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1.  男はつらいよ 寅次郎相合い傘 《ネタバレ》 
雑多に盛り込まれるゲスト出演者やエピソードを巧く消化しきれず空回りすることも多い『男はつらいよ』シリーズだが、本作『寅次郎相合い傘』は、その中にあって桁違いの完成度を誇る奇跡のような一作だ。あらゆる登場人物が挿話が場面がそれぞれ見事に噛み合い、唯一無二のアンサンブルを織り成している。言うまでもなく渥美清がすばらしい。そして浅丘ルリ子がすばらしい。だが、それ以上に倍賞千恵子がすばらしい。添え物のように控えめに画面を彩る彼女はけれど、妹として姪として妻として母として友として、その時々にそれぞれの表情を見せる「さくら」という確固たる一人の人間として、ゆるぎなくそこに存在する。シリーズ全48作を通し、まるで定点カメラで撮影された花のように次第に萎れていった倍賞千恵子だが、スクリーンに刻んだそうした年輪の如き変化をも引っくるめ『男はつらいよ』にひたすら愛された彼女は、日本一幸福な女優だ。おそらくどのマドンナよりも。そして寅次郎を愛すればこそ一喜一憂する、とらやの面々。ある時は近所の人々の心ない噂を悲しみ、ある時はリリーとの夢物語を語る「寅のアリア」に聴き惚れる彼らの、家族としてのその表情の、なんという繊細さ!美しさ!店先で甘えるようにさくらの腰に抱きつく幼い満男や川原で虫を追いかけるその満男をさらに追いかける博の姿が、愛情に満ちた彼ら親子のその有り様をさりげなくも雄弁に語り、柴又の道端や寺の境内で遊ぶ子どもたちを捉えた他愛のないワンショットまでもが、この映画に温かい血を通わせている。さらにはメロンを巡る馬鹿馬鹿しい諍いから「相合い傘」へと至る一連のシークエンスのすばらしさ!子どもじみた寅次郎を一喝するリリーは、いつしか天涯孤独な身の上の客人としてではなく彼ら「すばらしき家族」のその一員として、そこにいる。そのことのなんという幸福感!東京の下町のケチな団子屋の、このささやかな家族たち。市井に暮らすつましい彼らのありふれた、けれどかけがえのないその瞬間瞬間を、映画は斯様に丁寧に切りとる。そうすることで山田洋次は人の世のすばらしき「幸福」を、そしてその美しさを、見事にここに描いたのだ。もしも何も知らぬ外国人に『男はつらいよ』とはどんな映画かと訊かれたら(そんな機会はまずありそうにないが)、私は間違いなくこう答えるだろう。happinessの映画だ、と。
[DVD(邦画)] 10点(2010-04-23 15:21:25)(良:4票)
2.  キャリー(1976) 《ネタバレ》 
俯瞰で捉えたバレーボールコートから、ピノ・ドナジオの美しい旋律にのせて流麗に描かれるロッカールームまでの冒頭のその数分間で、ブライアン・デ・パルマ監督は主人公である少女キャリーの学校生活における孤独、性の芽生えへの罪悪感、さらにはのちにあきらかになっていく彼女をとりまくさまざまな異常な状況までもを、くっきりとそこに浮き上がらせる。初潮の恐怖に半狂乱となるキャリーを笑い者にするクラスメイトたち、それを阻止するひたすら高圧的な教師、キャリーの悲鳴に呼応して割れる電球、17才にして初潮をむかえてもその意味さえ知らされていないキャリーとその家庭環境。この最初のシークエンスにおいて端的に描かれるそれらは、すべてが彼女をとりまく複数の「異常」、その一つ一つなのである。そしてそのそれぞれの「異常」が、どこにも居場所のないこの孤独な少女をやがて袋小路へと複合的に追いつめていくこととなる。しかしこの物語の最たる悲劇は、そんなキャリーの力になろうと奔走する女教師やクラスメイトのその善意までもが、結果として後の惨劇を招く一端となってしまうことだろう。