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1.  ロング・キス・グッドナイト 《ネタバレ》 
まさに90年代のアクション映画といった感じでCGもそれ程なくゴリゴリと実写で押しまくりながら、昔のヘビィメタルバンドのPVを彷彿とさせるような爆発と炎で画面を満たして話が進んでいきます。 アクション、コメディ的要素、ストーリー等平均点以上に楽しめるのですがどれも突き抜けるような特出したものはなく、それらが絡み合ってもそれ以上に感じさせてくれる相乗効果も生み出せてはいなかった様に思えます。 良い意味でA級の雰囲気を持ったB級の内容の作品と言った感じでした。  そのような中でサミュエル・L・ジャクソンが演じたミッチの役どころが印象に残りました。 過去に犯した罪によって別居中の(元?)奥さんの信用は0。 その為に息子との関係も微妙…。 現在進行形で家庭が崩壊しているミッチがサマンサと彼女の娘の絆を命懸けで守ろうとするその行動原理の中に反省や後悔、自分の家族に対する想いやサマンサに同じ想いをさせたくない等、彼の複雑な感情から導き出された潔い行動には好感が持てました。 また、彼のこの感情がサマンサとの関係を分かり易く処理して行き、最終的な2人の関係性も収まりの良いものにしているのと同時に話そのものにも厚みを持たせています。 ミッチを演じたサミュエル・L・ジャクソンもいつも通り良かったです。 若干のヒステリックさを要所に散りばめつつ教養の無さを表現している台詞回しで喋る彼の長台詞はアクセントや声の高低による不安定さと故意的と思われるリズム感をわざと外した間の悪さで彼独特のものとなっていますが、肯定的に彼の演技を見ている私には心地良く観賞する事が出来ました。  ブロックバスター的な安直なハッピーエンドでの話の纏め方でも解かるように作品全体として雑とまでは行かないまでの大雑把な作りになっていて、そのお陰で逆に見易くなっていた感じですが、音楽だけがその大雑把の恩恵に与れていない印象でした。 作中あれだけ良い曲を使っているにも拘らず、的確なタイミングで流れてこないのでどのシーンでも全く魅力が感じられませんでした。 本作の監督は映画に於ける音楽の説得力や破壊力といったものを軽視しているのではないかという印象を持ってしまいました。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-09-12 22:26:10)
2.  虹をつかむ男 南国奮斗篇 《ネタバレ》 
前作は渥美清さんへの追悼という意味もあって映画に対する想いがふんだんに詰まっていましたが、本作は主人公の職業の移動映画館主という設定程度で映画愛というよりも恋愛をテーマにしている感じです。 主人公の夢から始まる失恋コメディ、寅さんっぽいですが明らかに山田監督が今まで撮って来たコメディ映画の縮小再生産となっています。  渥美清さんと西田敏行さんとでは言葉通り役者が違いますし、西田さんでは表現しきれない所があったと思います。 渥美さんと比べて軽いキャラクターの為に松江との一晩の恋が成立した事は自然に描けていて良かったと思いますが、後日松江の家を訪ねた行為を船上でバカな事だったと反省するシーンは見ている側に哀愁を感じさせなければ成立しないのに、余りそれが感じられないので西田さんの残念な演技に対する哀愁とは別の悲しさを感じてしまいますし、活男が本当にデリカシーのない単なるバカな男にも見えてしまいます。 西田さんには西田さんの活男が有りそれを演じていたとは思いますが演技の深さのようなものが渥美さんとは決定的に違う印象でした。  西田さんと渥美さんを比較したら酷とも言えますから、それ以外の所でアドバンテージを取る必要があるので山田監督が脚本を今迄以上のものにしなければいけないのにそうはなっていません。 笑いもパワー不足ですし要所々々を引き締めるメッセージもそれ程響くものもなくシリーズを通してのテーマである映画愛に対しても失速してしまっています。  また、祝一家は奄美の島の人には見えませんでしたし、特に田中邦衛さんの配役は疑問に感じてしまいます。 演出に関しても作品のメインとなる映写機が壊れて活男と節子が歌い出し島民が島唄で踊るシーンや、最後の東京の亮と奄美の活男の虹に関する会話等も盛り上がりに欠けていた印象でした。  渥美さんという山田監督の脚本の行間まで演じきってしまう役者さんが居なくなってしまった今は、監督がきっちり行間の思いまでも脚本で書ききらなければ作品の質をキープ出来ないのではないかと思ったのと同時に、山田監督作品での渥美さんの存在の大きさを改めて感じてしまいました。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2015-07-16 17:57:02)
