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<ネタバレ>導入部で、生徒たちが類型的な悪ガキではない描写をしているところで、作品が他の類作とは一線を画するものになることを予感させる。生徒たちは、一見して礼儀正しく真面目であるし、問題は解決されたかのように見えている。しかし、本当に問題なのは、日常生活の当たり前の中で当たり前に起こる邪で傲慢な何かなのだ。また、主人公以外の先生たちも、ありきたりな描写を脱却し、彼らなりに熱心な活動を行っているものとして位置づけられている。例えば、作文を合格するまで何回も書かせるというようなことは、熱意がないとできないし、場合によっては正しい(それによって生徒が到達するのは建前論だけかもしれないが、建前論を生徒に理解させるだけでも、本当は大変なことだ)。しかし、この事件の発生の経緯からすれば、それでは不足だったのだ。また、手法論的にも、何気ない教室の風景のフレームの隅の生徒まできちんと演技がついている指導、沈黙の時間を恐れず、むしろそれを有効に使っている演出、光の使い方やカメラの動き、ここぞというところで言葉を大切にする脚本など、制作者のなみなみならぬ決意が随所に表れている。