1.《ネタバレ》 日本公開前から主演のトランスジェンダー女優のSNSでの差別発言が掘り出され、
賞レースに影響を及ぼすなどネガティブな話題ばかりが取り沙汰されていたが、
実際に本作を見ても先入観が覆されることはなかった。
"多様性"という一部の意識高い系映画評論家が持ち上げているだけで内容がまるで伴っていない。
正直、本年度のアカデミー賞で最多部門候補に挙がるほどかと。
事実、米配給のネットフリックスでも人気がまるでなく、ロッテントマトでも観客の評価は最低、
舞台のメキシコでも不評だらけだ。
そりゃそうだ。
日本に例えれば、日本のことをよく知らない外国人監督が、性転換するヤクザの話を描こう、
それで主演俳優陣が片言日本語だらけのアジア系俳優ばかりなら、この映画の違和感が分かるはずだ。
自分らしく生きたい、好きなように生きたいと歌っても、そこには責任が伴う。
性転換前は凶悪な麻薬カルテルのボスとして悪逆非道を働いた性同一性障害の男が、
"女"に生まれ変わって、行方不明者の捜索と遺族への支援といった慈善団体を立ち上げるも、
どこか凄い虫が良すぎるのではないか。
死を偽装しながらも、子供には会いたいと叔母して招くあたりもそう。
元妻も子供そっちのけで元カレと遊びまくり、
演じる俳優陣の素性もあって、身勝手すぎて感情移入できるわけないでしょ。
ギャング映画としても、社会派映画としても、ミュージカル映画としても中途半端。
単に"多様性"で誤魔化しているだけで、オーディアールのベストでもない。
グダグダな展開が続いて、エミリアが誘拐される事件が終盤起きるも、
発端が正体バレたではなく、子供の"親権争い"と元妻の身代金目当てだから下世話すぎて…
取って付けたような悲劇的なラストも、自分からしたら因果応報にしか見えなかった。
もし、カマラ・ハリスが大統領になって、主演女優の炎上発言がなければ作品賞受賞の可能性があると考えると、
アカデミー賞の本来の価値が悪い意味で変質してしまうかもしれなかった(半ばそうなっているが)。
観客不在であり、政治発言の場所ではない。
今後、トランプの"テコ入れ"前に方向転換するか、屈服を拒絶してDEIを推し続けるか、
映画産業は大きな転換点を迎えている。
クリエイターには本当に描きたいものは何か、その原点に立ち返って欲しい。
劇中でも現実でも振り回されたゾーイ・サルダナはもはや主演と言っても良いくらいの熱演で、
彼女のために3点献上します。