怪談の語り手というものはやはり、まずは超然としていて欲しいも .. >(続きを読む)
怪談の語り手というものはやはり、まずは超然としていて欲しいものですね。それによってはじめて語り手が雰囲気をコントロールできる。聴き手が怖がるよりも先に、語り手が怖そうな素振りをするのは、ご法度でしょう。白けてしまいます。本作も、そういう点で、要領を得ない映画ですね。アロノフスキーの『π』なり『レクイエム~』なりは、「不条理」を詰将棋のごとく積み上げる「合理性」、みたいなものがあって、何がしかの成功があったかな、と思います。