<ネタバレ>いやあ、素晴らしかった。
何よりもまず、普通に面白い。 .. >(続きを読む)
<ネタバレ>いやあ、素晴らしかった。
何よりもまず、普通に面白い。カンヌでパルムドールだとかいうとやや難解なイメージがあるが、これは娯楽性と芸術性を見事に両立させている。172分という大尺を感じさせないだけの牽引力を持った物語で、しかも映像や美術を楽しむといった観方もできる贅沢な作品だ。
二人の役者の波乱の生涯とそこに秘められた愛が、中国の近代史に重ねて壮大かつ豪華絢爛に描かれる。大抵こういった歴史もので描かれるのは偉人や英雄の姿だが、蝶衣と小婁は才人ではあるものの、偉人には程遠い不完全で無様な人間だ。ときにはかっこ悪く、惨めで、卑怯としか言いようのない器の小ささを見せる。それなのに、なぜか憎めない。
その要因は物語が蝶衣の視点で語られていることにあるのかもしれない。蝶衣は確かに京劇に一生を捧げた演劇狂いではあるのだが、その裏には『覇王別姫』という演劇の中でしか愛する男と結ばれない、という切な過ぎる想いがある。舞台の上では蝶衣は誰よりも小婁と深い絆を繋ぐことができるのに、現実の世界では決して重いが通じることはない。蝶衣の人生のひずみのほとんどはそこから生じたもので、だからこそ観客は彼を憎むことができない。蝶衣の視点から、愛情というフィルターを通して見た小婁も同様に。
「運命は自分で切り拓くもの」とはよく言うが、こういった作品に触れるとその言い回しが実に軽々しく感じられる。歴史の奔流に弄ばれた二人は最後まで運命の呪縛に囚われ、抜け出せることなく消えていったように見える。
救いなのは、哀しい結末が必ずしも不幸とは断じられないことだろう。二人はどこまでいっても覇王と虞姫であり、ある意味では誰よりも近い存在であるに違いなかった。蝶衣は最後の舞台で、微笑んだ。彼は幸福と絶望の両方を噛みしめながら喉を突いたのだと思う。その運命は残酷だが、本人にとっては確かに価値のある生涯だったのではないだろうか。