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プロフィール
コメント数 3957
性別 男性
年齢 53歳

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【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  美女と野獣(1991) 《ネタバレ》 
ディズニーアニメの復活を象徴づける一本で、実写映画に交じってアカデミー作品賞にもノミネートされ、毎年のように「ディズニー新作」が良くも悪くも話題となる時代でした。が、今、振り返ると、この後にはCGアニメの時代の到来があり、「ディズニー手描きアニメ大作時代末期の一本」、という印象もあります(この頃の一連の作品、2000年代に入ってもディズニープリンセスの括りで女の子には人気を保っていたけど、男の子の興味は早々にCGアニメの方に向かっていたような・・・)。 いずれにしても、この頃のディズニーとしては、社運を賭けるような想いで新作を作ってたんだろうなあ、と。 手描きとは言え、CGの援用が目を引きます。ただ単にCG描写を混ぜ込むと、そのメカニックな動きが浮いてしまったりしかねないのですが、そこは、実写人物をトレースした『白雪姫』以来の立体的な動きに事欠かないディズニーアニメの伝統、手描き部分にもCGに負けない立体感があって、両者がそれなりにうまく溶け込んでいるように思います(いや、違和感ゼロとまでは言わんけどさ)。 まずは作品開始早々の、登場人物の紹介を兼ねたような一連のシーケンス。画面上ではあらゆるものが動き、そこに、ヒロインとガストン君との重唱、さらには合唱がオペラ的に被さる。映像と音楽が織りなす、見事なアンサンブル。もう、このシーンだけでお腹いっぱい。 オペラ的と言えば、ガストン君の吹き替え版の声はオペラ歌手の方がやってて(オリジナルの声も?)、えらく迫力ありますが、ガストン君、やっぱり最後は死んじゃったんですかね。あんなに張り切って朗々と歌ってたのに、可哀想ですねえ(笑)。しかしまたそこがオペラっぽいところでして。 子供も見るアニメなので、ガストン君の死体は見せたくない。けれど死んだことは何らかの形で暗示したい。ということで、落下するガストン君の目に一瞬、ドクロマークが浮かぶのですが、私の乏しい動体視力では「あれ、今の何?」という程度にしか見えず、再生を一時停止するという反則行為に及んでようやく視認可能。こういうサブリミナルっぽい演出って、大丈夫なんですかねえ。サブリミナル効果、否定肯定含めて諸説あり。
[地上波(吹替)] 7点(2024-11-16 06:12:46)
2.  ライブ・ワイヤー 《ネタバレ》 
おそらくはご予算控えめの作品、尺も1時間半に満たない小品ですが、これが意外に面白いのです。 爆弾テロに立ち向かう捜査官をボンド役就任前のピアース・ブロスナンが演じていて、やや線が細い印象。男前ではあっても、特徴が薄い・・・と思いきや、大胆なようでいてホントは弱い男を、好演。これは、彼の功績というより、短い尺の中で省略するところは省略しつつ、主人公像を端的に描いてみせた脚本と演出の上手さ(割り切り、と言ってもよいかもしれないけれど)にあるのでは。時に軽いノリを見せたりしつつも、過去の個人的な事件が彼の人生に暗い影を落としていること、それゆえ、妻との関係も破綻しつつあることが、最短の一筆書きで、しかししっかりと、描かれます。 爆弾事件が題材なもんで、爆破シーンは再三盛り込まれますが、こういう安いアクション映画の中盤を支えるであろうカーチェイスや銃撃戦といった要素が無く、スペクタクルも散発的になりがち。その意味では、物語のスピード感にはやや欠けるかもしれません。しかし爆破シーンにおけるスタントマンの活用などは間違いなく、見どころ。一部、どう見ても人形、なシーンもありますが、まあ、そこは、安全第一、ということで。爆薬も無いのになぜか発生する爆破事件の謎。とある液体を飲まされることでに人間が爆弾と化す、という突飛なアイデアもナイスですが、爆発前に目が充血して真っ赤になっていく、などという描写も緊迫感を煽り、陳腐なカウントダウンより余程、面白いじゃないですか。 中盤に無かった銃撃戦も、クライマックスではしっかり展開され、その辺りはサービス満点。 ねちっこい濡れ場なんかもあったりしますが、これはサービスと言ってよいのかどうか、どうなんでしょうね、ちょっと何とも言えず。。。 映画の中では他にも色々工夫が凝らされていて、例えば、脅す者と脅される者が電話で会話している場面、片や窓の外は暗く、雨が降りしきっている。もう一方は、明るい昼間、なんですが、会話の終わりに開いた窓から強風は吹き込んできて、やがて雨となってきます。こういうのを見てると、脅迫者の影が忍び寄ってきたような凶兆を感じさせたりもするのですが、そういうメタファー的な捉え方に限定されることなく、単に「脅迫者は外国にいるのかと思ったけど、案外、近くにアジトがあるんじゃないか」という現実的な予感も、感じさせます。 あるいは、向かい合う二人の男の後ろに、それぞれ鏡があるシーン。鏡自体も向かいあっているので、彼らの無数の姿がそこに映っている。カメラはそのうち一方の人物の斜め後ろからその姿を捉えていて、カメラマンの姿は鏡に映ってないんですが、角度からすると、そりゃそうかな、と。ただ、気になるのは、鏡に映る二人の登場人物を見ていると、鏡は彼らのすぐ後ろにあるらしい。とすると、あれ、カメラを設置するスペースが無いのでは・・・? とか考えると、なんだか楽しくなってくるではないですか。 クライマックスでは主人公が爆弾処理の達人らしく、迫りくる敵に対し、さまざまなトラップを仕掛けて、ちょっと『F/X 引き裂かれたトリック』などを思いこしたり。こういう場面でも、「何をやってるのか」という質問に対し、ただ「保険に入ってるのか?」と返すのが、シャレていて。説明はしないけど、少なくともロクはことは、いたしません、ってな感じ。 はたまた、『真夜中の処刑ゲーム』みたいに即席の武器を作ろうとする主人公。天井からパイプをひっぺがすと、そこから裏金の札束がこぼれてくる。憎き男と今は共闘しているけど、そうそう、コイツ嫌なヤツだったんだよな、と再確認させてくれる、演出の妙。 すべてのエピソードにケリをつけ、過去の不幸から主人公が立ち直るであろうことが示唆されるラスト。それをあくまで軽いノリでやっちゃう小気味よさ、いや、まいりました。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-10-14 10:00:59)
3.  マーキュリー・ライジング 《ネタバレ》 