3.  学校Ⅱ 《ネタバレ》 
前作は田中邦衛さんが本作では吉岡秀隆さんが素晴らしい演技を見せてくれました。 「北の国から」の親子、恐るべしです。 がっかりするような演技をする役者さんが1人もいなかった為に作品に集中出来ましたし、映画としてその事が如何に大事かを改めて感じさせて貰いました。  竜先生が「与えるとか教えるとかではなく、自分達の仕事は子供達から学んだ事を返してやる事だ」いう趣旨の台詞を言っています。 一見すると謙虚で子供達の目線に立った言葉のように感じますが子供達に責任を負わせながら生産性のない内容の台詞になっているように感じました。 現実的には学校教育は理屈だけで何とかなるものではない事は理解しているつもりですが、持論を書かせて貰えればこれとは全く逆で「教える事によって子供達から何かを返して貰う」事が教師の仕事だと思います。 何かとは教えた事を覚えて(理解して)貰う事は勿論、学ぶ事への知識欲だったり、物事への探究心だったり、単純に教えて貰った事への感謝や嬉しさだったりと、それらの中でどれでもいいと思います。 ギブアンドテイクの最初のギブを教師からではなく子供達から求めていてはそれこそ高い給料を貰って楽をする行為だと思いますし、子供達の何倍もの歳や経験を重ねて来た人間が教える気概を放棄してしまったらそこは養護学校ではなく養護施設になってしまうと思います。 あくまで子供達から学ぶ事は教育現場での付加価値であり、それを教育理念としてしまうと教師達の教える事に対しての責任放棄にも見えてしまいます。 養護学校と一般的な学校とではやはり違いは有るのでしょうが、竜先生の彼等を特別扱いするなという言葉を受けるとそこにも落とし所は無いように思います。  批判的な事を書かせて貰いましたが本作には自分でもびっくりするくらい泣かされたのも事実です。 正直に言えば納得出来なかったのは上記した理屈ぐらいであとは堪能させて貰いました。  はじめの方で竜先生の財布を自分の机の上に置かれただけで潔癖症の女の子が滅茶苦茶嫌がっていたのに、卒業式の日の教室で彼女が竜先生に普通にリボン徽章を付けてあげている所などは山田監督のシレッとしたさり気ない演出の上手さを感じてしまいます。  音楽が全体的に感傷的になり過ぎずに情景をしっかりと支えている質の良い楽曲が多かった印象でしたし、スタッフロールの後ろで流れていた曲などはオカリナの包み込むような温もりのある音色が作品のイメージに非常に合っていたと思います。  また、高志や佑矢の笑顔が殆ど校外での出来事でしたので、校長の「学校の出来る事はしれてるんだよ」という台詞が何気に印象的でした。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-07-13 00:33:22)(良:1票)
4.  学校 《ネタバレ》 
山田監督の単語タイトルシリーズとも言えるもので、それらの作品はテーマに対してかなりストレートな内容になっています。 台詞や脚本も殆ど捻ったりせずにベタとも取れる言い回しや展開になっています。 その為に演じる役者さんの技量が低いと見ている側が恥ずかしくなってしまいます。 オムニバスのような各生徒達の回想シーンを絡ませた前半部で所々集中出来なかったのはそのような理由だと思います。 特に萩原さんの演技には困ってしまいました。 ミュージシャンが本業である大江千里さんのお医者さん役の方が安心して見ていられたのは何とも皮肉な事です。  後半のイノさんのエピソードになるとグッと作品に引き込まれます。 田中邦衛さんはやはり尋常では有りません。 本作での田中さんは何処という事ではなく全てのシーンで際立っていたと思います。 役柄にハマっていたという事も有りますが、作品を壊さずに自分を余すことなく主張できる数少ない役者さんだと思います。 