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1.  1000年刻みの日時計 牧野村物語 《ネタバレ》 
太陽の運行のショット。稲の生育や受精のショット。それら、膨大な時間と手間暇をかけた映像は生活と一体化した見事なスペクタクルである。  土器の発見から始まる遺構の発掘のエピソードなど、偶然の要素が生活=映画の中に取り込まれ、発展し、映画を豊かに形づくっていくのが凄い。  神主さんの祝詞の響きや、みねさんと呼ばれる女性の延々と続く味のあるおしゃべりがなんとも魅力的でまるで聞き飽きない。  村民が協力して演じる五巴の一揆のエピソードでは、長回しのショットで各々が拙いながらも順々に台詞を披露していく。 懸命に練習して台詞を覚えたのだろう、そうした画面には表れていない時間と努力がダイレクトに伝わってくる。  学校の校庭で学生たちの生演奏が始まると、クレーンが上昇し、出演した村民の方達が輪になって名前を名乗りながらカメラの前を歩いていく。 連帯感に満ちた、ハートフルで何とも素敵なエンディングである。
[DVD(邦画)] 10点(2017-01-05 23:58:05)
2.  夢は牛のお医者さん 《ネタバレ》 
大学受験の合否通知であろう電報を郵便局員が高橋知美さん宅に運んでいくのを背後からカメラが追う。 緊張しているはずの知美さんを気遣って、クルーは家の外で郵便配達車をずっと待っていたのだろう。 獣医になった知美さんが実家の牛の出産に立ち会うシーンも、彼女が語るように「何日も辛抱強く待ち続けて、出産はあっという間」だが、 その感動的な出産シーンを撮るためにスタッフも粘り強く付き添ったのだろう。 勉学に勤しむ彼女に差し支えないように、撮影を控える場面も多々あったろう。 そうした画面に映らぬ部分・映さぬ部分にこそ、スタッフの誠実さを見る。地道な長期取材と関係づくりあっての「素」の表情であり、佇まいである。 正味86分にそれが結晶している。 合格の通知に突っ伏して歓びを噛みしめる姿のいじらしさ。彼女を支える父母と妹さん二人の働きぶり、祖母の朗らかな表情。 獣医師として成長し、暴れる牛にも動じることなく冷静に処置できるようになった姿の頼もしさ、それぞれに魅せられる。  元がテレビ素材ゆえに表情に寄りがちなのが玉に瑕でもあるが、その子供たちのまさに純真そのものの表情と涙を目の当たりにすれば グリフィス的クロースアップの欲求を抑えがたいのも無理はない。  画面の解像度もまた26年の歳月を感じさせるが、ラストはより映画を意識したのだろう。 土本監督の水俣シリーズが海の光で人々を包むように、牛舎から外へと凛々しく向かう知美さんを雪の白と輝く逆光で包ませる。  子牛を抱き寄せ、頬ずりして慈しむ幼い知美さんの印象深いショット。生きる姿勢の素晴らしさと共に、映画の被写体としても稀有の素晴らしさなのである。
[映画館(邦画)] 10点(2016-11-17 23:59:18)
3.  残菊物語(1939) 《ネタバレ》 
何度目かの再見で、新たに気づかされるのは音響に対する作り手の意識の高さとその達成である音の豊かさ。 長門洋平氏の著作『映画音響論』での詳細な分析とユニークで斬新な解釈に触発されて見返したわけだが、 フレーム外から聞こえる物売りや行商人の掛け声、囃子など、その対比としての沈黙の用法・タイミングまでよく考え抜かれているのがよくわかる。  まるでヒロインの表情を見せまいとするようなフレームサイズ、構図、陰影。加藤幹郎氏を始めとして散々指摘されてきたことではあるが その分、森赫子の済んだ声音はより際立って美しい。  長門氏によるラストシーンの解釈に全面的に首肯するわけではないが、冒頭シーンとの対照という意味でも、「ありうべかざるものを、 ありうべきものとして」描いたとするそのユニークな解釈はとても興味深い指摘である。  十分に分析されつくしたかに見えても、さらなる味わいと解釈を許容する傑作の奥深さを思い知らされる。
[ブルーレイ(邦画)] 10点(2016-07-06 23:59:20)
4.  周遊する蒸気船