キャリーを守るため横暴な制裁を行ったがため反感を買った女教師は生徒たちに残酷な企てを計画させ、良心からキャリーをプロムに誘ったクラスメイトはあずかり知らぬところでその企みの渦中にキャリーを立たせてしまう。さらには、仕掛けられた罠からキャリーを救うべく駆け寄るそのクラスメイトを誤解した女教師は、皮肉にも同じキャリーを守らんとする善意により、間一髪の救いのその手を蚊帳の外へと閉め出してしまうのである。善意が善意を阻害し、バケツいっぱいの悪意だけが真っ逆さまにキャリーにふりそそぐそのシーンの徹底的な絶望は、まさにデ・パルマ映画、真骨頂だ。あまりに皮肉で痛ましく、そして途轍もなく悲しい。デ・パルマはいつも勝者になり損ねるアウトサイダーとその背中を描くが、この映画では悲愴な背中で家路を辿るキャリーがそれだ。彼女は口をあけて待ち受ける第二の悲劇をおそらく知っている。知っていてなお最後まで痛切に光を求めて母の胸に抱かれる。それが生きるということだからだ。キャリーはデ・パルマでありデ・パルマこそがキャリーだ。だからこそ彼はありったけの愛をもってキャリーを描き、そしてその屈折した愛ゆえに彼女を泣きながら殺すのだ。
[DVD(字幕)] 10点(2009-07-30 00:37:19)(良:4票)
3.  ファントム・オブ・パラダイス 《ネタバレ》 
「何の取り柄もなく人にも好かれないなら/死んじまえ/悪い事は言わない/生きたところで負け犬/死ねば音楽ぐらいは残る」最後の最後で歌われるこの歌詞の、何という身も蓋もなさ!そして何という負け犬根性!けれどこの負け犬の滑稽とかなしみこそが、デ・パルマ節なのだ。出ばなから一見して挙動不審で変人丸出しの主人公ウィンスロー。けれど彼は、だからこそデ・パルマ映画の主人公たりえるとも言える。焼き払いたいほどに憎悪する屈辱のレコードの型を、よりによって自らの顔にプレスしてしまう彼の姿は、豚の血をあびる『キャリー』や『BLOW OUT』において愛するサリーを救い損ねるジャックのように本作以降もデ・パルマが繰り返し変奏していく一つの主題、つまりは非力な負け犬にまさに烙印として下される逃れられない絶望、その原型でもある。仮面とマントと人工声帯をもって暗がりにのみかろうじて存在しえるこの怪人は、自分の歌も声も顔も人生もそして存在すらも奪った男スワンと愛する女フェニックスとの閨房を、ただ天窓の外から悲しく覗き見るしかできない。雨に打たれ慟哭するその無防備な背中を監視カメラに曝して。ラスト、それでもただまっすぐに愛するフェニックスへと差し出される彼の手。狂喜乱舞する観客たちの歓声は遠のき、美しい旋律に変わり、流麗なスローモーションでカメラが捉えるのは、ステージをみじめに這いずり回りそれでもまっすぐにフェニックスへと最期まで手をのばし続けるウィンスローの姿だ。それは哀れな負け犬の無様なセンチメンタルかもしれない。目を覆うほどに醜くみっともない男の滑稽な死に様かもしれない。フェニックスの声は彼の耳にはついに届かなかったかもしれない。それでも、そう、それでも。フェニックスはようやく言うのだ。その亡骸を抱きしめて。存在を奪われ、この世から消されてしまったはずの彼の名を。ウィンスロー、と。
[DVD(字幕)] 9点(2010-02-23 02:01:01)(良:1票)
4.  カッコーの巣の上で 《ネタバレ》 
