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<ネタバレ> そう、妄想はしょせん妄想。実際に動かなくては何も始まりません。
だけど、映画ってものも全ては光と影と音の作り出す幻影。そこに「リアル」は存在しません(「リアリティ」とか「リアリズム」とかでなくてね)。もしその場に「リアル」があるとすれば、それは映画館という空間のスクリーンという名の白い(あるいは銀色の)幕であり、スピーカーであるわけです。
妄想から抜け出し一歩踏み出す男の物語が存在する場所は(大勢の)誰かの妄想や空想によって創造された映像の中。
登場人物の体験ももちろん実際の体験ではありませんし、何度も繰り返したり、スタントマンが代わりに演じる事で創造された生なわけです。
妄想の映像がVFXを多用する事によって描かれているのに比べて、旅をする映像は実際に撮られた、自然溢れるダイナミックな映像が多く存在しています。でも、どちらも絵に描いた餅である事に変わりはありません。
この入子細工な作品が、その構造をシニカルに笑ってみせてくれれば、それはそれで楽しかったかもしれませんが、やっと辿り着いた写真家の言葉とか、ナンバー25の写真の実際の中身とか、親切に喋り過ぎな感じがあって。
映画に影響されて行動をして、もしその通りの結果が出なかったとしても、映画は責任を取ってくれはしません。
努力しただけの結果が出るとは限りませんし、誰からも評価されない可能性も(多分に)あります。むしろ人生は不条理の連続で、期待したほどの結果が出る可能性はとても低いものです。
映画はしょせん映画なのですから、本当の意味でのリアルを大切にしないと結局はちっともリアルを生きていないって結果に繋がりかねません。そこ大切。
これもまたよく出来た「おとぎ話」なのです。