『ペット・セメタリー(1989年)』では、えらく小さい子にえらくエゲツない役を演じさせてて、ホントに大丈夫かよ、と思ったのですが、この『マーキュリー・ライジング』を見る限り、その後も立派に活躍されているようで。ただし、今、何をやってるのかは知りませんけどね。 一方、ブルース・ウィリスはというと、これはもうテレビシリーズの『こちらブルームーン探偵社』のヒトであって、だからアクションと全くの無縁ではないとは言え、やっぱりアクション・ヒーローとは異なるタイプ。だからこそ『ダイ・ハード』のマクレーン役にもピッタリだったタイプ。なのに、ダイ・ハードのシリーズ化とともに、アクション俳優としてもてはやされてしまい、ホントに大丈夫かよ、と思ってたら案の定、1990年代は迷走気味。次々にアクション映画で主演をこなすも、これぞというものがなく、シリーズ化すりゃいいってもんじゃないとは言え、結局、「ブルース・ウィリス単独主演」と言える映画でダイ・ハード以外にシリーズ化されるほどの広い人気を得たものは、見当たらず。で、今の彼はというと、皆さんご存知の通りで。唯一無二の映画人生を歩んでこられた、とは思います。 で、この『マーキュリー・ライジング』も、迷走していた90年代の主演作の中に埋もれた一本、ということになり、唯一目立つ点があるとすれば、ラジー賞を獲っちゃった、という程度ですが、いくら何でも『アルマゲドン』とセットでの受賞、って、そりゃ無いんでは。 役どころは、自閉症の少年を守るFBI捜査官。少年はその特異な能力ゆえ、命を狙われ、彼の両親を殺害されてしまっている。自らの孤独な身の上を少年が認識しているのかどうかわからないのがまた、哀れを誘います。 が、主人公が少年を守ろうとする理由はそれだけではなく、彼自身、かつて潜入捜査官だったときに、犯人グループにいた少年がFBIに射殺されるのを防げなかった過去があって。単なる同情ではなく、善悪すらも関係なく、ただ、今度こそ目の前の少年を守らなければいけない、という意志。 自閉症という少年のそのキャラクターゆえ、通常の意味で二人の間のコミュニケーションは成立せず、そこに、主人公の不器用さ、みたいなものが浮かび上がってきます。アクション映画と言ってもアクションシーンはやや控えめ。むしろ、次に何をするかわからない少年の言動が、アクションシーン以上に、物語に起伏を与える原動力となっています。 描かれるのはもちろん主人公と少年だけではなく、たまたまカフェで知り合った女性を物語に絡ませるのも、いいですね。「いや、この女性も敵の一味だったりしないか?」などという疑問を我々が持って意識が逸れてしまわないよう、彼女の独り言を挿入して、善意の第三者であることが映画の中で確認されます。そもそも一般市民である彼女が、どこまでこの困難な事態に対しに協力してくれるのか、ということ自体が、充分なサスペンスを孕んでいる訳で。実際、彼女の物語への絡みは、深入りし過ぎず、しかし充分なインパクトを残します。 さらには、主人公には数少ないながらも協力者がいたりするのですが、それはFBI内部だけではなく敵方の組織の人間でもあったりして、これらの人物の妻なりガールフレンドなり、といった人たちも登場します。これらの人たちの存在は、物語の中では決して大きなものではないとはいえ、この作品の幅を広げるのに何と貢献していることか。 ラストシーンは、ちょっと甘いとは言え、ホッとさせるものがあります。 充実した映画、だと思うのですが、どうでしょうか。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2024-09-15 06:56:53)
4.  プリティ・リーグ 《ネタバレ》 
かつて存在した女性選手によるプロ野球リーグのオハナシ。ですが、登場人物のモデルとなった実在の人物が映画の中で紹介される訳でもなく、基本はフィクション、ということなんでしょう。そういう割り切りは、それはそれで潔く、ヘンな「実話縛り」も無くって、悪くないと思います。 ただ、コメディタッチとは言え、何とかギャグを盛り込もうと、ちょっと悪ノリが過ぎるような気もしつつ。 野球の腕前よりも、「女性らしさ」みたいなものが優先されてしまう理不尽、しかし最後のワールドシリーズでは息詰まるような熱戦でもって観客を魅了してみせる。無論、彼女たちは大きな制約の中でこの女性リーグをやっているんですが、映画は、その矛盾をこそ描けど、野球自体の描き方としては、充分だったかどうか。観客を熱狂させるにはそれだけの「陰の努力」もあったはず、だけど、必死のトレーニングが描かれるでもなし、これじゃ本人たちもまるでお遊びでやってるみたいで、イマイチ重みが無い。 トレーニングの描写の代わりなのか何なのか、主人公の顔はいつも、土ぼこりで汚れている。野球の場面だけではなく、牛の世話をしている時も。こうも汚れてばかりだと、演出として工夫が無い気もしてきます。 トム・ハンクス「以外の」男性の脇役陣は、なかなかいい味出してますね。あのちょっとヤな感じのスカウトマンとか。主人公たちが汽車に飛び乗るシーン、なんてのが結構、印象的な見せ場になってます。かつてどうしようもなかったクソガキが、面影を残しつつも立派なオジサンになってて、過ぎ去った年月を感じさせる、などというのもちょっと心憎い。 悪ノリが過ぎるような、とは言っても、その全部がハズしてる訳では、ないんです。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2024-09-08 07:53:31)
5.  硝子の塔 《ネタバレ》 
「屋根裏の散歩者」を現代に置き換えると、もはや屋根裏を散歩するまでもなく、高層建築自体がスケスケの“ガラスの塔”となってしまう。というオハナシ。 そのビルでは、シャロン・ストーン演じる主人公が引越してくる前に、彼女によく似た女性が謎の死を遂げている。さらにその後も続く怪死事件。 では犯人は誰なのか、事件の裏には何があるのか、普通であればそういう展開になるのだけど、この作品では、「覗く・覗かれる」のヘンタイ的な描写が続き、どちらが物語の中心なのか、この物語において殺人事件はどの程度重要な要素なのか(あるいは単なる見せ球で、実はどうでもよいのか?)すらも、わからなくなってくる。こりゃ、一段上のナゾ、です。 思えば江戸川乱歩だって、ナゾとその解明が主でヘンタイ描写が従なのか、それともヘンタイ描写を描きたいがためにしょうがなくナゾと解明を付け足しているのか、よくわからん場合があって。いや、トボけちゃいけませんね、後者に決まってます。 いやいや、そうじゃなくて、両者は不可分。どちらも必要、どちらもあってこそ、両者が深め合う。 主人公の前に現れる二人の男。片やトム・ベレンジャー、片やウィリアム・ボールドウィン。どちらもそれぞれ異なるタイプのヘンタイなので、またまた怪しさ満点。さて、物語はどういう展開を見せるか。 望遠鏡での覗きから始まって、誰しも、なーんか「覗き」ということに興味深々、なんだけど、やっぱりそれはグロテスクな事なのよ、ということ。無数に並ぶ盗撮モニターの異様さ。クライマックスにおけるモニターの破壊が、そのグロテスクさを戯画化していて、いやはや、ヘンタイ道もここに極まれり。もしも乱歩が生きててこの映画を見てたら、結構、気に入ってもらえたんじゃなかろうか。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-08-25 18:40:02)
