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「死」自体を含めた「生」に対する“衝動”。
そのあまりにも荒々しく、場面によっては酷く稚拙にすら見える映画世界は、とてもじゃないが、世界に名を知れた還暦間際の映画監督の作品だとは、“普通”思えない。 池松壮亮や蒼井優が画面に登場していなければ、どこかの映画学校の学生が制作したのかと誤解してしまう“雰囲気”が無くはない。 が、しかし、これが「塚本晋也」の映画作品である以上、“普通”という言葉で収まるわけもなく、その稚拙さも含めた荒々しさに、只々、心がざわめく。 この映画は、幕末の農村を舞台とした時代劇ではあるが、一般的な「時代劇」という価値観に言い含められる様式や整合性、論理性などはまるで通用しない。 そこに存在したものは、60歳手前にして、相変わらずイカれた目をしている鬼才監督自身の「衝動」であった。 「1本の刀を過剰に見つめ、なぜ斬らねばならないかに悩む若者を撮りたいと思った」 と、塚本晋也監督はこの作品の発端について言及している。それは、監督自身のインサイドで発生した衝動に他ならない。 ある時、真剣を見つめた彼は、衝動的にその刃を振り下ろしてみたくなり、そこに纏わる「生」と「死」を描き出さずにはいられなかったのだろう。 そして、その衝動は、監督自身が演じた“澤村次郎左衛門”というキャラクターの狂気に集約されている。 当然ながら、真っ当な「時代劇」を期待して本作を鑑賞すると面食らい、最終的には呆然としてしまうことは避けられないだろう。 明確な「死」に直面した主人公の侍は、無意識下で拒否する体調に苦しみ、その一方ではリビドー(性衝動)を抑えきれない。 そして、文字通り精も根も尽き果てる。 それは「時代」の急激な変動を目の当たりにして、“生き方”を変えざるを得ない人間そのものに生じた本能的な「拒否反応」のようにも見えた。 その繊細な心情を身一つで表現するに当たって、主演の池松壮亮は適役だったと言えよう。 そういえば、彼の初出演作映画は「ラストサムライ」(当時12~13歳)。あの映画も、幕末の農村が舞台となっていた。 全く関係ない映画作品ではあるけれど、両作のキャラクターとそれを演じた一人の俳優の成長を通じて、何か運命めいたものも感じる。 そして、蒼井優が久しぶりに“ブチ切れた”演技を見せてくれており、長年この女優の大ファンの者としては、彼女が体現するあどけなさ、危うさ、妖しさ、その全てが印象的だった。 山奥を彷徨う“視点”でのエンドロールを経て、果たして主人公は「生」を繋ぎ止めることができたのか否か。 「死をも克服している可能性すらある」と、“澤村次郎左衛門”と全く同じ風貌の“学会の異端児”の台詞が、どこからか聞こえてきそうだ。 【鉄腕麗人】さん [インターネット(邦画)] 7点(2020-03-20 23:13:32)
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