アン・シャーリーを連れ戻しに来た男たちを、「甥の嫁は渡さん。」と撃退し、 粗末な身なりの彼女に妹の形見のドレスをプレゼントするウィル・ロジャース。  口の悪い彼に反発していた彼女も、その一件を境にいっぺんに彼を大好きに なってしまう。  彼の右頬にキスし、もらったドレスを大事そうに抱きかかえる彼女の仕草の 何と可憐なことか。  その心変わりを大いに納得させる彼女の素直な瞳が美しい。  絞首刑判決となり護送されるジョン・マクガイアとの別れの際、 駅の丸柱に寄り掛かって悲しむ 彼女の左手の薬指にはめられた指輪をさりげなく映し出すカメラは、 その表情以上に彼女の心情を語る。  偉人の蝋人形を窯にくべていく、といったアナーキーな賑やかさの一方で ヒロインの心情を繊細に演出する細部の気遣いが尚のこと光る。  文句のない傑作だが、ダン・フォードの『ジョン・フォード伝』によると、 就任間もないダリル・ザナックが、すでに完成していた本作の「編集にハサミ を入れてテンポを速め、野放図な所作が見受けられるギャグシーンのあれこれ を切り捨てた」らしい。  確かに映画は展開が早く、グリフィス的救出と大団円後の 後日談などはわずかに2ショットだ。 現在の主流シネコン映画とは真逆の潔く鮮やかな〆具合の現行版も悪くないが、 本来のいわゆる「ディレクターズ・カット版」はどんなものだったのか。 興味はつきない。  「脇道にそれたり、道草を食って筋に関係ない何かに焦点を合せたり、そんな 類のことを軽くやるのが好きだった」(ナナリー・ジョンソン) それがJ・フォード作品の魅力なのだから。   
[DVD(字幕)] 10点(2014-09-06 15:33:49)
5.  曲馬団のサリー
ホークス『ハタリ!』の遥かな先駆けともなる小象のアクション。 迫力の白煙と放水の中で繰り広げられる列車と自動車の痛快アクション。 加えてキャロル・デンプスターが身体を張って懸命に走る、飛ぶ、よじ登るの クライマックスの大アクション。 そして随所に散りばめられたユーモラスなギャグに、華やかなダンスシーン。  その盛りだくさんのエンタテインメント精神も感動的だが、 それ以上にこの原初的アメリカ映画が胸を打つのは、 その快活なヒロインがふと垣間見せる、人を恋う孤独の表情だ。  南部のカーニヴァルにやってきたデンプスターが街中を一人で歩く。 誰のものとも知れぬ「母を悼む」墓石に彼女は一輪の花を手向ける姿が愛しい。 育ての親W・C・フィールズを慕い、幾度も抱き合い、全身で情愛を示す。 招かれた祖父母の家で、それと知らずに祖母と見つめ合い、触れ合うショットが美しい。  人を恋う、その普遍的・根源的なエモーションとアクションとの一体化が 強く心を引きつけてやまない。  ラスト、一人去りゆくW・C・フィールズに必死にしがみつくデンプスターの 見目はばからぬ懸命な身振りには涙、涙だ。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 10点(2014-02-13 00:42:32)
6.  エドワード・ヤンの恋愛時代 《ネタバレ》 
まず装置があってシーンが創り出されたのか。あるいはその逆か。 いずれにしても、このエレベーターの鮮やかな用法には唸るしかない。  章の切り替え時に入る軽やかなエレベーターの到着音なども含めて、 その装置が映画に頻繁に登場するのには途中で難なく気づく。 映画の中盤、オフィスのエレベーターでヒロインのチェン・シャンチーと ワン・ウェイミンとが決裂するロングテイク。 これと対になる形で見事にラストのショットを決めてくるのだから、楊徳昌もまた ルビッチらと並んで『ドア』の映画作家と呼んでもいい。  構造物によって、人物を画面から一旦消し、そしてまた現れさせること。 それを長回しで撮ることで、様々な意味での奥行きと実存の感覚が生まれる。 溝口健二の襖のように。 本作のいくつかの場所でこれをみせる楊徳昌もまた一流であるということだ。 ラストの再開は、その極めつけと云える。 ヒロインの笑顔が現れた瞬間、扉の背後に遮られて見えなかった彼女の翻意の姿が 間接的なだけにより強く迫ってくる。  ほとんどシルエットに近い、表情の判然としない半逆光のロングショットの芝居の数々。 その絶妙な光の感覚もまた素晴らしい。 大っぴらに見せないこと、観客に想像させることで、逆にドラマに、キャラクターにと 引き込んでいく。  そこには観客に対する信頼がある。     
[ビデオ(字幕)] 10点(2014-02-06 23:23:26)