6.  アリゲーター2
『アリゲーター』の続編、と言っても内容的には全く関係が無く、共通点と言えばせいぜい、「下水道に巨大ワニがいる」という程度ですが、どこの下水道だってワニの一匹や二匹はいるでしょうから、ねえ(?)。 もはや90年代、続編作るのが遅すぎ。何なら、第1作から遡って、70年代には作っとかなきゃいけない。それが動物パニック映画。 まあ、時代なのか、予算の関係なのか、大したパニックは起きない、この第2作ではありますが・・・。 主人公の刑事は、オールバック風の髪型が渋すぎる、あまりヒーロー然としていないオッサン。その妻が、よくわからんがなんかの研究者らしい(笑)。それにしても、アメリカ人はいつになったら実験器具の正しい使い方を覚えるのやら。「映画に出てくるリービッヒ冷却器は必ず間違った使い方をされている説」というのを強く唱えたいです、ハイ。それはともかく、この妻の役を演じているのが、ディー・ウォレス。『E.T.』のおっ母さん、『クジョー』のおっ母さんですね。あと忘れちゃいけない『ハウリング』。ほれみろ、『アリゲーター』1作目の直後あたりが彼女の全盛期だったではないか。 それはともかく、誰も期待していないこの第2作。製作費なんかどこにもありません、と言わんばかりにワニは大して活躍せず、それならそれで、ワニを探しての下水道探検、とか、闇に潜むワニとの攻防戦、とか、なーんかもうちょっと描けなかったものかと。 一番困っちゃうのが、下水道がいつも闇に閉ざされている、いわば「安定の暗さ」であるのに対して、地上シーンは昼だったり夜だったりする訳で、この辺りの時間感覚がよくわからない点。え、いつのまに昼になってたんだ?とか思っちゃう時点で、気が削がれます。。。 しかし、ですね。 CG技術の登場が、動物パニック映画というジャンルをダメにした、とつくづく思う昨今。いやそれ以前からそのジャンルは廃れてたでしょ、というのはわかってるんだけど、それでもやはり、激安CGによって間違った形でジャンルが復活してしまったことを恨めしく思う昨今。こういう「CG前夜」の、ちゃんと生きた本物のワニで撮影してくれているのは、ありがたいもんです。もちろんハリボテのワニも出てきますが、いずれにせよこうやって、ちゃんと質感があり、実在感がある。だもんで、それなりに雰囲気がある。 ところで映画中盤にプロレスのシーンがありますが、レスラーの一人として登場しているのがチャボ・ゲレロ。見事にコーナートップからのムーンサルトアタックを決めてみせます。だからどう、ってことも無いんですけどね。ま、雰囲気が、あります。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-07-21 07:26:03)
7.  プロゴルファー織部金次郎5 愛しのロストボール 《ネタバレ》 
いきなりネガティブな話をして申し訳ないのですが、このシリーズ、いつが止め時だったんですかね。もはや手遅れ感。 勝てない主人公がそれでもゴルフを続ける理由、みたいなのがこのシリーズのキモだったはずなんですが、気が付いたら主人公は「世界レベルのバンカーの達人」みたいなスゴい人になっちゃってて、ついでに武田鉄矢もだんだん自信満々の顔つきになってきてて、なんだかゴルフも映画シリーズも惰性で続けているみたいな。 前作が「ロッキー3」路線だったので、今回は「ロッキー4」のごとく、いよいよ世界に目を向ける、ってことなのか、個人的には「ロッキーVI(86年フィンランド)」版の織部金次郎を見てみたい気もするけどそれはともかく、舞台は海外へ。 ロケのついでにゴルフ三昧してるんじゃなかろうか、いや、ゴルフ三昧のついでにロケ撮影をちょこっとやってるんじゃないか、という疑いを持ちつつ、しかし、海外を舞台にするとなった時に、安直にハワイロケとかにしないで、東南アジアを舞台に選んでいるあたりは、ユニークな作品であろうとする矜持を感じさせます。バブルが崩壊した日本とは裏腹に存在感を伸ばしつつある90年代の東南アジア。 で、主人公と、財前直美演じる桜子との関係においても、この東南アジアをキーワードにした大事件が発生するのですが、これがもう、大事件過ぎて、唖然としてしまう。なんと彼女は、某国のお偉いさんに求婚され、彼の第四夫人として海を渡ってしまうというんだから、穏やかじゃない。というか、このシリーズにおいて、そんなのアリなんでしょうか。。。 で、最初の疑問「シリーズの止め時」についてですが、妊婦姿の財前直美がラストで、お腹から偽装の枕を取り出して「もうこんなの、や~めた」みたいになるのが、「もうこのシリーズ、や~めた」という風にも聞こえて、まあ、この作品でシリーズ打ち止め、ということで良かった気もしてきます。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-07-20 09:03:56)
8.  スーパーマリオ/魔界帝国の女神
どうせ何やったって文句言われるんだから、いっそメチャクチャやっちゃえ、という「この考え方」は、(比較的)正しいと思うんですが、どうでしょうか。 さんざん待たされた挙句、ついに主人公のオッサン2人がマリオ&ルイージのコスプレで登場した瞬間の、高揚感! もう、この瞬間に尽きるのでは。こんなのどこがスーパーマリオの映画だよ、と思っていた人も、この瞬間だけは「これはスーパーマリオの映画である」と認めざるを得ない、そう、まさにこの大事な大事な一瞬。 もし最初からこの格好で登場していたら、この高揚感は生まれない。映画の最初から、いかにもマリオの映画です、というノリだったとしたら、この高揚感は生まれない。 すみません、私、ゲームの方をやったことがないので、こういう無責任な事が言えるのもそのせいだ、とは思うんですが・・・。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-07-20 06:25:23)
9.  プロゴルファー織部金次郎4 シャンク シャンク シャンク
