
[DVD(邦画)] 5点(2015-05-16 16:00:04)
991.  空の大怪獣ラドン 《ネタバレ》 
まず背景設定はいい加減な感じである。この頃からすでに地球温暖化が問題になっていたというのは少し驚いたが、そのせいで異変が起こったわけでもなく核実験の影響とのことで、やはりどうしても怪獣映画は核の脅威と無縁でいられないらしい。 またドラマ部分も貧弱であり、前半こそ若い2人が互いの愛情を確かめ合う過程を描いていたが、後半は特撮に重点が移ってしまうために白川由美さんと東宝特撮初主演の佐原健二氏(若い)も存在感がなくなってしまう。ラストの一同の表情も取ってつけたような感じで、ここは若い2人が怪獣のつがいに同じ立場で同情を寄せた、という解釈ができればいいのだろうが、実際のところは兄弟だったのだろうからそうとも言えない。  ところでこの映画で個人的に最も注目するのは、何といっても昭和30年代初めの九州各地の景観である。まずは昔の本物の炭坑と炭住風景が興味深い。 また福岡市の場面では、怪獣は上から吊られているのが明らかだったりするが、ミニチュアセットの迫力の方は圧倒的である。風圧で瓦は飛ぶわ外壁が失われて骨組みまで飛んでいくわで大変細かい作り込みになっており、また戦車が砲撃する前面に電線が垂れているのが邪魔に見え、これが市街戦というものだと実感させられる。道路の植栽を戦車が半分踏みつけにしているのは痛々しく、また風で飛ばされた車両が「豊楽遊技場」(パチンコ店)に突っ込んで火災が発生し、隣接の「軽食 喫茶 筑紫」に延焼していくのは無残だった。特定の商標が出る場面も多く、森永ミルクキャラメルのネオンサインなら他にも例があるが、アサヒビールとか武田薬品工業とかは協賛をもらったのか。昔のカルピスの看板をわざわざ踏み倒して戦車が進んでいくのは何かの寓意だろうかと勘繰ってしまうがこれは単に受け狙いかも知れない。こういうのが見られた当時の福岡市民の皆さんは大喜びだったのではないかと思うと非常にうらやましい。 福岡のほかにも佐世保市内の実写風景が映ったりするので、当時を知る人がいれば懐かしいかも知れない。西海橋の場面では、バスガイドの誘導が適切なため観光客に被害がなかったのが幸いだった。変なところに感動してしまったが。
[DVD(邦画)] 7点(2015-05-16 16:00:00)
992.  近キョリ恋愛(2014) 《ネタバレ》 
原作は読んでいないので映画限りの感想である。 まずオープニング部分の「本気にすんなよ」の辺は普通に可笑しい。これに続けて基本的にはラブコメだろうと思って見ていると実際はあまり笑えないわけだが、お約束の胸キュン場面がわざとらしくちりばめてあるのでまだしもおおらかな気分で見ていられる。 しかし後半に入ると変に真面目なラブストーリーになってしまい、前半では雰囲気で見過ごしにしていたものが常識人として許せなくなる。受験前という大事な時期に、これまでヒロインが頑なに守っていた精神的安定をぶち壊して大混乱に陥れ、将来の夢さえ奪う形で自分のものにしようというのでは人間としての最低条件を満たしていない。ストーリー的にはやむを得ずこうなった経過を作り込んだようではあるが、そもそも大人の男として、また教員として当然に予見すべきことをしないでこうなったのだから言い訳にはならないだろう。さらに最後まで結婚にこだわっていたのはもう頭が変としか思えないが、ただしこれは「耳をすませば」(1995)の聖司君と同じ心境と思えば納得もいく。まるで中学生の役を30前の役者が演じているような映画だったということである。  一方で個別の登場人物に関していえば、主役の男には当然ながら全く関心がない。それはいいとして、ヒロイン役は注目されている女優というのはわかるが、この映画ではあまりに無表情なのが不気味に見えて、キャスティングとして本当にこれでよかったのか怪しい。劇中人物としても、いちいち細かい仕草で心理を表現するのが煩わしく、また妙な理屈をこねてコミュニケーションを拒絶し自分を守ろうとする態度は病的で痛々しいとさえ感じられた。ヒロイン/主演女優の魅力の面でも評価できなかったことは、個人的にはこの映画の致命的欠陥である。 劇中の女子で最も好印象だったのは、キャーキャー騒いでいた3人組(邪悪な勢力でない方)だった。陽気で後腐れのない感じのこの連中なら、その後に歳を取ってから再会した時などに普通に懐かしがってくれそうな気がする。
[DVD(邦画)] 1点(2015-05-06 01:28:40)(良:1票)
993.  ホットロード 《ネタバレ》 
