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邦画は娯楽を作れなくなったんでしょうか?
「en‐taxi」という雑誌で斎藤環が苦言を呈してましたが、確かに邦画は「画面が暗い」ために面白くないです。アート系だったらそれでもいいんですが、娯楽映画の場合は人物と背景の違いがハッキリしてくれんと困る。本作『模倣犯』の様に、背景の薄暗さに人物が溶け込んじゃうようではダメなんです。この映画は人物で見せる映画なのですから、時刻が夕刻であろうとなかろうと人物を背景から浮び上がらせる位に意識的に明かにしてもいい。都市の犯罪という人間的な現象を描く時に、人物がぼんやりと銀幕に映ってしまうのは、サスペンス映画を何と心得るか分かりませんね。 それでも、背景に飲まれる人物だったらいいかもしれない。「模倣犯」という現代の犯罪を描くんであれば、背景の力に犯罪者が生み出されるって意味での飲まれ方だったら面白いかもしれない。ただ、それだって背景に溶け込んじゃうとやっぱりつまらんと思うんです。背景に飲まれたとしても、人物の存在感は大きくないとつまらんのです。背景に飲まれっぱなしではなくて、飲まれた後、人間が驚くのは犯罪者の凄味ですから、犯罪者の存在が大きくないとダメだし、犯罪者に打ち克とうとする人物の存在が大きくないとダメです。 本作では「画面の暗さ」によって映画が人物をクローズアップさせることができない。背景がどうにも目立ってしまう。だけど娯楽映画で人物がかすむのは致命的です。客は人物と人物とのコミュニケーションを見に来るんですから。特に「模倣犯」という題材といい、雑多な出演陣といい、人間をクローズアップさせたいことは明瞭じゃないですか。それなのに、なぜ画面を暗くして人物の存在感をかすませるのでしょうか?こんなんだから邦画の娯楽映画はつまらんのです。『踊る大捜査線』はそういう意味で逆なので、ヒットしたんだと思います、私は。 【はなぶさ】さん 2点(2004-06-02 10:38:13)
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