<ネタバレ>主役のカメラマンが持つカメラに小型ビデオカメラを仕込んで、カ .. >(続きを読む)
<ネタバレ>主役のカメラマンが持つカメラに小型ビデオカメラを仕込んで、カメラマンの一人称視点で戦場の映像を見せたりするのですが、画面映像の下部に、額縁様に、カメラ上面の一部とシャッターを切る指が映っていて、安っぽい洋ゲーFPSのようで笑ってしまいました。しかし、内容は至って真面目なものです。主人公カメラマンの、あまり熱く語らず、冷静で落ち着いた話し方に、人柄の温厚さと、戦場カメラマンとして文字通り命を賭けている覚悟が現れているように感じられました。それとは別に、この作品の主旨とは少し離れたところで、モヤモヤとしたものを感じてしまいました。以下、蛇足です。今の時代、世界に対してあまねく発信したつもりでも、それを取捨選択して受け取る層はごく少数で、偏った層だと思うんです。本当に現実を知らなければいけない層には、まず届かないと思うんです。自分が知りたいから撮る。同じように知りたい、ごく少数の層に需要があるから撮る。それだけじゃ駄目なんでしょうか?それだけだと、被写体が苦悩をさらけ出すメリット、大義がなくなってしまいます。だからといって、お金を渡したら、苦悩がテーマなのに、その時点で真実じゃなくなってしまいます。難しいですね。作中にこんなシーンがありました。酔っ払って電車に轢かれて手足を失ったインドネシア人男性の生活を追った作品。カメラマンがそれを見た人から受け取った手紙を披露するシーンです。貧しい労働者からの手紙で、足を失った男に、なけなしの生活費の一部を月々寄付したいというものなのですが、寄付対象が被写体に限定される時点で、さすがにそれは違うだろと。写真の受け取りようは人それぞれあっていいのですが、そうしたいと思った受け手の気持ちが純粋であればあるほど、最後は受け手任せにするしかない写真家の無力さとでも言うか、意図せずに、意図しない対象に対して、意図しないメッセージを送る可能性があり得るというか、むしろ高いというところに、何とも言えない、歯がゆさを感じてしまいました(そういうことを伝えたくて、このエピソードを入れたのか、安易に美談として入れたのか、まったく不明ではありますが)。