原作者の年代が自分に近いので、このお話に理解を寄せる素地も絶対ないとはいえないはずだと思っていたが、しかしシリアスな少女マンガが原作となるとさすがに素直に共感できないのが少し悔しかったりする。今どき暴走族というのもどうかとは思うわけだが、そこは大して反感を覚えないようできている。 内容としては一応筋の通ったお話になっているが、やはり端折り気味だったり断片化しているところがある感じで、例えば親友の絵里は“主人公の親友になった人”というだけの扱いで存在感が半端である。しかし終盤で語られるナレーションでの総まとめを聞くと、親友を含めてこのストーリーで何が言いたかったのかは非常に明瞭になっており、原作段階でかなり良心的なものだったろうということは想像できる。 自分が見て印象に残ったのは、主人公よりもその母親がちょっと大変な感じの人物だったことである。他人に挑発されて初めて娘は自分のものと宣言したもののその時点ではまだ本能的な反応に過ぎず、終盤に至ってやっとそれなりの見解を示していたがまだ何となく他人事のようで、この先まだまだ母親としては心許ない気がする。しかしそれは再婚の夫が何とかサポートするのだろうし、みんな徐々に大人になっていくのだからまあ長い目で見ましょうということだろう。  ところで主演女優は、役者として中学生を演じているのはわかるが外見的には14~15歳には思われず、それなりの年齢の人間が他人の世話になっておいて礼のひとつも言えないように見えるのはつらいものがある。ほかの人物も、実年齢に近いのは自分の知る限り序盤の同級生(ユッコ)役くらいのもので、それ以外はほとんど設定年齢通りとは思われない。まあ映画とはそういうものだろうし、年齢が高いことでの安定感は確かにあるが、冒頭の「あの子たち」というのが誰のことかわからなくなっているのは困ったことである。 細かい描写で印象的だったのは、彼氏のいるGSに電話が来た場面で、この男が大事に思う相手ができた、ということをさりげなく映像に出していたことだった。また薬を口移しにする瞬間を風景映像に換えていたのは、今どきこんな奥ゆかしい表現が存在しうるとは思っていなかったので少し驚いた。主人公と彼氏は少しの間同居していたはずだが、その間に何もなかったということだろうから、この辺は古風な良心の現れと取れなくはない。
[DVD(邦画)] 5点(2015-05-06 01:28:35)
994.  はなればなれに(2012) 《ネタバレ》 
2012年の東京国際映画祭などに出品されたのは86分版であり、ほかに今年は100分版というのが劇場公開された(されている)とのことだが、自分が見たのはDVD収録の86分版だけである。映画のほかにノベライズ本があり、読むと少し細かい背景事情や登場人物の心理も記されているが、この映画ではなかったものとして扱うしかない。ちなみに同じ邦題のフランス映画は見たことがない。  そのような前提で思いついたことを適当に書くと、まず主演女優に関しては完全に騙されたという印象があった。この人が出るからには、ほんわかして心癒される笑顔が見られるはずだと思っていたらそれはラストの一瞬だけで、実際は仏頂面が大半だったのは全く意外だったが、まあ当方が勝手に思い込んでいただけのことで怒っても仕方ない。小型で軽快なウシ科動物(通俗表現でいうカモシカのような)を思わせるスタイルの良さだが、劇中ではその運動能力を使い余したような怠惰な雰囲気を出していた。 個別の場面としては、まずは海の見える屋上の絵画的な美しさが目立つ。また3人で腰かけていた火山島の岩場海岸は箱庭的な印象があり、個人的には「春の祭典」第1部背景画を思わせるものもあったが、あるいは皆で銭湯に出かけたようにも見えた(水鉄砲で襲撃されたのはそういう意味だろう)。ダンスやテニスの場面では、一人ひとりの即興的な動きが大きく発展しまた収束していく様子が、人間の理性で仕切れない世界の偶発性とか刹那性の表現に思えなくもなかった。 全体構成に関していえば、ばらばらだった3人がたまたま一定時間だけ居場所を共有し、またそれぞれの動きに返っていったということだろうが、それで以前と何がどう変わったのかはわからない。吸殻入れを常備することにしたとかいう変化はあったようだが、そもそも世界の出来事など全てが偶発的で因果関係を確定できるものでないとすれば、細かく詮索しても仕方ない気がする。 以上、特に映画愛好者でもない一般人の感想としてはこの程度である。正直よくわからない映画だった。  なお映画と関係ない話だが、ノベライズ本にある子どもの写真のエピソードは、人間という存在への根源的な敬意の念を呼び起こすものになっていて感動的だった。これを映像化しても意味不明になりそうな気はするが。
