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<ネタバレ>ずいぶん難しいことをやろうとしてる感じはするし、その試み自体は評価しますけど、作品として成功してるのかどうかは正直よく分からない。原作は読んでいませんが、そもそもヒロインが聾唖である必然性がよく分からないし、彼女が自殺を図ったり、最後に少年少女たちが和解したり、主人公が社会との関係を回復したりする展開に、どんな脈絡があったのかもよく分からない。雰囲気でごまかされた感じもあります。評価しにくいのですが、とりあえず表現の繊細さにちょっと甘めの7点つけときます。
まあ、作品としての出来不出来はともかくとして、生と死のギリギリの狭間で生きているような子供たち(…というより現実に死を選んでいる子供たち)に対して、何らかの表現の形を与えていくことは大事なことだと思いますし、表現だけでなく、そのような弱い子供たちに「生」の可能性を用意していくことも必要なことだと思います。アニメの主人公は命拾いをしていますが、ほんとうなら高いところから落ちて死んでいるのだし、現実の子供の世界でもそういうことが起こっている。そういう社会の状況に一石を投じる意味でなら、この映画の価値はあるだろうと思います。
ちなみに、この物語の受け止め方として、「自分の気持ちを伝えることって大切だよね」とか「他人の気持ちを理解することって大切だよね」とか「自分の存在を肯定することって大切だよね」という理解もありえると思うけど、それはかならずしも作品のメッセージにとって理想的な着地点だとは思えません。そもそも世の中には、自分の気持ちをちゃんと伝えられず、他人の気持ちもちゃんと理解できず、自分自身のこともろくに肯定できない人間が(たとえ大人であっても)たくさんいます。むしろ、そのほうが普通だといってもいい。問題なのは、それだけのことで(子供までが)自殺に追い込まれてしまうような社会のありようです。
異質な人間をいじめようとする排他的な連中も後を絶たないわけですが、彼らをどんなに啓蒙してみたところで、問題は何百年たっても解決しない。
この種の問題を、自分や他人の、つまり個々人の(まして子供の)「倫理感」の問題に還元してしまうのは、議論の方向性として間違っています。それは、どちらかといえば法学的・社会学的な問題です。その視点を逆転させるべきではない。すくなくとも子供の自殺という問題を、ひとりひとりの子供の「倫理感」のレベルに帰着させるような主張は、それがどんなにもっともらしく聞こえるとしても、つねに怪しい(あるいは都合のよい偽善だ)と考えるべきです。子供たちの生きづらさの問題は、結局のところルールやシステムの改善によってしか解決できません。ほんとうの意味で「悪い奴」がいるとすれば、それは個々の子供ではなく、既存のルールやシステムを変えることのできない(おもに大人の)連中のほうです。[良:2票]