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<ネタバレ>確かな記憶、という意味では、私が映画館で観たことを覚えている最古の作品である(実は)。コロナ禍のジブリ・リバイバル上映を機会として、1作品だけコレ!と選んでこのたび映画館での再鑑賞に至った(最近、少しテーマの似てる『羅小黒戦記』を観て、ちょっとまた観たくなったというのもあるのだけど)。
改めて観てまず感じるのは、話の複雑さ、特に「自然の神々」に対する人間側勢力(エボシ)を取り巻く状況のそれである。ずっと「自然」対「人間」の二項対立の話だと思っていたのだが、実はこれは、人間が既に自然を凌駕してしまったあとの物語であった。エボシにとっての真の敵は人間であり、エボシが神を殺そうとするのは、そうしなければ真に勝ち抜くべき人間同士の争いに勝てない、と考えていたからである様に思える(帝に「シシ神の首」を献上することの政治的意味を含めて)。このことが、この話を単純な自然と人間、善と悪の二項対立から一段上に掬い上げていると同時に、人間もまた、強者が弱者(蹂躙される「自然」を含めた)を資源として利用しなければ誰しもが生きてゆけない「弱肉強食の理」から逃れることは、歴史上一度も実現出来ていないという意味の含蓄を作品に与えている様にも感じられる。
難解と言われる本作のラストだが、あくまで私には、この理に従って各々が争い生きることが生む絶望と、そこから脱却して生きていこうとする先に芽生える仄かな希望(のようなもの)を描いたものである様に思えた(それはまた、本作で唯一、真に自然を体現する「物言わぬ神」として描かれるシシ神の神性としての、途切れ無く流れる悠久の自然が備える「ホメオスタシス」の様なものであるか、とも感じたのだが)。