[DVD(邦画)] 5点(2015-05-06 01:28:29)
995.  誘拐(2009)〈TVM〉 《ネタバレ》 
文庫で厚さ2cmくらいの原作を2時間弱にまとめてあり、内容は薄くなっているが不自然なところはなく、ストーリー的な面白さもちゃんと再現されている。背景音楽は軽いがTVドラマなので仕方ない。 時代背景としては明らかに第1次安倍内閣の頃を想定しており、謎の辞任で退いたのも実在の首相に似ているが、人物像まで似せようとはしていない。また当然ながら劇中の友好条約も史実にはないが、原作によれば日本側が適当に譲歩して格好だけつける類のものではなく、過去の完全清算を前提としたものだったようで、これが成功すれば確かに画期的だったろうと思われる(その後にまたひっくり返されるかも知れないが)。  ストーリーに関しても原作をほとんど忠実に再現していると思われる。「金で買えないものはない」とかいう表現は簡単すぎないかとか、最後に明らかになる真相が意外性に欠けるとかいった苦情はないではないが、人情に縛られていてはまともな経営はできない、といった風潮への反発に関しては同感であり、原作者の思いは真直ぐに受け止めることができる。 登場人物としては、まずは何物にも代えられない大事な孫娘というのがちゃんとビジュアル化されており、これが政治家の信念を覆すことにも一定の説得力を付与していた。またドラマ独自の趣向として、捜査官役に二枚目俳優を起用したのは個人的にはどうでもいいことだが、主人公の娘を大きく扱っていたのは非常に印象的だった。劇中ではこの娘の存在が主人公の動機を大きく支える形になっており、これは少しドライな感じのする原作を感情面から補完したものになっている。劇中で最も泣かせるのがこの娘のエピソードであり、いわば切ない愛らしさを表現できている点で非常にいいキャスティングだった。 そのほか最大の特徴点はラストが原作と違っていたことである。ここで主人公がけじめをつけると言ったにもかかわらず、その意図がわからないまま終わっていたが、これがかえって最後に余韻を残す形になっていた。この後に彼がどうするのか、制作側が何を想定していたかはわからないが、自分であればこうするだろうという思いはある。
[DVD(邦画)] 6点(2015-05-06 01:28:23)
996.  郡上一揆 《ネタバレ》 
岐阜県のご当地映画であり、「行こまいか」「だちかんで」「あらけない」といった方言の使用が印象的かつ適度である。また美形の若手女優にお歯黒をさせるといったリアリティ重視の姿勢も見える。 お手軽な映画として作ろうとしたのなら、支配者は全て悪人、被支配者は全て善人にして対立構造を明確にするだろうが、この映画では被支配者の内部にまた身分差があり(「水呑は黙ってろ」という台詞もあった)、その上「立ちもん」「寝もん」の対立もあって全く一枚岩ではない。そのような史実を忠実に描写しようとする姿勢には非常に好感が持てる。 ちなみに検見取りの意味に関しては、役人の匙加減が利くという面もあるだろうが、それより終盤で町奉行が「切添田畑これあり…」と言っていたように、これまで農家が苦労して拡大してきた農地を新たに課税対象にすることへの反発が強かったと思われる。  ところで宣伝文句では「歴史は民が動かす」ことを強調していたが、しかし民衆にせよ支配層にせよ、その時々の経済社会動向を背景にしなければどんな動きも成功しないだろうと思われる。この映画の農民が歴史を動かしたというよりも、世の中の流れの先頭を切って動いたことで、それを契機に幕府も動いたというくらいの見方が妥当なのではないか。 それより個人的にこの映画から感じた最大のことは、どんな時代でもどんなところにも“義の心”を持った人がいるということだった。現代なら“義”などというと中高年からは毛嫌いまたは冷笑されるのだろうが、自分を犠牲にしても多くの人のために行動すること自体が否定されていいはずもない。当時の民衆運動では主導者が本当に生命を失う覚悟が必要だったのは現代と明らかに事情が違うのであり、地元でもこの人々を「義民」と表現していたようだが、自分としてもまずはそういった人々を顕彰する映画と捉えたい。 もっとも、主人公の可愛い奥さんの顔など見ていると、何もこの男がそこまでしなくてもという気になって、その立派な志を手放しで賞賛するのもつらくなるというのが正直なところである。  以上、世間ではあまり面白くない映画と取られているようだが、制作に協力した地元の人々への敬意も含め、自分としては最大限の好意的な評価をしておきたい。 なお余談として、劇中で何気にうちの地元の殿様(のご先祖)が出ていたが、特に悪役ではなかったようで幸いだった。