少し大袈裟な所作と、大きく息を吸ってから口を窄めて喋る台詞とで独特のリズムを作って見せる演技は彼の風貌と相俟って唯一無二ですが、不思議と周りと協調できてしまいます。 単に自分の演技の事だけを考えて全面に出しているのではなく周りを見ながら微妙な所でバランスを取っているのだと思います。  オモニの焼肉屋での黒井先生とイノさんのやり取りはやるせない程切なくなってしまいました。 社会の中の大人として相手に常識的対応を求める黒井先生と、人として男としての感情を相手にぶつけるイノさん、それぞれの立場からすれば双方共それ程間違っていないと思います。 同情や哀れみを示しながら「同じ人間として」と言う無神経とも取れる黒井先生にイノさんが怒ってしまいますが彼の乱暴な行動によってイノさんがお店からつまみ出されてしまいます。 教養の有る者が教養の無い行動を取った者を無慈悲に社会から排除しているようにも映ります。 社会は教養の有る者によって作られていますし秩序を保つには当然の振る舞いですが、お店を出されるイノさんが黒井先生に言った最後の言葉は生きる事に不器用な者達の心の叫びにも聞こえました。  作中では幸福を理解する為に勉強すると言っていますが、勉強をする為の学校で逆に不幸になってしまう生徒がいる現状ではこの様な例外的な夜間中学校や他の受け皿の存在意義は大きいのではないかと感じました。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-07-10 20:20:39)
5.  ホワイトハンター ブラックハート 《ネタバレ》 
クリント・イーストウッドが尊敬するジョン・ヒューストンを演じた作品でジョンが持っていた人種やハリウッド、そして映画に対する想いや考え方を彼の破天荒な為人や事柄になぞって描かれています。 話の主なテーマは彼が象を撃つことへの執着心だと思います。 その強い執着心の理由を彼は「象を殺すことは犯罪なんかじゃない。それ以上の行為だ。象を殺すことは罪悪だ。許可証を買うだけで犯せる罪悪だ。だから何に代えても行いたい。」という説明をしています。 作中でジョンの親友のピートが象の事を「神の創造の奇跡」と言っているのでジョンの行為は「至高の創造物への冒涜」であり「神への挑戦」と受け止められます。 映画のテーマとしてはこれ以上ない程にゾクゾクしてしまいます。 しかもジョン・ヒューストンという自由奔放で身勝手なキャラクターを考えると彼に相応しい台詞だと思います。 その物の価値が解かっているからこその破壊願望。許可証が有ろうがなかろうがまさに犯罪等というレベルではなく原罪にも匹敵しそうな行為です。 三島由紀夫の「金閣寺」にも少しだけ繋がる思想です。 「象の立場はどーすんだ?」等というちっぽけで偽善とも言えるセンチメンタリズム的な事を考えてしまう自分だからこそ映画である事に安心してその後の展開に期待してしまいます。  しかし、ジョンに象は撃てずに突進してきた象から彼を守る為に現地人のキブが犠牲になり、彼の村の人から「白人の狩人は邪悪な心」というメッセージを投げかけられて失意の中での作中の映画のクランクインとなり本作は終わってしまいます。 私にとっては大失速でのエンディングでした。 あれだけ壮大なテーマとなる台詞を語っておきながらそこには触れずに着地地点は「人種問題」という幕引きは曖昧かつ中途半端な印象になってしました。 この原作でしたらジョン・ヒューストンの内面世界を掘り下げていき最後まで彼中心で見せていかないと何の為にジョン・ヒューストンというアクの強いキャラクターを選んだのか判らなくなってしまいますし、「人種問題」をメインのテーマにするのでしたらこの原作を選ぶ必要はないと思います。 人種問題は前半で描いたユダヤ人問題と黒人ウエイターが原因の決闘等の数シーンだけにして、あくまでも1つの要素としてだけで良かった気がします。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2015-07-03 01:36:47)
6.  息子(1991) 《ネタバレ》 
