<ネタバレ> ドルビーシネマ視聴(音響良し、入場料高め)。
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<ネタバレ> ドルビーシネマ視聴(音響良し、入場料高め)。
前作の「ジョーカー」は観て面白いと感じたのと(ニューシネマ的なものも割と好きなので)、その下敷きと言われる「タクシードライバー」も割と面白いと思ってた口です。
観終わった感想としては「うーん、どうなんだろう」という印象でした。
別に悲劇的な物語でも良いし、「ジョーカー」の時から、アメコミのガワを付けてるがリアル寄り、悲惨で不遇な話と了解してたので、低予算でマイナーだけど刺さる人には刺さる作品として出てきたなら、ああああああと思いつつ受け止めたと思うのですが、いちおう仮にも「ジョーカー」の名を冠した作品として出てきてしかも人気ディランの「ハーレイクイン(しかもレディ・ガガ)」まで登場し、そうするとその名前だけで惹かれて見に来る一般の人が多数発生すると考えられ、またネームバリューで日本の大手配給会社が買い取るので、作品の出来に関わらず、多数のスクリーンを全国的に占有してしまうわけですよね。
で、作品テーマがメタ的で、「ジョーカー」という悪のヒーローをダシに、儲かればいい中身とか知らんという制作陣への批判的内容も含み、かつ「ジョーカー」を悪のヒーローと崇め奉る視聴者/ファンへのあざとい批判もする、という作品に見えるので、そういうのでわざわざ多数の劇場を占拠し、他の前向きでより良い作品が広まっていくのを阻害するのは、その存在自体がはた迷惑ではないかと。製作費が300億円とか言われており、そんなに大々的迷惑行為をやるのは許されるんだろうか? よく制作OKになったなー、という印象でした。
演出は素晴らしく、ミュージカルシーンは凝っていて、歌も良いし、主演の鬼気迫る迫真の演技もすごくて、楽しまされるんだけど、そもそものメインの話で伝えんとする内容がいかがなものかという感じで。
個人的には「ジョーカー」「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の2つを合わせて「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の超豪華再構成版と思ったのですが(裁判シーン、ミュージカルシーン等)、だからこういう話って、許されない罪を犯した以上、死刑なり悲劇的なエンドになるのは仕方ないとしても、主人公の内心の救いみたいなものは寛容にも許そうとか、キリスト教的教えとしては、来世ですべての罪が許され幸福になることが決まってるので、そういう赦しは許容しようみたいなのがあって、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「タクシードライバー」では、作中現実は悲惨だが、主人公の最期の妄想の中では幸福になるのは赦されるみたい描かれ方をして、視聴者としてちょっとだけほっとし実に味わい深かったりするのですが、本作ではそういう内心のちょっとした救いみたいなものまで否定しにかかるので「えー……」って感じでした。
いちおう、監督側としては、最後のジョークの辺がやさしく救いのある場面だったということらしいので監督自身はそれで救われたのかもしれませんが、私には伝わらなかったかな(笑)。
あと、リアル寄りの話として本作の主人公の話は、現実の男性弱者の風刺の部分もあって、実際現実に大変になってると思いますが、それが前作「ジョーカー」ではちょっとスッと爽快な部分があって、それで救われた人もいたかと思うのですが、本作のオチだとそういう現実の不遇な人にも三下り半を下してるかのように見え、それってエンタメとしてどうなのか。芸術系の作品でも金と時間を取ってみせる以上、多少は視聴者を楽しませる部分はあるべきと思ってて、ましてや「ジョーカー」の名を冠したら期待度が上がるのはわかり切ってるのに、楽しませる気がない、誤解も許さない、みたいな表現はどうなのかと思いました。
それが、マイナー映画でやってるならまだマシなんですけど、メジャータイトルで多数劇場を占有してると、マイナーだけど前向きな良い作品が広く伝わるのを劇的に阻害することがあって、個人的に大迷惑だと思っており、昔の作品でも同じような事態があって、いまいちなメジャー作品が多数劇場でそれなりの興行収入を得たので"てきとう"にその時の賞を受賞したんだけど、同様のテーマのすごい良い作品がマイナーであるがゆえに審査員に観てもらう事さえされず、無視された事態があって個人的にメチャメチャ、イラっとしたんですが、本作でその時の嫌な気分を思い出してしまいました。これよりは「侍タイムスリッパー」「エストニアの聖なるカンフーマスター」みたいな前向きなおもろい作品がもっと上映館増えて欲しいですね。
ということで、本作は演出とか映像表現とか素晴らしいんですが、内容的にいかがなものでしょうと思いました。
もうちょっと主人公が内心だけでも救われて欲しかったかな。