[DVD(邦画)] 8点(2015-05-05 00:09:19)
997.  村の写真集 《ネタバレ》 
個人的な事情から主人公の姉の登場を心待ちにしていたのだが、なかなか出ない。しかしその間、妹を見ていてなごんだので許すことにする。DVDのメイキング映像を見ると、姉役の女優に対する監督の特別な思い入れと、そこに突っ込む出演俳優のコメントが笑える。  それで本編に関しては、地域住民の描写にいいところが多い。まず主人公の妹が屈託なくて可愛い(ちょっと野性味がある)のだが、若いのに働き者らしく、家族の和に気を使いながら不平も言わず必要な仕事をこなしているのに感心する。近隣の人々とのつき合いも自然で、いわゆる地域の教育力のたまものではないかと思う。ぜひ看護師の仕事をがんばってほしい。 また主人公と喧嘩した青年は、心を世界に開いていながらも家を継がざるを得ず、黙々と家業に精を出していた。寡黙な男のようだが、こういうのが地域社会や農林業を支える力になるのである。 そのほか男ばかりで飲んでいたところへ現れた同級生女子が、暴力的な言動でその場の雰囲気をぶち壊したのは実際にありそうで笑った。それからほんの一瞬だったが、役場職員の奥さんが何ともいえず感じのいい人で、こういう家族はいいなと思った。  ところで主人公は当初、自分の原点はブレッソン(フランスの写真家らしい)と言っていたが、実際に原点となったのは自分の故郷だったわけで、その価値が世界に通用することは、押しかけ外国人や村在住の芸術家夫妻も普通に認めていたようだった。 彼がこれから世界での成功を目指すのは、まずは当然ながら自分のためだが、しかしそれだけでなく、心ならずも故郷に残った人々の思いも背負って、いわば成功してみせる責任が彼にはある。それが彼の原点となった故郷への恩返しだろうと思う。この映画には、故郷を離れた人間へのエールとともに、故郷のことを忘れないでくれという地元側の思いも感じられる。
[DVD(邦画)] 8点(2015-05-04 23:14:14)(良:1票)
998.  しあわせのかおり 《ネタバレ》 
調理の過程を丁寧に扱っているのがこの映画の大きな魅力なのだろうが、もともと食い物に関心がない人間のため、必ずしもそれがプラス評価には直結しない。また残念だったのが食事会の場面で、ここでは料理を食うために動員された人々が演技として美味そうな顔をしていただけのように見えるので、料理の価値そのものが怪しく思えて来る。  それより自分としては、全編を通じて主人公の表情に目を引かれる場面が多かった。この人は、一見しっかりしているようでも顔がどことなく病的で内面の脆弱さを感じさせるのだが、そのためにかえって毎日の定食や早朝の陽光、師匠の心遣いといった暖かいものの一つひとつが心に染みて、癒されていくのが目に見えていたように思われる。終盤の厨房の場面に至れば表情も毅然として動作に迷いが感じられなくなるが、一方で料理が上達する過程は必ずしも映像に出ていなかった気がするので、観客としては本当に大丈夫なのかと一応心配になる。しかし、それを見ている自分の位置が、弟子を見守る師匠の位置と同じと気づくことで、師匠が黙って見ているなら観客も安心していればいいのだと思わされる。追加注文の「トマト卵炒め」を作る場面では、何度見ても主人公の表情に泣かされてしまう。  ところで、最後に出る歌はいかにも唐突で選曲もわざとらしく、また中華料理店で英語というのもミスマッチという感じはするが、ただし文語調の「埴生の宿」より英語そのままの方がまだしも内容を素直に伝えているのは間違いない。劇中ではこの歌声が、良縁に恵まれた両家はもとより「自慢の娘」とその“父親”、さらには児童相談所の役人のところにも届いているのが映されていた。 映画の結末としては、厨房に置かれた右側の写真と主人公の父娘の写真が重なって、さらにその側に新しい肖像が加えられていくことが見通されているのだろう。そのようにして地味に確実に、家族のささやかなしあわせがつながっていくことを期待したくなる映画だった。料理というのは食文化の創造という面で社会的な意義を持ちうるのは当然だが、この映画での料理は何よりまず家族を結ぶもの、という意義づけがなされていたように思われる。
[DVD(邦画)] 8点(2015-05-04 23:14:00)
999.  おしん(2013) 《ネタバレ》 