さて、前作あたりでだいぶバカっぽい風味が出てきていい感じになってきたのですが、この第4作でとうとう、本物のバカ映画になってしまい、そろそろシリーズも終わりが近そうな。これはこれでいいんですけどね、ただやっぱり、マンネリの良さと、マンネリを打ち破ろうとする意気込みとの、バランスの難しさ。 これまで冴えなかった主人公が、ついにトッププロにまで上り詰めて自分を見失う、という『ロッキー3』、とは違って成績が相変わらずの主人公ではありますが、こちらはCMに担ぎ出されて自分を見失う、という、いわば同工異曲。チャンピオンなら負けて落ち込むところだけど、常勝ならぬ常敗オリキンは負けたくらいでは落ち込み度合いが足りないもんで、彼には、もっとヒドく、もっとアホらしい設定が待ち受けている。いやはや、あまりにもあんまりな、欠陥ゴルフクラブ。いくらなんでもあんまりです。「バカバカしい」から「バカ」への垣根を、一歩越えてしまった・・・。 前作まで設定上ほぼ活かせていなかった主人公の娘2人にも、急にスポットを当ててみたりして、色々と工夫はしてるんですけどねー。工夫というのも、悪くするとネタ切れ感を感じさせたりもして。 「川」が出てくると、そこにはタイミングを見計らったかのように(いや当然見計らってるんでしょうが)船が現れる。そういった辺りは、こだわりも感じさせつつ。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-07-14 05:41:08)
10.  プロゴルファー織部金次郎3 飛べバーディー
オリキンシリーズ第3作。ナンセンス指数がいい感じに上がってきていて、いわゆる「ツッコミどころの多い作品」ってことになるんだと思いますが、それこそが作品の大胆さでもあり、楽しさでもある訳で。 仲間の下町連中がただオリキンを応援するばかりではなくって、例のゴルフ練習場がブラック企業と化し(金の無心ばかりするオリキンもブラック社員だけど)、アホらしくも危険極まりない仕事に追い込まれたオリキン、トーナメント前の大事な体であるにも関わらず転落事故を起こし、持病の腰痛を再発してしまう。メチャクチャな展開ですが、この腰痛エピソードはさらに複数のエピソードへの導入として最大限に活用されている(あと、ベーヤンの特別出演への導入にも)ので、文句を言ってはいけません。いや、文句は言ってもいいけど怒っちゃいけません。 転戦を繰り返すプロゴルファー映画らしく、冒頭から旅の情緒を感じさせます。通りかかった花嫁行列に笑顔を送る主人公、「結婚」という作品のサブテーマをここで暗示しているのかどうか。主人公が飛び乗ったバスの中で、若い女性プロゴルファーとの出会いがある。けれどこの二人はさすがに年が離れ過ぎで、恋愛には発展せず、父と娘みたいな関係ですかね。何となく武田鉄矢がエロそうに見えてしまい、何となく彼女を狙っているように見えてしまうのは、これはもうしょうがない。そういや1作目以来、「主人公の娘」というのが約2名、ストーリー上ほぼ活用されないまま登場し続けているけれど、あれ、何とかしてあげられないものなんでしょうか。 で、主人公が知り合ったこの女性プロゴルファー、の物語が、初勝利を目指す主人公の物語に絡めて描かれる。彼女の役を演じるのが新人の女優さん。この演技が正直、イタイ。きっと初々しさみたいなものを監督が求めすぎた結果、こんなコトになっちゃったんじゃないか、と想像しまてしまう。いったい監督は誰なんだよ、出てこい!と思ったら、そういや2作目からは武田鉄矢本人が監督してたんでしたっけ。とにかく、せっかく彼女もしっかり映画の中でゴルフの腕前を披露してくれたりしてるのに、演技指導にかなり難あり。。。 それを除けば、結構、楽しめます。財前直見は髪切りましたかね、性格も変わりましたかね。だいぶ暴走モード。オカマ枠は平田満からコロッケにバトンタッチし、オカマ演技をしていると時々、トシちゃんのモノマネをしているように見えてきたりもしつつ。というわけで、バカバカしい笑いあり、旅先の情緒あり。ラストのローカル線の駅なんかもいいですね、できればもうちょっと周囲の光景をカメラに入れてもらえたら、なお良し。  あと、同年の某作品と同じく、気になった点としては・・・まさか加山雄三、この程度の出演の仕方で、ギャラ受け取ったりしてないだろうな!ということですかね(友情出演、ってんだから、ノーギャラかな)
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-07-13 09:53:19)
11.  プロゴルファー織部金次郎2 パーでいいんだ
主人公のオリキンこと織部金次郎、前作でプロゴルファーとしての生き様を取り戻すも、年齢からくる肉体の衰えに加え、腰痛を発症して思うように体が動かせず、また引退を考えるようになる。そこに、川谷拓三演じる初老のゴルファーが、長年の夢である初勝利を目指し、オリキンに弟子入りするサイドストーリーが絡みます。 って、いや、これは大変な事態ではないでしょうか。なにしろ、日清「どん兵衛」が、マルちゃん「赤いきつねと緑のたぬき」に弟子入りして軍門に下る訳ですから。いや、カップうどんについては東洋水産の方が歴史が長いので、これでいいんだっけ。 とかいうCMの話はどうでもよくって。 今作のオリキンは、劇中で何度か声を荒げるシーンもあり、感情の起伏が表に現れるようになってきました。1作目はやっぱり、異様だったと思います。狙いとしては「スポーツ人情喜劇」とでもいったところなんだろうけれど、ようやくコメディらしくなってきたな、と。喜怒哀楽があってこそ、喜劇も活きるというもの。 浅草が舞台ということで、1作目でも浅草近辺の光景を取り入れて下町風情のようなものを出していましたが、2作目でもそれは健在。さらに種子島にも舞台を移して、「ゴルフ」と「海」なんて一見関係無さそうだけど、しっかり融合させてみせる。 タイトルでは「パーでいいんだ」とか言ってますけど、パーでは勝てない訳で、人生ときには冒険が必要、攻めの姿勢が必要。好きならば、それができるし、やらなきゃいけないし、やってダメだったらそれもまた良し。ってなところですかね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-07-07 09:09:05)
12.  プロゴルファー織部金次郎 《ネタバレ》 
