映画の中の世界というのは、フィクションであろうが、ノンフィク .. >(続きを読む)
映画の中の世界というのは、フィクションであろうが、ノンフィクションであろうが、観る者にとってはあくまで想像の世界です。想像は美しく、そして現実には手が届かないもの。その現実がまさに手の届くところにあったとしたら。。。スクリーンの中の憧れの俳優がまさに私の目の前に現れたとしたら。。。そんなストーリーなんて現実に起こるわけない!単なるファンタジーでしょ、っていう声が聞こえてきそうですね。「ニューシネマパラダイス」のアルフレードがスクリーンの女優たちに想いを抱き続けたように、「カイロの紫のバラ」のセシリアも「憧れ」の対象として映画を観続けます。そんなナイーブさを現実逃避だといって笑うでしょうか?そうかもしれません。でも、彼女たちのナイーブな想像世界は、そのナイーブさ故に、彼女を彼女自身たらしめるとても大切なものだと僕は思います。「憧れ」とは、起こり得ないことに可能性を抱くこと。それはある意味でポジティブで、ある意味で哀しい。しかし、その哀しさは、慈愛となり、あるとき恋の熱情にもなる。そして、それは、僕らを常に優しい気持ちにしてくれるのです。映画への「憧れ」は人を優しくします。そう思いませんか?