谷村しん役の濱田ここねさん(ここねちゃん)は本物を見たことがある。「映画館で待ってます!」と書かれた名刺をもらったが、その時はただの子どもにしか見えなかった。 もとのTVシリーズはほとんど見ていなかった(朝ドラなど大の男が見るものではない!…暇はあったのだが)ので比較はできないが、映画は冒頭からいきなりシビアな感じの映像で始まり、続く家の中でも囲炉裏の火しか明かりがないようなのが明治のリアルを感じさせて気が引き締まる。また素人なので技術的なことはわからないが、映像面や背景音楽(エンディングテーマを除く)なども好印象に思えるところが多く、予告編の軽薄な感じは本編にはなかったように思われる。特に終盤で、外で雲が切れたらしく室内が早春の陽光で満たされる場面は、わざとらしいともいえるが印象的だった。 ただし登場人物のうち、父親役が子ども思いなのか粗暴なだけなのかがよくわからず、存在意義まで疑わしいのは難点に思われた。また終盤で提示されたテーマらしきものも、今どきこんな話で大丈夫なのかとは思うが、まあこれはこれで仕方ないのだろう。   ところで自分としては最近、泣ける映画はとりあえず警戒して初見時には評価を保留する一方で、登場人物が好きになれる映画についてはいきなり全面支持したりする傾向があるが、この映画はその両方に該当するので困る。もとのTVシリーズが内外で支持されたのは、まずは主人公が懸命に生きる姿が感動を呼んだということだろうが、その面では恐らく、この映画もまた旧作の価値の核心部分を確実に受け継いでいるのだろうと思われる。ただの子どもにしか見えなかった子役が、全編にわたってこれほど健気で誠実で一生懸命な姿に見えているのは、やはり本人の才能なり頑張りもあってのことに違いなく、他のことはどうであれ、とりあえずこの子限定でも見てよかったと思える映画になっていた。ここねさん(ちゃん)は南国の生まれなのに、雪の中で本当にお疲れさまでした。大変でしたね。
[映画館(邦画)] 8点(2015-05-04 23:13:55)
1000.  大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス 《ネタバレ》 
公開当時は見ていないが、物心ついた時にはすでにギャオスというものが世の中に確固として存在していた記憶があり、自分としては昭和を代表する悪役怪獣のように思っていた。昔は解剖図の胃の中に人型のものが描かれているだけで恐ろしかったが、実際に映画を見たのは学祭の自主上映(バルゴンと二本立て)が最初だったので、ギャオスが人を食う場面を子どもが怖がるかわからないのは残念である。外見的には鋭角的な姿が超自然的にも感じられ、平成ガメラに出るグロい生き物よりかえって怪獣らしい怪獣に思われる。 映画の内容としては、まず導入部として大規模な火山活動を想定し、その上で怪獣の出現という異常事態に導いていたのはオーソドックスな構成に思える。大がかりな都市破壊場面は少ないが、富士五湖近く?の自然景観を背景にした工事現場の風景にはそれなりの現実感と最前線の緊張感があった。前作に続いてガメラが最後に敵の首筋に噛みつくのは生物同士の死闘の雰囲気を出している。 一方ドラマ部分では、子ども向け映画でありながら用地買収のゴネ得など世間の実態そのままなのは苦笑するしかないが、「高速道路ができれば便利になる」「土地を捨てる人たちの気持ち」という複合的な住民感情にも一応配慮していたのは真面目に思えた。  ところで前2作と比較すると、ガメラが本格的に子どもの味方になったのはこの回からのようである。象徴的だったのはガメラが明らかな意図をもって少年を救う場面であり、これはそのように意識して見れば感動的だった。今回はこの少年が中心人物になって要所で大人の対策に助言(放言)し、最後はガメラの力も借りて事態を終息に導いていた。また前作に続いて欲深い大人の姿も描かれているが、この映画では少年の素直な心が大人を改心させることで、怪獣と大人の醜い心の両方を子どもが退治する形になっており、これはよくできたお話である。そのほか少年がふと目覚めると、周囲に誰もいなかったときの不安感を表現していたのは秀逸だった。 ただし、この少年がわがままで生意気でやかましく可愛気がないのは何とかしてくれと言いたい。これは昭和ガメラの子ども向け路線で生じる弊害だが、特に今回は少年が甘ったれなくせに小賢しいのが気に障る。  そういうことで絶賛するわけにもいかないのだが、昭和怪獣特撮としては結構な良作であり、個人的にも思い入れの強い映画である。
[DVD(邦画)] 7点(2015-05-04 21:52:49)
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