あの素晴らしかった刑事物語シリーズがなぜ、たった5作で終了し、なぜこんなよくわからないゴルファー映画のシリーズを始めてしまったのか。 と世の中の誰もが思っていたのなら、そもそも刑事物語が打ち切りになることも無い訳で、ま、そうは思われてなかった、ってことですね。 新シリーズ開始ということで(最初からシリーズ化が決定していたのかどうかは知らんけど)、この織部金次郎なる人物像を紐解きつつ、彼と周囲の人々との関係を描いていけば、これといって大きな事件など無くとも充分に映画になるんじゃないかと思うのですが(そもそも、人と人との出会い、というものが映画における「事件」なのだろうけれど)、意外に物語が「伸びない」という印象。 これは、この主人公が、縮こまった人物、として描かれていることとも関係しているのかも知れませぬ。あるいは武田鉄矢自身が縮こまってしまっているのか?  そういう、縮こまってしまったヒトの、再生の物語。プロゴルファーって言っても、それはあくまでプロ資格を持ってるというだけで、トーナメント出場だけでメシを食っていけるのはそのごく一部だけ、とはよく聞きますが、なるほど、大会に出るだけでは金は稼げないし、稼げない中では大会に出るだけでも負担が大きく大変、ってことですね。そんな生活してりゃ、家庭もギクシャクしてしまい。 その彼の、再生の過程、というのがもう一つピンと来ません。アマチュアにバカにされつつも勝っちゃったりするのは、実はスゴイ実力の持ち主、スーパーショットの持ち主、ということなんでしょうけれど、そうなるとなぜこれまで一勝もできなかったのかが、よくわからなくなってくる。あるいは、そんなヒトでも勝てないくらい厳しい世界と言うのなら、その中でどうやって彼の再生を、描くのか。 彼の娘、ってのも登場しますが、一瞬だけ。エピソードとしては弱いし。周囲に後押しされての再チャレンジ、ではますます弱い。 結局のところこれは、「この中で一番、笑顔がステキな大人って、だ~れ?」ってヤツなんですかね。チコちゃんじゃないけど(いや、チコちゃんだな)。ヒロインたる財前直見の笑顔よりも何よりも、あの大滝秀治の笑顔が、主人公を導く。この笑顔こそが、主人公のパワーの源泉。主人公の再生ってヤツ、きっかけは何でもよくって、要は、再生を成し遂げるためには大滝秀治の笑顔が必要である、ということ。 これは、説得力ある! なにせこの無類の笑顔。もはや妖怪(笑)。 プラス、武田鉄矢のあの(阿部寛が並ぶことによりさらに強調される)短躯から発せられる、あの少しはにかんだような、少し寂しそうな、笑顔。 このシリーズやってた頃だったか、武田鉄矢が何かのテレビ番組で、プロゴルファーの打つ球は気迫が違う、みたいな事を言ってた記憶がありますが、この作品でも、その「球の気迫」を伝えんとばかり、カメラが飛球の行方を追いかけます。武田鉄矢自身も、プロゴルファーの名を映画で汚さぬよう、見事なフォーム(かどうか、すみません私にはよくわからんのですが、多分)を披露し、カップインを決めてみせる。 その辺りは、さすが、妥協ナシ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-07-07 05:54:29)
13.  ザ・エージェント 《ネタバレ》 
広告代理店に勤めているかつての知り合いに久しぶりに会うと、下世話な私などはつい「芸能人にもしょっちゅう会うんでしょ」などと訊いてしまうのですが、すると若干困ったような(困ったヤツだというような)表情で、「そりゃまあ、タレントさんって、自分達にとっての“商品”だからね」という返事が返ってきて、“商品”という言い回しに一瞬ギクリとはするけれど、しかし何だか妙に納得してたりも。実際は、ある人たちの「才能」が商品なのであって、しかし「才能」は人物と不可分なので、すなわち人物ごと「商品」として扱われることになる。スポーツ選手ならその人のスポーツの才能が提供されるだろうし、音楽家なら音楽の才能、芸能人なら、ある一定時間、ある空間を盛り上げる才能が提供されるかもしれない。その才能には値段がつき、そこには無形有形の一大産業が生まれる。才能の提供者にあまりにスポットが当たるが故に、目に見えていることが全てだという大きな勘違いを消費者にしばしば与えてしまうけれど、当然ながら、実際には表舞台以外の大勢の人々が産業を動かしているのだし、またこれもいたって当然のことだけれど、表舞台で提供されるパフォーマンスは、その提供者の持つ商品としての「才能」であって、そのパフォーマンスが提供者の実像そのものではない、ということ。私生活だって、あるんです。 で、まあ、この映画では、スポーツ業界において自身のスポーツの才能を商品として提供するスポーツ選手―――の代理人、といういわば裏方さんの姿が描かれます。で、これを演じるのがトム・クルーズ。手振り身振り全開のオーバーアクトで、まったく「裏方」感ナシ。ははは。あ、これがトム・クルーズの実像と思っちゃ、いけないんだっけ・・・。 で、その相手役がレネー・ゼルウィガー。トム・クルーズに負けじと、こちらも大袈裟な表情でもって、それを迎え撃つ。この演技の応酬。誰も止めなくていいのか。いや、いいんです。いろいろウソ臭く見えちゃいますが、これも映画の華。 レネー・ゼルウィガー演じるヒロインがシングルマザーで、息子はまだ幼い上に喘息の症状があったりもして、大変そう。だけどこの息子というのがいかにも人懐っこくって、いい味出していて。トム・クルーズの腕にぶら下がってクルクル回って、こんなことされちゃったら、いくらあのトム・クルーズでも、だんだんパパの顔にもなろうというもの。 会社をクビになったおっちょこちょいのトム・クルーズ、彼がいなくなっても会社は何も変わらずこれまで通りの業務が続けられ、ただ、こちらもおっちょこちょいのレネー・ゼルウィガーだけが一緒になって道を踏み外し、トム・クルーズと新たな活動を開始する。例の息子のお陰なのか何なのか、二人の間も接近して行き。 この映画、主役二人の演技が大袈裟な分、バランスを取ろうというのか演出の上では淡泊なところもあって、劇伴の音楽は(実際に劇中で音楽が流れるシーン以外は)控えめ。二人が接近した挙句、トム・クルーズがついにプロポーズするシーンなどですら、安直に音楽で盛り上げたりはしません。 裏方が中心の物語とは言え、表舞台に立つ選手たちにも、いろいろな立場、いろいろな私生活がある訳で、ゼロからの再出発となった主人公のように、自身も這い上がろうとするアメフト選手(キューバ・グッディング・ジュニア)の物語がそこに絡んできたりもする。裏でも表でも、それぞれが成功を夢見つつ、大事な私生活も抱えていて。 トム・クルーズとレネー・ゼルウィガーが互いに視線を交わし、なにせこの二人なのでそれがいかにもウソ臭いというかウサン臭いのですが、それでも何でもこの二人がラストで間に子供を挟んで、夕日に尾を引く影を後ろに、歩いていく姿には、家族という私生活が投影されて、やっぱりしみじみとしてしまうのでした。 ところでこの映画。主人公が最初勤めていた大企業ではオフィスの窓から都会の景色が見えていて、一方、クビになって独立すると、窓からの景色ものんびりしたものとなるのですが、とにかくこの窓からの景色が、トム・クルーズの演技などよりはるかにウソ臭く見えてしまうのですが、もしかして合成映像???とか思っちゃったり。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-06-30 16:59:35)
14.  デモリションマン
