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ゴダールにとって映画とはキャンバスであり日記帳であり原稿用紙であり心のゴミ箱であり、何かを表現するための自由な場であるのだなぁ、とつくずく思わせる映画でありました。この鮮烈な色彩、詩的な語り、そして自在過ぎて追いつけない展開・・・。作る側も見る側も、映画というもののフォーマット、ルールを限定してしまいがちですが、ゴダールは遥かに自由な表現者で、だから見る側としては真っ白なままで向かい合うのがいちばんなのかな、と思ったりもします。経験が共感を生む瞬間もあるかもしれない、全く受け付けないかもしれない、でも、何かしらのイメージが心に残るとすれば、それで十分なのです。1から10まで、手取り足取り導いてくれる映画と違って、そこに求められるのは理解や共感ではなく、ただゴダールの色なのだと。私にとっての「気狂いピエロ」は、ただフランスの風景の中にアンナ・カリーナが存在しているだけで十分です、って状態なんですけどね。[良:1票]