年老いた照男や聾唖の征子は周りの人達から腫れ物のように扱われます。 一応福祉制度が確立されているこの国の社会では要介護老人や障害者は等級を付けられて区分されます。 制度運営の効率上、必要な事だと思います。 しかし、システム化が進む程、対象の人達も人格を持った一個人としてではなくシステムの一部として扱われがちになってしまいます。 本作はそのような社会へのアンチテーゼを訴えている様に感じました。 しかし、作中ではそんな社会に対する不満はタキさんや寺尾に怒鳴らせておいて、当事者たちの問題は身近な人間関係の中で展開されます。  田舎で一人暮らしをしている老いた父親を引き取ろうとする忠司の行いは立派ですが、長男の責任や世間への体裁以上の感情は感じられませんし、征子の周りの人達も彼女を気の毒な女性としか見ていません。 そのように扱われる彼等には、同じ目線で接してくる哲夫の存在は生きる喜びの本質を感じさせてくれているように思えたのではないでしょうか。 哲夫が照男に征子を紹介する時に「この人には俺が必要で、俺にはこの人が必要なんだ。」という台詞や、照男が哲夫に「お前いつまで俺に心配させるんだ。」という台詞で表されているように思います。 他人から頼りにされる事は自分の存在意義と、それだけで生き甲斐にも通じます。 そのような彼等を特別に清らかな存在とはせずに、頑固者の爺さんであったり、彼氏と別れる時に自分からキスをする積極的な面のある女性であったりと、監督も普通の人間と同じ目線で描いています。 また、この様なテーマを東京で苦労しながら暮らす息子の哲夫を通して極めて自然に溶け込ませ、且つ丁寧な情景描写として描く演出は、見ている側の感情に深く染み込んできます。 東京で頑張って自分の人生を切り開こうとしている息子に対して、不器用な父親が夜中にビールを煽って歌い出すプリミティブな感情表現は至極とも言えます。 特にこのシーンの黙々と歌う三国さんと、初めは少し驚きますが俯き加減で口元を緩める長瀬さんの表情と演技には引き込まれます。  ラストの出稼ぎから戻った時の家族が揃った回想シーンは、作中で一番色が鮮やかでありながら柔らかいトーンの画で描かれ、家に戻った一人ぼっちの照男の心境的対比となっているのと同時に、私には汲み取り切れないであろう彼の人生の重さや量の様なものを想像して感傷的になってしまいました。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2015-05-26 21:53:32)(良:1票)
7.  ブロードウェイと銃弾 《ネタバレ》 
ウッディー・アレンは斜に構えたインテリ監督と言ったイメージを持っていたので今まで敬遠していました。  本作の印象としては脚本の整合性と安定した世界観により、人が殺されたり不貞を働くシーン等をブラックユーモアとして作品から浮かずにストレス無く見ることが出来ました。  ロートレックのポスターの様なレトロな雰囲気で、尚且つ暗部を強調し奥行きを持たせている映像は、20世紀初頭のアメリカでありながらヨーロッパにも見えるような美しさが有りました。 そしてその映像美を支えているカメラワークが素晴らしかったです。 オリーブの殺害の嫌疑をニックがチーチに探りを入れる長回しのシーンで、セットの奥行きを活かしての演出にドリーでフォローしつつ、ニックが確信を突きチーチに詰め寄る所でカメラが軽く回り込みながらパンをしてチーチの表情を捉える動きは俊逸ですし、照明もハイライトと暗部のコントラストで緊張感を出す見せ方になっています。 作中で随所に見られるこれらのカメラワークの何よりも素晴らしいのは、作品の本流であるストーリーや演出、雰囲気を一切邪魔すること無くさり気なく、必要に応じて使われていることです。  この様に素晴らしい構成要素が多々あったのに、それ程作品には入り込めませんでした。 理由としてはテンポをもう少しだけ速めても良かったのではないかという所と、コメディにしては盛り上がりが弱く感じた所、話の結末が安直過ぎるという所です。(コメディなので安直な方がすっきりするのですが安直過ぎるのもどうかと思います) しかし、正直に言うと一番の理由は監督に対する自分の先入観だと思います。 良くないとは思いながらも残念ながら結局は最後まで拭い切る事は出来ませんでした。 カボチャが嫌いな私はどんなに美味しいパンプキンパイも遠慮してしまいます…。 冒頭で斜に構えた監督と評しましたが、私の方が彼の作品に対して斜に構えた形で見ていた事になります。 映画の見方に対するレビューがあったら、恥ずかしながら今回の自分のそれは1点か2点でしょう。 映画は作品から自分について教えられることが有りますが、まさかコメディで自分の欠点を認識するとは…。 しかし、本作を見て機会があれば彼の作品をまた見たいと思いました。 私の中にある彼の評価を覆らせてくれる様な作品に出会える可能性を感じさせて貰えましたし、是非そうなることを願っています。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-05-25 16:03:03)