かなりポンコツ指数の高いトホホな作品、その割には何度もテレビ放送でお目にかかった気がしますが、結局、「スタローンの使い道はロッキーとランボーにしか無かった」ということを再確認するだけでして。いや、他にも多少は持ちネタあるけれど、これらの持ちネタ周辺から遠ざかったSF映画の領域ってのは、いかにもスタローンとの食い合わせが悪い。頑張れスタローン。 しかも、敵役のウェズリー・スナイプスが、これまたどこまでマジメなのか、あるいは単に不真面目なのか、スゴ過ぎる奴なのか単なるおマヌケなのか、どうにもつかみどころのないキャラクター。ただしムキムキぶりは、スタローンに引けをとらず。 冷凍にされて未来に送り込まれる刑に処せられるという悲劇(どうしてそんなメチャクチャな刑があり得るんだろうか? これ、放射性廃棄物貯蔵施設になぞらえた一種の皮肉だったりして?)、ましてや主人公は、犯人に嵌められた一種の冤罪でもって、妻子と引き離されてしまった、という、この上もない悲劇的な設定ですが、これが物語の上で、ほぼ何も活かされていないのが、思い切りがよいというか、それとも単に不真面目なのか。わざわざそんな設定を映画に入れている以上、もしやもしや、サンドラ・ブロックがその生き別れた娘だったりしたら、いくらバーチャルエッチとは言え、そそそそれってヤヤヤヤバいんじゃないの、とヒヤヒヤするところ。でも勿論そんな偶然はありませんよ、と生き別れの妻子のその後の悲しき運命は、サラリと流されて終了。ははは。 すべてそんな感じ。深刻さは無用、まあ、軽いノリのSFアクション・コメディ、ですね。そう思うと、一周回ってこの作品、悪くないな、と思えてくる。タイトル前の大爆破シーン、「何でもかんでもとりあえずCG」という時代になる前の、何でもかんでもとりあえず爆発させとけ、という大花火ですね。こういうの、懐かしい。。。 撮り方も、特に大きく目を引くものは無いかもしれないけれど、カメラの動かし方など、全編にわたりそれなりのこだわりが感じられて、内容はアホらしくとも面白いモノを撮ってやろう、という意気込みが感じられます。汚い言葉を使うと罰金が科せられるギャグの反復も、「違反キップ」という形で視覚化しつつ、トイレネタにも繋いでいっちゃう妙味。 何より、ウェズリー・スナイプスの悪乗り気味の怪人物ぶりが、見てて楽しくなってきます(昔は見ててイライラしてきたけど)。左右の瞳の色の違い、みたいな細かい演出は序の口で、行動といい恰好といい破天荒そのもの。ここまでやっちゃうと映画がイビツになってしまう、その一線を越えることで、不評も買うかもしれないけれど、映画の個性も生まれれば、それでよいのでは。 破天荒なこの敵役に対し、裏で裁縫に励んでいるらしい。映像としては出てこないその光景を、想像してみるのもまた楽し。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-05-19 08:01:48)
15.  ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録
我々を熱狂させる芸術作品は、作者も熱狂のうちにそれを作り上げたと思いがちだけど、実際は冷静な推敲作業のもとにそれは作り上げられるのだ、とかいう意味の文章をどこかで読んだ気がします。その意味では、最たるものの一つが「映画製作」で、到底、一人の人間が勢いだけで作れるものではなく、一種のプロジェクト運営の側面がある訳で。 ところがこのドキュメンタリを見ていると、大勢の人間と莫大な投資が関わるが故に、「うまくいかなくなった映画製作」ほどオソロしいものは無い、ということがよくわかります。熱狂、というより、底なしの狂気。まさに、闇の奥。 ってか、コッポラというヒトに映画作らせるのが、そもそも危険、ということで。この危険人物が、周囲を巻き込んで(あるいは周囲に巻き込まれて)危険領域に足を踏み込んでいく様が、この作品に捉えらえています。最近はともかく、この頃のコッポラというと、映画で一発当ててはそれをつぎ込んだ次の作品で興行的に大コケして経済的に追い詰められる、ってなイメージがありましたが(?)、そりゃこんなコトばっかりやってたら、そうなるわなあ、と。 『地獄の黙示録』という作品が何ゆえ、魅力があるのかは、このドキュメンタリを見てもよくわからないけれど、何ゆえああいうイビツな作品になってしまったかは、感じ取ることができます。作品の魅力と完成度とは、必ずしも正比例しないんですね。このドキュメンタリが作られた段階ではまだ『特別完全版』は公開されておらず、本編には無かった「はず」のシーンが幾つも登場します。その『特別完全版』は盛り込まれたエピソードの多さ、羅列感がカフカの作品を思わせ、本来は、カフカの長編小説同様に「終わることのない迷宮」だったんじゃないか、とも思えてくる。しかし、事業としての映画は、「完成」はともかく「完結」させないといけない中、もつれたアリアドネの糸をほどくのではなく、その迷宮にスタッフ、役者ともども、入り込んでいってしまう。 ベトナムでの撮影はできないということで、選ばれた撮影場所が、フィリピン。軍隊の協力は取り付けたものの、内戦状態なもんで、撮影に使うヘリが出動してしまう。『地獄の黙示録』という映画自体はフィクションとは言え、登場するヘリは、まさに現在進行形で「戦争中」のもの、なんですね。オープンセットは作り物であっても、台風による破壊は、本物。カーツ大佐の規格外ぶりも本物で、誰の云う事も聞かないマーロン・ブランドは、まさに「企画外」の存在、制御不能。 そして、現場に広がるドラッグの使用。そりゃ、あかんでしょ。 当時を振り返るインタビューに登場するジョン・ミリアス、ジョージ・ルーカス、そしてコッポラ本人。前者2人の余裕(「闇の奥」に足を踏み入れる前に引き返せた余裕?)と比べ、コッポラには未だに「あかん人」のニオイがプンプンと。 この人を先頭に、迷宮に足を踏み入れ、制御不能の一歩寸前か、もしかしたら絶賛制御不能中、という中で、完成と言っちゃってよいかどうかはともかく一応の完結をみた『地獄の黙示録』。結局、この作品の魅力が何だったのかと言うと、もはや「闇鍋の魅力」としか言いようが無い気もしますが、鍋に入れてみたいもの、不本意ながら入ってしまったものが、ゴッタ煮となって、それでもなぜか食えるものに仕上げられている、という奇跡。こんな奇蹟は二度と起きないんじゃないか、という、まさに究極の闇鍋の一杯、ですよ、これは。 このドキュメンタリ映画の元になっているフィルムは、ロケに同行したコッポラの妻が撮りためた記録映像が使われている、ということで、もし最初からドキュメンタリ映画を撮るつもりだったら、また別の撮り方があったのかも知れませんが、とは言え、これ、面白い。映画の裏側ってのはやっぱり気になるし、それが特にこの奇妙な作品の裏側だとなお一層。それを90分あまりにまとめ、テンポよく見せてくれて、興味が尽きません。 たぶん、このドキュメンタリは、コッポラ自身には作れないと思う!
