蜜蜂と遠雷 の まいか さんのクチコミ・感想

Menu
 > 作品
 > ミ行
 > 蜜蜂と遠雷
 > まいかさんのレビュー
蜜蜂と遠雷 の まいか さんのクチコミ・感想
作品情報
タイトル名 蜜蜂と遠雷
製作国
上映時間119分
劇場公開日 2019-10-04
ジャンルドラマ,青春もの,音楽もの,小説の映画化
レビュー情報
まず脚本が弱い。べつの脚本家を立てるべきだったと思います。物語として何を伝えようとしているのかが最後まで見えませんでした。
映像は非常に美しいですが、映像そのものが何かを語れていたかといえば、かなり疑問です。「生活者の音楽」とか「世界が鳴っている」とか「世界が祝福している」といったことが、セリフとして語られることはあっても、映像じたいによって説得的に表現されることはありませんでした。「生活者」にかんしていえば、映像的には、松坂桃李よりも、むしろ眞島秀和のほうがはるかに「生活者」を感じさせました。
ムーンメドレーを連弾したときに、二人がどのような「月」のイマジネーションを飛翔させたのか。それも映像で語られることはありません。ただ二人の手と表情が映されただけです。「春と修羅」を演奏するときに、それぞれのピアニストは何を表現しようと試みたのか。それも映像としては何ひとつ語られません。やはり演者の手と表情が映されただけです。そもそも宮沢賢治の「春と修羅」の世界は何ひとつ映像化されていません。プロコフィエフやバルトークの協奏曲の演奏場面でも、描かれるのは演奏者の表情と聴衆の反応ばかりで、そもそも作曲家と演奏者が何を描こうとしたかはまったく見えてきません。
これでは「音楽を映画にした」とは言えないと思います。この映画自体が「世界が鳴っている」ことを十分に体現できていない。
音楽映画としての意義は、いかに「いい音楽を聴かせたかどうか」ではなく、いかに「映像で音楽を見せたかどうか」に求められるはずです。いい音楽を聴かせるだけなら、プロの奏者に演奏させれば済むことです。音楽映画であるためには、音楽がイメージとして観客に共有されなければなりません。演奏場面で手と表情を映すだけなら、普通のコンサート映像と同じです。顔だけ俳優に置き換えたにすぎません。
それぞれのピアニストが、どんな困難を、どのようにして乗り越えたのかも、映画を見ただけではほとんど理解できません。「蜜蜂」と「遠雷」が作品の表題である必然性も、映画を見ただけでは何も伝わりませんでした。「雨と馬」に至っては、まったくもって意味不明でした。これでは、たんに原作を読んだ人のためのイメージダイジェストでしかありません。映画を見ただけで「蜜蜂」が“天賦(ギフト)”を意味すると理解できる人は皆無でしょう。まして、スローモーションの「雨と馬」が、原体験としての“ギャロップのリズム”だと理解するのは絶対に不可能です。「雨と馬」のもったいぶった映像を流す暇があったら、「蜜蜂」と「遠雷」の意味の対比をもっと明確に示すべきだったでしょう。
扱き下ろすほどひどい作品ではありませんが、ポーランドの映画大学に学んだエリートの作品と期待しただけに、長いミュージックビデオのような内容には肩透かしを喰らいました。
まいかさん [映画館(邦画)] 6点(2019-10-30 19:59:20)(良:2票)
まいか さんの 最近のクチコミ・感想
投稿日付邦題コメント平均点
2024-04-14舞妓はレディ6レビュー6.11点
2024-04-12ジェーン・エア(1944)7レビュー4.87点
2024-04-12女は二度生まれる8レビュー7.54点
2024-04-11シェルブールの雨傘8レビュー7.57点
2024-04-09ドライブ・マイ・カー8レビュー6.62点
2024-04-09マトリックス7レビュー6.92点
2024-04-09怒りの葡萄7レビュー7.02点
2024-04-08双頭の鷲7レビュー6.00点
2024-04-07魚影の群れ7レビュー7.00点
2024-04-06すずめの戸締まり8レビュー6.54点
蜜蜂と遠雷のレビュー一覧を見る


© 1997 JTNEWS