8.  ヒート 《ネタバレ》 
ハリウッドを代表する2大俳優を警察と犯罪グループにそれぞれ配役することで、一本の映画の中に2つの物語を通常の2倍ではなく1.5倍の尺に収めた結果、正直描ききれていない部分はあったと思います。 アル・パチーノとロバート・デ・ニーロの演技も彼等の雰囲気やモンタージュ的なアップに頼っていて、特筆する程では無かった様に感じました。 登場人物達の男女関係を中心とする人間ドラマも、浅くはないものの全体的には中途半端に映りました。 しかし、それらをあくまで付加価値と捉えて犯罪バイオレンス、アクション刑事ドラマと見ると非常に面白かったです。  裏切りと信頼、策略と報復、逃亡と追跡等を、迫力のある映像・効果音の派手な銃撃戦や、それぞれの登場人物の物語を絡めて丁寧かつダイナミックに描いていたと思います。 前述した通りそれぞれの人間ドラマは深くは無いですが、各シークエンスの伏線や説得力としては十分ですし、それによって作品自体を濃密なものにしていると思います。 犯行グループと警察がそれぞれ結構がんばって計画を立てていますが、結局はほぼ双方とも毎回上手くいかずに破綻しますが、返ってそこからの力技での展開が楽しめました。  ラストでニールが死に際にヴィンセントの手を求めるシーンは印象的でした。私も自分の死に際を無理矢理に想像すると、人のぬくもりを求める行為は普通にあると思いました。 互いに『熱気』を漲らしていた2人が、決着を着けられた相手に『ぬくもり』を求めるのに対して、決着を着けた相手に迷いなく自然に応じる姿は、極限状態を渡り合った結果の男同士には異なるものは立場だけだとでも語っている様でした。 また、ラストカットの背景に対する人物のフレーミングと光のコントラストは絶品です。 ここまでカッコ良い映像のラストカットは他に余り思い当たりません。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-05-01 02:20:41)
9.  グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 《ネタバレ》 
知識で武装しているウィルはバーでナンパの邪魔をしたM・ボルトン似の男とやり方は違いますが本質は変わらないと思います。 知識はあるが教養がなく、その知識で相手を攻撃することで自己防衛するウィルにショーンが「何になりたいんだ?」と聞くとウィルは黙ってしまいます。 知識からではなく欲求や願望という自分自身と対峙しないと得られない本質的な質問には答えられないウィルは、人間的にかなりバランスを欠いています。  そんな彼が周りの仲間の助けを借りて自分を変えていく物語です。 勿論、主人公のウィルを中心に描いていますが周りの人達との関係や彼等個人の内面もバランス良く丁寧に描いているので作品に広がりと深みが加わります。 指導的な立場である教授達にも悩みや人間関係の不和があります。 日々を浪費しているだけに見える友達の誠実なウィルへの気持ちなどは胸を打たれます。 チャッキーの「お前のようになれるなら何だってやる、ここにいるのは俺達への侮辱だ。」という台詞は、彼と同じように才能のない自分には凄く良く分かります。 類稀な才能を持ちながら一歩を踏み出さない、勇気と努力のないウィルへの怒りを伴った忠告であるのと同時に、勇気と努力を持って一歩を踏み出す事は才能とは関係ないという自分への憤りとも取れる印象的なシーンでした。  彼の問題は、自分に関心を持って貰いたいのと同時に、他人が積極的に彼に携わろうとすると心を閉ざして相手を攻撃するという相反する理屈を抱えてしまい自分自身では解決できなくなった歪んだ承認欲求ではないでしょうか。 