7.  肉体の冠
映画の中盤、ワインとチーズを食するクロード・ドーファンの手にナイフが光る。 その禍々しい光沢、それだけでそのナイフが後々何らかの悲劇を引き起こすであろう ことを仄めかす。  説話上の段取りとして配置された単なる伏線に留まらない。 物語とは無関係にみえるさりげない細部でありながら何故か胸をざわつかせる、 その不吉な光沢の描写力が圧倒的なのだ。 それこそ、より映画的な伏線のあり方と云えるのではないか。  果たしてその刃はウィリアム・サバティエの胸を貫く事となり、 ナイフ、剃刀、と変奏される刃はラストのギロチンへと連なっていく。  その処刑シーンを階上から見届けるシモーヌ・シニョレの金髪。 その光沢もまた逆光の中でひときわ高貴に輝いている。  ダンスシーンの優雅な回転運動。 その中での、セルジュ・レジアニとS・シニョレの視線劇のスリリングなあり方。 決闘シーンのコントラストの利いた照明設計。 ルノワールゆずりのボートシーンの瑞々しさ。 小鳥のさえずりの官能的な響きと、 全編見所見どころに溢れている。     
[DVD(字幕)] 10点(2014-01-30 21:37:18)
8.  スージーの真心
密かに献身し慕っていた幼馴染みウィリアム(R・ハーロン)が他の女性との結婚を 決めてしまう。 溢れてくる涙を扇で隠しながら硬った笑顔を見せるスージー(リリアン・ギッシュ) の仕草がいじらしい。 そんな彼女の純朴でせつない表情・身振りの釣瓶打ちだがそれがまるで媚にならない。 単なる可憐さだけでなく、品位そして愛すべき愚かさといったものまで 豊かに表現しているからだろう。 グリフィスが彼女にひたすらクロース・アップしたくなるのも無理はない。  ハーロンの後をついて小道を歩くリリアンが、右足をふっと真横に蹴るような 仕草をする。そのあまりにも何気ないささやかな動作ひとつで、架空のキャラクターに 一気に魅力的な生命を吹き込んでいる。 彼女の自伝によると、やはりこのシーンの演技などは批評家にも評価されたらしい。  二人が並んで村の小道を歩いていく。並木がやさしく揺れ、道端で子牛が一頭寛いでいる。 この詩情あふれる1ショットの美にも打たれる。    
[DVD(字幕なし「原語」)] 10点(2014-01-26 02:06:04)
9.  十字路の夜
闇夜のカーチェイスが迫真だったジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』や 『最後の切り札』。そのノワールなアクションの原型が、ここにある。 なるほど、ベッケルは『十字路の夜』の制作主任兼助監督だったのだ。  ヘッドライトに照らされた夜の街路が、荒々しい前進移動によって生々しく 流れていく。さらに、運転席からの拳銃の発泡が閃光を放ち、緊迫感を煽る。  尋問シーンに幾度か挟まれるコップの水のショット、排水口のショット。 そして霧雨のそぼ降る泥濘んだ街路の質感は、『水の作家』によるトーキー初期作品 らしく、流水や足音の湿った音響によって一層強調される。 自身の初トーキーに水洗トイレ音を響かせたルノワールらしい拘りだ。  胸の傷をピエール・ルノワールに見せるヴィナ・ヴィンフリードの艶めかしさも堪らない。     
[インターネット(字幕)] 10点(2013-11-17 01:08:57)
10.  恐怖分子
夕景の街中にあるガスタンク。十字の格子が浮かび上がる部屋。木々のざわめき。 半透明なレースカーテンの白の揺れ。風にはためく、壁に貼られたモノクロ写真。  何気ない風景のようでいて、その佇まいだけで不穏な気配を濃密に湛える画面の 息遣いがことごとく心をざわつかせる。  そして人物の表情が見えるか見えないかの半逆光の加減が絶妙で、 その無表情と陰影はキャラクターの心理を読み取らせない。  ゆえに本作は、物語的にも画面展開的にも全く予断を許さない。  それだけに、突発的な暴力が炸裂する刹那のインパクトは見る者を戦慄させ、 静かに流れ出す『煙が目に沁みる』のレコード音の情感に 訳も分からないまま心を動かされてしまう。  80年代の空気をすくい取りながら、まるで古さを感じさせない。 
[ビデオ(字幕)] 10点(2012-10-05 23:52:51)
11.  僕の彼女はどこ?
