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<ネタバレ> 元々『009』を楽しんだ記憶がまるでなく(触れた記憶自体は原作から東映動画の映画版&白黒テレビ版、サンライズのカラー版等、たっぷりあるのですが)、エンディングに罵声や失笑が飛び交った『超銀河伝説』というとてつもなくダメな映画を経てきているので、今回も「まあ、こんなモンでしょうよ」という感じで。
キャラクター達がどうも『009』に見えない(ジェットとアルベルト、ギルモア博士なんか特に)とか、アダルトな要素は不要なんじゃ?とか、単純にサイボーグ戦士にコスチューム着せて9人並べた絵を見せられなかっただけでもダメとか、そういう根本的なところでひっかかってしまう映画ではありますが。
『まどか☆マギカ』にも感じた事。個というミクロから内なる宇宙を通してマクロへと繋がってゆく、その対比がクリエイターのパーソナルな観念的視点によって両極ばかりに偏向し、欠落要素の多過ぎる、説得力を欠いたものとなっている感じがします(その点、同じくミクロとマクロとを描いたジョディ・フォスターの『コンタクト』はよく出来ていた例だと思います)。
この作品世界には個人と組織と神秘は存在するけれど社会は存在せず、それはまるで誰かの見た悪夢であるかのようで。そこでパーソナルな世界から捉えた現実の不確実性に言及する作品であるのならば、それはそれでアリなのですが(まあ、となると押井作品ですわな)、これは単に力が及んでいないだけだと思うんですよね。神を語るには同時に何を語らねばならないのか、そこに無自覚というか、あまりに浅いというか。
相手にしているものの大きさを測りかねて核やテロというキーワードで遊んでみました、って程度の作品で閉じてしまっている気がして、お釈迦様どころか原作者の掌で踊る事すらできないくらいに矮小化された『009』ではあったな、と。
それでもあのオチは『超銀河伝説』の悪夢を振り払おうとして同じ穴に落ちたような感じである意味(意地悪な意味で)面白かったです。
あと、フランソワーズがお色気要員扱い、ムチムチしたデザインでセクシーショットを見せてくるあたり「露骨でイヤだわぁ」と思いつつしっかと凝視しておりました。[良:1票]