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-21 08:32:36)
16.  CURE キュア 《ネタバレ》 
一連のオウム真理教事件が作品にそのまま投影されている訳ではないにしても、やはり「オウム後」の作品、ということではあるのかなあ、と。 普通に暮らしている(のであろう)一般人が、ある日突然、身近な人間を殺害する。続発する類似事件の要には、得体の知れない一人の若者がいて・・・となると、この若者が周囲の人間をコントロールして、自らが望まない殺人へと駆り立てる、ということのようではあるのですが、どうもそう簡単には割り切れない。若者にコントロールされるというより、日頃は表に出さないが実は心の底に抱えている鬱屈が、若者と接することで表に出てきただけ、という風にも感じられてきます。そういう、各人の心の暗部みたいなものが、孤立して存在しているようで、実は「この時代」というものを介して、互いに繋がっているような。 若者は、警察のお偉いさんに、あんた誰?という言葉を繰り返し投げつける。いや、名前はわかってる、そうじゃなくって、アンタは何者なんだよ、と言うのはつまり、若者が心に入り込めない相手、逆に言えば、時代が共有する暗部に無頓着で、何も気づかず能天気に生きている人。 たまたま、若者に形を変えて現れた「それ」は、若者が退場したとて解決する訳でもなく、形を変えてこの社会に残っていく。 一種の喩え話のような、寓意性を多分に感じさせる作品ですが、具体的に何が何の比喩になっている、というよりもまず、次々に現れる不気味なイメージが、ちゃんと「ホラー」として機能しています。正体が掴めそうで掴みきれない、何か。 水とか、ライターの炎とかいった、根源的なイメージはある種、「お約束」みたいなところがありますが、それにしてもまあ、この映画に出てくる建物のボロいことボロいこと、特に病院の建物はどうしてこんなに汚いイメージなんでしょうか(笑)。いや、実に見事なキタナさ、です。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-03-30 04:37:48)
17.  ホーンティング
もともと『スピード』の時から、ヤン・デ・ボンという人は監督業には向いてないんだろう、と思ってたんですが、実際、ああいうネタ自体の企画の良さというアシストが無いとたちまち馬脚を表し(いや、『スピード』も充分ポンコツだけど)、監督業からはフェイドアウトしてしまいました。『スピード』以上に、スピード感のあるキャリア。 で、監督としてのキャリアの最底辺に位置するのがもしかしたらこの『ホーンティング』ということになるのかな? 『スピード2』とどっちが下か? とか、まあ、そんな事はどうでもよくて、個人的には(極めて個人的には)『ホーンティング』は割とイイと思っちゃうんですけどねえ。そんなこと思っちゃって、すみません。 正直、物語と言えそうなものは殆どなくって、古い屋敷における怪異が、いかにも地味~なテイストで描かれます。ホラー映画ではよく、思わぬタイミングで突然誰かと出くわして一瞬ビックリ、なんていうカマシのシーンがありますが、そういうのもこの作品では、皆無とは言わぬまでも相当に控えめ。登場人物の数もごく少なく、殺され要員みたいな若者いないため、スプラッタ方面に走る余地もなく。何というか、ゴシック調のダークファンタジー。 で、ストーリーテリングという重荷が外れたせいなのかどうなのか、これだったらヤン・デ・ボンにだって撮れちゃう!ってな感じで、思いつくまま気の向くまま、何となく怪異らしきものがダラダラと、じゃなかった、点描的に描かれていきます。ガランとした広大な屋敷の雰囲気、飾られた肖像画のあやしさ、等とも相俟って、なんかいい感じ、ついつい引き込まれ、これだったら何時間でも見てられるなあ、と。いやホントにこのペースで3時間も4時間もやられるとツラいとは思いますが、それでもこの雰囲気は、なかなか。ピーター・ハイアムズのように撮影監督を自分で兼ねよう、という訳ではなく、別の人に撮影を任せてはおりますが、ヤン・デ・ボンの撮影監督としての出自が、この雰囲気作りに活かされているのでは(・・・と、信じたい)。 一応、まったくストーリーが無い訳ではなく、映画としてそれなりにオチをつけるけど、正直、そこはどうでもよくって(ああ、言ってしまった・・・)。怪異を並べるための、方便。それを描くCGのクオリティも、当時としては上々の部類と言ってよいのでは。技術の高さというより、見せ方のうまさ。 話はかわりますが、ヤン・デ・ボンという名前を聞くと未だになぜかゴジラを連想し、「アメリカ版ゴジラ」という言葉を聞くとなぜかヤン・デ・ボンの名前を連想してしまいます。実在しない映画、実現しなかった企画。いや正直言うと、「ヤン・デ・ボンがゴジラ映画なんて勘弁してくれ」と思った記憶もあるのだけど、それでも今となっては(アメリカでも普通にゴジラ映画が作られるようになってからは特に)、エメゴジも嫌いじゃないけどデボゴジってのも見てみたかったなあ、と思うのでした。ストーリーなんて、要らないから。 余談だけど、この『ホーンティング』の撮影監督であるカール・ウォルター・リンデンローブって人、実はエメリッヒ組だったのね???