鮮やかなテクニカラーが全編に亘って画面を彩る。  アバンタイトルの背景イラストと文字を始めとして、ステンドグラス・屋外の木々・屋内装飾・ベレー帽・衣装・劇中絵画・ポーカーテーブルなどなど、光の三原色(赤、青、緑)が徹底的に駆使されているあたりは、D・サークらしいこだわりぶりだ。  その混合であるシアン、マゼンタ、イエローもまた乗用車、ストロベリーシェイク、ドレスなどにそれぞれバランスよく配され、映画をさらに楽しくカラフルに染めている。 そしてその配置もポイントごとなのでケバケバしくなく、極めて上品だ。  その光の三原色が、映画ラストにおいて素晴らしい雪の「白」へと結集するのもテクニカラーの必然的帰結と云って良いだろう。  チャールズ・コバーンのユーモラスな演技も楽しいが、彼になつくおしゃまなジジ・ペルーもまた実に愛らしい。  質素な暮らしに戻ることを喜び、二人が興じるダンスシーンの幸福感は最高だ。  犬のペニーもまた素晴らしい。単に人間に仕込まれた芸を披露するだけの『アーティスト』のアギーなど足元にも及ばない。  演出家も予想できないような巧まざるリアクションを見せてくれてこそ、優れたアニマルアクターといえるだろう。  
[DVD(字幕)] 10点(2012-05-13 23:52:47)
12.  陽気な中尉さん
予想した展開を軽やかに裏切りつつ、納得のハッピーエンディングに収めてしまうシンプルな脚本の良さもさることながら、ストーリーそのものよりもその軽妙洒脱な映画的組み立て方こそがルビッチ作品の魅力だ。  時間経過を記す冒頭のランプや、王女の衣装の変化を簡潔に表すオーヴァーラップのスマートさ。 ミュージカルでありながら、屋敷内の会話を窓外から捉えたサイレントの1ショットの挿入によってアクセントをつけドラマに引き込んでいくテクニックの鮮やかさ。  階段の登り降りやドアの開閉が存分に駆使され、映画に様々なリズムを刻む。  そして、二人の女優の引き立て方が断然素晴らしい。  クローデット・コルベールと、ミリアム・ホプキンスが互いにビンタし合う後半の対決シーンからの流れは、特に二人の魅力が存分に引き出されている。  ハンカチーフを介して共感し、共にピアノを弾きデュエットし合う二人。  王女にファッションを指南すると、振り返ることなく別れを告げ去っていくコルベールの後姿のショット。  セクシーに変身したミリアム・ホプキンスが煙草をふかしながら艶やかにピアノ演奏し、モーリス・シュバリエに視線を投げるショット。  最高にカッコいい。 
[DVD(字幕)] 10点(2012-04-16 21:19:55)
13.  ローマの休日
半醒半睡状態のヘプバーンがグレゴリー・ペックのアパートのらせん階段で見せるサイレントギャグの冴えを始め、ワイラー印の「階段」の数々は本作ではロマンチックなアイテムとしてある。  一方で得意のパンフォーカスによる縦構図も、夜の別離のシーン(駆け去るヘプバーンと、それを手前の車中から見送るG・ペック)や、ラストの記者会見シーン(画面奥から手前へと順々に握手していくヘプバーン)などに活かされているのだが、その用法は実にさりげなく抑制的であり、技巧が前面に出てくることはない。  その代わりに際立つのが、(本作以前と比して)ワイラーらしからぬ「通俗的」切り返しのモンタージュの多用である。  そのエモーショナルなクロースアップの数々と視線の劇は結果的にスター映画として主演二人のスクリーンイメージのアップに大きく貢献すると共に、その「物語」を最も効果的に語り切ることとなる。  自身の持ち味である映画的技法を抑制し、突出させぬこと。説話に徹することで原作(Story)の美点を最大限に引き出すこと。  それこそが、赤狩りの渦中ワイラーへ累が及ぶのを懸念しノンクレジットに徹した原作者ダルトン・トランボに対する映画作家の敬意と報恩だったのではないか。  