4.《ネタバレ》 TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、その埋め合わせのために鑑賞。この目的で最初にレンタル店で取り寄せてもらった【大忍術映画 ワタリ:1966年】は、残念ながら私にとって【赤影】のような作品にはならず、続けて観たのが当作品です。
当作品の脚本は【赤影】と同じ伊上勝さん。監督は倉田準二さんと共に【赤影】を支えた山内鉄也さん。実は、小学生のとき、当作品をTVで2回ほど観たことがあります。ただ、当時の私は【怪獣映画】の視点から「ゴジラや大魔神に比べるとちょっとな…」という認識に留まっていました。しかし【恐竜・怪鳥の…】と【ワタリ】で引きずったやり場のない気持ちはどうしようもなく、再見へと駆り立てられたのでした。さて、結果は…
良い意味で【子供向けの忍者映画】として「こんなに面白かったとは!これぞ赤影に通じる作品だ!」と感激しました。ノスタルジックな主題歌を始め、当時のワイヤーアクションや合成技術を交えた忍術シーンの数々は「これぞ昭和だ!当時の男の子達を忍者ごっこへ駆り立てたトリック映像だ!」とワクワクしました。怪竜(大ガマと竜)の場面も、意外に(失礼…)良かったです。怪竜達の造形は、眼が電灯のように光るなど作り物めいていますが、皮膚感は良好な印象を受けました。城のミニチュアも精巧で壊れっぷりの見事さに感心しました。東宝や大映と違って特撮監督がおらず、山内監督達で試行錯誤して撮ったそうですから、そのことを考えれば素晴らしい出来栄えと思われます。
感激したのはこれだけではありません。
まず、主人公二人がいい!。自雷也ことイカヅチ丸を演じた松方弘樹さんは清々しく、ヒロイン・ツナデを演じた小川知子さんは初々しく…というように、お二人のその後のキャリアを知っているだけに、とても新鮮な気持ちになれました。
次に、悪役もいい!。【赤影】に出演した天津敏さん扮するユウキ・ダイジョウは勿論ですが、それ以上に、オロチ丸を演じた大友柳太朗さんが印象に残りました。大友さんは【ワタリ】にも出演されていましたが、当作品のほうがアクションが多く、最後の負けっぷりも威風堂々としていて、久しぶりに悪役らしい悪役を観た思いです。
また、トリック以外の【絵作り】もいい!。例えば【ツナデと、その祖母・蜘蛛ババが別れの言葉を交わすシーン】は、山の陰影をバックに、二人を際立たせるように撮影した様子が伺えます。子供向けでも手を抜かない作り手の皆さんの誠実な姿勢に感じ入りました。
さらに、時代劇としてもいい!。内容は【仇うち/悪の道に堕ち、師匠を殺めた兄弟子と、それに立ち向かう若き弟子との宿命の対決/悪役である父と、主人公との板挟みに苦しむヒロイン】…と、時代劇の【お約束】がてんこ盛りです。監督の山内鉄也さんは、後年、TVシリーズ【水戸黄門】を手掛けたそうですが、元々【お約束に基づく物語運び】の演出に長けておられたのかもしれません。最後は一騎打ちで勝敗を決っしますが、これは【時代劇の東映】としての誇りのなせるシーンかもしれません。
ところで【大人目線】で考えれば「元・尾形家の領土にもう城は無い。あるのは、これからお前たち領民が創る美しい野や畑だ。健やかに育ち、いい土地を創るのだぞ」というイカヅチ丸の締めの台詞は、↓の【くるきまき】さんのおっしゃる通り、現実的ではないかな…と思われます。きっと隣国の領主が侵攻して来るか、たとえ領民による自治が実現しても様々な意見・利害対立が生じ、それを統制する権力的な存在が現れることでしょう。ただ、当時は、高度経済成長を背景に【国や大手企業による開発で、故郷の野や畑から追いやられた人々のこと/開発の結果としての公害】が社会問題になっていました。その意味では「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」という【昔話の締め括りのフレーズ】と同様に『現実にはあり得ないにしても、こうであってほしい』という願いが込められた台詞として受けとめていいのかもしれません。
さて、採点ですが【恐竜・怪鳥…】の反動で、再見当初の感激は10点でした。冷静に考えて①あくまで子供向けであり、大人の鑑賞に堪える同時期の【大魔神三部作:1966年】に比べると…、②オロチ丸が悪の道に堕ちた理由も描かれていれば、アメリカの某スペース・ファンタジー映画シリーズに負けない見応えになっていたかも(笑)…という2点を差し引き、8点とさせていただきます。いずれにせよ、私には嬉しい作品になりました。きっかけを作ってくれたとも言える【恐竜・怪鳥…】を、ようやく肯定的に胸にしまっておけそうです。