本作は1975年の映画だが、描かれる物語の舞台はそこから12年遡る1963年のオレゴン州だ。そのことを映画は冒頭、さりげなく表示する。何故わざわざそんな但し書きが必要なのか、何故この物語が12年前のものでなくてはならないのか、観る者が漠然と抱くその他愛のない「何故」が、やがてマクマーフィーのこめかみに容赦なく刻み込まれる縫合痕へとゆるやかに帰結する。そのワンショットが静かに示す絶望。この映画はそうして人間の希望と絶望を丹念に描く。だがそこに安易な解答は一切用意されない。刑務所から精神病院に移送された主人公マクマーフィーが詐病か否かについて、彼を担当する医師が明確な診断を結局下さぬように、映画もまた最後までその答えを留保したまま終わる。描かれるのはただ、レジスタンスの英雄然とした彼の立ち居ふるまいと、カナダへの逃亡という夢物語を雄弁に語りながら結局はその巣にとどまり続ける彼の姿だ。物語の終盤ついに脱出口を眼前にしたマクマーフィーはしかし、自分との別れを惜しむ若者ビリーの一夜につきあう名目で深酒に酔いつぶれ眠り込む。やがて夜が明けても、今度は不幸にも自死に追い込まれたこの若者の仇を討つため、巣の上で手を振り外界へと促す雌鳥たちに背を向ける。だがはたしてその逡巡と失敗は彼にとって本当に繊細なビリーを庇護するため敢えなく選択された決断だっただろうか。映画が表立って描くのは、医療の名の下に人間がその意志を切除されるロボトミーの悲劇だ。だが一方でミロス・フォアマン監督はより根深い悲劇の可能性をも示唆する。手術が行われるよりずっと以前にマクマーフィーの「翼」はすでに自身の手によって無惨に切り取られていたのではなかったか、と。映画が最後に祈るように見据えるのは、マクマーフィーの奪われしその「翼」を引き継ぐべく鉄格子を破り、羽ばたくように外界へと巣立っていく大男チーフの姿だ。彼が力強い足取りで目指す先は、おそらくマクマーフィーが夢見たカナダの地だろう。自由へと飛び立っていくチーフの大きな背中は、ついに脱出口をくぐることなくそれでも最後までそれを願いそして夢見たマクマーフィーのその小さな背中でもある。大きな大きなチーフの背中に乗り、マクマーフィーは死してようやくカッコーの巣の上へと解き放たれるのだ。彼が見た絶望と、そしてその先に見据えつづけた希望とをたずさえて。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-09-17 23:20:56)(良:2票)
5.  クレイマー、クレイマー 《ネタバレ》 
お父さんとお母さんどっちが好き?と人に訊かれたら、私は迷うことなくお母さん!と答える子どもだった。父は毎日仕事で忙しく、顔を合わす機会も母と比べると極端に少なかったからだ。おまけにあの頃の父は、照れくささからなのか父親としての威厳を保つためなのか、わが子と親密なコミュニケーションをとるのが途轍もなく下手くそな人だった。そんな父の書斎の本棚にこの映画のパンフレットが大切に収められているのを見たのは、たしか小学生の頃だ。それ以来何度かテレビ放映を観逃しているうちに、私はいつしかお涙頂戴映画には拒絶反応を示すような生意気な十代になった。つまりこの映画は私にとって観る価値のないものとなったのだ。それ以来レンタルビデオ屋に行っても何百回と当たり前に素通りしてきた本作のDVDを、先日なぜか仕事場で貰うという奇妙な機会に恵まれた。そして観た。やはりお涙頂戴映画だった。私は泣いた。ダスティン・ホフマンにでもメリル・ストリープにでも可愛い金髪の子役にでもなく、この映画のパンフレットを東京の映画館から後生大事に持ち帰っただろう若き日の父に、泣いた。父は今も健在だ。だが父に似て親密なコミュニケーションをとるのが途轍もなく下手くそな人間に育った私は、このことを当の父には話せずにいる。父と子の関係なんて、たぶんそんなもんだ。だけどどれだけ照れくさくでもそれでも、そこにはちゃんと愛がある。お父さんとお母さんどっちが好き?と人に訊かれたあの頃、少しくらいは迷っておけばよかったなと、大人になった私はなんだかバカみたいだけれどそんなことを思った。
[DVD(字幕)] 7点(2010-07-22 17:23:29)(良:3票)
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