冒頭に“絞死刑”という文字が長い時間ズドーンと出てくる。
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冒頭に“絞死刑”という文字が長い時間ズドーンと出てくる。
冴え渡るモノクロ画像。
そして、絞死刑の様子が生々しく厳かに再現される。
ところが、途中からコメディタッチな展開へシフトする。
そして最後まで、その悪ふざけ。
だけど、大島渚監督の言わんとしていることは終始一貫している。
「死刑制度」の是非を、観る者に問うているのである。
強姦殺人事件を2件犯した朝鮮人の若者が、法により死刑される。
法をやぶったのだから死刑で当然だという考え方に対し、どんな残酷なことをした人間だとしても、人間が人間を殺してはいけないのではないか?という命題を叩きつけてくる。
死刑を行うのは誰か?
死刑執行作業を行う者でもなく、それを指示する上官でもない。
ならば、国家か?
国家といっても、目に見えない。
国家が定めた法律だから、人間を処刑(殺す)ことができる。
そうは言っても、処刑を行うのは人間の手によるものである以上、死刑が広義の殺人として考えられなくもない。
大島渚は、終盤でこのような内容を、ふざけた調子でガンガンと主張してくる。
私はと言えば、死刑制度には反対でも賛成でもない。
ただし、殺害された被害者の親族などの立場になったら、どうなるだろう。
本作は、そういったことを考えさせられる至極真面目な映画であるが、その反面、表現方法としては、大の大人がふざけまくるという演出手法を採用している。
そこが実験映画的であり、ATGとしての主張とこだわりを強く感じることができた。