密告と不信の時代に「信頼と友情」(「faith in relations between people」)の主題を王女とアメリカ人記者とカメラマン(エディ・アルバート)の間にさりげなく忍ばせた脚本の声高でない慎ましさ。  それは劇中の会見の場で、主演二人が交わす短い台詞の背後に込められた万感の真情とも響き合う。  恋愛劇・ビルドゥングスロマンとしての魅力と、劇中でヘプバーンが飲むシャンペーンのような軽妙なコメディの奥に、時代の切実なテーマ性を含ませたストーリーの豊穣。  そしてそのストーリーに奉仕する為、自らの技巧を透明化してみせたワイラーの矜持に打たれる。  50周年記念ニューマスター版において、デジタル修復によって初めてクレジットされたStory by Dalton Trumboの記名が感慨深い。 
[DVD(字幕)] 10点(2012-03-21 17:33:34)
14.  メトロポリス 完全復元版(1926)
2008年にアルゼンチンで発見された16ミリフィルムが本来あるべき各所に挿入され、従来の復元版よりも25分長い、最も原型に近いとされる150分バージョンである。 シーン追加によって物語の繋がりがスムーズとなり、逆に長さを感じないくらいだ。  マッドサイエンティストの狂気も、彼の亡き妻に関する数ショットの追加で格段に解りやすくなっている。 追加部分は16ミリコピーのため明瞭に判別出来るのだが、より大幅に復元されているのは、貯水タンクが破壊され地下都市に浸水してくるシーン以降のクライマックスだろう。 マリア(ブリギッテ・ヘルム)が警報機を渾身の力で操作するシーン。 労働者の子供たちを階上に避難誘導するも最上階を格子に阻まれ、フレーダー(グスタフ・フレードリヒ)が足場を伝ってよじ登り、懸命にこじ開け、再び最後尾のマリアのもとへ戻るシーン。 そして、その本物のマリアが地下労働者の暴徒に「魔女」と誤解され追われるシーンなどだ。  ラストの鐘楼での格闘も含め、いずれも主演の男女が身体を張って困難と苦闘する姿であり、この復元によってラストの大団円が従来版以上に感動的なものとなったことは確かだ。(群衆シーンでもあるため、映画のスペクタクル性もさらに増している。)  とりわけ、罪なきブリギッテ・ヘルムが暴徒に追いつめられるシーンは、『M』や『激怒』にも通じる極めてラング的モチーフが覗え、これも従来版とは大きく印象を異にする重要な部分と云えるだろう。  彼女に関する追加シーンの数々はその演技体験の過酷さをより伝えており、その健闘ぶりが映画の感動を新たにしてくれている。  
[DVD(字幕)] 10点(2012-02-15 18:20:10)
15.  素晴しい哉人生 《ネタバレ》 
冒頭部分に映し出されるベルリン市内のポーランド避難民の点描は、ほぼドキュメンタリーと見てよいだろう。  劇映画部分も含めて、第一次世界大戦後の荒廃で痩せこけ飢えた人々の眼の生々しさが強烈だ。それがフィルムのクライマックスとなるクロスカットのサスペンスにも活かされることとなる。  前半は、戦争後遺症と窮乏生活の苦難の描写。ヒロイン:キャロル・デンプスターが肉屋に行列するも、その間にボードに書かれた価格は釣り上がっていく、そのカットバックが切ない。  また、彼女が病床の恋人ニール・ハミルトンを気遣い、自身の両頬に詰め物をして栄養不良を隠すいじらしい仕草はまさしくグリフィス的で胸を打つ。  後半は一転、晴れやかなシーンが続いてゆく。 恋人の建てた一軒家の新居をみて嬉しさのあまり家の周りをはしゃぎ回るC・デンプスター。全身で喜びを表現する彼女の姿が感動的だ。 たっぷりのポテトや卵やレバーソーセージによる会食シーンと、それに続くダンスシーンの賑やかな幸福感と躍動感もまた素晴らしい。  