[インターネット(字幕)] 7点(2024-01-08 07:13:22)
18.  リトルトウキョー殺人課
監督のマーク・L・レスターは、みんなの大好きな『コマンドー』の監督さんなので、大抵のことは大目に見なければいけません。 しかしこの、「さあ今から間違ったニッポン文化を描きますよ」と宣言してるようなヤバそうなタイトル、どうなることかとヒヤヒヤする訳ですが、さすがは『コマンドー』の監督。やっぱり面白い。むしろ、面白い。 そもそも、舞台はあくまで日本ではなくリトルトーキョー、ですから、描写が全部間違ってるのか、それとも一部は正しいのか、私にはわかりません(全部正しいということはまさか無いと思うが)。わかりませんが、もし実在するのなら一度は入ってみたい、盆栽クラブ。 この作品が現地の日系人に対する偏見を助長していないこと、みんな笑ってスルーしてくれること、それだけを願っております・・・。 さて、主演がドルフ・ラングレンで、相棒がブルース・リーの息子。武士道に生きる白人と、あくまでアメリカ的な感覚を持つ日系人、という組み合わせが設定の妙で、ある意味、互いに何のチェック機能を果たしていない(笑)。もはや日本文化の描写は間違え放題。ドルフ・ラングレンが再三披露する二ホン語は流暢過ぎて、ネイティブの我々にもほとんど聞き取れません。 でもって、わずか79分という尺に、無理やりアクションを詰め込んで、まさに無類のスピード感。ストーリーなんぞ無いのに有るかのように感じさせる、あるいは、ストーリーが無いことに気づかれる前にさっさと映画を終わってしまう、見事な手腕と言えましょう。 クライマックスで日の丸に「闘魂」と書かれたハチマキ姿になるドルフ・ラングレン。ここまでせっかくムキムキで強そうだったのに、ハチマキ姿になった途端、何だかラルフ・マッチオの霊が乗り移ったように弱そうに見えてしまうのが、残念でした。どうでもいいけど。 ケイリー=ヒロユキ・タガワのイッちゃってるような表情は、インパクトありまくりでした。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-08-14 09:16:40)
19.  デッドヒート
西欧人の悪党にこれでもかと理不尽なイヤガラセを受けたジャッキーが、ついに怒りを爆発させる、という点、同年の『レッド・ブロンクス』の同工異曲といった感もあり(海外への意識とか、スポーツカーへの愛着とかも。あと、意味も無くボールをばら撒くとか)、じゃあ、あのくらい面白いのかというと、共通点があるだけに正直、見劣りする印象は否めません。 が、あくまで見比べてしまうからであって、基本的にこの路線、面白い。 パチンコ屋は見るからにウソ臭いけれど、要するにコレ、セットな訳で、ロケ撮影ではできない派手なシーンを展開してやろう、ということ。通路も実際のパチンコ屋より広くとって見通しよく(単にパチンコ台の数をケチっただけだったりして?)、しっかり暴れ回る。トランポリン風のアクションなど、工夫も盛り沢山。 クライマックスのカーレースでは、露骨な早回しもあって撮影上の制約も感じさせ、苦しさが垣間見えますが、それでもチェイスシーンやクラッシュシーンもたっぷり取り入れて、総じていえば迫力あるレースシーンになっています。 気になった点としては・・・まさか加山雄三、この程度の出演の仕方で、ギャラ受け取ったりしてないだろうな!ということですかね。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-07-22 07:20:08)
20.  ラストマン・スタンディング
今のところ0点を付けておられる方と9点を付けておられる方がいらっしゃらないようですので、どちらにしようか迷ったのですが、9点にします。というのは勿論ウソですが、実際、評価が分かれやすい映画かとは思います。私も初めて見た際はそれなりに戸惑いを感じましたが、それはおそらく「『用心棒』をリメイクする以上は、どうかヘンな作品になってませんように!」とか妙なことを願いながら見ちゃったからで。いや、ヘンな映画、上等じゃないですか。どうアレンジしてくるか、という楽しさ。そもそも、仮に元映画をそのまんまリメイクで踏襲したらなば、それはリスペクトと言えるのか、それとも「作り直しの必要あり」という挑戦的なメッセージなのか? ブルース・ウィリス演じる主人公、いまいち何がやりたいのかよくわからんのですが、その点に関しては元の『用心棒』だって、主人公の桑畑三十郎は飄々とするばかりでつかみどころのない存在。こういう謎めいたところがリメイク作としての可能性にも幅を持たせているような気がします。元映画のいかにも乾ききった舞台、そして最後の決闘。いかにも西部劇っぽいから、いったんは西部劇にパクられて新たな世界を繰り広げた訳ですが、今度はこうやって、ハードボイルドの側面を先鋭化させたギャング映画の世界として生まれ変わる。 映画全体がくすんだ色合いで描かれていて、いかにも非現実の世界を感じさせます。三文小説の世界、といってもいいかもしれませんが、とにかく現実感を削ぎ落したハードボイルド。どの登場人物に対し好感が持てる訳でもなく、ある意味、不毛ともいえるようなやりとりが続いていく。この一歩突き放したような「どうでも良さ」加減、初見時こそ戸惑いを感じたものの、今では本作の魅力だと思ってます。ジワジワと引きこんでいく感じ。 そこに、80年代のウォルター・ヒルの、「バイオレンス監督」という誤ったイメージ(?)の残り香みたいなものも感じさせる派手な銃撃戦が織り込まれていて、ブルース・ウィリスが二丁拳銃をぶっ放しまくれば、撃たれた敵はあり得ないくらい後方にぶっ飛んでいく。実際には銃弾で人間がぶっ飛んだりはしませんからね~。しかしこの、ケレン味が嬉しい。 成功作かと言われると、なかなかハイとは言いづらいのですが、独特の魅力が詰まったユニークな作品であることは間違いないと思います。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2023-07-02 08:26:41)(良:1票)
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