廊下の黒板の問題を解くことも、わざと友達にデッドボールを投げてかまって貰うなども拡大した承認欲求の現れのような気がします。 しかし、彼が恵まれていたのは良い仲間がいて、彼等が彼に尽力してくれたことです。 その様な攻撃的な自己防衛の原因になった心の奥底に隠していた過去に受けた虐待を自分と他人で共有することで解決へと向かいます。 そしてウィル自身は自覚がないかもしれませんが、彼の変化がその仲間達にも良い影響を与えています。 決して一人では築く事の出来ない人との繋がりの機微を感じさせて貰える作品でした。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-04-28 19:05:44)
10.  39 刑法第三十九条 《ネタバレ》 
設定にはおかしな所が有りましたが、話の展開は非常に面白かったです。 登場人物のキャラクター付けも工夫していて良かったですが、無駄な演出が多い気がしました。 奇抜な演出や映像を撮りたいのならば、映画監督ではなくミュージックビデオの監督や、前衛的と呼ばれる映像作家にでもなった方が良かったのではないでしょうか。  「刑法39条は人権を守る事では無く人権を奪う事では無いのか。」と香深の台詞にあったが、心神喪失者が犯した罪に対しての罰を負うという義務の免除であって、彼等の人権を奪うものでは有りません。 仮にそうなら、彼等が被害者になった時も法による基本的権利を主張できない事になるが、実際はそうでは有りません。 恐らく彼女の言いたかった事は人としての権利ではなく、人としての尊厳だと思います。結論から言えばそれも違いますがここでは書きません。 問題なのは虚偽による悪用や、酒や薬物等による一過性の心神喪失を何処まで認めさせるかという被告人の罪を軽減する為の利己的な拡大解釈だと思います。  また彼女は「精神鑑定は鑑定士の主観である。」と言っていましたが当たり前です。 「だから何なんだ?」って感じです。 裁判自体主観です。 法律や過去の判例に照らし合せても裁判員によって判決は異なります。 人が人を判断したり裁く時点で完璧な結果にはなりませが、それでも人が結論を出さなければなりません。 神様は宗教やお伽話の中にしか居ませんし、タヌキやコオロギが人を裁いてはくれません。 クライマックスでの主人公の一番大きな声での台詞が、私には尽く理解出来ないものになってしまったのは残念です。 刑法39条は社会的弱者といわれる心神喪失者を包括している私達の社会構造の中で必要不可欠なもので、これを否定する事は互助的な社会福祉や社会的倫理観を根底から否定する事に繋がります。 中途半端な問題定義をして底の浅い結論付けをするよりも、あくまで話の要素の1つとしてサスペンスに徹した方が良かったのではないかと思いました。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2015-04-25 18:43:34)
11.  HANA-BI 《ネタバレ》 
台詞とストーリーを出来るだけ削ぎ落として、暴力と、小ネタのギャグと、監督自身の絵をモンタージュ的に重ねていき仕上げている作品で、それらから何かを感じ取れている人が高評価を付けているのだろうが、ほぼ何も感じられず、理解も出来ない残念な私にとっては魅力的な作品にはならなかったです。 リズムをわざと外し間延びさせるような編集も心地良くないし、映像的に印象に残るシーンも特に有りませんでした。 悪い意味でギミックや手法にばかり意識がいってしまい作品に入り込む事が出来ませんでした。   正直、嫌味ではなく本作を理解できる人を羨ましく思ますが、その反面、その理解は監督の意図しているものだと自信を持って答えられる人(特に映画評論家)はどのくらい居るのかと思ってしまいました。
[CS・衛星(邦画)] 2点(2015-04-20 04:25:58)(良:1票)
12.  リプリー
ノーベル賞級の細胞の作成に成功したと言っていた人の事を思い出した。 「ディッキーは、私でぇ~~す」みたいな…。 
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-04-15 17:57:45)
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