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<ネタバレ>ヴィム・ヴェンダースが1983年に東京を訪れ、その際に彼自身が撮影した映像を元に、ドキュメンタリータッチで当時の東京を描いた作品。
ヴェンダース作品群の中にあっても、とりわけマニアック度の高い作品である。
ヴェンダースは小津安二郎を心底、敬愛しているらしい。
それはこの作品を通して強く感じることができる。
又、小津作品の常連であった俳優・笠智衆へのインタビューがこの作品の見所の一つでもある。
ヴェンダースが本作で訴えたかったことと言えば・・・
敗戦後、アメリカによって文化を支配され国民性を奪われただけでなく、国民一人一人のアイデンティティまでも見失ってしまった日本。
流行の遊び、映画への価値観、人々の服装等、それら全てがアメリカ的価値観によって侵略され、日本人はアメリカ文化を世界へ広める為の道具となっている。
といった様な感じであろう。
ヴェンダースが小津の『東京物語』で観た東京の風景は、全てどこかに消え去ってしまっていたのだ。
又、パチンコや野球放送の垂れ流し等もかなり痛烈に皮肉を込めて映し出されている。
下らないテレビの放送内容を指摘した上で、“強制的に流れる暴力的ですらある映像”と評し、タモリ倶楽部のオープニング映像を流していたのには笑えた。
他にもパチンコという遊戯に対し、“人々はパチンコをして束の間の現実逃避を行っている。しかし、このパチンコというものから得られるものはほとんどない。”という痛烈な批評を行っていた。
多少ドイツ人から観た偏りのある“東京画”であることは否めない。
しかし、ヴェンダースが嘆き主張したかったことについては、非常に共感できた。
特に、アイデンティティの欠落した現代日本人の典型的な遊び(パチンコ、ゴルフ等)を指摘するくだりは、観ていて愉快痛快であった。
そうだ、肝心なことを書き忘れていた。
本作には唐突にヴェルナー・ヘルツォークが登場する。
これが“偶然にも出会った”的に登場するのだが、いかにも嘘クサイ。
それはそれとして、ヘルツォークだが・・・
彼の創り出す作品も恐ろしいが、彼自身が何と言っても一番コワイ!!
「素材を求める為なら、私は宇宙にでも行く」
とか言ってる時の、彼の気合いに圧倒された。
やっぱりヘルツォークは奇人だった。
ドイツ人は変人が多いのか?!
という様な偏見に陥るくらい強烈な人物であった。