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深夜、どっかの歌好きな監督が「こんな映画作るな!見せるな!」とキレて場を凍りつかせ、冬季オリンピックの開会式では殺された歌手がかつて作った、平和を謳う歌の詞を妻が朗読してみせ、一夜明けて私はこの映画を見ました。残念ながら、スピルバーグも私も、そして多くの人も『歌には世界を平和にする力なんてない』事を知っています。現実には甘いファンタジーなオチなんて訪れない事を。スピルバーグの基本は孤独。スピルバーグ作品において人は個であり、組織や脅威に翻弄される立場にある者。そして今回は映画作家として、人としての立ち位置そのものまでも、遂に個に置いてしまったのですね。ユダヤもパレスチナもイスラエルもアメリカも、全てスピルバーグは突き放してしまった。すっごい無謀と言うか勇気があると言うか。紛争の背景には国家があり、民族があり、思想がある、しかし殺しあうのは個々の人。本当の敵、個人を苦しめる存在がどこにいるのか、スピルバーグ映画で一貫して描かれてきた組織対個人の、これは一つの到達点なのでしょう。この映画の終わりはそのまま今の現実に地続きに繋がっています。テロに対する意識を、国家や思想や民族やメディアで語るのではなく、個のレベルにまで突き詰め、一人一人に突きつける映画、ゆえにあちこちの団体の映画に対する怒りもごもっともでしょうが、この映画を受け止めた個人が他の意見に惑わされる事なく何を考えるかが重要なのだと思うのです。スピルバーグの映画を見ると、彼は人を信じていない、人に絶望しているフシが感じられる時が少なからずあるのですが、だからこそギリギリのところでなんとか信じたいと渇望しているのではないかなぁ。若手からいつの間にか巨匠となったスピルバーグが、あらゆる面で残された時間はもうそう長くはない事を自覚して本気出してきてる映画、ゆえに受け手としてもマジに真正面から受け止めるべきだと思うのでした。[良:3票]