そして、飢えた浮浪者たちから逃げる月夜の森のアクションシーンに高まる切迫感。 さらに月光が照らす岸辺のツーショットの静かな美しさ。後日談の大団円の晴れやかさ。  全編にわたって忘れ難いショットが連続する。  一般的にはリリアン・ギッシュとの最後のコンビ作『嵐の孤児』までが全盛期とされるグリフィスだが、その純粋な生命賛歌と具体的画面の映画美において本作も決して引けを取らない。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 10点(2012-02-11 17:54:43)
16.  二百萬人還る
第二次大戦後、祖国フランスへ帰還した人々の悲喜交々を題材にしたオムニバス五話。  歓喜に沸く人々を映し出す晴れやかな実録映像に続き、各挿話は「5人の場合」を描き出すが、日常生活への回帰はそれぞれままならない。遺産問題、男女問題、旧敵国への憎悪。 錚々たる4監督がそれぞれの題材に見合った作風でユーモアとペーソスとサスペンスを醸し出している。  監督の個性もさることながら、ルイ・パージュと、ニコラ・エイエの陰影豊かな撮影がそれぞれの作品に一貫した哀感を滲ませていて素晴らしい。  第一話(エマの場合)でカーテンが引かれるラストショットの孤独な暗闇。  第二話(アントワーヌの場合)で暗い廊下に幻想的に浮かび上がる、女性士官の白いドレス姿。  第三話(ジャンの場合)の薄暗いアパート室内での息詰まるような葛藤の劇は、まさにクルーゾーの真骨頂といった感じ。  そして第四話(ルネの場合)、第五話(ルイの場合)のジャン・ドレヴィル篇の幸福感あふれるエンディングは実に素敵だ。  田園のロケーションの見事さ(ドイツの娘が身を投げる池の厳かな風情と波紋)と、可愛らしい子供達や魅力的な動物たちの配置(馬、アヒル、喜ぶ犬、)。適切な移動ショットと、間接的な視線、感動的な水音の演出で映画のラストを粋に飾っている。 
[ビデオ(字幕)] 10点(2011-08-18 23:12:18)
17.  ジャン・ルノワールの小劇場<TVM>
フル・セットの河岸の美術と照明が素晴らしい第一話「最後のクリスマス・イヴ」。 富者と貧者の残酷な対置があり、第四話の開放的なロケーションと対照する。  第二話「電気床磨き機」は悲劇と喜劇の融合の究極をいく。きれいに磨かれた床に滑って唐突に死んでしまう夫。生者と死者の語らいが対となり、寒色系を配された人工的な都会の姿もまた、第四話とコントラストになる。  ドレスを着たジャンヌ・モローがシャンソンを歌う第三話「愛が死に絶えるとき」。 ジャンヌ・モローの全身ショットから、顔へのクロース・アップへと移行し、またフル・ショットへと引いていく。 彼女の歌唱を一挙に捉える最もシンプルで最良のワンシーン=ワンカット。  そして、第一・第二話の「死」と対比される第四話「イヴトーの王様」には明るい自然光が溢れ、エロスというルノワール的な主題も浮かび上がらせながら「生」が賛歌される。 ルノワールの父オーギュストも愛した南仏ののどかな田園風景は『ピクニック』(1936)、『草の上の昼食』(1959)以来かわらぬ光と風と色彩でフェルナン・サルドゥーの絶望のみならず視聴者をも癒してくれる。  そして映画は、登場人物すべてが笑い出し、キャメラに向かって整列してお辞儀する、最も幸福で至高の大団円を迎える。  ルノワールが最後の作品で説いたのは、『トレランス』(寛容)だった。  
[DVD(字幕)] 10点(2011-04-16 22:48:45)
18.  ビッグ・パレード 《ネタバレ》 
