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《ネタバレ》 公開が難しいうえ、冒頭に「イタリア当局によって文化的価値が認められています」などという異例の断りがあることの理由は2話目の顛末を見てもらえれば一目瞭然です。
…あのシーンが遠景にもかかわらず必要だったのかどうか、私にはよくわからない。問題のシーン無しでも、ことの顛末を示すことは充分できるのだが、作り手にとっては不可欠なシーンだったということだ。 1話目については、フェリーチェ、トビア、ジーノの三者の関係がトビア=フェリーチェの内なる弱きもの、ジーノ=フェリーチェの内なる悪だがもしかすると願望?とか、現実の自分の状況が夢では逆転するという医師の話をどこまでどう受け取っていいのかとか、浜辺に移動したあとのシーンはどこまで現実だと考えていいのかも、悩むところです。結局フェリーチェは入水したのですから。 問題の2話目、少年の名前は、新聞の記事の写真の下を見ると「ヴィンチェンゾ」だということがわかります。 しかし、ヴィンチェンゾはロッコの名前を呼ぶのですが、ロッコは一度も名前で呼びかけない。 このことはとても重要です。ロッコは少年をどんなに可愛がっても、名前を呼んで人間扱いしたくないのです。ロッコはつまり、プロなのです。 「おまえは犬が一緒にいたら可愛がらないか?一緒に遊んだり、話しかけたりしないか?犬がケガをしそうになったら、心配するだろ?それと同じことをしただけさ。」…おそらくこれがロッコの心情です。それは「可愛がっていたなら、なぜ殺したのか。」という問いに対する、ロッコの言い訳です。 山の名前にもなったバッラロは老いていたため〝知恵があり〟、そして〝知恵が彼の命を延ばし〟たため、犯人たちに殺されないで済みました。彼を殺したのは〝肉体の寿命〟です。 いっぽう、ヴィンチェンゾはまだ子供で、知恵で周囲を懐柔することはできませんでした。バッラロのエピソードに20分も割かれているのはビンチェンゾとの違いを強調するためでしょう。 さて最後に、父親はなぜ自供を始めたのでしょうか。それは取り引きによって、自分の刑を軽くしてもらうためです。彼は息子が殺されることを、予測していなかったのでしょうか。彼もまたプロですから、そうは思えません。 父親は、自分の人生と息子の命を比べたのです。…この作品で一番怖い部分は、実はここのところだと私は思うのですがどうでしょうか。 【パブロン中毒】さん [地上波(字幕)] 8点(2010-06-13 15:16:37)
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