『逃亡者(1993年)』でキンブル医師を追いかけてたジェラー .. >(続きを読む)
『逃亡者(1993年)』でキンブル医師を追いかけてたジェラードさんが、今回は物語の中心、というほど中心と言えるかどうか、しかし演じるトミー・リー・ジョーンズが主演扱いなんだからまあ一応そうなんでしょう、という作品。もっとも、主人公が誰なのかか俳優名のクレジット順で決まる訳ではない、ということは『スーパーマン(1978年)』の例を出すまでもないけれど。
『逃亡者』という作品の成功の立役者であることは間違いない、この「トミー・リー・」ジェラードさんではありますが、一方で、彼で映画をもう一本、ってのがすでに、誰の目にもハズレ企画感が濃厚だったりして、ハードルが高いんだか低いんだかよくわからない作品でもあります。
実際、作品としては、なんとも微妙な位置に着地しております。毒にもならなければクスリにもならず・・・。
今回追いかける相手は、ウェズリー・スナイプス。ハリソン・フォード演じるキンブル医師よりはしっかりしていて、相手としては手ごわそうだけど、と言って『デモリションマン』の時みたいなハジけたキャラではなく、すなわち極悪ではなく、彼の逃亡には何らかの裏がある、という設定。だもんで、イマイチ迫力が無く、どっちかというと『逃亡者』の二番煎じ的。
たぶんそれは製作サイドの意識的なもので、『逃亡者』を彷彿とさせるシーンが織り込まれているのも、そういった表れなんでしょう。バスでの護送は飛行機に置き換えられて、その不時着シーンが大きな見せ場になっています。機内のパニックシーンにミニチュア撮影の細かいショットが挿入され、はたまた実物大と思しき機体のセットも登場したりして、あの線路上の危機一髪のシーンに負けない印象的な仕上がり。それから、スナイプスがビルの屋上に追い詰められて・・・という場面も、『逃亡者』の例のシーンの変奏、と言えましょう。
と、いろいろ頑張ってはいるのですが、どうにも、作品全体としての弱さは否めません。そもそも、ジェラードが単なる人の好いオジサンみたいになっちゃってて、キャラが弱まってしまってるのがイタイ。『逃亡者』を何かと引きずりつつ、キャラが弱まって印象も弱まってしまっては、『逃亡者』の二番煎じ、オマケでしか、なくなってしまいます。
しかし、そこも含めての、製作サイドの狙いなんですかね? 絶妙なハードル設定のオマケ戦略。もしそうなら、このテキトーな邦題もまた、何だか絶妙な気がしてくる。。。