トラックに乗って前線へと進軍していく米軍兵士(ジョン・ギルバート)を必死に追うフランスの村娘(ルネ・アドレー)。 ようやくお互いを見つけ抱き合う二人の背景をせわしないスピードで行軍していく兵士の流れ。その対比が、僅かな時間の中での切羽詰った別れのエモーションを最高潮に高める。 娘はトラック上の彼の足に必死にしがみつき、トラック後部のチェーンごと引きづられつつも追いすがる。その滑稽なまでに健気な姿は、逆に見る者の胸を熱くさせずにおかない。  トラックが走り去り、一本道に一人取り残される彼女を小さく捉えたロングショットの切ないまでのリリカルさ。 ラストの再会シーンで彼に走り寄っていく、その懸命な走りのアクションの素晴らしさ。二人に差す光の美しさ。  リリアン・ギッシュ自伝によると、『ラ・ボエーム』(1926)製作にあたっては本作のラッシュの一部を見て監督と主要キャストを選んだという。 一途な思いをひたすらアクションによって表現する女性像の素晴らしさは確かに両作品に共通だ。  同時に本作は戦争映画としても一級であり、映画後半を占める各戦闘シーンはスペクタクル・サスペンス・人間ドラマ三拍子揃って圧巻である。 狙撃兵の潜む林間を戦闘隊形で進軍する様が横移動と縦移動で捉えられる中、一人また一人と無機質に倒れていく兵士たち。その冷徹な感覚が、戦争の無情を印象づける。  照明弾が飛び交う夜の塹壕戦。若い敵兵にタバコを差し出すエピソードも忘れ難い。
[DVD(字幕)] 10点(2010-12-26 01:09:13)
19.  ラ・ボエーム(1926) 《ネタバレ》 
リリアン・ギッシュ自身が強くこだわったというパンクロフィルムの特性が活かされ、光の溢れるピクニックシーンから夜の暗い街路まで色調が豊かで幅広い。彼女の表情のクロースアップショットも艶やかで麗しい。  アパート隣室のジョン・ギルバートらに歓待された彼女が戸惑い、恥じらいつつも嬉しさが滲む表情の可憐さ。 彼らとの初めてのピクニックで無邪気に跳ね回り、踊り、アパートの窓をはさんで二人じゃれ合う身振りが伝える幸福感。  一転して、悲愴極まりない終幕では薄倖の死相が真に迫って痛ましい。 クライマックスでは荷車後部の鎖につかまり舗道を引きずられるという、キートン、J・チェン顔負けの過激なアクションまでも華奢な身体で演じきる。  全身映画女優の底知れない表現力にただ圧倒されるしかない。  
[ビデオ(字幕)] 10点(2010-11-24 21:48:35)
20.  捕らえられた伍長
アンドレ・バザンがもしこの映画を見ることが出来ていたならば、『小間使いの日記』以上に「悲劇と喜劇の結合」を達成した作品と評したのではないか。 悲喜劇が目まぐるしく交錯する様においては、ルノワール作品の中でも随一と思われる。  葬列に紛れて逃走するシークエンスでは、逃げおおせる者と警察に連行されるものが同一ショット内で交差する。 あるいは、歯科医での絶叫。懲罰のあひる歩き。農家からの脱走失敗。どれもこれも悲惨の中の滑稽味に笑いを誘われずにいられない。  開いたドアの奥で、伍長(ジャン=ピエール・カッセル)と歯科医の助手のドイツ娘とが交わす抱擁とキスのシンプルな描写がいとおしい。 ラスト近く、国境そばの小作農の男女が伍長らに見せる気持ちよい応対と表情も忘れ難い。 フランス贔屓の酔っ払いも、農家の主も、敵対する収容所看守に到るまで人間的魅力に満ちているところがルノワールならではの人間主義といえる。  『大いなる幻影』で賞賛された観念性にも囚われることなく、ひたすら人間本意に、俳優の魅力をありのまま写し撮ることが第一義として貫かれている。 そのための必然的な長廻し。ここぞのクロースアップ。民主的パン・フォーカス。 手段としての技法が映画の中で活きてくる。  
[ビデオ(字幕)] 10点(2010-11-19 22:23:51)
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