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<ネタバレ>「レッドマンの考え(インディアンの考え)」、「モヒカン族の最後(ラスト・オブ・モヒカン)」、「折れた矢」、「ミズーリ横断」、そして本作はインディアンと蔑まれ一緒くたにされたショショニ(ショショネ)、シャイアン、モヒカン、スー連合、アパッチといった諸部族…北アメリカ大陸に先に“国”を育み暮らしていた人々の側に立って撮られた傑作の一つだ。
やはりアンソニー・マンの西部劇は新しさに満ちていた。
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」がアカデミー賞を取れるならば、アンソニー・マンや「ビッグ・トレイル」のラオール・ウォルシュ、ウィリアム・A・ウェルマンは一体何度賞を取れただろうか。
この映画は「ウィンチェスター銃'73」のように初っ端から撃ち合うような映画ではないが、代わりに人種差別という題材を体現する視線、視線、視線が重い空気を作っている。
馬に乗ってひたすら駆けていく男。彼の目的は帰ること、再会を分かち合える嬉しさに溢れていたことだろう。
肌の色に関係なく軍人となり、戦争を生き残った。もう「インディアン」呼ばわりされない、ショショニ族という自分のアイデンティティーを認めてもらえる…きっとそんな気持ちで酒場に入っていったはずだ。
戦前から知り合いだった男たちとの再会、胸の勲章を“認められた”証として見せびらかしこそしないが、誇らしく身につけている。
だが、画面の端…酒場の奥にいた男にその想いは届かなかった。彼の存在が終始この映画に暗い影を落とし、息苦しさを持続させる。
机の上に叩き出し栓を打ち上げる酒瓶、奥行きで強調される窓や壁の穴から差し込む光、巻きあがる土埃、映り込む影。
迎えに来た父親との再会、周りに集まり騒然と、白い目でそれを見つめる街の人々。犬にも警戒されているのか吠えたてられる。
元々住んでいたのどかな生まれ故郷。自然豊かな大地を牛が行き交う谷、自分の存在理由。
父が残す言葉の真意と医者の反応、黙って見送るしかないもの。
知人の変貌、貼り紙、偏見に満ちた男の銃撃、それに拳で応える殴り合い、不気味に見届ける黒い影、影、影が囲む閉鎖空間(ジョン・オルトンが撮った強烈なコントラスト)、砂と血にまみれる取っ組み合い、浴びせかける“おごり”。
悪徳弁護士、女性弁護士との邂逅、ライフルで武装する警戒・それが緩む少年を暖かく迎え入れる光景。助けないのは助けてくれる者がいなくとも自力で立ち上がる強さを与えるため、這い上がるならそれを称えるように抱きかかえ抱きしめてやればいい。それがショショニ族の強さなのかも知れない。
板挟みに遭う開拓者、ショショニ族の避けられない殺し合い、文明の衝突。故郷を奪われ居留地に押し込められ、流れ着いた人々、受け入れられるものとられないもの、自分の故郷…国を守るために武装し戦うしかない。かつて同胞として共に戦った者たちと…。
街や谷に溢れかえる牛、羊の大群、それを幌馬車ごと吹き飛ばすダイナマイトが炸裂しまくる殺し合い、撃ち合い、殴り合い、横たわる死、死、死。
椅子を逆さにし家財道具も何もかもバリケードにし土を掘り返し続ける戦闘準備、それを見守る指揮官を横移動で捉えるキャメラ、レバーを開き確認し受け渡されるライフル。
法を知る弁護士さえいくら話し合うことは出来ても戦いを止められない無力さ、騎兵隊も助けてくれない。拍車をかけるだけだ。
大人が斃れれば次は子供も“大人”にされ戦闘に駆り出されていく。
踏ん張っていたものが力尽き、斃れることを告げる敬礼!
この作品の要素は文明の衝突「ララミーから来た男」「シャロン砦(シャロンの屠殺者)」、法をめぐるやり取り「胸に輝く星」、不安定な人間関係「裸の拍車」等にも受け継がれる。