<ネタバレ>そうそう、そうなのよね。ターミネーター1作目のT-800の部 .. >(続きを読む)
<ネタバレ>そうそう、そうなのよね。ターミネーター1作目のT-800の部品がこの世から消滅したら、未来は書き換えられたのだから、その消滅の瞬間をもってターミネーター2のT-800の姿もかき消えちゃうべきなのかどうか、という問題。
それはともかくとして。
この作品、いかにも「小説を映画化しました」っぽい雰囲気があるんですが、実際はオリジナル脚本らしく、「まず小説にしたら面白くなりそうな題材を、映画のためだけに準備してくるなんて、すばらしい! やればできるじゃないか!」
ってことで、いいんだろうか。なんかちょっと、ダメな気が。
映画用に脚本を書くのはそれを「映画」にしたいからであって、あるいは原作小説を映画用に改変するのもまたそれを「映画」にしたいからであって。しかるに、原作も無いのに「原作小説の映画化」っぽく感じてしまうというのは、言葉を変えると、アイデア先行でそれを必ずしも「映画」に昇華しきれていない印象。アイデアと、出来上がった作品との、分離感。まあ、実際に原作のある映画だって、うまくやればこんなことは感じずに済むのですが。
いや、この作品、いい雰囲気は、あるんですけどね。のどかな景色、音楽も抑え気味にして、静かな雰囲気での統一感。
ただ、登場人物の描き方までが静的というか淡泊、彼らの抱えるバックグラウンドなども、もう一つ心に響いてこない。ストーリーの都合で配置されただけのキャラ・・・少なくともブルース・ウィリスは、そんな感じ。
今の自分と未来の自分が対立する。両者の間には(それなりに「取返しのつかない」)時間と経験の差分があるはず。その差分の描写が、この程度でいいんだろうか。というより、どちらも「自分」なんだし、相手にもうちょっと関心を持たないものなのかしらん。
そういう要素が作品に不要なら、別に省いてもいいと思うけど、この作品には必要だったんじゃないかなあ。
古典的なSFの発想だと、「過去の自分が消えれば未来の自分も消滅する」となるけど、それを逆順にしてみせた(未来の自分が消えることで今の自分が消える)のが、この作品の最大の功績ですかね。